亜人の賢者

「そろそろ……行くぞ?」


 緊張を孕んだレイジさんの声に、こくんと、頷きます。


 ぱちぱちと暖炉の炎の爆ぜる音。その近くに掛けられた、ずぶ濡れの服から、ぴちょん、ぴちょんと雫の垂れる音が、緊張感の漂う二人だけの空間にやけに大きく聞こえます。


 ……今は、服は全て乾かしている所で、下着まで含め暖炉の前に吊るしています。代わりに現在、私達の体を隠しているものは毛布一枚のみ。この場所……坑道の地下の休憩所……でしょうか。ここあった毛布を何も纏わぬ体に巻いているだけでした。


 そんなあられもない格好を晒していることに、恥ずかしさで逃げ出したくなりますが、今、そうするわけには行きません……今回は、私からお願いしたのですから。


 レイジさんの指示により、寝台に横になる私。これから行うことを考えると、今にも心臓が口から飛び出そうなほど波打っています。

 レイジさんも私同様にガチガチに緊張しながらも、そっとその手が私の手に重なる……びくっと、体が震えました。覚悟は決めたとはいえ、やはり、少し怖い。

 だけど、レイジさんは、そんな私の気持ちを黙って受け止めて、そんな固くなった私の手を優しく握りました。


「一応、やり方は知ってるけど……俺も、こういうことを実際にやった事なんて無ぇし、痛いと思うけど……良いんだな?」

「……は、はい……お願い、します」

「よし……それじゃ、これ噛んでおけ」


 手渡された布……ハンカチを、たたんで適度な厚さにすると、それを口に含んで食いしばります……覚悟は良いと、一つ、頷きます。


「……それじゃ、入れるぞ? ……力、抜いとけよ」


 そっと、レイジさんの手が、横になった私の肩にかかります。


「……いっ!? ~~~~~ッ!?」






 ――がこん


 一瞬だけ、痺れるような、それでいて鋭い痛みの後、肩から元あった場所に関節がはめ込まれた感触。同時に、肩に多少の自由が戻ってきました。


「……ふぅっ……ふっ……」

「……大丈夫か? 悪い、痛かったかやっぱり」

「……い、いえ……思っていたよりは……」


 目の端から垂れた涙を拭いながら身を起こします。

 肩は通常の滑らかな曲線を描いていましたが、赤黒く腫れ上がっており、いざ目にするとその惨状にくらっと目眩がしました。


「そ、そうか……それじゃ、さっさと治しちまえ」


 ひとつ頷くと、じくじくと苛む鈍痛を堪えながら、魔法を詠唱します。


「『ヒール』……!」


 赤黒く内出血していた肩に、癒しの光が集まり……みるみる痛みと腫れが引いていきます。


「……はぁっ……やっと、落ち着きました……」


 ようやくずっと苛んでいた痛みが消えたことに、調子を確かめる様に軽く手を握ったり開いたりし、肩を回したりしてみる……うん、大丈夫そう。


「すみません、お手数おかけして……レイジさん? 何故そっちを向いているんですか?」


 首を90度以上回して明後日の方向を向いているレイジさんに、首を傾げます。


「……自分の今の恰好を考えろ、馬鹿!」

「……あっ……す、すみません……!」


 ……忘れていました。

 膝を抱いて身を縮め、かなり際どい所までずり落ちていた毛布を、先程までは嵌めるために露出させていた肩より上に引き上げて全身を包む。


 ……顔に、ものすごく血液が集まっている気がします。顔が熱くて、まともにレイジさんの方を見れません。


(……あ、あれ、なんで……? 凄く恥ずかしい……)


 以前に一緒にお風呂に入った時は平気だったのに。一度意識しだすと、心臓がバクバクと煩くて止まりません。


「……あー……もう、いいか?」

「ひゃい!? ど、どうぞ……!」


 うわぁぁああ変な声が出ました……




 パチパチと温かみのある音を立てて燃えている暖炉の前、背中合わせに暖を取ります。

 冷え切った体をじんわりと温める炎に照らされて……私達は、よく分からないいたたまれなさに、ただお互いの背中の体温だけ感じ黙り込んでいました。


 ――沈黙が痛いです……っ


「……あー」

「なっ、何でしょう!?」

「いや、ただ……本当に、便利だな、って思って。回復魔法。普通ならその後を考えると、絶対にこんな素人の生兵法で嵌め直したりなんて事、了承しないんだけどなぁ」


 渋い顔でそんな事を言うレイジさん。周辺組織を痛める可能性があるため、本来ならもっと慎重に処置する物なんですけどね。


 そういった諸々を『ヒール』で再生したため、今ではすっかり元通り動きます。


「……でも、便利な反面、使えない時に困りますね」

「だな……」







 思い出すのは、ここに落下して来た時。魔消石の効果範囲の外に出てきた今でこそ、私達も快癒していますが、あの時の手詰まり感は、今思い返すと震えがきます。


 あの後、人語を喋るゴブリン……ガンツさんと名乗った彼が来なければ、どうなっていたか。

 私達は、その手助けと案内を受けて、近くにあったこの休憩所までどうにか移動してきていました。


 本来はゴブリンもホブゴブリンも、『妖魔語』と呼称される、私達には意味のあるようには聞こえない言語を使用している筈でした。

 彼は、長年人の中で暮らしていたため、いつしか人語を覚えて自由に扱えるようになっていたのだとか。


 何でも、長年に渡って人族を相手に傭兵……その多くは、荷物持ちなどのサポーターや、後衛を守るシールダーとして活動している……を営んでいた、歴戦の勇士だったのだそうです。

 ゲーム時代のNPCに、『ホブゴブリンヒーロー』というゴブリン系で最上位の使役モンスターが居ましたが……どうやら、彼はそれに当たるのでしょう。







「で、だ。どう思う、ここに来る途中のあの光景」


 ここに向かってくる途中、ある程度までは、壁面全てが魔消石にびっしりと覆われた大空洞が広がっていました。ところが、途中から鉱石は見当たらなくなり、その代わりに出現したのはまだ最近組まれたものと思わしき木組みの足場。


「この坑道、だいぶ以前から崩落の危険のため閉鎖されていた……筈ですよね?」

「ああ……戦闘の結果本当に崩れちまったとは言え、それまで崩落した形跡は無かったけどな」


 ……しかし、実際はこうして採掘は続けられていました。


 以前に話した行商人の方は、魔消石の取引は厳密に国に管理されていると言っていました。

 そして、現在、新たな利用法の発見故の特需で非常に高値で取引されている、とも。


「……盗掘、ですか」

「……だな、おそらくあの羽振りの良さそうな町長が主犯か」


『ソノ通リダ』


 ――その時、声と共にガチャリと休憩室の扉が開きました。


 ドアを開けて入ってきたのは、私達を助けてくれた全身鎧のホブゴブリン、ガンツさん。


『ガ、ソノ話ハ皆ガ揃ッテカラニシヨウ、今ハ休養ニツトメルト良イ』


 彼は、律儀にこちらを見ないように私達を迂回して暖炉へ向かうと、その上に持っていた小さな鍋を置いて、その中身をかき回し始めました。


『……アア、安心シテクレテカマワナイ。コレハ人間タチノ残シテ行ッタ非常食ダ』


 漂ってきたのは、香辛料と、コンソメ……? の匂い。鼻孔をくすぐるその香りに、きゅう、とお腹が鳴りました。


 ………………


 な、なんでこんな格好の時に……!


 服というごまかしの防壁が無いため、やけに部屋に響いた気がするその音に、恥ずかしくなってレイジさんの方を盗み見ると……見るからに、俺は何も聞いていませんよと言いたげに向こうを向いていますが……その肩は微妙に震えているのが背中合わせの現状では嫌でも解ってしまう。


「……うううぅぅぅううっ!」

『……イライラスルノハ、ヨクナイ。コレ、飲ンデオクトイイ』

「あ、ありがとう、ございます」


 恥ずかしさに呻いていると、湯気の立つスープが注がれたカップが眼前に差し出されました。

 何でしょうかね、この紳士なゴブリン。良い声なのも相まって、妙に気恥ずかしい。

 一口すすると、ぴりっと舌に刺激の残る香辛料に、少し体が温まってきた感じがしました。ほぅ、と一息を付きます。


「――ぅあちっ!?」


 背後でびくっと震えたレイジさん、どうやら口の中を焼いたみたいで、ぷっと噴き出しました。さっき笑ったお返しです。


「……悪かったって……なぁ、回復貰って良いか?」

「ふふ、はいはい、顔をこっちに向けてくださいね……『ヒール』」

「ん……サンキュ」


 背中越しに、振り返った彼の頬に手を触れ魔法を唱えると、小さくぽぅと光ってすぐ消えます。火傷が治り次第、再びスープにがっつくレイジさんに、ふふっと笑いが漏れました。


『ヒトツ、訪ネタイノダガ』

「あ、はい、何でしょう?」


 突如そんなことを聞いてきたガンツさんに返事をしながら、いい感じに冷めてきたスープを口に含む。


『オ主タチハ、随分若イヨウダガ……モシカシテ、つがいカ? 席ヲ外シタホウガイイカネ?』


「「……ぶはっ!」」


 二人でそろって咽ました。ゴホゴホと気道に入ったスープを吐き出そうと咳き込む。


『フム、違ウノカ。随分ト仲睦マジク見エタカラ、テッキリ』

「違ぇ!?」

「違います!?」


 なんで会う人皆、そんな事を聞いてくるんですかぁ!?


「そ、そんなことより……あなたは、一体?」

『私カ? ……ソウダナ、オ前達ナラ構ワヌカ。私ハ……領主ニ雇ワレテイル、オ前タチノ言ウ、『草』ダ。主ニ魔物領担当ノ、ナ』

「そいつぁ……すげえ事してるな、領主様」


 友好的とはいえ、一応は魔物に分類されている亜人にそのような大事を任せているという事に、感嘆が漏れます。ですが、きちんと信の置ける者であれば、確かに有用かもしれません。


「……あの、貴方は、もしかして人間の女性と、ここに来ませんでしたか?」


 ふと、思いついた質問をします。


『……アイニ嬢ノコトデアレバ、ソノ通リダ』

「そうですか……良かった、危険があったわけではないのですね……」


 無理矢理連れてこられた訳ではない、と確定し、安堵します。


『……イヤ、私達モ、出口ニ通ジル道ヲ『奴』ニ塞ガレテ難儀シテイタ……怪我ノ巧妙トハイエ助カッタ、感謝スル』


 なるほど、あのトロールが徘徊していたため、それで帰ってこれなかったのですね……私達が救出に来たのも、無駄ではなかったようです。



『ム、スマナイ、連絡ダ』


 急に、耳に手を当てて何者かと話すガンツさん。


『……ソウカ、分カッタ、私達ハココデ君ラガ合流スルノヲ待トウ』

「……何かあったのか?」

『アア、安心シテイイ、良イ知ラセダ……君達ノ連レヲ、アイニ嬢ガ見ツケタソウダ。今コチラニ向カッテイル』

「本当か!?」

「本当ですか!?」

『合流ニハ、一刻ハカカル。ソレマデユックリ休ムトイイ』


 そう言って、ドアから出ていくガンツさん。


「……良かった……二人とも……あっ」


 気が抜けたせいか、くらり、と視界が揺れました。それどころか、妙に気怠く、くらくらと頭が揺れる。


「……お前、寝不足残ってるだろ、火は見ててやるから、寝とけ?」

「はい……すみません、そう、しま……す……」


 言い終わるのも待たず、ふっと、限界を迎えたように、あっさりと意識が闇に沈んでいきました――……

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