長い夜



「……眠った、か?」


 熱に浮かされ、荒い呼吸をついている、ベッドの中のイリス。先程まではまだうつらうつらとしながらも起きていたのだが、アイニさんの用意してくれた薬を飲んだ途端、ころんと眠りに就いた。


 病気で弱気になっているせいか、眠りに就くまででいいから手を握っていて欲しい、と珍しく甘えるような発言に応じて、ずっと握っていた小さな手を……名残惜しさを振り切り、そっと布団の中に戻す。

 たったこれだけの事なのに、手の中の柔らかく滑らかな感触にずっと緊張しっぱなしで、やけに疲れた気がした。


 ――年齢=彼女いない歴舐めんな!


 ……思っていて虚しくなって来たので、話しかけても反応が無いのを確認すると病室から出た――


「手をつないだだけで動悸がするなんて、本当に初心だな、レイジ」

「うわっ!?」


 ――出た瞬間に横合いから掛けられた声に、心臓が飛び出るかと思った。慌てて二人「しー……」とジェスチャーして息を潜める。


「それで、おんぶして帰ってきた感想はどうだった? 柔らかかった?」

「おいやめろ」


 ニヤニヤと悪戯っぽい表情を浮かべて聞いてくるソール……いや、これは彩芽だな……に、辟易して言葉を濁す。

 ……今、必死に、背中に密着していた温かく柔らかい感触を忘れようとしているのだ、本当に勘弁してくれ。げんなりしながら二人で部屋を後にする。


「……しかし、ソール、以前のお前なら絶対こういう時は自分でやろうとしていたはずだよな、どういう心境の変化だ?」


 以前はあれだけ自分以外が触れる事すら嫌がっていたのに、最近のこいつは、何故かイリスの事を俺に任せたがる所がある。


「別に……『私の最高傑作』のイリスなら、他の誰かに任せるなんて気は全く無かったんだけどね。でも、『今の』イリスは、生きた一人の人間だから」


 ……良くは分からないが、ゲーム時代みたいにあまり束縛する気は今は無い、という事だろうか。

 兄離れ……この場合妹離れなのか? ……出来そうだというのなら、良い事なのだろう、多分。


「……まぁ、アンタになら、任せても良いかなって思えたからね……玲史さん?」

「は……? おい、今のってどういう……」

「これ以上は教えてやらん、自分で考えろ」


 それじゃ、私はアイニさんと話すことがある、そう言ってさっと立ち去ってしまったソールに、それ以上の事は聞けなかった。


 ……なんだってんだ?











 私はアイニさんと話があると、レイジを先に詰め所に向かわせたところで、はぁ……と嘆息した。


 ――本当に、鈍いんだよな、玲史さん……いや、二人ともか。


 二人とも、自覚のあるなしはさておいて、お互いに好意を抱いていることは周りから見れば一目瞭然なのだ。


 その事に別に異論は無い。玲史さんの人となりは、今までずっと付き合ってきた幼馴染だからよく知っているし、一緒になれば、きっと大事にしてくれるだろうとも思っている。


 だから二人がくっ付いたら嬉しいなって思ってるのに……思ってるのに!! 進展遅すぎる! 何だあれ、思春期か!?


 これで二人とも私より五歳も年上なんだから本当にもう。いっそ全部私が言ってやれば解決な気はするが、それはなんか悔しいし。


 ……っと、いけない、気持ちを切り替えよう。がーっと叫び出したい衝動を、胸の内に無理やり収めた。




 病室になっている二階から降りる。

 診察室、兼、調合室になっている、一階の薬屋のカウンター裏にある部屋に続くカーテンを潜ると、目的の人物はのんびりと薬の調合らしきことをやっていた。


「あ、ソールさん。ごめんなさいね、一日お店を空けていたから依頼が溜まっていて……作業しながらで失礼します。妹さんは……」

「はい、頂いた薬が効いてきたみたいで、今はぐっすり眠っています……ありがとうございます、忙しいのに、寝床まで提供して頂いて」

「いいえ、それが私の本業ですから、お気になさらずに」


 にっこりと微笑んで、快く面倒を見る事を引き受けてくれるアイニさん。

 純粋に親切心から面倒を見てくれていると信じられる、あらあら、うふふと聞こえて来そうなその曇りない穏やかな笑顔は、途端に周囲が優しい雰囲気に包まれたようで……流石、人気の大人のお姉さんランキング常連。現実になると、半端無いな。




 ……ちなみに、この世界は、元の世界のように専門的な知識や技術の教育を受けた医師というのは少ない。


 居なくはないのだが、そのための専門の教育機関というものがごく限られており、非常に高い学費と、強力なコネが必要な……要するに、上位貴族や富豪の次男三男が通うような学校らしい。

 客層も大体そのあたりに絞られる……その仕事に就いていること自体がステータスとなるような、そんな職業だ。

 一部には、回復魔法や魔法薬は効果が優れている代償に、過剰に回復が促進されるため寿命が縮むという説があり、現状それを否定する証拠も存在しない。そのため、そうした物を気にする、出来れば長生きしたい貴族たちの中では需要があるのだそうだ。


 一方で市井に居る医師というのは、ほぼ開業医に自分から直接弟子入りし、その教えを受けて自分で名乗っているものが殆ど……つまり、特定の資格を持って従事しているのではなく、はっきり言ってしまえば自称だ。

 その技術はピンからキリまであり安定しない。故に回復魔法や魔法薬というものが存在するため需要が低く、さらには元の世界ほど多くない人口と、平均寿命の低さから、その地位というものはあまり高くない、らしい。


 なので、アイニさんのような錬金術師や薬師が、医者の代行のようなことをしていることが地方では殆どなのだそうな。


 ――閑話休題それはさておき




「……それに、私の方こそ面倒事を押し付けてしまってすみません」

「いえ、これくらいはお安い御用です。確かに、資料はお預かりしました、間違い無く衛兵の皆さんにお渡ししますので」


 預かったのは、町長の不正を纏めた資料だ。隠蔽されているが、正式な監査官でもある彼女の捺印のあるこれがあれば、今まで領主の指示があるまで勝手に手出しできなかったあの町長を、処分までは行かなくても、拘留と権限の仮停止は可能になる。


 ……面立って行動できない彼女は、いつもは足のつかない手段で届けていたそうだが、今回はそれを私達が代行する形になる。


「……ところで今更なのですが、私達に正体を明かして良かったのですか?」


 何故、正体を隠さなければいけない筈の密偵でもある彼女が、あっさり私達にその身分を明かしたのかがずっと引っ掛かっていた。救出しに来た者たちへの事情説明、というにはあけっぴろげ過ぎる対応な気がする。


「あぁ、それは……」


 そっと、私の耳元に口を寄せた彼女。


「……実は、行方不明のによく似た兄妹を見た、という噂を聞いていまして」


 ゾクリとするほど妖艶に耳元で囁かれたその言葉に、ギクリと、肩が震えた。


「……は、はは、何のコトでしょうねー」


 内心冷や汗ダラダラで、どうにか言葉を絞り出した。私も秘密を知っているからあなたも秘密を守ってね、と。


 ……意外とおっかないお姉さんだった、この人……っ!


 そんな、戦々恐々とした状態で立ち尽くしていると、ふふっと、穏やかな笑い声が聞こえてきた。


「ごめんなさい、少し意地悪でした。実際は……この報告を領主様にした際に、もしそれに該当する者と会ったら事情を説明して構わないと言われていただけですわ」

「はぁ……」


 からかわれていた。くそぅ、これが人生経験の差か。


「という事は、領主様……ローランド辺境伯は、私達のことは把握しているのですね?」

「はい、お会いできる日を楽しみにしておられました」


 ……まさか、前の町……あの開拓地にも『草』が紛れていたんじゃなかろうな。考えて、怖くなって止めた。


 まぁ、良い。気を取り直して、話についてこれておらず、横で疑問符を浮かべていたハヤト少年の肩を叩く。


「さて、私達は今回の件を相談しに詰所へ行くけれど……ハヤト、アイニさんとイリスの事、任せたぞ?」

「……なぁ、なんで俺なんだよ。俺は、あの時……」


 やはり、未だに、結果的に二人を窮地に追い込んだ事を気に病んでいるらしい。

 良かれと思った行動が、結果的にそうなった……そのショックは中々に根深いらしい、が。


「何度も言うが、あの時のお前は、自分の持つ情報の中で最善の働きをしていたよ、自信を持て……な?」


 隠密系という事だけは分かっているが、それ以上の情報は頑なに開示しないこいつは、だがしかし私の知らないスキルを使って見せた、おそらく私達と同じ『ユニーク職』持ちではないかと私は推測している。


 この年齢で並み居るプレイヤー、その中でも比較的人気が高い隠密系でトップに位置するという事は、プレイ時間だけ、運だけではない何かを持っているはずだ。得てして、ユニーク職持ちは何かとそう言う所がある。


「確かに、お前は『臆病』かもしれない。けど……あの時、確かにそんな中で踏ん張って前線に帰ってきて見せたんだ。決して『卑怯』ではないと、私は信じてる。頑張れよ、少年」

「……うっせ、ガキ扱いすんな」


 軽く、頭をグリグリ撫でている私の手を払うと、少年は真っ直ぐに、私の方を睨み返して来た。


「……わかったよ、お前らの大事な姫様まで、俺が面倒見てやるよ……だから、兄ちゃんも気をつけてな」

「ああ、頼んだぞ」


 悪ガキのような笑顔を浮かべた少年に、私は小さく頷いで、店を後にした。











 ――衛兵の詰め所の中にある会議室では、重苦しい雰囲気が漂っていた。


 ここに居る面々は、まず、私とレイジ。これは、直接現場を見た私達の意見を聞くためだ。

 レイジはイリスの元に残りたがっていたが、共に盗掘現場を見ていたイリスは起き上がれないため渋々と言った風情だ。尤も、それは私も同様なのだが……実際に結晶の魔物を見た中で来れるのが私しかいない以上は、まぁ、仕方ない。

 そして傭兵団の代表としてフィリアスさん、それに衛兵の代表者たちが一堂に会している中で、預かっていた書類の封が解かれた。


「これは……」


 パラパラと資料をめくっていた隊長さんの顔が、みるみる強張っていったのが良く分かった。


「……どうだ? これであの町長を黙らせる事は可能そうか?」

「いや……十分でしょう、直ちに準備して、身柄を確保しましょう。私兵の連中との交戦も予想されるので、できれば傭兵団の方々にも正式に依頼したいのですが」

「大丈夫、私達もいつでもいけます、分隊の責任者として、その依頼、承ります」


 レイジの疑問に隊長さんが肯定し、フィリアスさんが間髪入れずに快諾する。私達が出た段階で、この展開は予想して準備を進めていたのだそうな。


「……では、作戦開始時刻は――」


 そう、隊長さんが、言おうとしたその時――




 ――カン、カン、カン、と、異常を知らせる鐘の音が鳴り響いた。




「――報告、報告! 魔物の襲撃です!!」


 血相を変えて飛び込んで来た衛兵の言葉に、私達の間に緊張が走った。


 どうやら、まだこの夜は明けないらしい――……

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