剣聖

「くそっ、このガキ、ちょこまかと……!」


 こちら目掛け振り下ろされた剣。だけど、その剣を振り下ろす男の背後にいる幻影に意識を集中する。


 ――俺の視点が、瞬時にズレた。


 俺の体が幻影の一体と入れ替わり、先程の男は今は俺の前で背中を晒しており、剣は元は俺の立っていた場所に居る幻影だけを切り裂いている


「くそ、またか、こいつ……っ!」


 苛立たし気に次の俺の影に向かおうとする男に、背後から飛び掛かる。


「っ……らぁ!!」


 全身をバネの様にしならせて回転を付け、その側頭部に踵を叩き込む。脳を揺らされた男が白目を剥いて崩れ落ちたのを尻目に、幻影を追加するべく腰のポーチに手を伸ばし、形代を引き抜こうと……


 ――手が、空を切った。


「……くそっ!」


 高価なインクと紙を使う触媒だ、使うなんて思っていなかったから、それほど用意してなかった、畜生!

 背後から斬りかかってきた男の懐に飛び込むと、その鳩尾に肘を叩き込む。


「――げはっ……このガキぃ!!」


 一瞬呻き声を上げて崩れ落ちかけたが、すぐに立ち直って振り下ろされた剣を慌てて背後に飛んで回避する。


「速さは大したもんだが、軽いんだよガキがぁ!!」

「うるせぇ、そんなこたぁ分かってらぁ!!」


 打撃主体で戦うには、この体はとにかく重さが足りていない。だから速さと道具を駆使しないとなんじゃねぇか、畜生!


 心の中で悪態を吐きつつ、マフラーから引き抜いた棒手裏剣に、懐から取り出した札を重ねて投擲する。


「――『炎雷符』!」


 カッ、と男の鎧に手裏剣が当たり、火花が散った……その瞬間


 ――ゴウッ!!


「ぎゃあああ!? 熱、あぢぃいいいい!?」


 男が、火柱に包まれて、毛や皮の焼ける嫌なにおいを漂わせてその場に転げまわる。


「このガキぃいいい!?」

「囲め、一気にやれ!!」


 ぞろっと群がってきたゴロツキ共をざっと見まわし、逃げ場が見つからないことをさっと調べると、覚悟を決めて印を組む


 ――向かってきているのは、三人。本当は、もっと巻き込めるタイミングでやりたかったんだけど、くそっ……!!


 傭兵崩れと侮っていたけれど、粗野な風貌と態度の割に予想以上に統制が取れていた。幻影をばら撒き撹乱する事で乱戦に持ち込んで、どうにか凌いでいたけれど、このあたりが限界かっ……!


 一斉に群がってきた敵たちに、背後に佇んで牽制していた幻影の最後の一体に意識を飛ばす……その際に、幻影の核、形代に刻んだ細工を起動させながら。


 ――『微塵隠れ』!!


 男達が幻影を貫いた…‥次の瞬間、かっと閃光を放ち、その幻影が炎と衝撃をまき散らし、男たちを巻き込んで弾け飛んだ。周囲は巻き上げられた土と煙に包まれその視界を奪っていく。


 ――よし、これで土煙に紛れて撤退を……そう思った瞬間。


「捕まえたぞこのガキぃ!!」

「――がっ!?」


 横合いから飛んできた蹴りに、たまらず吹き飛んだ。

 大柄な男の蹴りに軽い体は数回地面を跳ね、道の脇の木に背中から衝突してようやく止まる。


「……がはっ、げほっ!」


 強かに背中を打ち付け、咳き込んでいると、怒りに顔を赤く染めた男にむんずと襟首をつかまれ、宙吊りにされた。軽い子供の体はそれだけで足が地面につかず、ぶらんと抵抗が封じられてしまう。


 ――でもよ、俺相手に、服を掴むってのは、悪手だぜ……?


 蹴られた痛みをこらえて、服の裏に刻んだ印を、指先に闘気を込めて弾く。


「こんだけやってくれたんだ、ガキだって容赦は……うわっ!?」


 男の眼前で、俺の服……上着が、パァンと音を立ててはじけ飛んだ。

 その衝撃で思わず手を離してしまった男の足元に体を沈め、スキルを一つ脳内で弾く。


 二次職アサシンのスキル、『クローキング』。


 意識さえ逸らせば戦闘中でも使用可能というそれで姿を消して、突如手の内の感触が失せたことに戸惑う男の背後に回り込む……ほぼ、無意識に。何千と繰り返した、ゲーム中の癖で。


「……は? ガキ、どこに――」


 その無防備な背中に……思わず恐怖心から、ゲームの時の体にしみこませた流れの通り、この戦闘中封じていたスキルを解放してしまう――アサシネイトを。


 しまった……そう思った時にはすでに遅く、低い姿勢から短刀で放ったそれは、男のわき腹から入り、脊椎をばっさりと断ち割って、男の肩と首の間へと抜けた。

 月光に蒼く照らされた刃の軌跡が半月を描き、夜闇を大量の血飛沫が舞った。血の雨となって、びちゃびちゃと降り注ぐ。


「――がっ……ふっ……!?」


 何が起きたか分からない……そんな表情を浮かべながら、男が背中からどちゃどちゃと鮮血と内臓をぶちまけ、仰向けに崩れ落ちた。


「……あ……あぁ……っ」


 べったりと頬に付着した血の感触に、手が震える。やっちまった……できるだけ命を奪うのは避けていたのに、やっちまった……!


「うげ、ぇ……っ!」


 手の内に残る人間の体を切り裂いた感触に、周囲に充満する血と臓物の匂いに、思わず胃の内容物をその場にぶちまけた。

 げほげほと咳き込みながら、口元を拭って顔を上げると、その時既にほかの連中に取り囲まれていた。


 ――人の命を……なんて殊勝な理由なんかじゃない。最初に手に掛けてからずっと、覚悟も中途半端に殺したら、次は多分こうなるってわかってたから、殺さないようにしてたのに、なぁ……


「姉ちゃんたち、逃げ切ったかな……」


 ぽつりとつぶやいて、ぼーっと振り下ろされた刃を眺める。あ、これ、死んだ――




「させるかよ!!」


 ギン、と刃のぶつかり合う金属音。


「あ……レイジ兄ちゃん?」

「無事か、悪い遅くなった!」


 突然現れたレイジ兄ちゃんが、片手に姫様を抱えたまま……なんで抱えて戦ってんの、この人? ……瞬く間に、残った周囲の男たちを叩き伏せて行った。


 ――畜生、全然強ぇ、格好いいなぁ……


 クラスのせいだけじゃない。経験の差でもない。あの兄ちゃんは、それだけあの姫様が大切で、だからその為なら臆さず突っ込めるんだ。


 これが、中途半端と、本気の差、か。分かっちゃいたさ。最初から。敵わないなんて事は。


 ――だけど、俺も……いつかは、ああなれるかな?


「――ハヤト君……!」

「……あ、姉ちゃん、よかった、無事……」

「……無事で、良かった……っ!!」


 駆け寄ってきた姉ちゃんの無事を喜ぼうと思ったら……気が付いたら抱き着かれていた。疲弊した体が柔らかく包まれ、ふっと疲労が溶けていくような良い匂いに包まれる。


「もう、こんな傷だらけで、無茶して……危なくなったら逃げろって言ったじゃない、ちゃんとお姉ちゃんのいう事聞きなさい、この馬鹿……っ!」


 なんかすげぇ気持ちいい。だけどぎゅうぎゅうと抱きしめられて、呼吸が苦しい……けど、ちょっと待て、待ってくれ。この、苦しい原因……呼吸を阻害している、顔が埋まってる柔らかい物って、なんだ……?


「……うわぁああああ!?」


 自分の状態を理解した瞬間、ばっと、姉ちゃんの体を引き離した。まるで顔に全ての血が集まったかのように熱い。


「ぶはっ! ばっ……ば……っ!?」


 ――馬鹿じゃねぇの!? 姉ちゃんも、姫様も、なに思いっきり男を抱きしめてんだよ!?


 あ、やべ、頭に血が上って、意識が――……


「……ハヤト君……? ……ハヤト君!?」


 ――あー……俺、すげぇ格好悪ぃ……


 姉ちゃんの心配そうに呼びかける声をぼんやり聴きながら、意識を手放した。











 落ちたな……横目でちらっと見てたから、状況は把握している。


「ハヤト君!? ねぇ、ハヤト君!?」


 混乱したアイニさんに涙目で揺さぶられている、気絶したハヤト。でも、まぁ、うん。気持ちは痛いほど分かる。


「あー……確かにそりゃあ純情な青少年には毒だよなぁ……大丈夫っすよアイニさん、頭に血昇っただけですから」

「……そ、そうですか、良かった……」


 南無。


 そりゃ、この二つのメロンに顔埋めて窒息、は男として一度は体験したい夢だよなぁ……言葉にはしないがぶっちゃけ羨ましい。不意打ちで喰らったら頭に血昇って倒れるくらいはするよなぁ……と合掌する。


 それにしてもこいつ、思ってた以上に大事に思われてんな。

 さっきの心配そうなアイニさんの取り乱した様子は、普段からは想像も出来なかった。


 ……と、こうしてる場合じゃねぇんだった。


「さて、あとは……」


 残るゴミ掃除が残ってる。剣を構え直し、残る二人……へたり込んでいるブタ野郎町長とその背後にいた異国の服を着ていた男に向き直ろうとした、その時。


「ま、待て、貴様、私を置いて逃げるのか!?」


 慌てた声に振り返ると、そこには背を向けて森の中に駆け出した男の背中。その男を追いかけ、必死にブタ野郎町長もよたよたと走り出す。


「この野郎、逃がすかよ……!」


 追いかけようとして……逃げる男の向こう、そこに、誰かが居るのを見つけた。

 緑色のサーコートをフードまできっちり着込み、その下におそらくチェーンメイルで武装した姿。まるで洋画の騎士のような出で立ち。


 その影が、ゆらり……と揺らめいたかと思えば――いつの間にか、その影は、逃げる男の真後ろに居た。ちん、と、森の中に剣を鞘に納める音が響く……っておい、待て、待てよ……いつ抜いたんだよ!?


 次の瞬間、逃げていたはずの男がその速度を急速に減じ、最後に二歩、三歩と歩いたかと思うと……べしゃりと地面に倒れ、動かなくなった――首から上を、その手前、騎士風の男のすぐ背後に残したまま。


「……ははっ……嘘だろ……おい……」


 冷や汗が背を伝う。

 見えなかった。全く。剣を抜いた瞬間ですらも。


 もしかしたら、全盛期……二次職レベルカンスト時にであれば見えていたのかもしれないが、今の俺には全く見えなかった。


 ……全力の、ヴァルター団長と、同格……か?


「ひ、ひぃ……」


 町長が、あっさりと斬り捨てられた連れに腰を抜かしてへたり込んだ。


 その騎士姿の男の背後に、さらに数人の者たちがぞろぞろと姿を現す。立ち振る舞いを見れば分かる、全員が相当の手練れだと。全員のその服に刺繍された紋章を見て取って、もはや俺の出番は無さそうだなと、剣を納めて眠るイリスを抱え直す。


「……ディアマントバレー町長、ヨルゲン殿だな」


 先頭に立つ、先程の男がその口を開いた。その声は鍛えているもの特有の力強さを感じるが、僅かにしゃがれた様子は、男が相当に高齢な事を物語っている。


「お主には、禁制品の取引、奴隷売買、不当な税の徴収……様々な容疑が掛かっていたが……」


 すっと、その目が僅かに細められた。その瞬間、空気が幾分か温度を下げた……そう錯覚させる圧力が周囲に満ちる。


「今回の件でお主には、外患誘致、それに……不敬罪も追加となるであろう。抵抗すればこの場で処断する、大人しく従うのであれば法の裁きを受ける権利は保証しよう……しかし、二度と日の目を見ることは無いと思うがいい」

「ふ、不敬……っ!? なっ、何ゆえ……私は……そうだ、私は彼らに騙されていただけで……!」


 老騎士が、はぁ、と深く嘆息した。


「その話の真偽はもはやどうでも良い。お主は……手を出してはならないお方に、手を出した。弁明は聞かぬ、連行しろ!」


 その背後から現れた騎士姿をした者たちに、喚きながら引き摺られていくブタ野郎町長……って!


「待て、待ってくれ!? その前に鍵、鍵を持ってないか調べてくれ!!」


 イリスの首輪外さねぇと! 抱えたイリスの首にあるものを指さして引き留める。


 慌てて伝えると……イリスの首輪を見た瞬間、物凄ぇ殺気が騎士たち全員から発せられた気がしたけど分からなかった事にする……すぐに騎士達は、たった今泡を吹いて倒れたブタ野郎町長の全身を検分し、程なくして小さな鍵が出てきた。

 良かった……アイニさんが言うにはかなりヤバい物らしいから、一刻でも早く取り除いてやりたかったんだ。


「では、申し訳ございません、失礼致します」


 律儀にも意識の無いイリスに一言断りを入れると、老騎士が皆を代表して、恭しく、まるで壊れ物を扱うような丁寧さで俺の抱いているイリスの首輪に触れ、そっと鍵を差し込みカチリと回した。

 ガチャリと音を立ててようやく外れ落ちる首輪に、安堵の息をつく。


「さて……」


 全てを終えて俺と向き直る老騎士。

 彼は、そのフードを取り払うと、俺……ではなく、俺の抱える、眠っているイリスに跪いた。背後に控えていた騎士たちも、同様に。突然のその光景に、あっけにとられる。

 しかし、先頭の老騎士の顔を見て、背中に衝撃が走った。


 ――俺はこの爺さんを知っている。


 いや、ゲーム時代、ノールグラシエ所属のプレイヤーであれば、全員が知っているはずだ。


「……ノールグラシエ騎士団、『前』総長……アシュレイ・ローランディア……!?」


 口の中で、呆然と呟く。基本的に王都に居るはずの彼がなぜ、ここに居るのか……と。


 それは、ゲーム時代にイリスが半ば公式キャラに抜擢された際、そのイベント内でプレイヤー達に加勢し攻略に協力した騎士団の副総長、現在俺達の向かっているローランド辺境伯領の領主……の父君。

 息子が役職に就く際に、一つの家系に権力が集中することを危惧して自ら退陣し、以降は御意見役として籍を置いていると聞いた。


 俺みたいなゲームの称号ではない。王国最高の魔法剣士としての称号を有している、その人物。


 ――本物の『』だった。

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