命の優先順位
――意識が浮上する。
……私は……何をしていたんでしょう。思考に霞がかっており、咄嗟に思い出せません。視界は何かに塞がれ、狭い場所に居るのか体が殆ど動かせません。そんな私の眼前で、ぱきぱきと罅割れた『プロテクション』が、淡い光を残して消滅します。
「……っ!」
途端に、体に圧し掛かってくる重量。生暖かい体温と、硬く引き締まった筋肉の感触。これは、今、男性に圧し掛かられて……
「やっ……っ!?」
一瞬で恐慌状態一歩手前まで恐怖心が募り、咄嗟にその上に居る人物を押しのけようとして。
ずるり。
何か、湿った感触を残して何かが剥ける様に滑り、手が虚空を掻きます。
これ、は……直前の状況がようやくまともに再起動し始めた脳裏に再生され始めます。
――閃光。
――轟音。
襲い来る衝撃波に、人二人分程度の体重など紙のように吹き飛ばされ、追ってきた炎に包まれて……
そうだ、私は、あの時……
「……よう……目ぇ……覚めた、みたいだな……」
頭上からの声。これは、つい今日から聞くようになった……そう、ヴァイスさんの。そこまで思い至ったところで、圧し掛かっていた重量が転がるように上から消え、夕焼けの西日が目を刺します。
「……はっ……やっぱ、ガキ、だな……硬ぇし、痩せてて抱き心地良くねぇし……がはっ」
「ヴァイスさん!!……ひっ!?」
ようやく状況を把握し飛び起きた私の目に飛び込んできたのは、全身酷い火傷を負い、服が破れむき出しになった素肌のところどころが赤黒く焼け焦げ、至る所から血を滲ませている……つい数瞬前とは似つかぬ姿の、ヴァイスさんでした。
私は、特にどこにも異常は感じません……これが、あの状況で一枚だけのプロテクションのおかげとは思えない。現に、一緒に巻き込まれたヴァイスさんはこのように無残な状況で。二枚の……二人分のプロテクションと、一人の人間の壁、それが、私をあの状況下で無傷足らしめた理由……!?
「い、いま治療を……痛っ!」
慌てて手を伸ばすその手が、ぱしんと叩き落される。
「要ら、ねぇ……そんな事より……お前にゃ、やることがあんだろ……が、よ」
「そんな、このままだとすぐに……」
「うる、せぇ! 俺の仕事はてめぇを守る事……っ! テメェの仕事は……あっちだろ、がっ!」
その剣幕で思わず目を向けた、血を吐くような声で指さしたそこでは、未だに戦闘が継続中でした。ゴブリンジェネラルは、苛立たしそうにまとわりつくソール兄様とレイジさんを引き剥がそうとしていました。それは、向こうも余裕がないということ。おそらく今のが起死回生の一手だったのでしょう……私を攫い、自分が逃げるための。しかし、その目論見も崩れて、ここを立て直せさえすればきっと皆が終わらせてくれる。
だけど……あぁ、だけど
最前線でどうにか食い下がるソール兄様は、片手一本で盾を操り……もう片手は、剣も握れずだらりと下がり、おかしな方向を向いてしまっています。そんなソール兄様をカバーしようと動き回るレイジさんが、突如胸を押さえ喀血しました。他の傭兵団の皆も似たような状況で……満身創痍、それが私たちの現状。
「……勘、違い……するんじゃ、ねぇ……俺は……足を引っ張りたくてお前を助けたわけじゃねぇぞ……っ!」
「……っ」
ぎりっと、唇をかみしめて、立ち上がります。そうだ、私にはやらなければいけないことがある。ここの全員の命を預かる者として、選択しなければいけない義務が。
――どちらが優先か。
決まっている。はっきり言って、ヴァイスさん一人の順位はそれほど高くない。この場で戦線を支える、まだ向こうで戦っている人たちの方が優先に決まっている。なぜならば、向こうが瓦解してしまえば残った私たちはどうにもできず、それまでなのだから。分かり切っている、ことです。ずっと、ずっと、ゲームの時からやってきたこと。だけど今度は、本当の……
「――
分かる。分かってしまう。これで私の魔力は完全に打ち止めになります。余力はもうありません。二次職『ビショップ』時の最上位広範囲回復魔法。弱体したこの身では負担は大きく、しかし、今の状況を一度に打開するには使うしかありません。幾度も使用した魔法の効果範囲が私の脳内に幻視されます。詠唱完了まで数秒しかない中で、どうにか全員収めることができないか必死に探します。
……しかし、どうしても距離が離れすぎています。願いも空しく、私の口は無常に術を完成させようとしています
ごめんなさい
ごめんなさい、ごめんなさい!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!
「……
荒れ果てた大地に、光の軌跡が幾条にも走ります。それは立体的な魔法陣を形成し、半球状に広がり、傷ついた者たちを温かく、柔らかく包み込んでいきます。焼け野原となった大地には緑が芽吹き始め、あらゆる怪我、不調をみるみる溶かしていきます。
……私と、ヴァイスさんの二人を除いて。
私の全身の魔力は、無情にも、全てこの魔法に吸い上げられて、みるみる枯渇していきました。
全身の力が急速に抜け、がくりと膝が落ちます。が、杖を支えにしてギリギリで堪えました。まだ、倒れるわけにはいきません。もはや殆ど五感も失われ、ひゅう、ひゅうと掠れるように弱々しく空気を吸い込む音だけが嫌に響きます。とうに限界は超えていることは明らかで、手足の感覚も既にありません。それでも、見届けなければいけない。皆を救うため、私は一人を切り捨てたのだから。
――でも、仕方ありませんよね……? 私は、これほど消耗するまで、限界まで頑張ったんですから……。
霞む視界に、戦闘の様子が移ります。いつの間にか種族特徴解放したレイジさんとソール兄様が、先程の劣勢が嘘のように激しく切り結んでいます。その背後からは、元の機敏さを取り戻した傭兵団の方たちが、フィリアスさんの指示の下周囲の掃討と二人への援護を。
頑張った。
頑張ったんです。必死に。
頑張ったのだから……諦める?
今……この目の前で消えていく命を……諦める?
……嫌、です。
……諦めたくない。
……諦めたく、ない……っ!
まだ、まだ残っているはず! 必死に、四肢から、搾りかすのような魔力をかき集める。足りない……足りない! でも、やらないと! 諦めない、絶対に諦めたくない! 諦めてたまるものか!!
手の中に、淡く儚い光が灯る。足りない、これではまだ、まともに効果を発揮できるとは思えない。それでも……それでも! お願い、どうか、どうか……っ! もう少し、力を貸して、この体!!
「……おね、がいっ……だからぁ!! もうちょっとだけ、頑張らせてよぉお!!」
みっともなく、駄々をこねるように泣き喚き絞り出した魔力が、かすかに『ヒール』を発動する兆しを見せるもう少し。あと少し!!
「ぅぅぅぁぁぁあああああああああ!!」
喉が張り裂けても構わない、そんな叫びと共に強引に発動した『ヒール』の光が、ヴァイスさんを頼りなく包み込むのを目の端にとらえるのを最後に、私の意識は深く、深く闇の中へと沈んで――……
「……目、覚めたか……よかった」
深々と、安堵のため息が横から聞こえてきます。これは……レイジさん?
見慣れてきた、借りてきた自室の天井を背景に、ソール兄様の、心配げな顔が朧げながら見えました。ミリィさんの、怒ったような、泣いているような表情。全身に触れる感触は、真剣な顔をしているフィリアスさんでしょうか。
「今、手に触れてるけど、分かる? ……今度は足首。これ、何本に見える……視界は、まだ不完全みたいね」
そんなフィリアスさんの手が、体の各部を軽く握ったりしながら質問してきます。一つ一つ答えていきます。感覚はちゃんとありますが、視界だけはぼやけてどうにも見えません。そして、全身に絡みつく激しい倦怠感。指一本動かせる気がしません。
「魔力枯渇だ。体が自衛の状態に入っている以上、体外に魔力を消費する行為は体が受け付けないだろう。通常の体調に復帰するまで数日は魔法は使えないぞ」
離れた場所から……これは、ヴァルターさんでしょうか。
「戦闘は、もう昨日終わっている。嬢ちゃんは丸一日眠っていたんだ」
「……あの、人……はっ!?」
そうだ、こうしてはいられない、怪我を治療しなければ。動かない体をどうにか動かそうとして、フィリアスさんに押し留められます。
「安心しなさい、ヴァイス君なら無事よ。ちょっと傷跡は残るかもしれないけど、命に別状は無いわ。他にも、全員無事。貴女以外はね」
その言葉に、ふぅっと力が抜けます。良かった……本当に、良かった。
「全く……本当は、完全に魔力を全て使い切るなんて言うのは危険すぎてできないのよ、死んじゃってもおかしくないのに……お腹いっぱいポーションが詰まってたのが幸いだったかしら。でも、次は絶対やらないで」
強く念押ししてくるフィリアスさんの声。あまりに真剣な声に、首を傾げます。
「そん、な、大げさ……」
「大げさなものか!!」
「そうよ、こんな……こんな無茶をしてっ!!」
ドン、と頭の横に手が荒々しく置かれます。びくっと……というほど反応できませんでしたが、体を震わせる視線の先で、レイジさんが泣きそうな顔でこちらを見ており、ミリィさんも子供を激しく叱る母親のような怒り顔で睨みつけてきていました。
「落ち着け、二人とも。怯えさせてどうする」
「……悪い」
「……ごめんなさい」
二人をたしなめたソール兄様の目がこちらを向きます……その目に浮かぶ色に、ぐっと言葉が詰まります。
「とはいえ、私も今回の事に関しては怒っている。大げさだなんて言わせない」
深い溜息と共に、ソール兄様が疲れた声で続けます。
「……何度か、心臓が止まったんだよ、実際に」
その言葉に、ひぅ、と息が詰まります。本当に、目覚めないところだったと。そこまで危ない事だったとは、思っていませんでした。今更ながら、血の気が引く思いがします。
「……ごめ……なさい」
「いや、謝るのはむしろこちらの方だ。これほどの無理をさせて済まなかった」
「とりあえず、休みなさい。今、酷い顔してるわよ、貴女」
「……はい」
ヴァルターさんとフィリアスさんのその言葉にそう返事をして、皆が見守る中で目を閉じると、休息を渇望している体はすぐに睡魔に負け、意識は闇へと沈んでいきました。
そこから、ようやく身を起せるようになるまでに二日を要しました。ようやく近場での外出が認められ、強化魔法が使えないため不安定な足元を杖で支え、最初に向かったのは……目的の人物は、町の水場である井戸の傍らに居ました。
「……あの」
「ああ、起きたのか、良かったな」
ぶっきらぼうに、皮を剥いている野菜の方から顔を上げずに答える彼……ヴァイスさん。
「野菜の皮むきは、今回の働きで免除になったって聞いたんですけれど」
「強制的に休暇取らされて、どうせ暇だから志願したんだよ……座れよ、杖ついてるやつに立たれてると居心地が悪い」
乱暴に告げる彼の言葉に従って、そのあたり、手ごろな高さの石段に苦労して腰かけます。
「……魔力枯渇か。不便だな、それ」
「……慣れてます、ので」
また、しばらく無言
「……傷跡、残ってしまったんですね」
彼の顔には、左半分に所々、ケロイド状となった火傷跡が残されていました。致命的な怪我こそ私のあの時のヒールであらかた治せたらしいのですが、それも完全ではなく、大量のポーションで治療したとのことで、おそらく、服の下も……
「気にしてない。弓を引く分には何も問題ないそうだ、ならそれでいい……むしろ、命が助かっただけ僥倖だ、感謝しておく。」
その言葉に、ふるふると横に首を振ります。感謝なんてされる資格はありません、何故ならあの時私は……
「……ごめん、なさい……っ!」
泣かない、と決めたはずだったのに。ぽろぽろと、涙が溢れます。
「私は……あのときっ あなたの命を……っ」
命を、数値で勘定してしまった。そして、彼の命を最下段に据えてしまった。身を挺して、ここまでの怪我を負ってまで助けてくれた彼を。あまりの罪悪感に、直視することもできず、止まることのない涙がぼたぼたと地に落ちていきます。
「あー……ったく、これだからガキは面倒なんだよ」
ひっく、ひっくとしゃくりあげる私の目の前が、ふっと陰ります。
「ひぐっ……え……?」
中指と、親指で輪を作った彼の指が……私の目の前に……え?
「……あだっ!?」
突然おでこに軽い衝撃とびりっとした痛み。驚いて、おでこに手を当てて目を瞬きます……デコピン?
急な出来事に混乱する私の前に、びしりと指が突きつけられます。
「いいか、お前は団の連中を全員助けた。そいつはお前にしかできないお前の仕事だ。ついでに俺もこうして生きてる。俺が怒ってるとしたら、後から聞いたその手段だが、まぁお前もこうして生きてた。それで何か足りないのか?」
「え……で、でもそれって結果論……」
「良いんだよ、結果論だろうが何だろうが。全員生きてこうして宴会の準備ができる。それでいいじゃねぇか」
心底面倒そうに、頭をバリバリとかきむしって彼が話を続けます。
「ヴァルター団長が言ってたんだよ。誇れって。女を守ってできた傷は、勲章だって。だから、傷が残ったからって何だ、これで良いんだよ。どうせなら謝罪より前向きな物を寄こせっての」
ずい、とこちらに押し付けられる野菜籠。驚いて涙が止まった眼をぱちぱち瞬きます。
「お前、飯作るの習ってるんだろ?」
「は、はい、簡単な物からですけれど。それが……?」
「それで何か作って出せよ、今晩のメシはお前が目覚めなかった分遅れた討伐完了の祝宴だってから、一皿でもお前が作ればどいつもこいつも喜ぶだろ」
「……わ、わかりました!」
ぐしぐしと涙をぬぐい、籠の重さによろけながら、片手で杖を突いて体重を支え立ち上がります。やれることがあるのであれば、こうしてはいられない。
「それでは、あまり大したものは作れませんが、頑張りますのでっ!」
そう言って、元来た道を急いで引き返します。
「……くそっ、本当に調子狂うガキだぜ」
背後で毒づく声が聞こえ、苦笑します。出会いは最悪でしたが、彼も、しかし私が思うほど悪人ではありませんでした。胸を突いて出た思いを、振り返って、ちゃんと届くように大きな声で告げます。
「この前は、酷いことをいってすみませんでした! 貴方は、思っていたより素敵な方ですねー!」
「ぶっ!? な、なん……っ!?」
何故か動転し手にした野菜を手から滑り音した彼に、思わず笑みをこぼしながら踵を返すのでした。足取りは、ずっとずっと、軽くなっていました。
さて、約束してしまいましたし、何を作りましょうか。帰ってミランダおばさんに相談しないと。手にした野菜で作れそうなものをいくつか脳裏に浮かべながら、帰路へ就くのでした。
そうして夕飯に供された私の作った山盛りのポテトサラダは、思ったよりずっと順調な売れ行きで、大盛況で皆さんの胃の中へ消えていったそうな。
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