そのままで居て欲しいと思ってるんだよ

「……ぃ、起きろ」


 微睡みの中、不意に呼ぶ声と軽く揺すられた感触。

 目を開けると……そこには既に服を身に着け終わったレイジさんが居ました。


「……ああ、目、覚めたか。そろそろソール達が着くらしいから、お前も早く着替えとけ」

「……あ……はい……分かりました……」


 ……?


 あれ……ぼーっとして、思考が纏まらない。

 ああ、そうだ、着替えないと……そう思って伸ばした手は、吊るした服へは微妙に手が届かず、仕方ないので立ち上がります。


「……っ!? お、俺は外で待ってるからな!?」


 バタバタと慌てて出ていくレイジさん。


 ……あ、そうか、下、何も着ていないんでしたっけ……でも、あんなに慌てて……変なの。


 ふらふらと定まらない頭を揺らし、立ち上がった際に落ちた毛布を横目に、暖炉の前に掛けてあったすっかり乾いた服を手に取りました……






 着替えているうちに、ぼーっとしていた頭も少しはっきりして来ました。多分。

 なんだかふわふわしている気がしますが……気のせい、かな?


「……ふぅ。こんなものでしょうか?」


 軽くターンしてみる。この「クラルテアイリス」を自分で全て着込むのは初めてでしたが、どうやらおかしな場所も無さそうです。


 ――ここのところずっとレニィさんに身の回りのお世話をされていたので、すっかり、人に服を着せられるのに慣れてしまっている気がします。着実にダメ人間になっていってそうで怖いです。


 ドアを開けて部屋の外に出ると、すぐ横にレイジさんが、腕組みして立っていましたが……何故かこちらに目を合わせようとしません。


「……レイジさん? ……どうか、なさいましたか……?」

「い、いや、どうかしてるのは俺じゃなく……ていうか、お前の方こそ大丈夫か……?」

「……?」

「……い、いや、いい、何でもない気にするな……どうやら、来たようだしな」


 レイジさんが指さした方向には、先頭を歩く見知らぬ綺麗な女性に先導され、それにぴったりとくっついて歩いているハヤト君と、こちらを見るなり駆け出した……


「――イリス!! 良かった、無事で、良かった……!」


 ……兄様に、ものすごい勢いで抱きしめられました。


「ひゃっ!? ……もう、兄様は大げさです……そちらも、無事で本当に良かった……」

「レイジも……無事で本当に良かった……」

「当然だ、そう簡単に死んでたまるかって」


 レイジさんと一つ拳を突き合わせ、すぐにまたぎゅうぎゅうと力を込めて抱きしめて来る兄様……本当に、良かった、またこうして皆揃って集まれて。

 そっと、気が付かれないように、目の端に浮かんだ涙を拭い取って、私もその背に腕を回しました。








 ひとしきり再会を喜んだあと、私達はお互いのことを話しました。

 ……驚いたのが、目の前のこのおっとりとした女性……アイニさんが、領主様に仕えている『草』……密偵の一人だった……ということでした。


 そうして、自己紹介が終わった後……


「……本当なら、もっと再会を喜びたいところだが……思っていたより、事態は深刻だ」


 再会を喜ぶのもそこそこに、兄様が全員を集めて、深刻な顔でそう切り出します。


「何か……あったんですか?」

「ああ……以前、前の町で戦った、あのおかしな結晶の生えた魔物を覚えているな?」

「……あの、山賊の方の遺体が変貌した、あれですね」

「まぁ、忘れたくても忘れられないよなぁ」

「あれと同じようなものが、今度はゴブリンを素体に大量に居た。今はまだ休眠中みたいだが……」

「……本当ですか?」

「マジかよ……」


 あれと同種の敵が……死力を尽くしてどうにか打ち勝ったあの敵と同じものが多数。

 少し寝ぼけていたような頭が、ようやくまともに起動し始めた気がします。


「……興味深いお話ですが。その話は、また時間のある時にしましょう……あまり、長居しているわけにも参りませんので。とりあえず、あの魔物たちの事ですが、その件については既に領主様に報告は済ませています」

「アイニさん、それは本当ですか!?」

「はい……ここに潜伏していたガンツさんが、早期に発見していたもので」

「ウム。異変ガアッタノハ、ツイ最近ダ。ソノ時点デ、異変アリト向コウニ連絡ハシテアル」


 であれば、まだ援軍には期待が持てる。しかし、それでも……


「ただ……領都から軍を……となると、間に合うかは少々微妙な所ですね……今から要請するよりはずっと早いとは思いますが、それでもその前に町が戦場になる可能性は否定できません」

「ということは、やはり町民は避難させたいところだが……」


 そこで私達の脳裏に浮かんだのは、今朝、面会したあの……到底、善人とは言えないような町長でした。


「……あのオッサン、素直に協力すると思うか?」

「……難しいな。というか無理だ。ここで見たと言ったら、僕たちが不正の証拠を掴んでいることも気が付くはずだ」


 明らかに誘拐目的であったであろう今朝の薬物混入に加え、この場での、採掘記録の報告が義務付けられている物資の盗掘、そして正規ルートを通さない販売。この部屋に残されていたその資料は、すでに二人が抑えており、領主様への報告も既に終わっていたらしいです。

 犯罪利用の可能性が高いその特性上、真っ当な目的に使われているとは考えられず、そのような場所へ大量に横流しを行っていたとなれば、町長としての罷免どころか、処刑まで可能性が見えてきます。


 だがしかし、それは内密に行われているために向こうは既に詰んでいる事を知らず、嘘だと突っぱねられるか……私兵を使って口封じに来るかもしれません。


 ……話をすれば分かる、という相手ではありませんでした。


「とはいえ、あいつを黙らせて、町人を逃がして、防備を固めるか……中々面倒なことになってんなぁ」

「……ですが、やらないといけません、よね」

「……だな」


 町全体の命が掛かっています。素知らぬ顔で、知りませんと立ち去るわけには行きません。


「あの、俺からも、頼みます……そりゃ、面白くない奴も一杯いたけど、それでもほとんどの町の人は、親切だったんだ。ずっと……世話になってた町なんだよ、俺にとっては」


 これまでずっと黙って聞いていたハヤト君が、真剣な顔で頭を下げました……そんな様子を、アイニさんが横から優しく見守っています。


「……そうですね、どこまでやれるかは分からないけど……頑張ろうね?」

「私も異存はない。帰って団長との交渉はあるが、その如何に関わらず、力を尽くすことは約束しよう」


 私と兄様の言葉に、ばっと顔を上げて嬉しそうな顔をするハヤト君……少しヒネていますけど、根は素直な良い子なんですよね。ちょっと、こう、母性本能を擽られるというか……


「……ただし、念のため言っておくが、私が協力するのはここに私達が探している異変の原因……『世界の傷』があるかもしれないからだ。そのために奴をどうにかしないといけない以上、戦力が多い方が都合がいいと判断したからであって……」


 そんな、喜色を露にしたハヤト君に指を突きつけて、兄様が何やら協力する理由を滔々と語り始めたました。その勢いにハヤト君が目を白黒させていますが……


「……また、素直じゃねぇなぁ」

「弟分ができて、嬉しいんですよね、あれ」


 元の世界で私の世話をずっとしていたせいか、あの子はあれで何かと面倒見たがりなのだ。私とレイジさんは、こそっと話しながら苦笑を浮かべ、肩を竦めました。





 その後、私達はアイニさんとガンツさんの案内で、盗掘者たちが荷物を運び出すための通路を使用して坑道を脱出しました。

 事情が事情だけに、表の坑道を頻繁に使うわけにもいかず、秘密の専用通路をあらかじめ用意していたみたいですが……そうした犯罪用のルートのおかげでこうして脱出できるので、複雑な気分でした。

 街道からは見えないように、丘の影に存在した切り立った壁面にぽっかり空けた口。そこを出た瞬間、ひんやりと冷たく澄んだ夜気が広がります。


「……っはぁ! やっと出られたぜ……外はすっかり暗くなってしまってたんだなぁ」

「……随分、長く地下に居たような気がするな。そうか、もう四半日は経過しているのか……」

「……そう、です……ね」


 新鮮な外の空気。皆、想い想いに数時間ぶりとなる外の新鮮な空気を吸い込んでいました。

 私も、ほっと一息ついた、その瞬間――目の前が歪んで見えて……あ……れ……?


「……い、イ……ス? どう……」


 あ……れ、レイジさんの、声が……遠――……






「……目、覚めたか」

「……え……私、どうして……」


 気が付いたら、レイジさんの背中の上に居ました。記憶が、途中で飛んでいます。

 頭がぼーっとする。感覚がふわふわして……だけど、寒い。とても……


「お前、熱出してぶっ倒れたんだよ……アイニさんの言うには、連日の寝不足に加えて体が冷えたのと、過労……帰ったら、お前はベッド行き確定な。患者用のベッドを貸してくれるってよ」

「そう、ですか……」


 どうやら、緊張から解き放たれた瞬間、一気に来てしまったようです。思えば、あの休憩室で目覚めてからずっと思考に霞が掛かっていたようで、不調を感じていた気がします。


「……レイジさんも一緒に落ちたのに、平気なんですか?」

「俺はお前と違ってきちんと睡眠はとってたし……まぁ、この体の体力に差もあるんだろうな」

「……なんか、ずるいです」

「そうは言っても、まさかこうなるなんて思ってなかったんだから仕方ないだろ……」

「そうなん、ですけどぉ……」


 でも、やっぱり体力のある身体が羨ましい。


「……なぁ、ずっと聞くか悩んでいたんだが……お前は、男に……戻りたいか?」

「……え?」


 不意に投げかけられたその言葉に、少し考え込みます。

 そういえば……元の体に戻りたいと、不思議と今まで考えたこともありませんでした。


 ……以前、このままこの体で過ごした先の未来、もしレイジさんと、一緒になったら……という所までを想像した事はありました。

 その時は……自分が子を宿す側という事が今ひとつピンと来ませんでしたが、嫌かというと……嫌悪は、そういえば無かったような気がします。


「……わかりません」

「……そうか」

「でも……戻れなくても、今の身体のままで将来を迎えても……それが嫌とも、感じないんです」

「…………そう、か」


 そのまま、彼はしばらく黙り込んで、黙々と歩き始めました。その歩みはどこか上機嫌なように軽く、その様子に首を傾げます。

 ……何だったのでしょう?


「……悪かったな、お前の様子がおかしいとは思ってたが、もっと気を付けるべきだった」


 ふと、語りかけられたその言葉に、首を振る。結局、体力云々は言い訳で、これは自己管理ができなかった結果なのです。


「私の方こそ、また、ご迷惑おかけしました……今度こそ、役に立てると思ったんですが……」


 自分の力が必要な場面で、舞い上がっていたようです。そして加減を見誤って、またこうして倒れて、迷惑を……


「……馬鹿か、お前」

「――あたっ!?」


 ネガティブな思考の海に沈みかけていると、こつんと、裏手に軽くおでこを叩かれました。突然の事に目を白黒させていると。


「……お前が居たから、俺はこうして助かったんだよ。良いから町に着くまで大人しく寝てろ、もう何日かすると忙しくなるんだからな」

「……はい、そうします」


 そのまま、大きな背に揺られ、無言の時が流れる。私一人担いでも小揺るぎもしない大きな背中が、歩くたびに一定の間隔で揺れます。


(……あ……なんだか、凄く安心……する……)


 力が入らないためぴたりと密着したその体温と、振動の心地良さに、いつしか寒気も忘れて夢の中へと旅立っていました……


「なぁ、イリス。俺は――……」


 最後、意識が落ちる直前に、レイジさんが何か言おうとした気がしますが……私の耳に、届く事はありませんでした……










「……聞こえて……無い、よな……?」


 恐る恐る背後を確認すると、目と鼻の先にあるイリスの、熱に上気した顔。

 妙な色気を感じてしまい、慌てて視線を前に戻す。


 背後から聞こえてくるのは、すぅ、すぅと、静かな寝息のみ……


「はあぁぁぁああ……やっべぇ、つい言っちまった……」


 くしゃりと髪を搔きまわすと、先程口にしてしまった内容を反芻する。


「やっぱ、自分勝手、だよな……」


 今思えば、あの時からすでに熱に浮かされていたのだろう、地下での出来事……寝ぼけたこいつが立ち上がった拍子に身に纏っていた毛布が床に落ち、正面から直視してしまった……未成熟が故に怪しい色香を醸し出す、芸術品のような裸体を、必死に頭を振って思考から追い出す。


 その姿を見た瞬間、思ってしまったのだ――手放したく、ないな、と。そう思った瞬間、胸の内から押し出されるように口をついて出た言葉。


 ベッドで見た不安に揺れる潤んだ瞳。

 親しげに柔らかく微笑みかけてくる顔。

 今も背中に感じる柔らかな感触。

 頰をくすぐるさらさらとした髪の感触。

 鼻腔をくすぐる甘い香り。


 全て、手放したくない。ずっと、そのまま、自分の隣に居て欲しいと――思ってしまったのだ。


 はぁ、と深く溜息をつくと、今の発言は自分の中にだけ仕舞っておくことにして、気を取り直して先に帰ったソール達の後を追い始めた。


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