夢の跡の君 -alone the world-

「御子姫様がまたお姿をお隠しになられた! 探せ、探せぇ!」

「いつもいつも、一体どこから姿を眩ますんですか、あの方は!?」

「知らん! ああ、もう、いつもちゃんと帰っていらしてくれているとはいえ、もし見えないところで危険な目にでも逢っていたら……!」


 まるでハチの巣をつついたような騒ぎを横目に、外壁に設置されているメンテナンス用通路に身を滑らせる。目的地へのルートは、得意げな顔をしてこの道を教えてくれた、意外とお転婆な『彼女』と何度も通っているうちに覚えた。

 複雑だが決まったルートを辿っていくと、外壁の一角にかなり昔の戦闘の後、修理する際に見過ごされていたらしい、人ひとりどうにか潜れる程度の小さな亀裂に潜り込む。小柄な彼女には容易く進めるそこも僕には少々きついが、それでも何とか通過出来ることについては、あまり体格に恵まれなかった事を感謝する数少ない事だ。

 そこを潜った先は外壁の外で……下を眺めると、遥か百メートルは下方にようやく地面が見えていた。迷わず宙に身を躍らせると、みるみる背にいつものように輝く翼の出現した感触。一振りするとたちまち風を掴んで上昇し、勢いよく空に身を躍らせた。


 彼女……先程『御子姫』と呼ばれていた少女は、何故かこうした抜け道を見つけ出すのがうまく、たびたび姿を眩ませることがあった。尤も、報告する義務も義理も無いので告げ口などはしていないし、僕も時々こうして使用しているので彼女とは共犯者の関係だ。


 ふと、眼下を覗くと先ほど出て来た建造物……山々よりも高く、直径で十キロメートル以上にも及ぶ巨大な塔……と言うには潰れた形の白亜の塔。『完全環境型積層閉鎖都市』と言うらしい、魔導科学の粋を結集して建造したと言う巨大な街。いつか訪れるかもしれない危機に備えた人々の最後の砦として建造されるも、その実態は自分達を尊き存在と信じて疑わない権力者と聖職者、自らを女神の使者の末裔と信じて驕った天族達の都市。


「……まるで、神の座を目指して砕かれた、神話の塔だな」


 憎々しげに吐き捨てると、その街……『アクロシティ』と人々が呼ぶ街を後にし、『彼女』が居ると思われる場所に向けて羽ばたいた。






 ……探し人は、それほど時間が掛からずに見つかった。街を出て背中の翼で精々30分程度。この程度であれば特に疲労も無く、せいぜいちょっと遠出した散歩程度でしかない。


 探し人……彼女は、午後の陽気の中、日当たりのよい花畑で、多数の獣に囲まれて、あろうことかその中心ですやすやと熟睡中だった。

 周囲の獣たちも同様で、ぴったり寄り添って共に昼寝をしているもの、ただじっと彼女を見つめているもの、中には、眠る彼女の体をよじ登って大人しく遊んでいる小動物まで居る。そこにはただのんびりとした時間が流れているだけで、剣呑な空気は欠片も存在しない。


「……相変わらず、メルヘンチックというかなんというか」


 今必死に彼女を探しているであろう衛士達の苦労も知らずに呑気なものだな、と、普段は良く思っていない彼らにも流石に同情心を抱きつつ、呆れたため息を一つつくと、少し離れた場所に急降下気味に地に降り立つ。背中に輝いていた翼を消すと、ツカツカと荒い歩調で歩み寄る。


 僕の怒気を感じたためか、小動物が蜘蛛の子を散らすように去っていった。彼女の敷布団代わりにその毛皮を差し出していた巨大な狼……天狼などとも呼ばれる幻獣セイリオス――断じて、このような人里付近にほいほいと現れていいような存在ではない――が、迷惑そうに……腹立たしいことに、フンッ、と一つ鼻でため息らしきものをついてまた惰眠に戻る。

 あまりにもあんまりな態度にこめかみに青筋が浮き上がるが、周囲で様々な物が動いたのを感じたためか、呑気に寝ていた彼女が、「うぅん……」と悩ましい吐息を口から洩れさせて、その閉じていた瞼を震わせたため、慌ててその怒りを鎮める。向こうも、枕役に専念するらしい。僕たちがいがみ合っていると彼女が悲しむからだ。


 眠っていた彼女がぱちりと目を開くと、長い睫毛に彩られた澄んだアメジストの瞳と目があった。おもわずうっと後ずさると、淡い虹色の燐光を纏った長い銀髪がさらさらと滑り落ち、たちまちその整った顔を縁どるカーテンとなる。

 天上の美姫だのなんだのと民衆が騒ぎ立てるその整った容姿を、眠そうにふにゃふにゃと緩ませたまま、周囲をきょろきょろと見回したのち……


「……あ、――君、おはよー……」


 ぐしぐしと目じりに浮かんだ涙を手の甲で拭ってのんびりと宣う彼女にずっこけそうになるが、何とか気を取り直す。「今、怒ってるんだぞ」という気配をなるべく発散できるように腰に手を当て、もう片手で片目を覆い隠し、これ見よがしに大きなため息。やれやれと肩をすくめつつ睨みつける真似事をしてみる……が。


「あはは、何度も言うけど、似合ってないよーそういうの」

「うるさい。いつも探しに来る僕の身にもなれ……せめて、僕にくらいは言ってから出てってくれても良いだろうに」


 正直、彼女のサボタージュには怒りは無い。ただ、自分にすら言わずに出かけた事が面白く無い……自分で言うのも何だが、拗ねているだけだが面白くないものは面白く無いのだ。

 どかっと彼女の隣にわざと乱暴に腰を落とす。彼女はしばらくきょとんとした後……するりと僕の隣に滑り込んで来た彼女が、僕の腕を自らの腕と絡め、その柔らかな身体を、体重を預けて来た。


「でも、探しに来てくれるのよね。いつもありがとうございます、私の婚約者様」

「……ふん」


 ふにゃりと相好を崩して、嬉しそうに屈託のない笑顔を向けられてしまえば、惚れた弱みでもはや僕には何も言えなくなるのだった。






『ここへおいで 私はすべてを受け止めるから

 木漏れ日のような あたたかな光

 きっと 貴方の下で煌めかせるから


 怖がらないで 私にすべてを委ねて

 いっぱいに拾い集めた 希望の種

 きっと 貴方の下へ届けるから……』




 ……歌が、聴こえる。どこまでも優しく包み込むような、彼女の歌が。

 ぼんやりと薄目を開けると、そこには風に舞う花弁に彩られ、煌々と降り注ぐ蒼い月光を浴びて、きらきらと七色の燐光に照らされた髪を夜風になびかせた、どこまでも幻想的な……今にも消えてしまうのではないかと不安に駆られるその姿に、横になったまましばらくボーっと見惚れてしまう。


 ――もう少し風に当たりたいとせがむ彼女に付き合っているうちに、うっかり釣られて軽く眠ってしまったらしい。周囲はだいぶ暗くなっており、頭上には星が瞬き始めていた。慌てて跳ね起きると、こちらに気が付いた彼女はすぐ隣で、何が嬉しいのニコニコと上機嫌でこちらを見つめていた。


 すっかり遅くなっている、今更連れ帰っても弁明など無意味だろう。もう数十分遅れる程度何も変わるまいと諦めの心地で座りなおすと、彼女はそそくさと隣に腰を下ろし、こちらにその小さな肩を預けて来る。


「星、綺麗だね……街からだと天井が邪魔で見えないから、今日は得したかも」

「まぁ、その分街では大騒ぎだろうけどね……帰ったら、きっと女官達からお説教の嵐だ」


 目に浮かぶようだ。そのお説教は彼女が普段寝る時間を大幅に超えて、きっと明日は眠そうな顔で起きて来るのだろう。そうしてまた公務中に居眠りして怒られるのだ。


「うぇえ……やだなぁ、朝までこうしていたいなぁ」

「……それもいいんじゃない? 朝までと言わず、ずっと、二人で何処か、皆が君を知らない場所に行ってさ」

「……え?」


 肯定されるとは思っていなかったのだろう、僅かに驚いた顔で振り返ってくる彼女。しかし、実の所これは僕の本心だ。戻りたくなければ戻らなければいい。


「いっそのこと、こんな近場へ散歩じゃなくて、ちゃんとどこか遠くに逃げてお隠れ遊ばせてくれればいいのに……」

「そうはいかないよ。そんなことをしたら、皆困っちゃうんでしょう?」

「はっ、精々困ればいいのさ……何が『御子姫様』だ。本来なら、君はこんな外界の些末事に駆り出されたりするべきではなかったんだ」


 吐き捨てる。彼女はもう極僅か……どころか、現在確認されている最後の白光の翼持ちなのだから。彼女の家系にのみ時折現れる、特に高い能力を秘めた穢れなき純白の翼を持った『輝種』。本来であれば崇め奉られ、不可侵の存在として慎ましく穏やかに暮らしているべき、いや、事実そうなるはずだったのだ。歴代の彼女の祖先たちがそうであったように。


 それが出来なくなったのは、ひとえに僕達……光翼族の、長寿ゆえか、ただでさえ高くなかった出生率が著しく減少し、また昨今活発化していた『世界の傷』への対処の中で傷つき倒れ、その数を減らし続けていたせいでもある。


 だけど……彼女は、戦って良い人間ではないのだ。どれだけ彼女を守ると息巻いて戦っても、それで傷ついた人を思って彼女は人知れず涙を流してしまう。犠牲者が出るたびに、彼女は人目に触れない所で悲痛な慟哭を上げてしまう。ただ、誰よりも浄化と治癒に長けているだけの、誰よりも心優しい女の子でしかないのだから。


「その君が駆り出されるような事態になったのだって、人どものお偉いさんが装身具代わりに僕たちの仲間を手籠めにして、無暗矢鱈に血を薄めさせて来たからじゃないか。数が減って、新しく生まれなくなってからになって慌てて保護だのなんだの言いだして……いつも手遅れになってから騒ぎ出す。気が付くのが遅いんだよ、あいつらは」

「……ふぅ。君は、本当に人が大嫌いだよねぇ」

「当り前だっ! なぁ、本当に、一緒に逃げ出さないか? 君さえ望むなら、僕は何処にだって君を……っ!」


 続く言葉は、まるで泣き出す寸前のような彼女の指により押し留められた。


「……ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱりできないよ。『お役目』を担う人がいなくなったら、平和に暮らしている人達も……ひゃっ!?」

「そんなことはどうでもいい! ……君さえ、ただ一つ頷いてくれれば、それで僕は何もかも差し置いて……っ!」


 思わず彼女の肩を衝動的に強く掴んで、声を荒げて柔らかな花畑に押し倒してしまう。花弁が衝撃で宙を舞い、すぐに冷静になって華奢な彼女を上から押さえつけるような体勢になってしまった事に気が付いて慌てていると、そんな中彼女は驚いたように目を見開いて……徐々に、その頬が桜色に染まっていく。だけど。


「……ごめんなさい、やっぱりできない。皆私を信じてくれて、だからこそこうしていい暮らしをさせてもらってるんだもの。食べる物、着る物、仕えてくれている人達……今までずっと皆に貰い続けてる私が、裏切る事なんてできないよ」


 また、いつものように、彼女は寂しそうに微笑むだけだった。そう、分かっている……何度も、何度だって……言い続けていても、優しい彼女を心変わりさせることはできなかったのだから。


 そう、最後のその時まで――……








 バサリ、と、乾いた紙の束が落下した音。存外大きな音で、浅い眠りに有った目が覚める。

 寝起きで状況の把握が出来ていない。周囲を見回すと、寝台の傍らの床に、明かり避けの代わりに被っていた筈の本が落ちていた。


「……夢、か。また随分と甘い夢を見たものだ」


 頭を振って身を起こす。周囲を見回すと、鉱山労働者の休憩室らしき粗末な寝台と簡素な机の部屋……尤も、僕が外から勝手に持ち込んだ本や実験器具でだいぶ散らかっているけれど。


 しかし、どうにも先ほどから、何か大きな物が暴れている様に細かな振動を感じる。なるほど、本が落ちたのはこのせいらしい。


「……騒がしいな」


 耳を凝らすと、ゴブリン達のキィキィと高い声で部屋の外が騒々しい。ここはゴブリンの巣穴にされた旧坑道だが、最初の時点で彼我の力関係をはっきりさせ、僅かな技術供与の代わりとして奴らに提供させた僕の部屋周辺には近寄るなと厳命したはずだが。


「……そういえば、ボスが死んで、死に損ないが帰って来てたんだっけ。せっかく最新の魔導爆薬の知識を与えたのに、所詮蛮族程度には過ぎた玩具だったみたいだね」


 やれやれと、カバンに自分の荷物を突っ込み始める。ボスがやられたとなると、じきにここにも討伐隊が来るだろう。せっかく馴染み始めた隠れ家を手放すのも惜しいけど、仕方ない。


 ――そう思っていた矢先、不躾にもドカドカと騒々しい足音を立て、ドアをけたたましく蹴り破って乱入して来る者が居た。


「アァ? 何デ人間ナンカガコンナ場所ニ居ルンダ?」


 踏み込んで来たのは、筋骨隆隆な、二メートルを優に超える背丈の、浅黒い肌をした……


「なんだ、トロールか」


 ただそれだけで、闖入者への興味を失う。トロール族といえば、高い治癒能力と筋力に秀で、基本的に自身の鍛錬に余念の無い、武人然とした連中の多い種族だが、横でぎゃあぎゃあ騒いでいるこいつは随分と礼儀がなっていないようだ。


 まぁ、嫌でも聞こえて来るためそのほとんどを聞き流した上での情報をまとめると、里を追われて彷徨って居たところ丁度良い所に自分より弱い奴らの集落があったから、奪い取る事にした、と。実に馬鹿らしい。


「……はぁ。まぁどこにでも、はみ出し者の落ち零れってのは居るものだからね」


 自嘲気味に吐き捨てると


「何ダトコノヒ弱なヒト風情ガ……ガッ!?」


 耳聡く聞き付けたトロールが激昂して拳を振り上げるが……それが振り下ろされることは決して無い。

 何故なら……敵対的な行動を取った瞬間、どこからともなく現れた闇色の大蛇が、瞬く間に雁字搦めに奴を締め上げ、その身体を完全に拘束していた。


「ああ、ありがとう、クロウ」

「ナ、何ダコイツハ……ッ! オイ、貴様、コイツヲ……」

「はっ、はぐれ蛮族風情が頭が高いんだよ……這い蹲れ」

「グァアッ!?」


 ギリギリと動きを拘束している蛇が、眼前のトロールの抵抗ごと、バキバキとその強靭なはずの身体を砕きながら跪かせる。その段になってようやくその目に恐怖の色を見せ始めた。ようやく見上げる姿勢を取ったそいつを路傍の汚物を見るような視線で見下し、ふと思いついたことを口に出す。


「さて、僕は夢とはいえ久々に『彼女』の姿を見てとてもとても機嫌が良い。だから、本来なら縊り殺してやるところだが、選択肢をあげよう。このままクロウの餌になる? ……それとも今の非礼を詫びて僕に頭を下げるなら、君に力をあげてもいいけど?」


 その僕の言葉に、しばし逡巡した後、思っていたよりも早く、渋々と言った感じではあるが頭を差し出す。そうだろう、どうせこういった手合いのプライドなどという物はこんなものだ、ちょっと餌をちらつかせるだけですぐに食いつく……毒の可能性も疑いもせずに。

 では、精々引っ掻き回してもらうとしよう……まぁ、正直どうなっても僕にとっては何の痛痒も無い、ただの嫌がらせ程度の気まぐれだけど。近くに、以前『魔導王』と共に僕に辛酸を舐めさせた奴らの内の一人が来ているらしいから、そいつを巻き込んでの嫌がらせにでもなれば万々歳だ。


 無造作に右手を中空に一閃すると、何も無いはずの空間から甲高い、水晶の割れるような音が鳴り響いた。


「……? イ、イッタイナニ……グッ、アァッ!?」


 突如鳴り響いた高音に疑問符を浮かべて顔を上げたそのトロールの瞳の奥から、水晶の結晶のような何かが生えた。それはみるみる頭部を、上半身を内側から食い破って覆っていき、そのたびに絶叫が鳴り響く。


「ま、それで生きて還れたら、きっと強くなってるよ……尤も、どれだけ自我が残っているかは保証しないけどね……さ、行くよクロウ」


 部屋の真ん中で激痛にのたうち回り踊り狂っている巨体と、周囲で右往左往している小さなゴブリン達を横目に、小さくなって寄ってきた蛇を腕に絡みつかせて部屋を後にする。


 背後でドアが閉まる際にちらっと背後を見た時、その部屋はすでに謎の結晶に覆われた異界と化していた。





 夜の闇に同化するような、暗い、昏い色に輝く、まるで食いちぎられたかのようにボロボロな三枚の翼を開き、夜の闇へ飛び立つ。南東……今は見えぬ遥か遠い忌まわしき閉鎖都市の方角を睨みつける。


「……ここまで回復するのに随分と、時間が掛かってしまったけれど……最も厄介だった『魔導王』は、この世界の外に放逐しそこへ縫い止めた……あと少しだ。今度こそ、貴様らを……『彼女』を……!」


 今はもう遥か手の届かぬ場所へと行ってしまった彼女の影を掴もうとするかの様に、その方角へ腕を伸ばす。しかし、想いは夢と共に指の間をすり抜け、星空に散って行った。


 代わりに残ったのは、胸の内に抱えた、この翼のように昏い怒りの火。それは、幾星霜の長い時を経ても尚、煌々と燃え盛っていた。











 ――温かく、悲しい夢を見ていた気がします。不意に目覚めると、いつの間にか頬を涙が伝っており、それは拭っても拭ってもしばらく止まりませんでした。すっかり目が冴えてしまった私は、同じ天幕を割り振られた皆……女性であるミリィさん、レニィさん、フィリアスさんらを起さぬようにそっと外に出て、手ごろな岩に腰かけます。


 冷えた夜気は澄んでおり、赤く腫れて熱を持ってしまった目に心地良いです。周囲には離れたところで見張りについているらしき、たき火の明かり以外には何もない。そんな中、雲一つない夜空には、ここが異世界であると嫌が応にも証明する二つの月に照らされ、まるで宝石を砕いて散りばめたような一面の星空が広がっていました。


「綺麗……」


 夜になるとまだ吐く息も白く、寒さに寝巻の上に羽織った外套の前をぎゅっと握り、なんと無しに上空を見上げた際、思わず感嘆の声が漏れます。平らな岩の上に仰向けに寝転ぶと、森林地帯を抜けた今、視界を遮るものは存在せず、まるで星空に浮かんでいるかのようで……


(そういえば、こちらに来てから、こうしてゆっくり星空を見上げたことって無かったかもです……)


 自分たちがどれだけ余裕のない生活をしていたのかを思い知ると同時に……ふと、自分でも良く分からない寂寥感が胸を支配していきます。


 何だろう、と考えて、それが先程の夢の内容だったような気がします。今の私と同じ髪色を持った少女が、見知らぬ少年と仲睦まじく空を眺めている夢。私は……『私』は、一度も会ったことの無いはずのその二人に、どこか懐かしい物を感じていました。と言っても、『僕』の母さんとの思い出ほどはっきりしているわけではなく、どこか遠く遠く、霞の様に淡い、そんな懐かしさを。

 だけど、少女はどこか寂し気で、少年はどこか辛そうにしていたのが印象に残っており、その様子が、目覚めた今でも私の胸をギリギリと締め付けています。


「あなた達は……誰?」


 星空に手を伸ばし、散っていく夢の記憶を握りしめる様に拳を握ります。しかし、そんな行動は何の意味も持たず、みるみる指の間からすり抜けて夜空へと散ってしまう。


 だけど本能的なものでしょうか……あの二人が私と「同じ」者だという事を、なんとなく理解してしまう。そして……もう、居ないのだという事も。


「絶滅した種族……か」


 ――この広い広い空の下に、ひとりぼっち。


 側にはいつもレイジさんとソール兄様が居るから気にならないと思っていました。しかし、いざ突きつけられてしまうと、今まで意識もしなかったその事実が、まるで刃物の様に心に刺さってくるのを感じずにはいられませんでした。


「Rrha ki …… tie ……ni en nha……?

 Wa……a …… mea yor ……al……」


 その寂しさを埋める様に、夢の中の記憶をどうにか思い出そうとしながら、夢の中の『彼女』の歌をどうにか再現できないかと口ずさみます。が、知らない言語……おそらく、ゲームの時の旧魔道文明語でしょうか……その大半は記憶から零れ、虫食いのような歌詞と、メロディをたどたどしく口ずさむ程度しかできません。それでも、今は居ないであろう『彼女』の影を求めて、何度も、何度も、繰り返していました。







 ――暫く、そんな、感傷に浸っていると。


「……あっ、ぐぅ……っ! ああぁっ!?」


 突然の出来事でした。不意に全身を貫く激しい痛みに、思わず悲鳴を上げてしまい、体を丸めて痛みに耐えようとします……この痛みは、これで三度目。ここまでくると嫌でも何が起きたのか解ってしまいます。


 周囲では、動物ならではの感覚で不安を感じたのか、繋がれていた馬達が暴れ出し、俄かに騒然となる商隊。騒ぎに、それぞれ睡眠中であった傭兵団の皆が飛び出してきます。そして……


「イリスちゃん!?」

「イリス様……まさかどこかお怪我を!?」

「大丈夫……っ、です……っ!」


 先の悲鳴を聞きつけたらしい、慌てて飛び出してきた皆に、どうにか脂汗を垂らしながらも、怪我ではないことを伝えます。が、事はそれよりも重大かもしれません。


「……どこか、遠くで、『世界の傷』が新しく……開いたみたい、です……」


 傷みを堪えながら辛うじて告げた私の言葉に、周囲が息を飲んだのが伝わってきました。







【後書き】

 便宜上『彼女』の歌は日本語で記載していましたが、イリスの歌っている通り実際は特殊な言語によるものとなります。私に作詞の才能は無。


 今回のトロールの種の性質もですが、作中の魔物についての設定は、TRPG『ソードワールド2.0』より大きな影響を受けています。

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