行動指針
「はい、あーん」
「あ、あーん……」
口の中に放り込まれた柔らかな固体が、とろりと溶けて舌を包み込み、カカオの苦み、ミルクのまろやかさと共に濃厚な甘みが広がり……しかししつこさは無く、嚥下すると最後にふわりとオレンジリキュールの香りが余韻として残る。上質な生チョコレートの味がしました。
「どう、美味しい?」
「美味しい、ですけど……」
先程から、あれやこれや、様々な甘いものを手ずから食べさせられています。いえ、それは良いんですけれど……
「なんでまた抱っこされてるんですか……!」
問題は、何故かまた誰かの膝の上……今度は、ミリィさんの膝の上に抱っこされてることです……!
兄様といい、フィリアスさんといい、皆、私を抱っこするの好き過ぎじゃないでしょうか。周囲を見渡すと、何故皆生暖かい目でこちらを見ていますかね……!?
「にゅふふ、『お願い』一つ聞いてもらう約束だったから、思う存分堪能させてもらうにゃ。はい、あーん」
「……うっ、や、約束でしたからね……むぐっ」
舌に乗せたらすぅっと消えていく、カラメルとミルクの複雑に絡み合った味のこれは生キャラメルでしょうか……一体どこから入手してきたのでしょう。
だらしなく蕩け切った顔で撫で回し猫可愛がりしてくるミリィさん。以前にひとつだけ言うことを聞くという約束が、よもや「自分の服で着飾った状態で半日愛でる」なるものだとは思っていませんでした……!
「……とまぁ、こういう奴だからな。可愛い服を作っては、可愛いと思った子に着させて、その代価に思う存分愛でる。そういう趣味嗜好の奴だよこいつは」
「……優しい人だと思ったのに、実は恐ろしい人でした……っ!?」
兄様、そういう事は先に教えて欲しかったです……!
それに、先程からひっきりなしに口に運ばれるお菓子。私は、餌を待つひな鳥のように口を開けて、彼女に運ばれてくるそれをパクつくしかできません。
……太りそう。あ、今はもう少し太るべきなんでした。ですが、お菓子で……というのはとても体に悪そうなんで葛藤しますけども。
「お、全員揃ってるな。嬢ちゃんは……また随分可愛らしい装いになって。似合ってるぞ」
新たに姿を見せた大柄な男性……ヴァルターさんが、ぐりぐりと、首が揺れる強さで頭を撫でまわされます。背後でレニィさんが「あぁ、御髪のセットが……」と呟いていました。
「さて、歓談中すまないが、仕事の話だ。元々俺達の仕事は、この付近でゴブリン達の襲撃で大きな被害を受けた町へと運ぶ、材木の買い付けを頼まれた商隊の護衛、だったんだが」
この町は伐採した針葉樹を木材へ加工し販売して成り立っていますので、時折こうして大量の材木の需要があると商隊の方が訪れるのだそうです。
材木は、斬り倒した直後から建材に使えるわけではないですからね。暫く風雨にさらして灰汁を抜き、しっかり乾燥させて……伐採から木材として使用できるまで数年かかります。
森林資源の豊富な地の利を生かし町単位で製材しており、常に豊富に在庫を確保してあるこの町の材木というのは流通上重要なのだそうです。
「あ、そろそろ商談も纏まったのね」
「うむ。明日から搬入して……そうだな、一週間後には出立予定だ。そのつもりで準備をしてくれ。ところで……」
その目が、こちらに向き直ります。
「ソールクエス殿下、それとイリスリーア殿下。今後は如何様になさるご予定でしょうか……助けが要るというのであれば、なんなりと」
「え?」
団長らしく指示を出していた彼が、突如首を垂れて敬うような態度へ変化した事に目を白黒させます。
「一緒に来るのであれば便宜は図りましょう。後ろ盾となっていただける方も思い当たるところがあります。そういう約束ですから……しかし、強制するつもりはございません。それを踏まえて、如何様になさるご予定でしょうか、考えておいてください」
「あ、あの、そんなに畏まる必要はないですから、頭を上げてくださいっ」
「そうです、殿下と呼ばれても……正直に申し上げますと、私達はその記憶を持ち合わせておらず、実感に欠けますので……どうか、普通にしていてください、お願いします」
立場のある大人の方に首を垂れられ、上位者として敬われるという経験皆無な私達にとって、今の状況は非常に居た堪れません。
「ん……まぁ、それでいいなら……ゼルティス、フィリアス、お前たちもそれでいいか?」
「はい……少々残念ではありますが、ではひとまず友人として、接しさせていただきます」
「私も、昨日そう頼まれてるからそれでいいですよ。改めてよろしくね、イリスちゃん、それとお兄さん?」
「……助かります。どうにも、私たちは別の場所で暮らして居た記憶があるため、殿下と呼ばれてもいまひとつピンときていないもので」
兄様の言う通り…確かに、ロールプレイとして王子様お姫様を演じた事はありますが、自意識としては一般庶民なため、実際に王族扱いされるというのはかなり精神的にきついものがあります。
なので、こうして対等な扱いへと近づいた事に、私達二人は胸を撫で下ろしました。
フィリアスさんが団を代表して商人たちとの打ち合わせに向かい、ゼルティスさんが団員へ今後の予定の説明にと名残惜しそうに出ていき、私達とヴァルターさんだけになったそんな頃。
「さて、話が反れましたが……私は、ついていくべきだと思ってる」
「ソール兄様?」
「そうだな、いつまでもこの町に留まっていると、お前の情報が何処から広まるか分からないし……それで、もし良からぬ考えの奴が引き寄せられでもしたら、かえって迷惑になるだろう……な」
「レイジさんも……そう、ですよね……」
今回、傭兵団の方々が味方に付いてくれたのは、あくまで団長であるヴァルターさんが友好的、協力的な方だったからという部分が大きく、この身の事を知れば良からぬ考えを抱く者が現れる可能性も……いえ、その可能性の方がずっと高いのでしょう。
最悪、この町が戦場と化してしまう、お世話になったミランダおばさん達を巻き込んでしまう可能性があると思うと、背筋が凍ります。それに……
「勿論それもある。しかし、それ以上に、私達は自分たちの周りで何が起きているかを知らなさすぎる」
兄様が、苦虫を噛んだような顔で告げます。そう……急遽異世界に飛ばされた私達は、それがなぜ起きたのか。誰の、あるいは何の思惑なのかを全く知りません。
それに、ここに留まっていては、周囲でどのような事が起こっているかを知る手段も限られてしまいます。
「まず、私達が欲しいのは情報だ。どうしてこうなったか……何故こちらに来ることになったのかという原因。そして、それを知っていそうな人となると……ひとり、心当たりがある」
「……緋上さん、ですね?」
「……なぁ、誰だ?」
そうでした。所在が秘匿されている関係で、レイジさんは私達の中で一人、面識がありませんでした。
「レイジさんは会ったことが無いんでしたね。『アークスVRテクノロジー』で、私たちの上司だった方です……そして、同時にトッププレイヤーの一人にも名前を連ねていました」
「おい、何やってんだそいつ完全に開発側の人間だろ……」
「あはは……まぁ、私達も半分似たようなものでしたし……完全に仕事と切り分けてプレイされてまして、社の方でそれを把握したのは、本当に最近ですので……」
苦笑交じりに答えます……本当、何時プレイしていたのやら。
「僕たちの推測通り、こちらへ来たのが三次転生職になった者たちだというのであれば、あの人がこちらに来ている可能性は高い。そして、開発の中枢に居るあの人が、あの時、何が起きたのかを僕達より知っている可能性は高い」
「そうですね……ですが、連絡手段がない以上どう接触を取ればいいか……」
ゲームの時にあった遠隔チャットもフレンドリストもこちらには存在しません。ただでさえ、ゲームの時と比べ物にならないくらいに広がったこの世界では、偶然出会える可能性は限りなく低いです。何か手段を講じないと。
「……まぁ、コメルスか……ノールグラシエ首都まで行って待っていれば、いつかは出会える可能性は高いと思うけど……それより、私たちはここに居る、と向こうの耳に入れるのであれば、イリスの存在を風の噂でちらつかせればいい」
つまり、私の名前が広がればそれだけ彼が聞きつけてこちらへ来る可能性は上がると。
……しかし、そのためには積極的に目立つ必要があり、よからぬ輩に聞きつけられる可能性も高くなります。当然そのことを兄様が失念しているとも思えませんが、レイジさんは眉間にシワを寄せ、難しい顔をしています。
「とはいえ、二人も懸念している通り、私達だけだとあまりにも危険すぎる、だから……」
「なるほど、ヴァルターさん達に協力して、同時に後ろ盾になってもらうのか。ちょっと体よく利用するみたいで申し訳ないが……」
「いや、お前達の戦闘力は俺たちにとっても魅力だ。協力関係というのであれば吝かではないさ……もちろん、客分のお前たちに無理もさせないようなるべく配慮するつもりだが」
「そう言っていただけると助かります……とはいえ、その、失礼ながら。一傭兵団では若干心もとないですけれども」
申し訳なさそうに言いつつも、ヴァルターさんを見つめるソール兄様の目は、何かを見定めるかのように鋭い物へと変わっていきます。が、ヴァルターさんはそれをどこ吹く風と受け流し、面白がっている様子で向かい合っています。
「気にすることはねぇさ。事実その通りだ、田舎の一傭兵団でしかない俺達だけでできることなんざたかが知れてるだろうよ」
「……ですが、復興支援とはいえ、これだけの規模の団を率いて自分たちより少数の商隊の護衛だけが目的とは考えにくい」
「ほう?」
興味深そうに耳を傾けていたヴァルターさんに、兄様が向き直ります。
「商隊としては、雇う人数が増えれば、それだけ経費もかさみます。それを自費で負担するというのを由とするとは思えません。それなら実力を拝見した感じ、多分ゼルティスさん、フィリアスさんの二人でもいればあの規模の護衛としては十分で、なにより……装備が、とてもただの護衛とは思えませんでした」
確かに、完全武装の傭兵30人弱、しかも使用していた武器の中には、爆薬と思しきものを使用した矢なども存在しました……護衛としては、明らかに過剰戦力に過ぎます。となると……
「……つまり元々、護衛は後から受けた、用事のついで、オマケのようなものではないでしょうか? 元々、大規模な戦闘前提……各地で町を荒らしているゴブリン達の掃討という仕事に来ていた……でしょうか?」
「そうだ。それだけの依頼となると商人が慈善事業でやっているとも考えにくい……おそらく、私たちの居るここ……から最も近い……」
ソール兄様の指が、広げた地図の、今居る現在地より少し東、国境を超え、先程の話にあったゴブリンによる被害に遭ったという町を通過し、ノールグラシエに入った先すぐの場所を指します……私達二人にとって、若干因縁がある場所でした。
「ローランド辺境伯領。あなた達の依頼者は、辺境伯、あるいはその配下の誰かですね?」
その言葉を聞き、ヴァルターさんが、我が意を得たりと言わんばかりに頰を緩め相好を崩します。
「……ん、まぁ、別に隠している訳でもないしな。おおむね正解だ。直接の依頼者は、お前さんの言ったとおりだよ。ローランド辺境伯が俺達の今のパトロンだ」
「良かった、合ってましたか……正直、権力の後ろ盾というのは気が引けますが、私達がノールグラシエの末席に連なっている、というならば最終的には私達の立ち位置を明確にしなければいけないでしょう。しかし、今はまだ判断するための情報を仕入れる時間が必要です。勝手を言っているのは重々承知ですが……」
そうして一呼吸置き、ヴァルターさんと真剣な表情で向き直ります。
「そこで……貴方を信頼して聞きますが、彼は、そんな私達の後ろ盾になってくれそうな方でしょうか?」
その言葉に、一瞬、本当に一瞬だけヴァルターさんの表情が憐れむように陰ります。
「……そうか。本当に覚えてないんだな。まあ、俺が保証する。あの人は本当に清廉な、信頼できる方だ。特に、あなた方二人に関してならば、欲に駆られて手篭めにしようだとか、自分の立場のために利用しようだとか、そういう心配は恐らく無いだろう……何せ」
ふぅ、と一息ついて、ヴァルターさんが続けます。
「……ソールクエス殿下。貴方がまだ存在を知られていなかった、ただの一庶民だった頃に、攫われた妹君……イリスリーア様を救出してほしいと助けを求めた際に立ち上がったのは……たまたま査察に訪れていた、前辺境伯の弟君の、当時まだ騎士団副総長であったあの方だからな」
その言葉に、揃って息を飲む私達。ローランド辺境伯領は、私と兄様が半公式の扱いを受けるきっかけとなった公式イベント、その舞台になった場所でした。
そして、今の話も聞き覚えがあります。何せ、そのイベントの導入が、おおむね同じ内容でしたから。
――辺境に隠れ住んでいた兄妹、その妹の方が、たまたま領主の目に留まり連れ去られた。その少女の兄の必死の願いと、親の所業に義憤に駆られ裏で暗躍していた領主の息子に協力し、たまたま付近に訪れていた領主の弟である騎士を説得しその助けを借りて救助するのを協力する。
……要約すると、そんな趣旨のレイドイベントでした。
ゲームのイベントと同じ出来事が、実際に私達を当事者としてこちらの世界でも起きていた。その事実にうすら寒い何かを感じると同時に、この瞬間、何か見えない運命の輪が転がり始めた……そんな気がしました。
【後書き】
主人公はこの話の間ずっとミリィお姉さんの膝の上です。
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