Clarte Iris (後書きに自作イラストのリンクあります

 ――知らない景色を眺めていた。


 簡素な木造建築で、甲斐甲斐しく世話を焼いている兄? と二人で穏やかな時を過ごしていた。そういえば、こうしているのはいつからだろう。生まれた時から暮らしているはずの家が、なぜかいつも空虚な景色に見えていた。





 ――知らない部屋を眺めていた。


 突然強引に連れてこられたのは、私の居た村とは違う、大きな街だった。

 その中でも特に大きなお屋敷の一室。物は少ないが、調度品の類は上質なもので、きっと高価なのだろう。

 見知らぬ一つ二つ上くらいと思われる女の子が、申し訳なさそうに、涙ぐみながら私の身の回りの世話をしていた。別に気に病まなくてもいいのに。





 ――知らない空を眺めていた。


 蒼く冴えわたる空に、浮かんでいるのは二つの月。何故か、ここは私のいる場所ではないだろうという漠然とした、しかし確信を抱え、ぼんやり眺めていた。

 ふと、何か物音がして、窓の外を眺めると、そこには青い髪の見知らぬ男の子が、驚きの表情を浮かべこちらを眺めていた。




 ――知らない天井を眺めていた。


 背には柔らかい寝台の感触。頻繁に顔を出していた、立派な服を着た男性が私に覆いかぶさっており、ああ、私は押し倒されているのかと他人事のように思う。


 でも、別に良いかな、と思った。好きにすればいい。この世界は私の世界ではないと、何故か心の片隅でずっと確信していたから。だから、されるがまま、ただぼーっと天井を眺めていた。


 最後の一枚の布が体から剥ぎ取られそうになる直前、いつだったか見た少年が、私を押し倒している男性を殴り飛ばしたのを何の感慨も無く眺める。暫く見ていなかった兄が、武器を携えた人たちと共に現れ、私の姿を見つけるなり、駆け寄って抱きしめられる。




 様々な場所を目まぐるしく転々とたらいまわしにされた後、何故か豪奢な部屋で、一目で高貴な身分とわかる上等な衣装の、悲し気な眼差しで私を見つめる男性と対面しており、気が付いたら彼の庇護下で何不自由ない生活を送っていた。





 ……違う。


 …………これは、私の……私の?


 それも違う気がする。そうだ、僕だ。この時はまだ『僕』だった。


 『僕』の世界ではない。ここではないどこかに、大切な人が居る、大切な日常がある。そんな気がする。そうだ。帰らないと。


『そうだ、まだ時期尚早だ。一度帰ってきたまえ』


 不意に、聞こえた声に、何もない中空に手を伸ばすと……誰かに、手を掴まれた。ああ、長かった。これでようやく帰れる……安堵と共に、その手に体を預け、バルコニーから宙へ身を投げ出した。


 そうして、『私』は一度、この世界から忽然と姿を消した。













 ――ちちち、と鳥の囀る声が聞こえる。


 シャッ、とカーテンがレールを滑り開く音と共に顔に当たる陽の光はとても眩しく、しっかりとした温かさを蓄えており、すでに日が大分高いことを私に伝えていた。


「……ふぁ」


 のそのそと体を起こすと、さらさらと体を伝い流れる細い髪。ふわりと香る花のような良い香りは昨夜入浴後に刷り込まれた香油だろうか。ぼーっと、ふわふわとした思考で周囲を見回します。すっかり見慣れた宿泊施設の自室。何かが流れる感触を感じ、そっと頬に触れると、指に透明な液体が付着していました


「……あれ……涙……?」


 そういえば、何か夢を見ていたような……しかし、目覚めた直後からそれはあっさりと輪郭を失い、濃度を失い、手に掴む前に逃げるように霧散し何も残りませんでした。


「おはようございます、イリスリーア様」

「わひゃう!?」


 突然の背後からの声に、びくりと体を震わせて掛布をかき集めて胸に抱きます。


 ……ああ、そうでした、レニィさんでした。今日から身の回りの世話という事でこちらに移っていたんでした。そんな彼女は何処から用意したのか侍従の服……メイド服ですね、由緒正しいロングのやつ。に身を包み、てきぱきと身の回りの雑事を片付けていました……状況を把握し余裕が戻ってくると、寝覚めの霞がかった思考が帰ってきます。


「御髪を整えさせていただきますので、こちらに」

「……あ、はい……」


 まだぽやぽやと眠気に揺れる頭をふらつかせ、言われるままに席に座ると、睡眠中に大分ぼさぼさになったその長い髪が、すぅっと優しく梳かれます。


「すごいですね、殆ど引っ掛かりません」

「……そう、ですか……? ふぁ……」


 髪を梳かれる感触が心地よく、再び睡魔が鎌首をもたげてきて、思わず欠伸が口から漏れます。


「大分快眠されていたようですが、お疲れでしたか?」

「あー……いいえ……久々にお風呂でさっぱりして……香油のいい香りに包まれてたら……って、あぁ!?」


 ようやく頭が再起動を始め、気が付きました。ずっと、この部屋に居たってことは……!


「み、見ました……!?」


 寝顔というどうやっても整えようのない顔を見られた、その羞恥心に顔に血が集まってきます。どうしよう、恥ずかしい顔だったら。涎とか垂れてでもしたら。不安になって、口元を拭います。


「……あぁ、なるほど。ご安心ください」


 にこりと微笑んで、彼女が告げます


「とても、愛らしい寝顔でしたわ」

「はうぅ!?」


 恥ずかしい顔でなかったのは幸いですが、そうストレートに告げられるのも恥ずかしいですよ……っ!






「……はい、綺麗に整いました、お疲れ様でした」


 髪を梳き終わり、ついでにと痛んだ毛先を整え終わり、どこか満足げに道具をしまい始める彼女をぼーっと眺めていた頃、バタンとドアが開き見慣れた人影が飛び込んでまいりました。


「あぁ、よかった、目が覚めたんだね……!」


 突然部屋に飛び込んできた……ソール兄様に、抱きすくめられます……なんだかこういうのも久々な気がします。


「良かった、いつまでも起きてこないから心配で……大分体調もよさそうかな……どこか調子悪かったり、痛かったりとかは……」

「……こほん。ソール様。たとえ兄君でも、節度は守っていただきませんと。寝間着姿の未婚の女性をべたべたと触るとは何事ですか」

「あ、あの、レニィさん? いつもの事ですし、私は別に気にしては……」

「なるほど、いつもの事ですか」

「「……ひっ!?」」


 ぎらりと、控えめだったはずのレニィさんの目がカエルを睨む蛇のそれに変わった気がします。もちろんカエルは私と兄様ですか。


「いい機会です。イリス様には淑女としての、ソール様には紳士としての、節度という物を……!」

「あー……ようやく苦言を呈してくれる奴が現れたのはありがたいんだが、悪い、それはまた今度にしてくんねぇかな……うぐっ」


 助け船は、続いてドアを潜ってきたレイジさんの方から降ってきました……なんでしょう、顔色が真っ青ですが大丈夫でしょうか。


「……昨日、飲み比べに参加させられてね」

「あぁ……二日酔いですか」


 こそこそと話す兄様の声に、納得です。すこし反省するべきでしょう、治癒は無しで良いですか。


「ミリアムの奴が呼んでたぞ……お前の服について相談だそうだ……前の服はもう着れないからな」


 ……そうでした。この前の戦闘で着ていたプリエステスドレスは、私の応急治療の際にもう着ることのできない状態になったらしく、戦闘用の衣服は無くなっていたのでした。


「……そういうことであれば、またの機会にしましょうか。では、お手を。ソール様とレイジ様は、下の談話室でお待ちください」


 しぶしぶと引き下がるレニィさんに、私と兄様はそろって胸を撫でおろします。その言葉に、逃げるように立ち去る兄様と、今にも倒れそうにふらふらと去っていくレイジさん……大丈夫でしょうか。不安しかないその背中を見送り、私たちは、ここ数日開かずの間と化していたミリィさんの部屋へ向かうのでした。







 扉を開けて飛び込んできた光景を、一言で言うのであれば……乱雑、それに尽きるでしょうか。型紙らしきもの、生地の切れ端、その他多種多様な裁縫道具たち。ここ数日引きこもっていた間の苦闘を示すように、部屋中に散乱されたそういった物たち。

 そんな中に、綺麗に片付けられた一角に、トルソー……たしか、使用すると対象の体形をそっくりコピーして立体化する魔法の奴です……に、一組の服が着せられていました。


「あの……ミリィさん、これは」


 疑問を口にしますが、そのサイズを見れば私用であることは一目瞭然で、思わず釘付けになりまじまじと眺めます。


「にゅふふ、驚いた? センパイや綾芽ちゃんに頼まれて作ってたものだけど、どう、可愛い?」

「……はい、とても」


 表面をそっと触れながら、その素晴らしい手触りにドキドキしながら答えます。全体的なシルエットは、今まで着ていたプリエステスドレスに類似しているでしょうか。しかし、カラーリングが暖色系だったそれとは異なり、白~青系統に纏められており、神聖さ清廉さがより強調されている気がします。


「ささ、着てみて着てみて」

「僭越ながら、お手伝いさせていただきます」

「は、はい」


 恐る恐る、その新しい服を身に着けるため、寝間着のワンピースとぱさりと床へと落としました。




 まず、下着類ですが……これはまぁ、特筆すべきことはありませんので割愛です。

 最初に、フリルをふんだんに使用したパニエ。以前の服同様、これもその構造により下着が衆目に晒されるのを防ぐ効果もあるようです。続いて、一番下に着るようになっているワンピース。幾重にも重なったフリルパニエでふわりとスカートが膨らみ、背部は加えてレースの生地がお尻を隠すように覆い、若干前より長くなっています。が。


「あ、あの、これ短すぎませんか……?」

「まぁまぁ、全部身に着けたらあまり気にならないようにしてあるにゃ」


 スカートは、かなり膝上丈です。とはいえ以前の服もこれくらいでしたが……何より、肩から背中にかけては大きく開いています。これだけ身に着けると、どこかの避暑中のお嬢様っぽくもありながら、かなり扇情的な風情を感じ思わずスカートの裾を抑えモジモジします


「ほらほら、恥ずかしがってないで次にゃ、次」

「このコルセットスカートですね。後ろを向いてください」


 コルセット、という言葉にギクリとします。良く聞くそれは悪名高い……ギリギリと締め付けるあれを想像し、蒼白になりますが。


「ああ、心配しなくていいにゃ、成長期の体には良くなさそうだから、そんな締め付けるデザインにはしてないし、アジャスター的な物と思ってほしいにゃ……第一、あまり必要とも思えないにゃ」

「そうですね、イリス様はとても細身ですから」

「あ、でも腰からお尻へのラインはちょっと成長途中ながらえっちぃにゃ」

「確かに……形はとても綺麗ですし、しっかり腰に括れも出来始めてますので、ウェストとヒップの差が……」

「あ、あの、そういうのはいいですから!?」


 何故か私のお尻の形の話に発展しそうな雰囲気に、顔を真っ赤にして慌てて抗議します。……あの、残念そうな溜息が聞こえたんですけど、二つ。じとーっとレニィさんの方を眺めても、澄ました顔でスルーされました。


 そうこうしているうちに、ワンピースの上からスカートが履かせられ終わりました。パニエによりふわっと広がる前垂れと、サイドから後方を覆うスカートは、ひざ下、脛のあたりまであり、時折スリットからフリルが覗く程度ですっかり下半身の露出は抑えられました。

 スカート丈が長くなったことで動きにくいかと思いましたが、不思議と羽根のように軽く、動きを阻害せず、心地良い肌触りの生地が脚を撫でます。……試しに軽くターンして見ると、ふわりと広がったスカートが綺麗な円を描いて回ります。


 ……ていうか、これ。スカートを履いた途端、脚が楽になったような


「ふふーん、脚力増加の魔術を付与してみたにゃ」

「レアエンチャントじゃないですかっ!?」


 ゲーム時代は行軍速度が上がる利点が大きく、高レベルのボス素材の必要なエンチャントとして物凄い高額で取引されてたやつです!?


「まぁまぁ、イリスちゃんには助かるでしょう?」

「それは……そうですけど」


 確かに、これであれば補助魔法が無くてもある程度代用として行動でき、旅をするうえでこの効果はとてもありがたいです。脱いだ時の落差が怖くなりますけど……。


「エンチャントは限界まで詰め込んだから、楽しみにしてくれてもいいにゃ。まぁまぁ、それより続きにゃ」

「はい、こちらの上着ですね……お手を失礼します……はい、降ろしていいですよ」


 そうして袖を通されたのち、前に回ってきたレニィさんに、襟のボタンを留めて貰います……これくらいならば自分でできるんですが、頑として譲ってくれません。


 神官服を思わせる清潔な白い襟。胸の下までを覆うショートボレロ風の上着。袖は以前の服同様にラッパのように膨らみ、そのスリットから内部の幾重にも重なるフリルが覗きます。やはりこちらも、前の服同様、指先だけちょこんと覗くような丈に調節されていました。


 全てを身に纏うと、やはり今までの服を踏襲しつつ、上位互換版、といった風情で、その出来栄えにため息が出ます。先程ワンピースだけだった時の煽情さは鳴りを潜め、清潔感のある青い装束が、清廉さ、可憐さを醸し出しています……元の服をデザインした身としては敗北感を感じつつも、喜色を隠せず姿見の前でスカートや袖を摘まんだり、時折くるりとターンしながら、様々な角度から眺めます。


「名付けて『クラルテアイリス』、気に入ってくれたかにゃ……って、聞くまでもないみたいにゃ」

「はい、あのようにはしゃいでらして……」


 何やら生暖かい視線と声を感じつつ、私はしばらく新しい衣装に心躍らせるのでした。






「あ、あの、ちょっと心の準備が……」

「いいからいいから、自信もつにゃ。ほら入った入った」


 一通り堪能し落ち着いた後、急に込み上げる恥ずかしさに俯く私を、ミリィさんとレニィさん、二人掛かりであっというまに談話室……レイジさんとソール兄様の待つそこへ連行されました。新しい衣服を纏った姿を見られるのが気恥ずかしく、俯いたまま押されるまま部屋に押し込まれた私を待っていたのは……


「……う、うぅ……?」


 しんと静まり返った部屋。に、似合ってなかったのでしょうか。沈黙に耐え兼ね、目をぎゅっと瞑った私に。


「イリスちゃん……かわいいっ!」

「きゃん!?」


 物凄い勢いで飛びついてきた女性……フィリアスさんに、あっという間に抱き着かれ頬擦りされていました。


「姫……っと、これは秘密でしたね。イリス嬢、その佇まい、この私の目にしかと焼き付きました。惜しむらくは私の語彙力ではこの胸の内を語り切れぬこと故……ただ一言で申し上げます。可憐です、我が姫」

「結局言ってんじゃない、馬鹿兄貴」

「……ぅ、ぁ……ありがとう、ございます……?」


 あまりに慣れぬ過剰な言い回しのゼルティスさんの賛辞に、顔が熱くなり、さらに深く俯いて礼を述べます……顔、上げれません。


「あ、てめぇ……! くっ、出遅れたが、まぁ、なんだ……似合ってる、ぞ?」


 そんな耳に届いたぶっきらぼうな感想に、ぱっと顔を上げると、照れた様子で目を背けているソファに横になっているレイジさんが居ます……おかしいですね、頬が緩むのを抑えられません……?


「あぁ、良く似合ってる……それで、ミリアム、性能面はどのように?」

「よく聞いてくれましたにゃ、えぇと……不自由な脚のサポートの脚力増加の他は、『魔力消費軽減』と、『リアクティブシールド』が一枚……これは、装備制限を抑えた関係で、一枚が限界だったから、過信はしないで欲しいにゃ。あ、あと……」

「……い、いや、十分だ」


 並べられた内容に顔が引き攣る兄様。私も驚きます。リアクティブシールド……一定以上の威力の攻撃を受けた際に、設定された枚数だけ障壁を展開するエンチャントで、特に普段攻撃に晒されない後衛職に人気があったはずです……もちろん、とても高価でした。装備制限を抑える加工をするのも非常にお金と手間がかかるため、果たしてこの一着に一体いくらの高額素材が……


「それと、アラクネクイーンの糸をメインに使ったから、若干の再生能力もあるはずだし、耐久性もセンパイの軽鎧並みかそれ以上にはあるはずよ?」

「ちょ、マジか!? ……痛ぁ!」


 驚きに急に跳ね起きたレイジさんが、頭痛に沈みます。背後では、私たちの会話に首を捻っていたフィリアスさんとゼルティスさんが、その挙がった名前に息をのむ気配を感じます。前衛の防具並みって、これ……


「あ、あの、いくらお支払いすれば……!」

「んにゃ? いいのいいの、気にしないにゃ」

「で、でも……とても支払いきれそうな額の物とは」


 尚食い下がろうとする私の肩に、ミリィさんの手が置かれます。その表情はとても真剣でした。


「じゃ、こう言いましょうか……これは、私たちの命を預けた代価よ。だから……絶対、自分を疎かにしないで。自己犠牲なんてもっての外。貴女は替えが利かないの」

「……っ! ……は、い」


 ……その言葉を、重く受け止めます。この衣装は、私が皆の命を預かっているという象徴であると。決して、先に倒れてはならないという覚悟を持てと言われた証だと。そう言い聞かせるのでした。



【後書き】

以前なろう投稿時にも掲載していた、主人公イリスのイメージイラスト二枚

https://17218.mitemin.net/i262784/

https://17218.mitemin.net/i339200/

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