舞い降りる光

 ノールグラシエ南部最西端の町、ディアマントバレー。


 百年以上前に、王国最大の埋蔵量を誇る鉱山を有し、発掘拠点として労働者の宿場町から始まったその町は、山間の、深い渓谷の底を東西に塞ぐような形で発展してきた。

 そんなこの町の出入口は東西二つの門しかなく、その二点さえ死守できるのであれば侵略は困難という、辺境の町らしからぬ、特殊な立地から来る堅牢な防御を誇っている天然の砦であった。

 しかし、ここ数十年で鉱石を採掘し尽くしたかに思われ、閉鎖された坑道が増え、徐々に寂れつつあった……そんな中、近年新たに鉱脈が発見され、その中にはここ数年で需要が急増した『魔消石』が採掘されたことで再び俄に賑わいを取り戻していた。


 そのような特需に沸いて数年。突如湧いて出たゴブリン達にその町の産業の要である坑道が襲撃され、そこを足掛かりに町も襲われる事となる。

 組織的なゴブリンの度重なる襲撃の結果、長年徐々にダメージの蓄積してきた西門は、何処からか持ち出された爆発物によってついに大破した。


 そうした事態を重く見た、付近一帯を統治するローランド辺境伯の指示により派兵が決定し、町の兵力は大幅に拡充され、修繕の完了するまでの間の防備は万全に整えられた。


 ……はずだった。



 先の襲撃で半壊したその西門は、もはやその役割を満足に果たすことはできなくなっていた、が、それも踏まえて多めに領主から派兵された兵力は、十分に防衛可能なだけのものだった。


 ……ものだった、はずだったのだ。








  派遣された兵士達の到着以来、散発的な襲撃こそあったものの、数日前からそれもパッタリ止まっていた。ゴブリン達を統率していたリーダーが何処かで討たれたせいとまことしやかに囁かれる中、平穏な日々に、どこか気が緩んでいた感があるのは否めない。


 ……正直なところ、この町での駐留はあまり快適とは言えなかった。というのも、本来助力を請う立場であるはずの町長――成金趣味の鼻につくあまり好ましいタイプとは言えない人物だった――が、あまりにも非協力的だったのだ。時にはごろつきのような風体の男たちに難癖をつけられたりという事まであったくらいだ。


 しかしそんな日々も、資材が到着するのを待って外壁の修理が始まれば、あと一月もあれば領都へと帰還できると、やや緩い空気が流れていた。






 自分も、そんな中の一人だった。


 生まれは商家の三男、家業で自分が継げる物は無いだろうと、15で成人してすぐに兵士に志願した。特に深い目的や理想があった訳ではなく、ただ何となく格好良さそうだったのと、待遇が良かったからに過ぎない。

 それでも、嫌になる程に厳しかった訓練をそこそこ優秀な成績で終え、正式に辺境伯領の正規兵となって五年。現在では後輩から、そこそこ頼れる先輩と慕われる事も多くなった。

 恋人も出来た。決して物語のような出会いがあった訳ではなく、彼女もお姫様みたいな飛びぬけた美人というわけでもないごく普通の町娘だが、それでもある時すっかり惚れ込んで、幾度ものアタックの末に粘り勝ち気味に恋人になった。とうとう、今回の派兵から帰ったらと結婚の約束だってしてきたんだ。




 ――だというのに……この状況は、なんだ?




「ロニー! アンソン! まだ生きてるか!? 返事をしろ!!」


 つい昨日まで一緒にカードゲームに興じていた同期の名を呼ぶも、返事は無い。周囲から聞こえる声は、苦悶と助けを乞う声ばかり。


「くそっ! くそぉ……っ!!」


 これ以上下がることはできない、自分は町を、領民を守るために志願した兵士であり、今その背後には襲撃に怯え住民が震えて隠れている町がある。

 しかし、そんな矜持を嘲笑うかのように、数にものを言わせわき目も振らず一直線に多い掛かってくる連中に、じりじりと戦線が下がっている。

 絶え間なく襲ってくる無数の小兵に、一人、また一人と苦悶の声を上げて、その度に横に居たはずの仲間が見えなくなっていく。

 体力、集中力の減じた同僚に取りこぼしが増え始めており、横や後方から悲鳴や断末魔が聞こえて来る状況に、精神が追い詰められていく。


 横の味方はまだ居るのか?


 後ろは? いきなり背後から襲われたりしないよな?


 懸念は次々と湧いて出て来るが、かといって正面から目を離せば次に飲まれるのは自分だという恐怖心から振り返ることもできず、ただがむしゃらに槍を振るう。


 何だ、何なんだこいつらは。ただのゴブリン等の低級妖魔の群れじゃないのか……!?


 苦戦するはずが無い……はずだった。日頃の訓練通り、各々が力を発揮すれば、一体一体は雑魚でしかないゴブリンなど、多少数で負けていようが大した損害が出るはずはなかったのだ。違ったのは……


「なんで……っ! 何で……倒れねぇんだよおおぉぉおっ!!?」


 ――決定的に聞いていたのと違ったのは、目の前の小鬼共が、生気の無い暗い眼で、痛みなど存在しないかのように一直線に襲い掛かってくる事だった。


 何体自分の仲間が目の前で倒れようが、腕が飛ぼうが足が飛ぼうが、進める限り這ってでも襲い掛かってくる。必死に防戦するもその勢いは完全に抑えること敵わず、一体でも取り付かれると、他のゴブリン達が味方など気にもせずその取り付いた者ごと武器を突き立ててくる。

 敵の援護射撃もそうだ。矢の落ちる先がどれだけ混戦だろうが、たとえ自分たちが矢の雨に見舞われようが、ただただ前進しお構いなしに矢を敵の背後から降らせて来るため、結果こちらの前衛と後衛が長く離れてしまい、満足な援護も得られなくなってしまっている。

 到底、臆病な小鬼共に取れる戦術ではない。いや、戦術というのもおこがましい。これはただの、命をかなぐり捨てて目標へ吶喊するだけの狂戦士の所業だ。


 自分達は、一体何を相手にしている……!?

 こんなもの、まるで死兵の群れじゃないか……!!


 たちまち伝播した恐怖は容易く戦列を崩壊させ、泥沼の乱戦へと雪崩れ込んでしまった。


「くそっ! くそくそクソォ……っ!! ……がぁ!?」


 とうとう、ぱらぱらと敵の背後から散発されていた矢が肩に突き立ち、その衝撃にもんどりうって倒れる。肩の激痛に悶えている僅かな時間。顔を上げるとすでに小さな群れに囲まれていた。


「ひっ!? ひぃぃ!? や、やめっ……っぎぃ、あああぁぁあぁぁあ!!」


 恐慌状態で突き出した槍が、硬い殻のような物を貫いた感触が手に伝わってくるが、今度は肉と骨に絡めとられて抜くことが出来ず、慌てて抉って抜こうとするが焦りに震える手では一向にうまくいかない……次の瞬間、それに数倍する衝撃と、焼けた火箸を突っ込まれたかのような熱く鋭い痛みが全身を貫く。


「あっ……がっ……しに……く、ねぇ……」


 無数に貫かれた全身が痛みで誤作動を起こし、ビクッ、ビクッと痙攣して跳ねる。

 呻くごとに、喉の奥から熱い液体がせり上がってきて呼吸を困難にする。


 ――楽な仕事の筈だったじゃないか。嫌だ、街では恋人が待っているんだ。両親にも顔を出さないと。兄夫婦に子供が出来たと手紙に書いてあった。きっと色々物入りだろう、こんな場所で死ぬわけには行かないのに……!


 ずるりと体から武器が抜かれ、ごぽりと明らかに致命的な量の粘度の高い液体が流れる。意識が残っているのは幸運……いや、不運だった。秒ごとに、全身から熱と命が流れ出しているのを感じる。いやだ、まだまだやりたいことがあるんだ。死にたくない、死にたくない、死にたく……ない……っ!


 ――しかし、辛うじて頭が無事だから意識があるというだけで、もう助からないということも嫌でも理解してしまう。そんなものを実感させられるだけの生なら、いっそ意識なんて残らず、痛みと後悔に苛まれぬうちに一瞬で生を終えたかった。


 諦観が自分の世界から色を奪い、音を奪い、五感が薄れていく。にも拘らず、全身凍てついたようにただひたすら寒い。

 何て、運命だ。つい昨日までは順風満帆な筈だったのに、どうしてこうなった。


「……なぁ……俺、あんたに恨まれるような事……したかなぁ……女神さんよぉ……」


 己が運命に女神を恨みながら、とうとう頭へと目掛け振り下ろされる鉈が、まるで苦しみを長引かせぬよう介錯する慈悲の刃に思え、全てを諦めて目を閉じた。




 ――その視界が完全に閉ざされる直前、暗く染まっていく視界の端で、炎のような赤い何かが瞬いたような気がした。












 ……


 …………


 ……………………


 ……………………衝撃が、来ない。




「おい、まだ生きてるな」


 知らない声だ。もう閉じてしまえと誘惑してくる重い瞼をこじ開けてうっすらと目を開けると、燃えるような赤い髪を後ろで乱雑に束ねた、大剣を振りぬいた体勢の青年の背中が見えた。その奥には、首を、胴を刎ねられたらしく切断面から何か液体を噴出している無数の小さな体。


 ――これは夢だろうか。


 ――それとも、死に瀕してとうとう戦神アーレス様が迎えにでも来たのだろうか。


 まるで何かの英雄譚の様に凛々しい青年の背中に、そんなことを今にも意識の途切れそうな頭で考えていたら、パリンとガラスの割れた小さな音。

 青年が乱暴に瓶の口を割って開封した小瓶から乱雑にばしゃりと液体を浴びせて来る……傷薬だろうか……そんなもの、気休めにもならないだろうに何故……?

 諦観の気持ちでそんなことを考えていると、ぐっと襟首をつかまれ上半身を起こされ、引き寄せられた。


「いいか、諦めるんじゃねぇぞ、気をしっかり持て……大丈夫だ、死ななきゃ、助かる。あいつが来た」


 ――助かる? 


 ――どうやって? 


 この負傷ではもう、この場に都合よく、教会に囲われていると言われる聖女様でも通りがからぬ限り、助かりっこないというのに。


 しかし、額のつくような至近距離で強く告げた彼の、真っ直ぐ見つめる瞳は確信に満ちており、僅かに絶望から希望へと天秤が傾けるだけの力があった。世界に音と色がが戻ってくる。


 風を切る矢の音。間を置かず、高い所……外壁だろうか……から、何かが落ちるドサドサという音。

 いつの間にか自分から手を離し、目の前から消えていた赤髪の青年も、目にも止まらぬ速さで次々と周囲に血と炎の華を咲かせていく。ギャッ、という甲高い多数の敵の呻き声と、小柄な敵の集団がバタバタと倒れていく音が聞こえてきた。

 青年の後方では、狭い外壁の門に群がってつっかえていたゴブリン達の群れが、一直線に奔る紅蓮の炎と眩い紫電に飲まれ消し飛んでいく。このたった数度の瞬き程度の時間で、あまりにもあっけなく状況が好転していた。




 ――そんな中で、『それ』を見た。




 純白の羽根をはためかせて外壁を飛び越え、西へと沈みゆく夕日を背景に舞い降りて来る中性的な美しさをたたえた騎士鎧姿の青年。

 そして……その腕に大事に守られるかのように抱きかかえられながら、逆光の中でさえ尚、眩い暖かな光を煌めかせて祈りを捧げている、蒼い衣を纏う虹色の髪を持った美しい少女を。


『――ギィス抱擁する


 最初は、それが声とは認識できなかった。まるで超一流の職人が丹精込めて作り上げた楽器のような澄んだ音色だと。その可憐な小さな口が音を奏でるたび、周囲に温かい、複雑で巨大な光の陣が組み上がっていく。


『――アフゼーリア女神の祝福の


 視界を埋め尽くしていく、途方もなく巨大で複雑な立体的な光の陣に、理由もなく、何故か確信した。きっと帰れると。自分たちは助かったのだと。


『――ディレテ!息吹


 周囲が、眩い光に包まれた。だがしかし、眩しくはあっても目を刺すようなものではなく、むしろどこまでも優しく包まれていくような。全身が暖かな物に包まれて、苦痛が溶けて消え去っていく。


「あ……あぁああ……!」


 気が付いたら、その暖かな光に縋るように、手を伸ばしていた。もしも今動く事が出来たのならば、迷わず跪いて首を垂れていたに違いない。きっと、自分はこの光景を生涯忘れることは無いのだろうと確信できる。


 ――ふと、先程、女神様を恨んでしまった事を恥じた。なぜならば……その女神様は、こうして今目の前で、そんな自分にも救いの手を差し伸べてくれているではないか。


 乱舞する暖かな光の合間に時折見えるその少女と、偶然目が合った。取りこぼした命を悲しみ憂う色を湛えながらも、目の前で吹き返した命にほっとしたような、泣き笑いのような複雑な表情で見返す彼女に……目尻から、暖かな物が流れていくのを止めることはできなかった――……

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