私にその手を
傭兵団に協力し討伐隊へ参加して、森へ分け入ってすでに一刻、私たちは、着実に戦果を伸ばしつつありました。もともと、単体での能力はレイジさんとソール兄様の敵ではなく、本来であれば苦戦するような相手ではないので当然です。しかし、ソール兄様の顔色は未だ優れず、歩む速度を落としていました。
「レイジさんは、平気なんですか?」
話しかけても何でもないと答えるだけの兄様に、今は何も言うことはできず、先頭を歩くレイジさんに小走りに追いつくと、袖を軽く引いて問いかけます。
「ん? ああ、確かにこの前はちっとばかしビビったけどな」
心配すんな、と頭をぽんぽんと撫でられます。先程までの戦闘を見ていても、レイジさんの方は、ほぼ調子を取り戻していました。しかし、それが無理をしていないか心配で、声をかけたのですが、どうやら取り越し苦労のようです。
……思えば、どんな時も、私……『僕』らを引っ張ってくれていたのはレイジさんでした。癖のように私の頭にいつものように置かれた手の大きさが、慣れない戦場に立つ緊張を和らげてくれます。
「俺はもう覚悟は済んだ。俺は自分の大事な物を優先する。そのために前に立ちふさがるやつらは俺が払う……いつも通り、な?」
正面を見据えるレイジさんの目は何処までもまっすぐで……何故か、鼓動が激しくなったような気がして直視できず、ふっと目を逸らしてしまいました。
「俺は……お前を守るって決めた。それは変わんねぇよ」
「……え? 何か言いました?」
……そのため、最後だけ、尻すぼみに小声になった声で言ったため、聞き逃してしまいました。
「……いや、大したことじゃないから気にすんな。とにかく、俺は心配すんな、年上をちゃんと頼れ、な?」
「……ふふ、なんですかそれ。私とレイジさんは同い年じゃないですか」
「いいや、五月生まれの俺の方が十月のお前より五ヶ月も年上だ。それに、今は七月位で俺が一個上だし、なにより『イリス』は間違いなく俺より年下だ!」
大真面目に、強硬に自分の方が年上であることを力説するレイジさんの様子に、私は思わず笑ってしまいました。
「それじゃ、お願いしますね。レイジお兄ちゃん?」
「お、おぅ……任せろ」
ちょっと悪戯っぽく呼んでみましたが、予想していた呆れたような軽口は無く、そっぽを向いてぶっきらぼうな態度を取られてしまいました……どうやら、お気に召さなかったみたいです。反省ですね。
以降も探索を続け、私とレイジさんの間に、どちらにもすぐにカバーできる位置にソール兄様が付く、という布陣で歩み続けていた私達でしたが……
「馬鹿野郎、ソール、気負い過ぎだ、下がれ! イリスと距離が!」
「なっ、しまっ……」
それはほんのわずかな空隙。ざざっ、とゴブリンの数匹が、森に足を取られ僅かに離れてしまった私とソール兄様の間に割り込みます。そして、間が悪く……いえ、ここまで計算していたのでしょう、僅かに先に先行し弓兵を牽制していたレイジさんは遠く、そのタイミングは舌を巻くほど高い練度を見られ、『リーダーがいる』という予想を裏打ちするようでした。思わず敵影から距離を取ろうと後ろに下がったところで……
「きゃあ!?……あぐっ!」
ガン、と頭に強い衝撃。チカチカと明滅する視界と揺れる頭。たたらを踏んだ私は、ふらふらと背中をたまたま倒れ込んだ先に生えていた木に預けることとなりました。タラリ……と、粘性の高い液体が、頭から一筋垂れる感触。朦朧としながら触れると、手にべったりとした液体の感触。その手は、血で赤く染まっていました。
「イリス! くそ、退けぇ!」
道を遮るゴブリンたちに、魔法の鎖を放ち動きを止め、どうにか突破を試みるソール兄様の声が遠い。
直接的なダメージこそ『プロテクション』が防いだものの、伝わった衝撃……ゲームの時の、いわゆる『浸透ダメージ』か……で僅かに薄い頭部の皮膚が裂けたのだと、遅れて理解する。頭がグラグラし、ちかちかと瞬く視界に、背後より忍び寄っていた、周囲よりさらにひときわ小さなゴブリンが、ふらつき動きを止めた私に、自分の成果を喜ぶかのようにニタニタと手を伸ばすのが見えました。
――そこからは、咄嗟の行動でした。
思わず、手を伸ばしました。体格の差から、私の方が僅かに向こうの胸倉をつかむのが早く、私以上に小柄なその体を
「あああああぁぁぁぁぁああ!!」
――全霊の力で地面に叩きつけました。
私がいくら非力で小柄と言っても、目の前のこの……子供、でしょうか。のゴブリンほどではありませんでした。思わぬ反撃に怯んだ小さなゴブリンは、抵抗する間もなく地を這います。すかさず、その胸をブーツの分厚い底で踏みつけ、起き上がろうとするのを抑え込みます。突然の私の行動に、視界の端で、私を一人では与しやすいとたかを括っていたのであろうゴブリン達のみならず、レイジさんやソール兄様まで固まったのがちらりと映ります。私自身ですら、今の自分の行動を、どこか夢うつつに見ている感じがします。
――分かっているのは、『これ』が狙っているのは私であり、私を連れ去り、二人の元から連れ去ろうとしている事。何が目的かなどとは考えたくもありません。なれば、『これ』は紛れもない敵。相互理解不可能な、敵。
「……『ヴァイス・フィールド』」
……自分でも、それは驚くほど平坦で冷たい声だった気がします。それは、ただの魔物避け、アンデッドや『魔素』なるものを取り込んで生まれてきた魔物や妖魔と呼ばれるもの、それらに不快感を与え接近を拒む、ただそれだけの初級魔法です、が。
「――――――ッ!!? GY、AAAHHHHHH!!!」
身動きの取れない、逃げることもできない足元の『これ』には効果は覿面でした。今、この時、きっとこの足の下の小さな生き物は、激しい不快感に苛まれ酷く苦しんでいるのでしょう。私たちにとってはただの略奪者でしかない彼らの目的は私達とは相容れず、その存在は明確に『敵』と言えるものです。しかし、それはさほど慰めにはならず、罪悪感がちくちくと胸を刺し、自分の行為のあまりの不快感に喉から何か込み上げてきます。だけど、それでも。
「――『ヴァイス・ウェポン』……っ!!」
私の杖、それも尖った石突に、ぽう、と仄かに光が宿ります。
……ようやく、私がやろうとしていることを理解したのでしょう。足元の『これ』の目に恐怖が宿り、直接敵へ飛び掛かった私の行動に意表を突かれ、流石に呆然としていたゴブリンたちが慌てて動き始めます。それを横目に、カタカタと震えの止まらない手で再度、しっかりと握りなおし……
私は、その、恐怖で悲鳴を上げようとする子ゴブリンの口に、全体重をかけ、その鋭い石突を突き込みました。
「GYAAAAAAAYYYY!!」
耳障りな声が、耳に刺さります。ごきり、と何かが砕ける嫌な感触を手に残し、足元の『これ』の顎が砕け、声にならない悲鳴をあげ、血反吐を吐いて暴れまわります。が、逃がすまいと、全体重をかけその動きを抑え込みます。
「……っ!」
自分の手によって決して軽くない傷を負った『これ』の激甚な反応に、全身が、瘧を起したように震えだします。
……嫌、嫌です、やっぱり、『これ』だなんて思えない!
こんなことやりたくない!
だって可哀想。
こんなにも痛そうにしているのに。
怖い。怖いんです。
今すぐ戒めを解いて、もう許してあげたい。
その傷を癒し、もうこんなことはしないんだよと森へ還してあげたい。
――だけど、それでも、だけど!
「あああああああああああ!!」
迷いを振り切るように叫び、再度、杖を振り下ろします。非力な私であっても、『ヴァイス・ウェポン』は対象に触れるたびに衝撃を相手に叩きつけ、一度杖を振り下ろすたびに、ぐちゃりという湿った音と共にごきり、ごきりと新しい何かが砕け、ブチブチと組織の裂け潰れていく嫌な感触をこの手に伝えてきます。そうして一振りごとに、足元で徐々に弱くなっていく抵抗。次第に上がらなくなっていく悲鳴。
――消える。消えていく。命が、私の足元で、他ならぬ私の手によって。
「……っ!、――……ッ!?」
視界は涙でほぼ利かず、喉は恐怖でカラカラです。
――だけど。これは、二人が通ってきた道なのです。私がそれを免れてきたのは、ひとえに私の能力が「向いていない」、ただそれだけで、この辛さを他の二人に押し付けて、今の今までこの手を汚さずに来たのです!
そんな私に、我慢できずに飛び出してきた一体のゴブリンが襲い掛かってきます。目に涙を流し、半狂乱で襲ってきたこのゴブリンは、きっと足元のこの幼いゴブリンの家族だったのでしょうか。
……まだ、プロテクションの耐久には余裕がある。最初の一刀は甘んじて受けよう。そう思い身を晒した私にその刃が私に届く直前、その飛び掛かってきたゴブリンが、空中で上半身と下半身に分かたれ、吹き飛んで転がっていきます。
「……ごめん。私の、覚悟が足りなかった。そんなことをさせて、ごめん……!」
再び、剣を強く握ったソール兄様が、それに一足遅れて追従するレイジさんが、猛然と周囲に襲い掛かります。十全にその力を発揮し始めた二人の奮戦に、これまでの苦戦がまるで嘘のように、みるみる数を減らしていく小さな襲撃者たち。
森の一角が彼らの血に染まるころ、いつしか、私の足元の『彼』も、完全に脱力し、その体温を失っていました。
「……うっ……ぐっ!?」
ついに、喉からせり上がっている物を圧しとどめることができず、膝を着き、杖を支えに体が倒れるのを辛うじて防ぎ、それをたまらず地面にぶちまけます。げほげほとせき込む喉を焼く、苦酸っぱい液体。朝、食欲が沸かなかったことを、感謝しました。
――ころした。わたしが、ころした。
……だけど、避けて通る事はできない。ここは、そういう世界なのだから。ふらふらと立ち上がると、ぐいっと涙を袖で拭い、未だ戦闘続く周囲をキッと睨みつけます。私は、私の仕事をしなければいけません。少し先で戦う二人の助けになるべく、流れる涙はそのままに、新たな呪文を唱え始めます。
――だけど、忘れないようにしなければなりません。ヒーラーとは、戦場ではきっと思っていた以上に残酷な役目だと。私が戦うという事は、傷ついた者を再び死地に送り出し、誰かを殺すという事を他者に押し付けることだと……それは、きっと忘れてはいけないのです。
「イリス……大丈夫?」
未だにぽろぽろと涙を流しながら行軍する私に、ソール兄様の心配げな声がかかります。
「ぐす……平気、です、これは二人が乗り越えてきた道、私だけが……っ!」
しゃくりあげながら告げる私の肩が突然掴まれ、真剣な表情の兄様が眼前で見つめてきました。
「……聴いて。私は、きっとこれからも『敵』を殺す。イリスにそんな顔をさせたくないから、できるだけ、イリスの分まで私が『敵』を討とう。もう、躊躇わない」
違う、そんなことをさせたいわけじゃない。未だ嗚咽で声が出ない私は、せめて視線と、イヤイヤと首を振ることででそれを伝えようとするしかない。しかし、兄様は優しく微笑み、ぽんと私の頭に手を載せました。落ち着かせるように、優しく撫でながら。
「最後まで聞いて? ……だけど、イリスは今みたいに、それを悲しいと思うと知っているから。私がその手を汚すことを、きっと由とはしないから。きっと私は人を捨てずに居られると思う。その重みを忘れずに居られると思う。だから……どうか、イリスは、敵であっても命が消えるのを悲しいと思う、そのままで居て欲しい……それが、きっと私の為にもなるのだから」
ふわりと、兄様に抱き留められます。まるで昨夜の逆のような、その優しい抱擁に、私は、もはや涙を殺すことはできませんでした……
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