空疾る火
「………………――い、……きろ! おい!」
肩を揺さぶられている感覚で、意識が覚醒しました……何か、夢を見ていた気がしますが、もはや思い出せません。えっと……今、何をしていたんでしたか……
寝起きでぼやける視界には、何故か心配そうにこちらを覗き込んでいる皆が居ました。その様子に、首を傾げます。
「……とりあえず、イリスちゃん、はい、これ」
そう言ってフィリアスさんが差し出したのは……ハンカチ?
「とりあえず、拭いておこう?」
そういって頬を指さすので、思わず自分の頬に触れてみます……濡れた感触がしました。
「……え? あれ、これ……涙?」
「うん、今も寝ながら泣いてた……本当に、大丈夫?」
ここ数日、目が覚めたらこのようになっている事が増えました。その時は決まって何か夢を見ていたような気がしますが……やはり、どれだけ思い出そうと思っても、散ってしまったその記憶は回収できませんでした。
「体調とかは大丈夫? 夜もあまり寝てないんでしょう?」
ずっと続いている頭の鈍痛のせいで睡眠時間が短く、あるいは眠っていてもその質はだいぶ落ちているのは自分でも感じていました。そのため寝不足気味で、昼間にこうしてふとした拍子に浅い眠りに落ちてしまう事も多くなっています……が。
「本当に、少し寝つきが悪い以外は何も……ないはずですけども」
「そう、それならいいんだけど……どこか悪かったら、すぐ言ってくださいね?」
「大丈夫ですよ、ちょっと寝不足なだけですし……それを言ったら、御者をしてくれているヴァイスさんやレニィさんに申し訳ないですから」
今、二人は御者台で交代で馬車を操っています。御者の経験があるのがその二人だけだったからですが、それ故に疲労度合いで言えば彼らの方が心配です。
「それで、今はどのあたりですか?」
「あ、えぇと、もう一個あの丘を越えれば、目的の街になるんですけど……」
国境を越え、商隊と別れてから早一日。私達は、ようやく目的地である次の街に到着しようとしていました。
最後の丘を越え、下り坂の向こうにある目的地を目にし……
「――――っ!?」
全員が息を飲みました。目的地であった町……その、渓谷を塞ぐように設けられた外壁に小さな影が群がっており、まるで灰色の壁が黒く覆いつくされているようでした。
「……おい、ありゃあゴブ野郎どもだ、襲われてるぞ!」
この中で一番目のいいヴァイスさんが血相を変えて叫びます。私も『イーグルアイ』を自分にかけて様子を見ますが……すでに門は突破されており、あちこちに赤く染まって倒れている、黒い影に踏みにじられているのは……人?
「そんな……遅かった……っ!?」
「……いや、まだ突破されてさほど経っているわけじゃなさそうだ。急ごう」
「って言っても、これ以上速度は出せねぇぞ……」
借りてきた馬車の車室の振動はかなり激しく、たとえ馬の方にまだ余力があったとしても、下手をすると馬車の方が分解あるいは転倒の恐れがあります。
皆が焦っているそんな中、一つの手が上がります……レイジさんでした。
「そうか……分かった、俺は先行して、どうにか突破して中の連中を援護してくる。イリス、補助魔法を頼めるか?」
「……わかりました。一緒に、皆も。外に出たら翼を晒すわけには行きませんので、今のうちに済ませておきましょう」
その言葉に頷き、可能な限りの補助魔法を現在馬車に居る皆に施します。以前のように補助だけで疲労することもなく、まだまだ余裕はあります。
……しかし、単身先行するレイジさんにはそれでも心許なさは残ります。行く先に見える小さな影は、それだけの数がひしめき合っていました。
「……気を付けて。無理はしないでください……ね?」
「ああ、任せろ。お前が来るまで出来るだけ助けて来る……だから、後ろは任せたぜ」
「……はい」
心配する私を落ち着かせるように、ぽんぽんと数度頭を撫でた後、レイジさんが、幌をめくると馬車の後ろから飛び降り、そのまま爆発的な加速力で馬車を追い越してみるみる遠ざかっていきます。
「うっわぁ、もうあんな小さい。本当速いね、レイジさん」
「そうだね……あればかりは、もう私も敵う気がしないなぁ……大丈夫ですよ、イリス嬢」
「……え?」
あっという間に遠くなっていく背中を見送っていると、不意に声がかけられました。
「彼は強い。いいえ、強くなった。彼と行っている模擬戦、最初数日は私と彼の対戦結果は私の方が優勢だったのですが……ところが、ここ最近の結果を含めるとだいぶ追い上げられてしましました。本当にもう、うかうかしていられませんね、困りました」
本当に、困ったように苦笑するゼルティスさんですが……つまり、最近はレイジさんの方が多く軍配が上がっている……という事でしょうか?
「勿論、悔しいですからこのまま易々と負け越すつもりはありませんけどね……ですので、信じてあげてください。貴女の騎士様なのでしょう?」
「そ、そういうのではないです、ただの友人です!」
その言葉は断固として否定します、私とレイジさんは、主従関係など無い、ただの……誰よりも信頼している、友人です……ああ、なるほど。
「……そうですね、私が信じないといけませんよね。ありがとうございます、ゼルティスさん」
「いえいえ……ああ、勿論私も貴女に一言請われればいつでも貴女の騎士として剣を捧げる用意は……ったぁ!? 痛いぞ妹よ!」
「うっさい、時間が無いのよ時間が。馬鹿言ってないで、私達も出る準備しましょ、馬鹿兄貴」
またいつものように私の手を取ったゼルティスさんをフィリアスさんが張り倒し、幌馬車の荷物の方へ引きずっていきます。普段通りな二人のやり取りに、思わず苦笑が漏れました。が、そのおかげで少し、気分にも余裕も出て来ました。
「それじゃ、イリスちゃん、お兄さん、私達もそろそろ出ますね。外は任せてください。貴方達は町の人達をお願いします」
「ああ、任せておけ。私もイリスを抱えて空から突破する、この様子なら町中にも相当な被害になっていそうだ、君の力が必要になる……いけるな?」
「はい、兄様。エスコートお願いしますね」
手を差し出すと、さっと掴まれ、そのまま片手で抱き上げられました。そのまま御者台に出ます。そこでは、ヴァイスさんが矢をつがえて集中を高めていました。その鏃に、ぽぅっと風の魔法が宿ります。
そうして放たれた矢は、みるみる飛距離を伸ばすと、何かに誘導されて吸い込まれるように、はるか遠くで弓を構えていた小さな影を射抜きました。『エアスナイプアロー』……弓術以外に風魔法の資質が必要な技で、どうやらヴァイスさんは、僅かですがその資質があったらしいです。
「援護くらいはしてやる、さっさと行って来い」
彼は、ぶっきらぼうに告げると、再び矢をつがえて狙いを定め始めました。
「ありがとうございます、とても頼もしいです」
「……ふん、仕事だからな」
だいぶ打ち解けたとは思うのですが、相変わらず素直じゃ無い人だな、と肩を竦めると、そんな私達の距離を離すように兄様が体勢を入れ替えました。
「……どれだけポイントを稼いでも、妹はやらないぞ?」
「俺の守備範囲じゃねぇっつってんだろ! 良いから早く行けよ!?」
「そうですよ兄様、私みたいな子供を……なんて疑いは、ヴァイスさんに失礼です!」
確かに初対面がアレでしたから兄様の警戒も分かるのですが……まぁ、流石にこれは冗談が過ぎます。第一私の見た目はかなり幼いので、それに懸想しているなんていう疑いはたとえ冗談でも大人の男性である彼に失礼だと、擁護します。
「あー、うん、それでいいや……」
「うん、なんか、すまない……」
……何故か投げやり気味になって放たれたヴァイスさんの矢が、また一体外壁上に陣取ったゴブリンを射抜きました。
「それじゃ、レイジも待ってるし、行くよ。しっかり捕まって」
「はい……大丈夫。お願いします」
ソール兄様が私をしっかり抱きかかえ直すと、そのまま背の翼をばさりとはためかせて上空へ身を躍らせます。
みるみる遠くなっていく地面……この状況でなければ空中散歩を楽しめたかもしれませんが、今は一刻を争う状況です。『イーグルアイ』で拡張した視線をまだ遠い町中へ向けて、いつでも魔法を行使できるように集中を高めていきます。
「……もっと急いでいたら、これ程被害が出る前に間に合ったのでしょうか」
「そうかもしれない、が、私達には未来を予知なんてできないんだ。なら今できることをするしかない……速度を上げる、しっかり捕まって」
「……はい」
体に回す腕にぎゅっと力を籠めると、全ての景色が後ろへと吹き飛んでいくような勢いで、流れていきます。町へ入るまではもう間もなく。どのような凄惨な光景が広がっていたとしても、私は自分にできることをしよう。きっと大勢いるであろう負傷者を救うため、詠唱を開始しました。
◇
地を這うような低姿勢で疾走する。その足が一歩地を蹴るごとに、足元でびしりと硬いものが割れるような音と感触がするが、しかしその音はあっという間に後方へと置き去りにされていく。
走るというよりは、「跳ぶ」ように。一歩で進む量は普通に駆けるよりもはるかに長い。肝が冷えるような速度で、景色があっという間に後ろへ吹っ飛んでいく。
――出発までの訓練の中で数日だけとはいえ試行錯誤した、強くなるために考えた中の一つの答え。
『スキルの効果を恒常的に使用できないか』
今歩法に応用しているのは、自分の持つスキル『神速剣』使用時の移動方法。だがしかしスキルを使っているわけではない。それを参考にして、ただ己の肉体での力の入れ方や、地を蹴る足への闘気の集中や放出などをコントロールしているだけだ。
スキルと言っても、それを使用している体は自分なのだから、再現できれば同じ効果を得られるのではないか……それを試行錯誤しながら実践した結果、スキル使用時ほどではないが、確かに同じようなことは可能だと確認はできた。そして、ゲームの時に再使用時間があったように何故か連続使用できないスキルと違って、こちらは体力や集中力が続く限り使い続けることが可能であることも確認している。
尤も……通常の何倍もの速度で走るというのは中々に困難だった。スキルとして使用する際はある程度纏まったセットとして発動するが、こちらは全て自分で情報の処理……どのように体を動かしていくのかを自分の頭と体で考えなければいけない。最も効率的なマクロをかなぐり捨てて全て手動入力しているようなもので、疲労も負担もスキルの比ではない。現在の速度は、以前まで普通に走っていた時の比ではなく、最初は脳の反応速度が付いていかなかったために転倒したり木に激突したりでかなり回復薬の世話になりっぱなしだった。
しかし、無数の失敗を重ね、模擬戦で実戦を想定した使用を重ね、その試行錯誤の成果として今ではある程度実戦で使えるレベルまで持ってきた。
……そして、単純に「移動速度が速い」ということは、それ自体が更なる効果をもたらしていた。
「邪魔すんじゃねぇ、退けぇえ!!」
敵がこちらに気が付いて、最初の一体が剣を振り上げた時には、すでに懐の中へと飛び込んでいる。そのまま胴を薙ぐようにして駆け抜けると、その瞬間哀れな被害者の体は容易く両断され、上半身だけがまるで強い衝撃を受けたように宙に舞ったのみならず、速度の乗った剣の巻き起こす衝撃が数体巻き込んだ相手を吹き飛ばす。
――高速で動いていることによる速度、それ自体が破壊力へと転化されているのだ。
そのまま、剣を構え直す。地面を先端が擦るように。摩擦で石の敷かれた補装から火花が散る。
思い切り敵集団の目前へ踏み込む。止まるつもりは毛頭ない、ただ……蹴散らす!
「砲、閃……火ぁぁああ!!」
地面を抉りながら、下段から上段へ斬り上げた剣先から炎が迸り、存分に助走の付けられ速度の乗った刀身から、ゴゥッ! と衝撃を伴って業火がが爆ぜる。
――二次職の時の中級のスキル『砲閃火』。
やや離れた場所へ炎の斬撃を飛ばす、といういわゆる飛び道具だが、今までの速度を載せたその一撃は威力が通常の物の比ではなく、門前に群がっていた小さな影を飲み込んで突き進み、その間に居た者を消し炭へと変えて道を拓いていく。
吹き飛ばされて壁が薄くなった先に、門の中、町が見えた――今なら行ける……!
ぐっと膝を沈め、思い切り地面を踏み抜く。爆発的な速度で景色が吹き飛んでいき、未だ多数群がるゴブリンの群れを軽々と飛び越えると、ガリガリとブーツの底を石畳に滑らせて町の中に着地した。
踏み込んでまず感じたのは……濃密な血の匂い。町の中は、地獄絵図だった。味方のどころか自分の命すら顧みない異様な様子のゴブリン達に蹂躙され、折り重なるように兵士たちが倒れている。その傷はいずれも深そうで、中にはまだ息のある者も居るが、もう助からないだろう……普通であれば、だが。
生きてさえいれば、助けれられる。イリスがきっと助ける。であれば、俺にできることはそれまでに少しでも多くの命をこれ以上散らせない事だ。
新たな闖入者の登場に、小さな影の何体かがこちらを振り向く……が、遅い!
「ぶっつけ本番だが、行くぜぇ!!」
左足で一歩、踏み出す。もっとも手近な敵の一体の、その僅かに先へ。脚力と、足元で爆ぜる闘気に押されて一瞬でトップスピードへ駆け上がり、その途中に存在する敵をすれ違いざまに薙ぎ払う。
止まらない。次は踏み込んだ右足で同じように地を蹴る。強引な力の方向の転換に、ぐっとすさまじい負荷が脚にかかるが、この『レイジ』の頑強な体はそれすらねじ伏せて駆ける。目まぐるしく変化する視界は酔いそうなほど激しいが、必死に情報を処理して最善の次を探す。
――もっと早く! まだだ、もっと早くだ……!!
一足につき一殺。足元の地面が自分の足に蹴られて爆ぜるたび、別の場所でぱっと血の華が咲くが、その時にはもうすでに次の敵へ、さらにその次の敵へ。
先読みに全神経を集中させた視界から、余分な情報とばかりに色が消え、世界がスローモーションで流れ始める。もっとも効率よく殲滅できるルートを必死に計算して脳裏に描き、無数の凶器を掻い潜って敵の群れの間隙を縫うように、その障害となるものを切り伏せながら蹂躙する。
まばたき二つ程度の時間に、果たして幾度剣を振ったか……今まさに瀕死の兵士に鉈を振り下ろそうとしていた敵を斬り捨てたところで、残心の体勢で動きを止める。この時になってようやく、周囲で断ち斬られた矮躯が真っ赤な鮮血を噴き出しバタバタと倒れ伏していく。が、油断せず、構えたまま周囲を確認する。
手近なところに既に敵影は無く、俺の周囲にはぽっかりと空隙が出来ていた。門から新たな影が迫ってきているが、まだ少し息を整える余裕はありそうだ。
……元々、剣士系列は比較的バランスの良い前衛職だったが、単体相手には強力な一方で、面での制圧力が弱いという欠点も持つ典型的なボスキラーなスタイルだ。今のような状況では、制圧力という点では少々心もとない。
では、こうした多数に囲まれた状況でどうしたらいいか……と考えた結果、至ったのが……『できるだけ短時間に多くの一対一をこなせばいい』という、我ながら実に脳筋のような答えであった。
「……我流剣技、『疾風』……なんてな。さて」
剣を振って血を払いお道化て見せるが、実のところ結構消耗は激しく、かなりの疲労感がある。動けないというほどではないが、ここからは普通に戦っていくしかないだろうな。内心舌打ちする。
最後に斬り捨てた敵に、頭を割られそうになっていた兵士を背中越しに見下ろす。あちこちを貫かれ瀕死の重傷にしか見えないが、それでもまだ、息は残っている。
「おい、まだ生きてるな」
それならば、少しでも、一人でも多く助けよう。あいつが、少しでも涙を流さずに済むように――……
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