平穏

 すっかりと根を下ろしてしまったこの町からの出立を決めたあの日から一週間、私は、ミランダおばさんに可能な限り料理の教えを請いつつ、旅に必要な物を揃え、皆さんの鍛錬を見学し、時には交流を深めながら、平穏な日を過ごしていました。


 町の人達からは、出立を伝えると一様に残念だと惜しまれ、そのたびにここを離れるのだという実感が深まっていき、寂寥感に胸を締め付けられることが多くありました。しかしその中で、嬉しいこともありました。







 ある日、いつものように訓練しているレイジさんやソール兄様らにお昼を届けた帰り道、しばらく聞いていなかった懐かしい声に呼び止められました。

 そうして、急遽宿泊施設へ帰った後、レニィさんに庭にお茶の席を用意してもらい、こうしてその声をかけてきた人たちと対面しています。


「……結婚、ですか?」

「ああ、これも嬢ちゃんのおかげだ、本当に感謝してもし足りねぇ……」


 そう告げる久しい顔……スコットさんでした。そんな彼の背後では、どこかで見たような女性がぺこりと頭を下げています。20代前半くらいの、華美ではありませんが安心できる雰囲気の綺麗な女性。記憶を探りますが、中々思い出せません。


「本当に、ありがとうございました。あのような目に逢って、もはや普通の女としての幸せはとうに諦めておりましたが……おかげさまで、こうして綺麗な体で嫁ぐことができます」

「あ……あぁ!そうです、たしか近くの開拓村へと帰った……」


 その言葉に、ようやく思い出しました。随分と我ながら薄情ではありますが……あの時は私も精神的にとても追いつめられていたので、ごめんなさいと、心の中でだけ謝っておきます。


 彼女は、山賊の砦から助け出された女性の一人でした。手ひどい仕打ちにより、片方の眼球を失い、顔にも酷い火傷を負っていた……その他、全身の骨折や打撲等、攫われた女性たちの中でもかなり酷い傷を負っていた人です。

 しかし、そのような中であって尚他の娘の心配をしていた優しそうな方……今は、『レストレーション』によりすっかり快癒した女性でした。


「良かった、お二人とも、元気でやっていたのですね。それに、結婚って……」

「はは……何だか照れるだぁね……」


 なんでもあの後、今後の生活をどうするか悩んでいた所を彼女に請われ一緒の開拓村へ行った後、来歴を明かした上でそれでもと望む彼女の説得により受け入れられ、村の一員として狩りをしたり畑を耕したりしながら生活していたそうです。


 犯罪者へと落ちた底辺といっても、傭兵団に所属し斥候や雑用係をしていたていた彼の知識や技術の中には、追跡術や罠の作成技術などの村で重宝されるものもあったそうです。そして穏やかな気質でありながらなんだかんだで多少の戦闘の心得を有するという事で、気は優しくて力持ちな彼は人手はいくらあっても足りない開拓村にて今ではそれなりに頼りにされ、すっかり一員として打ち解けたのだとか。


 そうして、とうとう周囲に認められ、来月には結婚することが決まったそうです。


「彼女は、おらの恩人でもあるだよ。あの日、解放された娘っ子たちに、責任の一端はおらにもある、どんな目に逢されてもしょうがねぇと頭を下げたおらを、許してやるように娘っ子らに進言してくれたのがこの子だ」

「そんな……私の方こそ、あの地獄のような日々の中でも、あなただけは酷いことをせず親切にしてくれて……心配してくれて」

「お前……」

「あなた……」


 えぇと、二人の世界に入ってしまいました……ですが、幸せそうで何よりです。とりあえず、二人が帰ってくるまで、視線を逸らしながら紅茶を一口含みます。

 ……程よい渋みがちょうどいいです、お砂糖はそういえば入れてませんでしたが、なんだかすごく甘く感じるなぁと思いつつ、綺麗に晴れた空を眺めます。


 いつの間にか残雪は姿を消し、暖かな日差しが降り注いでいます。やがてこの町にもだいぶ遅い短い夏がやって来るのでしょう。しかし、今この時は周囲の気温が上がったような気がします……




 そうして一人景色とお茶を楽しんでいると、我に帰った二人が、揃って顔を赤らめぱっと離れました。はいはいご馳走様です。


「っと、すまねぇ嬢ちゃん」

「いえいえ、仲がよろしいようで何よりです……ご結婚、おめでとうございます、どうか末永くお幸せに」


 にっこり微笑むと、二人で仲良く赤面して視線を逸らしました。そんな初々しい様子に、頰を緩ませます。本当に、良かった。彼らは、きちんと自分たちの幸せを見つけて新しい道を歩んでいたのですね。


「そんな嬢ちゃんも、だいぶ雰囲気が変わっただぁね……」

「……? そうですか?」


 少し首を傾げます。自分では良く分かりませんが……


「んだ、だいぶ雰囲気が柔らかくなっただ。以前なら、こうしてゆっくり話す事も無理だったろうし……」

「ふふ……そういえば、最後に会った時には目を回してしまって、それっきりでしたね……あの時は、本当に失礼しました」


 あれから、本当に色々ありました。「僕」から「私」になって……滞在していたのは一月程度でしたが、いくつも慌ただしく過ぎ去った大変な出来事に想いを馳せながら、また一口お茶に口を付けます。


「にしても、後ろのメイドさんといい、嬢ちゃんの綺麗な仕草といい、こうしてると本当にどっかの姫さんみてぇだなぁ」

「……けほっ!? ごほっ、ごほっ……」


 不意打ちにそんな事を言われ、思わず咳き込みました。丁度お茶を飲み込んだ瞬間だったため、気道に入りました……けほっ。


「うわ、大丈夫だか!?」

「イリス様、こちらを」


 すかさず背後に控えたレニィさんが、口元をハンカチで拭ってくれます。


「すみません、大丈夫です……ちょっと急にタイムリーな事を言われて慌てただけです……」

「はぁ……よぐわかんねぇけど、すまなかったなぁ」


 まさか、「いやぁ、本当にお姫様だったみたいです」などど言う訳にもいきませんので、引きつった笑顔で曖昧に誤魔化すしかありませんでした……




「そんなわけで、出立しちまうまえに、礼だけでも言っておきたくてなぁ……ありがとなぁ、嬢ちゃん。それと、本当すまながった……!」

「このご恩は、一生忘れません、どうか、近くをまた立ち寄った際は遠慮なくお越しください」

「んだ……もし、何が困ってたら可能な範囲で力になるがらな? 遠慮せず来てくれな!」

「はい……はい! お二人も、どうかお幸せに……!」




 ――こうして、しばらく一緒にお茶をした後、彼らは帰って行きました。あの時の事はお互い辛い記憶ですが、こうして今では笑い合える、その事をとても嬉しく思いながら、時折振り返りながら去っていく背中が見えなくなるまで手を振り続けました。










 ――それから数日……そして出立予定日の前日。


 談話室で周囲で皆が固唾を呑んで見守る中、私は、眼前で静かに目を閉じて座っているヴァイスさんと向き合っていました。いつもは傷口を隠していた包帯などは取り除かれ、その無残な火傷跡を曝け出しています。


 その傷跡に手を掲げ、恐る恐る、ことばを紡ぎます。


セスト真言シェスト浄化のザルツ第三位リーア光よイーア治癒をラーファト生命のディレーテ息吹を……『ヒール』」


 使い慣れていたはずの、しかし随分と久しぶりのような気のするヒールの詠唱をそっと唱えます。ここしばらくはウンともスンとも言わなかったそれは、今、私の手の内で暖かな緑色の光を生じさせました。


 今朝目覚めた時に、暫くの間全く体内に感じることのできなかった魔力の流れが、まるで体から溢れそうなほど煌々と流れているのを感じました。慌てて皆を呼び……に行こうとしたところ、寝間着のまま部屋を飛び出しそうになったところをレニィさんに捕まり、しこたま怒られて、身の支度を整えた後。

 皆を集め、調子の確認も兼ねてこうして改めてヴァイスさんの治療を行うことになりました……ヴァイスさん、実験台にしてごめんなさい。


 そんな私の手から淡い光が傷口に染み入り、みるみる小さくなっていくヴァイスさんの傷跡……完全に元通り、とはいきませんでしたが、それでも目に見えて元通りの肌の割合が増え、目立たなくなっていきます。


「……終わりました」

「ふぅ、何度見ても本当にすげぇもんだな、こりゃ」


 多少跡は残っていますが、ケロイド状の部分がかなり通常の肌に近い綺麗な物になっています。だいぶ目立たなくなった傷跡を不思議そうに眺めまわしながら、感嘆の声を上げるヴァイスさん。


 ……ですが、正直なところ以前よりも効きが良い気がしています。治癒できる限界ラインもだいぶ広がっています。駄目で元々だったのですが、劇的な効果に兄様やレイジさんですら驚いています。かくいう私も。これは、私の治癒魔法の効力自体が上がっている……ということでしょうか?


「……あの、本当に『ヒール』で良かったんですか? 『レストレーション』のほうであれば、傷口を綺麗に消すことも可能ですけれど……」

「だから、何度も言っただろうが。それでここしばらくの経験を失うくらいなら、これでいいんだよって」


 『レストレーション』は、万能ではありません。問答無用で過去の状態に体を復元してしまうそれは融通が利かず、戦闘経験による成長や、鍛錬の成果さえも無かったことにしてしまいます……ヴァイスさんは、それくらいならば、多少傷を残すほうを選びました。


「ま、なんにせよ、これだけ目立たなくなれば大分見苦しくもなくなったろ。だから気に病むんじゃねぇぞ、これは俺の選択だ、俺がいいって言ってるんだからいいんだよ……ッテェ!?」


 ぽんぽんと、頭を叩こうとしたのでしょうが、私の方に伸びてきたその手が直前で別の手に叩き落されます。


「まぁ、元のただのチンピラから、傷跡のおかげでちょっと凄みの増した歴戦のチンピラ位になって丁度いいんじゃないですか?」

「おい、うっせぇぞこのアマぁ!!」


 しれっと手を叩き落としてぴしゃりと辛辣な評を下したレニィさんに、ヴァイスさんが牙をむいて食って掛かります。最近では、なにかとさりげなく近くで周辺の警戒をしてくれているヴァイスさんですが、普段からずっと傍に控えているレニィさんとたびたびこうしたじゃれ合いをしているのは恒例の光景になっており、思わず苦笑を浮かべ、そんな二人を眺めていました。


「それで、調子はどうかな?」

「あ、どうやら問題なく……というより、しっかり休息をとったおかげか、むしろ以前よりだいぶ調子は良い位です」


 以前と比べて、体の奥からこんこんと魔力が溢れて来るような感じがして、今なら、この前使用した最上位範囲回復魔法も、複数回連続使用できそうです。


「それなんだけどね、多分イリスちゃんの魔力、以前より大幅に上がってると思うのよ」

「……え?」

「それは、どういう事でしょう?」


 唐突に、フィリアスさんからもたらされた情報に、私とソール兄様が思わず聞き返します。フィリアスさんは、しばらくうーんと悩んだ後、まだ実例が少なく確証はない話だと前置きして話し始めました。


「魔力枯渇から復帰すると、体の防衛反応なのか、同じことが起きないようにしようとするのか、かなり強化される例が報告されてるの……私も、実例は初めて見たけど」

「ああ……骨折した場所が、完治後はより強くなっているとかそういう感じの」

「それじゃ、これを繰り返せば、もっと……あたっ! 痛っ! 痛い!? 皆さんなにするんですかぁ!?」


 魔力量が増えればこの前みたいな思いはせずに済む、より一層皆さんの役に立てると意気込んだ私の頭に、フィリアスさん、ソール兄様、レイジさんと、立て続けにそこそこ強い力で拳骨を落とされました。痛いです。涙目で頭を押さえて周囲を見回すと……


「冗談でも、そんなことは言わないで!」

「どれだけ心配したと思ってるんだ……!」

「今のは全面的にお前が悪い。ちったぁ反省しろ、馬鹿野郎!」


 真剣な三人の怒りを含んだ顔に囲まれており、息を飲みます。立て続けに責める声。周囲を見ると、皆呆れか怒りの表情を浮かべており、自分の言った事がどれだけ悪かったかを物語っています。


「う……ごめん、なさい」

「はぁ……反省したならいいです。そもそもあれだけ枯渇した状況からちゃんと還ってきた例が殆ど無いんですからね。実例が少ない意味をちゃんと考えてね? 無茶は絶対ダメですよ?」

「はい、気を付けます……」


 しょんぼりと肩を落とす私を諭すようなフィリアスさんの言葉に、安易な手段に走る考えがよぎった自分に嫌悪感を覚えます。しかし、間違えた道を進もうとした時に、こうして身を案じて怒ってくれる人がこんなにも居るというのはきっと幸せな事なのでしょう。そう思うと、こんな時なのに頰が緩んで来ます。


「……どうやら、反省がちょっと足りないようだね?」

「あっ!? こ、これは違くて……!」


 そうして、つい笑ってしまったのを兄様に見咎められ、お説教の時間が追加されました……うぅ。







「違うんです……決して皆の言っていた事を軽んじた訳ではないんです……」

「はは……災難だったな。まぁ、それだけ心配かけてたんだから授業料と思っとけ」


 とても長く感じたお小言が終わり、皆が解散してしまった後。三十分くらいも続いたお説教に萎びている私に、隣に腰かけたレイジさんが苦笑します……できれば、止めて欲しかったです。抗議の意味を込めてじとっ睨みつけると、レイジさんはうっとうめき声をあげて視線を逸らします。


「そ、それにしても……出発に間に合って、よかったな」

「……そう、ですね。明日の今頃には、もう……この町から、出ていくんですよね」


 なるべく考えないようにしていたのに、ふとその事を思い出してしまい寂寥感が胸を締め付けます。そんな私の心情を察してか、レイジさんは何も言わずに傍らで私の頭をくしゃりと撫で、それで無性に人肌恋しくなった私はそのまま彼の腕に頭を預けました。


 平穏な時間は瞬く間に過ぎ去って行き、この世界に飛ばされて初めてのお別れは、もうすぐそこまで迫っていました。

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