落ちた地の底で

「……――い、……きろ、おい!」


 ぺちぺちと、弱く頬を叩く感触に、ゆっくりと意識が浮上し始める。


(……寒い)


 全身の濡れた布が貼りつく感触が気持ち悪く、体温と共に体力まで刻一刻と奪われていくような感覚。


(……あれ、何、してたんだっけ……?)


 寒さでなかなか意識がまとまらない。それでも、記憶を辿るのに集中していると、徐々に直前のことが脳裏に浮かんできた。


 不意の遭遇戦。


 その最中に、足場が崩れ、落ちていったレイジさんを追って崩落の中に飛び込んで……


 頭に、衝撃を受けて、意識が暗転して…………!?


「――レイジさん!?」


 一瞬で曖昧だった意識が覚醒した。がばっと跳ね起きて――


「……い゛っ、あっ……っ!」

「馬鹿、無理して急に動くな!」


 体を動かし起き上がろうとした瞬間、感覚が失せていた右腕……その右肩から、脳髄まで貫くような鋭い痛みが走る。視界が明滅し、脂汗が額を伝う、そんな中、レイジさんにそっと、壊れ物を扱うような慎重な手付きで自分の膝に横たえ直させられました。


 心配そうに見下ろす彼の顔に、ひとまず安堵の息を吐く……良かった、二人とも、生きていた。


「……右肩は脱臼、それと筋断裂も多分。一応鞄に三角巾があったから腕の固定は済ませたが……馬鹿野郎、無茶しやがって」

「……レイジさんがそれを言いますか」


 じくじくとした痛みを耐えながら、ついつい口を尖らせ拗ねたように反論します。自覚はあったらしく、さっと顔を逸らされました。


「『やると思った』? そう言って割り込んできたあなたは、耐えきれる確証があって割り込んだんですか? 一人であの高さから落ちて、どう助かる気だったんですか? 『戻れ、危険だ』? 戻ったら、レイジさんはどうやって助かる見込みがあったんですか……っ!」


 いつもいつも、人には無茶をするなと言う癖に自分の安全は度外視する。人の事ばかりで、自分のことは棚に上げてばかり。いい加減イライラが溜まっていたらしく、つい攻撃的な口調になってしまった事に、言い終わってから途端に後悔が胸を覆っていく。


「今回はある程度速度が落ちた上で、下が水だったから辛うじて無事だったですよね?」


 私もレイジさんも全身くまなくずぶ濡れで、落下地点がたまたま深い水溜まりであったことを如実に物語っていました。視線をずらしてみると、すぐ目の間に、元の世界で一度だけ見た事のある鍾乳洞の地底湖のような光景が広がっていました。


「……それは……そうだな、悪かった」


 しゅん、と頭を下げたレイジさんに、罪悪感で怒りが急速に冷めていきました。


「……いえ、私の方こそ冷静さを欠いていました。ごめんなさい……それと、ありがとうございます……上での戦闘中も、こちらでも」


 それに、今までも……さすがに、その言葉は恥ずかしかったので飲み込みましたが。


「ですが、どうやって助かったんですか?」


 私が意識を失った時点で、まだかなりの高さはあったはず。意識を失う直前まで地面は闇の中で全く見えず、そのまま落下したとしたら、たとえ水溜まりの中に落ちたとしても、『プロテクション』込みでもただでは済まなかったはず。


「ああ、それは……」




 ――聞けば、あの後、私が意識を失った後。




 上から落下して来た瓦礫がれきに頭を撃たれた私ですが、私の着ている「クラルテアイリス」のエンチャントである、リアクティブシールドが展開したのを見たレイジさんは、そんな私を抱えてたまたま落ちてきた大きな瓦礫を足場に壁に跳び、剣を壁面に突き立ててそれをブレーキにして減速、下降。下の方に水溜まりが見えたから、そちらへ壁を蹴って跳んで着水し……そしてどうにか陸地に私を担ぎ上げ、今に至るのだそうで。


 その水溜りも、こうして落ち着いて眺めれば澄んだ真水ですが、落下中は当然そのような所まで考える余裕は無く、十分な深さがあるかどうか、あるいはもし普通の水では無かったら、そういう諸々全て一か八かの勝負だったそうで……


「……なんというか、びっくりする程に紙一重でしたね……」


 幸運に幸運を重ねた結果、助かったに過ぎませんでした。


 そもそも最初に岩に撃たれた段階で既に、普通であれは絶望的です。この服は、たしかに私の事を守り抜いてくれたらしいです。でなければ、現在こうして話している事も出来なかったに違いありません。


 ……ありがとうございます、ミリィさん。


 この服を作ってくれた、この場に居ない彼女に、内心で礼を言います。


「ああ、全くだ……自分で改めて言葉にして、今になって震えが来るぜ……普段遣いの剣も駄目にしちまったしな……」


 かたわらを指差した先を追うと、見慣れたレイジさんの剣が、中程なかほどから折れて転がっていました。その半身も、刃は潰れ、ひびだらけでした。


「と言っても、上であの敵の攻撃を受けた時点でもう折れかけた感触は有ったけどな……それでも、最後までどうにか、俺とお前を守ってくれたよ……ありがとうな、相棒」


 こっちに来てからずっと使って来た剣に、愛着も湧いていたのか、少し寂しげに、剣に別れを告げるレイジさん。


「……とはいえ、全身びしょ濡れだし、身体も冷えてる。その肩をめ直すのは、どこか火を使って大丈夫な所に出てからだな」

「ここじゃ駄目なんですか?」

「……鉱山の奥だからな、火を付けた途端にドカン、は洒落にならないだろ。一応空気は入り込んでるみたいだから、中毒の方は大丈夫だろうが」


 それは、確かにゾッとしません。


「飛んで、元の場所へ戻るのは……」


 私が再度レイジさんを引き上げるなり、上にいるはずの兄様を呼んでくるなりしたら……そう思いましたが、レイジさんが首を振ります。


「あー……多分、それは無理だな……」


 そのレイジさんが上を指差す。その先には……


「うわ……ぁ。凄い、綺麗……」


 想定外の絶景が広がっていました。


 先程から、あかりが無くてもなんとかなっていたわけです。暗闇の中、よく目を凝らすと、天井一面、よく見たら床も、うっすらと蒼く発光した何かに覆われていました。


 きらきらと蒼く照らされ、幻想的な光景は、さながら、満天の夜空を見上げているかのような。


「……まるで、星空の中に浮かんでいるみたい。これは、この光は……?」

「……魔消石ましょうせきだ、多分その原石」

「……っ!?」


 以前、町で行商人の扱っていたのをうっかり触れたのを思い出しす。周囲の光、その全てがあの石……?


「イリス、魔法は使えるか?」

「えっと……『ライト』」


 最初級の、光で照らし出す魔法を唱えてみます……うんともすんとも言いませんでした。それどころか、全身に流れている筈の魔力の流れすら微塵も感じ取れませんでした。


「駄目みたいです……羽根も、出せそうにありません……」

「……だな、やっぱり無理か……となると、歩いて行かないと駄目、なんだが……」


 言葉を濁すレイジさん。そういえば、先程から私を膝枕した姿勢のまま、動こうとしていませんが、まさか……


「……もしかして、レイジさんも怪我を?」

「……ああ、落下した際に水面に叩きつけられた左側が、ちょっとな」


 言われてみると、レイジさんの左腕は、だらんと垂れたまま、先程から動かしていませんでした……言葉をにごしていましたが、私をかばったために、受け身も取れずに叩きつけられたことは想像にかたくありません。


「……多分折れてはいないんだが、罅くらいは入ってるな、これは……足はまだマシだが、多分足首を捻ってる……どうにか、お前を支えながらゆっくり歩くくらいなら、何とかいけそうだが」

「……ごめんなさい、こんな状況でお役に立てなくて」

「……あー、まぁ、生きていただけ儲け物だろ……助けに来てくれて、ありがとな」


 ニカッと笑う彼に、ようやくぎこちない笑みを返す事が精一杯でした。


 ……そういえば、落下中に何か不思議な感覚があったような気がしました。まるで自分の体を誰かが動かしているのを、外から俯瞰ふかんして見ているかのような……あるいは、必死に体を動かす中、外から誰かが見た光景を自分が見ているかのように感じていたような、不思議な感覚。


 あれは一体……夢の中の出来事のような曖昧な記憶で、拾い上げようとしてもうまくまとまらない。どうにか思い出そうとしていると。


「……さて、いつまでも景色に見とれているわけにもいかないな、そろそろ……」


 そういって、レイジさんが立ち上がり、私に手を差し伸べました。そうだった、とりあえず助かりはしたものの、現状はかなり切迫している事には変わりはありませんでした。


「……そうですね、上に残った兄様とハヤト君も心配ですし」

「まぁ、向こうはソールも居るし……あいつなら、そつなく逃れてると……信じよう。な?」

「はい……そうですね、早く戻って安心させないと」


 不安に覆われそうな心を叱咤し、その手を掴み、力の入らない下肢をどうにか起こそうとなけなしの力を込めたその時――




 ……――かしゃん




 ――遠くから、金属製の鉄靴グリーブを纏ったかのような、足音が聞こえました。ぎくりと、緊張に固まる私たち二人。


「……静かに、今確かに足音がした……甲冑を着ているな、金属音がする」

「兄様では……ありませんね」


 今は、金属鎧は置いてきていますので、必然的に知らない誰か……あるいは何か、という事。私達は二人ともまともに戦闘できる状態ではなく、緊張が走ります。


 ――かしゃん、かしゃん、と確実にこちらに接近してくる足音。迷いない足取りは、おそらくこちらを捕捉済みです。


 レイジさんが、腰ベルトに括り付けていた短刀に手を伸ばす。


「そこでじっとしていろ、大丈夫だ……お前は、俺が絶対守る」


 レイジさんが、つっ、と、額から冷や汗を垂らしながら、ぎこちない動きで……相当、脚の状態が良くなさそう……私を背後に庇った。立ち上がる事も、魔法を使うこともできない今、私にできることは何もない。悔しさに、唇を噛む。

 そんな私を嘲笑うかのように、闇の中からとうとうソレが姿を現しました。


 暗がりから現れたのは、全身鎧を纏った……しかし、人にしては身長の小さな……


「くそっ! ゴブリンか……っ!」


 ぎりっと歯を食いしばった気配。レイジさんにとっては普段ならば恐れるに足らない相手でも、脚が封じられ、武器も失っている今では……っ


 そんな、全身鎧のゴブリンが、ゆっくりと手を動かす。






 ――両手を、上に。敵意は無いとアピールするように。






「――え?」

「――は?」


 予想外の行動に固まっている私達の前で、その鎧のゴブリンが兜の面頬を上げ……その顔は、間違いなくゴブリンのものでした……口を開き――


「驚カセテスマナイ、コチラニ敵意ハナイ、落チ着イテ話ヲ聞イテホシイ」


 不意に耳に飛び込んできたのは、若干片言ながら、どこかダンディとも言えなくもないバリトンの声。予想外の出来事に脳が理解を拒む。数秒後、じわじわと事態を把握してきた頭が、ようやく動き出す。


「しゃ……」


 自然と、私たちの喉の奥から、声が漏れました。


「「喋ったぁぁぁああああっ!?」」


 ――否、絶叫が漏れました。

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