少年の戦い

 ガタガタと、林間の悪路に揺れる馬車の中。


「く、くくく、ははははっ」


 やった。やってしまった。これでもう後戻りはできない。

 元々、町長などというのも親から継いだだけで、それ程未練があるわけでもなく、いつかこのような辺境からの脱出を目論んでいたが……これでもう退路は無い。


 今回、主要産業である鉱山が占領された事で、この町にも町長という立場にもさっさと見切りを付けて逃げ出そうと少しずつ移動していた資産だが……それでも大半を置いていくことになったのには忸怩じくじたる思いがある。


 ――と、最初はそれで躊躇ためらいはあったが、この数日で事情が変わってしまった。


 どう考えても真っ当な旅人ではない、傭兵団と共に町に入ってきたあの若者達。

 会話の先頭に立っていた青年の、座った肝と、こちらを探るような目。

 何も言ってはいなかったが、あれはきっと領主の息のかかった者で、とうとう調査の手が伸びて来たに違いない。


 そう悲嘆していると、突如もたらされた悪魔の囁き……西の大陸から商談に来た、闇商人の子飼いという者達からもたらされたのは、町を魔物に襲わせ、騒ぎに乗じて価値のあるものを奪って高跳びする、という物だった。


 大陸を渡る手筈は整っている、そうここ数年に渡る馴染みの彼らに告げられ、藁にもすがる思いで決行したが……町は彼らがいずこからか用意した魔物たちによって目論見通り大混乱に陥り、想いのほか事はうまく運んで、あとは南の港町までいけば逃げられる――!


 査察が入れば身の危険があるという事も確かに決行の理由だ。

 この北の国は非常に商売のしにくい国で、今まで取り扱ってきた商談の幾つかは密輸や人身売買等の法に触れているものもあり、捕まれば首が飛びかねない。


 しかしそれ以上に……今回新しく手に入れたあの少女達の事を考えれば、あの町の全てを捨ててもむしろ釣りが来るほどだと、今頃荷馬車の方で震えているであろう彼女らを思いほくそ笑む。


 方や町で評判の美人の薬屋。その美貌に幾度か娶る事を打診して来たが、その度にさらりとかわされて来た、そんな娘が今私の手中にある。


 あの美貌に加えて薬屋としての実力も確か。それだけでも、奴隷として売ればおそらくかなりの値が付く。それこそ、何年かは遊んで暮らしていけるだけの。


 だが、それ以上に――


 傭兵達と共に現れた若造の一向に居た、あの銀の髪の少女。

 病気だとかで臥せっていたあの娘を捕らえた際、初めは何か恐怖に駆られるように激しく抵抗していたが、闇商人から高い金を出して買った『あれ』を取り付けた途端に大人しくなり、すぐ昏倒して静かになった。


 ―最初、あの西門で一目見た時から、激しい衝動に駆られた――欲しい、と。


 未成熟ながら、成長すればどれだけの大輪の花を咲かせるであろうか分からないほどの可憐さに、教会に囲われていると噂される聖女もかくやというあの強力な治癒魔法。


 攫った当初は、然るべきところへ売り払うつもりであった。


 どのような場に出しても恥ずかしくないであろう容姿に、楚々とした仕草。

 希少な、教会に確保されていない治癒魔法の才。

 少女であるが故に、手籠めにして自らの子を宿させる事が可能だということも、その才を自らの家系に取り込みたい者達……特に貴族といった連中にとっては、いくら金を積んででも欲しがる逸材に違いない。


 未だ何者にも染まっておらぬ、所有者が如何様にも染め上げることが出来るであろうその蕾は、おそらく一生遊んで暮らせそうな大金となる……それだけの価値があの少女にはある。


 だが……だがしかし、それ故に手放すのは惜しい。

 この手で調教し、従順に仕立て上げる事が出来れば、どれだけの富を生み出す事か。

 このような辺境で小さな町の町長に甘んじる必要などない、富が集まる西大陸で一旗揚げ、一城の主となることもきっと不可能ではない。


 それどころか、もしもあれだけの才と容姿を継いだ子を為すことができれば、貴族や……場合によってはどこかの王家ともつながりを持てるかもしれない。それだけ、治癒魔法の才というのは珍重されるのだ。


 ――いや、そんな理屈は後付けだ。ただただ、あの少女が欲しい。あの可憐な少女を好きにできるとしたら、どれだけ私を満たしてくれるか……その湧き上がってくる欲望は、魅入られたと言っても過言ではない。


 あの少女が、私の下で、私の手で、その端正な顔を羞恥と恐怖、やがては快楽に歪める……本来であれば、触れることすら叶わぬであろう可憐な蕾を自らの手で手折り、未来を摘み取るという昏い愉悦。


 ……そんな妄想の未来に想いを馳せていると――いまいち表情と考えの読めない、闇商人から紹介された案内人だと言う男が、速度の落ちた馬車に入り込んで来た。


「……すみません、荷馬車が泥濘に嵌って動かなくなりました」

「……っ、馬鹿者、何をやっている!」


 ――役立たずどもが! 何の為の案内人だ!


 何のために財産の一部を捨てて急いで逃げてきたのか。もたもたしていたら、町の騒ぎを鎮圧して追手に追いつかれるかもしれない……やむをえん。


「くっ……荷物は後で回収すればいい、あの娘達だけでも連れていくぞ、こちらに引っ張ってこい!」


 荷を失うのは痛手だが、それでもあの娘達さえ確保していれば何とでもなる。


「私は、このような辺鄙な場所で終わるような者ではない、必ず逃げて、金を、権力を――っ!」




 ……そう、行く先を、欲望にぎらついた目で見据えていた――背後から見つめている、冷めた視線に気がつかないまま。








 ◇


 ――荷馬車の中、他の荷物の影に隠すように外から見えぬように置かれた、何か動物を閉じ込めておくような金属製の檻の中。


「……う……あぁっ……!? 嫌ぁ……っ!」

「……大丈夫、きっと助けてあげるから……ね?」


 力無く眠る、一緒に連れてこられた女の子を、私も両手首が縛られており思うように動けない中でどうにか胸に抱き、カタカタと小さく震えているその華奢な体を労わるように、ぽんぽんと背中を叩く。

 うなされている、腕の中で眠る彼女……イリスちゃん、あるいは……いいえ、そう呼ばれるのを望んでいないのなら、この名前は胸の内に留めておこう。


 今は、風邪薬に含まれていた鎮静作用の薬効によって眠りについているためこの程度で済んでいるけれど……起きていた時の様子は本当に酷い物だった。


 攫われた際……最初こそ必死になって抵抗していたが、男達が取り出した首輪のようなものを嵌められた途端に熱に上気していたはずの顔を蒼白にし、子供のようにぼろぼろと流れる大粒の涙を手で拭いながら、虚ろに「許して」「ごめんなさい」と譫言のように呟き出した尋常ではないあの反応。

 どこか定まっていない視線に、幼児退行したかのような言動……あれは何か心的外傷のフラッシュバックだろうか。すぐに高熱によって昏倒してしまったが、その様子は只事ではなかった。


 今も、時折魘されているけれど、両手足を拘束されている私には、少しでも落ち着けるように抱きしめてあげるのが精一杯。


 ……その細い首に嵌められた、分厚い重たい金属の首輪。指を這わせてみると、指先に、力が抜けていくような強烈な不快感と、くらりと眩暈のような物が走る。


(……なんて、たちの悪い造り。魔力を封じるだけじゃない、体内の魔力を滅茶滅茶に掻き回すように作ってある……抵抗する力と、意思を奪うために、か)


 それほど魔力が高いわけではない私ですらこれなのに、類い稀な治癒魔法を行使できるような才に満ちたこの子ならいかほどの負担か。ただでさえ病魔に侵されている体が、今この時も更に痛め付けられている事は想像に難く無い。


 ――錬金術を修めた者として、このような、ただ人を陥れて苦痛を与えるためだけの悪意の塊は、許容できるものではない。手元に必要な機材があればぶっ壊してあげるのに。


(精製して純度を高めた魔消石が混ぜ込んであるわね。こうした風に使用されるのが懸念されて、この国では厳しい流通制限があるのに……)


 魔法大国であるこのノールグラシエは、権力基盤を揺るがしかねないこうした物品に非常に敏感だ。実のところ多数の密偵の監視が各町に目を光らせており、そうそう国内で生産される事はない。


 ……とすると、手引きしているのは他国……おそらく西の通商連合の裏組織あたり。あの国は商人の力が強く市場の自由度も非常に高い一方で、巨大な犯罪組織が幅を利かせているという。


 なんとかして、逃してあげないと。彼女がもし本当に――なら、そのような連中の喰い物にされ、取り返しがつかなくなる事態だけは避けなければいけない。


 彼女の連れの一行と会話していた際の違和感を思い出す。


 ――辺境での騒動の顛末。人の居住地の間近で発生した『異常』にも関わらず、未だ現地では無事、普通に生活しているという。


 ――まるで、坑道に発生したという『傷』が消せて当然とでも言うかのような反応。もしそれが容易くできるのなら、この世界における人の生活圏はここまで狭くない筈だというのに。


 それが可能なのは――歴史上でも記録に残っている限り、現在に至るまで、


 一体何があったのかは分からないけれど、この子が私の予想通りの人物なら、本来あるべきはずの背中のが消え去っている、腕の中のこの子は――何て、重い物をこんな小さな体に背負ってしまっているのだろう。


 私がどうなってでも、どうにか、この子だけでも逃がす……そう決意していると――不意に、私達を積んだ荷馬車が、止まった。










 ◇


 マフラーの裏に仕込んでいた棒手裏剣をまた一つ引きちぎり、目立つ場所に投擲して再び走り去ろうとする二台の馬車に追従する。


 視界の両端を凄まじい速度で流れて行く木々。平地を飛ばして走る馬車に並走する速度で木々の合間を縫って走るのは恐ろしいが、それ以上に見失うことが怖い。

 少しでも足を滑らせたら落下するような足場を、必死に次に足を置く場所を判断しながら、飛ぶように移動する。




 脳裏に浮かんで消えない、俺と同じようにこちらに飛ばされて来た女の子。

 いつもふわふわとしている癖に、やたら親身にこちらの心配をして、そのくせ俺が危なかった時には躊躇いなくこちらを庇って危険に身を晒した姫様。

 そんな姫様が、男達に捕らえられた際に見せた、悲痛に泣き叫ぶ声が耳を離れない。


 それに、アイニ姉ちゃん。誰も信用できなくなって彷徨った末に倒れた自分を拾って、助けてくれた姉ちゃん。

 途方に暮れていた俺に、人並みの生活をさせてくれた。何も返せる当ても無い俺に、気にしなくていいと暖かい居場所をくれた姉ちゃんが居なかったら、きっともう……


 ――ああ、認めるさ、そうだよ、惚れてるよ! 多分あの二人、どっちにも!


 そりゃ、この気持ちは、学年で一番可愛い子に憧れるような、綺麗で優しい年上のお姉さんに憧れるような、一過性の浮ついたものかも知れない。

 だけど、話をしているとつい照れ臭さに生意気な態度を取ってしまうけど、それでも内心ではこれ以上無いってくらいドキドキする。


 ……なのに、このままだと、そんな二人が誰とも知れぬ者の所有物にされてしまう。

 奴隷――元の世界ではまるで馴染みの無いその言葉。吐き気がする。嫌だ、そんなのは我慢ならない。胸が黒い感情でモヤモヤする。


(――ごめん、姉ちゃんたち。きっと怖い思いをしているんだろうけど、絶対助けるから……!)


 それに、俺を信じてくれた兄ちゃんの期待も、今度こそ裏切りたくない。


 もう少し。もともと港町に鉱石を運ぶため、重い積み荷を詰んだ馬車が頻繁に行き交っていたために深くわだちの刻まれたこのルートなら、この時期であれば雪解けの水が溜まりずっとぬかるんだ道が続くと、以前アイニ姉ちゃんの薬草採取についてきた際に聞いている。


 あの荷物を満載した馬車は、見るからにキャパオーバー気味だ、あのような物で、あの細い車輪でぬかるみに突っ込めば……






 ――そして、その時は来た。


 読み通り、雪解けの水によって酷くぬかるんだ道に車輪を取られた荷馬車。


 いつ期が来てもいいように、息を潜めて限界まで荷馬車に接近する。

 潜んだ茂みから目と鼻の先……男達はしばらく何事か口論をしたのち、数人の私兵たちがその荷馬車に向かい、中から何かをごそごそと取り出していた。


 出てきたのは――手を拘束され、乱暴に引っ立てられるアイニ姉ちゃん、それと……ぐったりとしたまま担がれた、小柄な女の子には不釣り合いな武骨な金属の首輪を嵌められた、姫様。


(――くそっ!)


 これ以上、様子を見ているわけには行かない、状況的にも……心情的にも!


「その子は体調が優れないのですよ、もっと丁重に扱いなさい!」

「おい、うるせえぞ薬屋、黙って――」


 明らかに顔色が悪化している姫様。その様子が我慢ならないようで、囚われの身にも関わらず気丈にその扱いで口論しているアイニ姉ちゃんに向けて……姉ちゃんを引きずっている男の手が降り上げられた。

 ビクッと肩を震わせ顔をかばうアイニ姉ちゃん。


 気が付いたら、その、背後に潜んだ俺から見たら無防備に曝されている町長の私兵の背中に、意識が吸い寄せられて――


「――がぁっ!?」


 その、防具に覆われていなかったわき腹に、すっと短刀を差し入れた。


 ――予想以上に、手ごたえが無かった。一瞬外してしまったのかと。しかし、男の口からゴポリと吐き出された液体が、それを否定していた。

 違う。それだけ、手にしたこの刃が……命を奪う為に研ぎ澄まされた凶器が鋭かったのだ。


 必死に、男の腹に潜り込んだ短刀の刃を、こじって、抜く。ぶちぶちと、手元で何かが千切れる気味の悪い感触。


「ち、く……しょ……」


 ずるりと、男が地面に倒れ伏した。じわじわと、ぬかるんだ泥以外の何かが地面に広がっていく。


「――はぁっ……はっ……」


 ――人を刺した……明確な殺意をもって。


 ――もっと取り乱すかと思ったのに、案外平気だった。ただ……やけに月明かりが眩しいなと。周囲の様子が、倒れ伏した男の表情まで、見え過ぎるほどに良く見える。


 意外と、なんともないな……そんなことを冷静に考えながら、あっけに取られているアイニ姉ちゃんを尻目に、未だに呆然と状況が分かっておらずこちらを眺めているもう一人……姫様を担いだ男に、全力で踏み込む。


「――うわぁぁぁああああああああ!!」


 ――近くで、絶叫が聞こえる。煩い、誰だ……あぁ、何だ、俺か。


 どこか現実感がない世界で、ばちばちと帯電した、短刀を持たない方の手……右手を抜き手の形で男の腹に、突進の勢い全てを込めて叩きつけた。


 ずりゅ……指先に、そんな、生暖かくぬめった感触を感じながら、体内に雷撃を流し込まれて悶絶し崩れ落ちる男から姫様を奪って、後ろに下がる。


 ――軽い。


 その薄い寝巻き越しに感じる発熱で高くなった体温と、羽根のような体重を感じて、急速に現実感が帰って来た。

 身長は俺より少しだけ高いはずの姫様が……この体の性能もあるだろうけど、片腕で余裕で抱えられる位に、軽い。


(なんだよ、これ……こんな軽いのかよ、女の子って……くそっ、怖ぇけど、俺がやらないと……っ!)


 あの兄ちゃんたちと一緒に居たから、ついうっかりこの姫様まで強いものだと錯覚していた自分は、本当に馬鹿だ……っ!

 普通に考えたら純支援職の姫様より、俺の方が強いに決まってるじゃねぇか……なのに!


「ハヤト、君……?」

「――姉ちゃん!!」


 手足の拘束を切り裂いて解放した姉ちゃんに、意識の無い姫様を押し付ける。


「姫様をつれて、先に逃げろ! きっと気が付いた兄ちゃん達の誰かが追ってきてる!」

「で、でもハヤト君は……」

「いいから! 俺はここでこいつらを足止めするから、早く――!」


 掴みかかってきた男の懐に、小柄な体を滑り込ませて肘で打ち抜きながら、叫ぶ。


「――危なくなったら、気にせず逃げるのよ!?  約束ですからね!」


 躊躇いながらも、走り去る姉ちゃん――頼むぜ、二人とも、どうか無事に……


「あああ!? 何をやっているのだお前達、娘どもが……追え、逃がすな!」


 後ろで泡を食って喚き出したブタ野郎町長の怒声に追い立てられ、そちらを追おうとした相手の後頭部を蹴飛ばし、意識を刈り取る。

 絶対に追わせねぇ、そんな気持ちで男達の進路に立ちふさがると、そんな俺の心情を見て取ったのか連中が各々の武器を抜く。

 周囲を囲む、命を奪うための道具の輝き。どれか一つでもまともに受ければ、あっさりと死ぬ。


「……へ、へへ……」


 おかしな笑いが漏れる。笑うしかない。


(……怖ぇ……怖ぇよ、畜生……っ!)


 周囲を囲んでいるのは、人を殺す事にも慣れた傭兵たちだ。こっちはつい先月までただの学生だったんだ、怖ェに決まってんだろうが……!!


 だけど……だけど、俺がやらないと! 約束したんだ、今度こそ守るって……!


「貴様……行き倒れのガキか!? おのれ、住まわせてやった恩を忘れおって……!」

「あぁ!? テメェに世話になった覚えなんて一度も無ぇよこのブタ野郎!!」


 敵の後方からの罵声に良い感じにムカついた。少しだけ恐怖心が紛れたから、それだけは感謝してやる。

 腰のポーチから、人の形をした紙束……形代を抜き取り、周囲にばらまく。それは、みるみると……まるでいつか読んだ昔の忍者ものの漫画に出てくるような、俺と全く同じ姿をした幻影となって、起き上がってくる。


 今にも破裂しそうな心臓を必死に宥め、深呼吸する。


 ――そうだ、俺は漫画のヒーローだ、そう信じろ! 怖くなんて無ぇ、この程度、なんてことは無ぇ!!


「かかって来いよ、ド三下共がぁ! 『ニンジャマスター』ハヤト様が、相手をしてやるよ、こんチクショウがああああ――っ!!」


 それが虚勢でも何でもいい、自分を鼓舞するように、必死に、吠えた。

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