思わぬ苦戦

 それは、普段と変わらない平和からの突然の出来事でした。


 ミリィさん……正確には、ミリアムさんらしいですが。の仕事が終わるまで、暇を持て余した私たちは、森へ町で必要となる薬草を集めに来ていました。そんな時、「ゲームの時には」このあたりには出没しなかったはずの、小さな者たちから突然の襲撃を受けたのでした。






「悪ぃ、一匹そっち行った!」

「レイジ、下がれ、突出しすぎだ!!」

「だけど、奥の弓をやらねぇと!!」

「それでも一度下がってください、『プロテクション』効果時間限界です、戻って!!」

「……チッ!」


 ……不意打ちから始まった戦闘開始からしばらく。私たちの抱える『ある欠点』が、全ての歯車を狂わせている。そのような嫌な感じが積み重なり、私たちの中に焦りが募っていきます。


 それは、緑色の肌をした、人間の子供程度の体躯の、しわくちゃな顔と長い鼻……そう、ファンタジーでお馴染みである、ゴブリン……の集団でした。


 ゲームではやられ役となることが多い彼らですが、こうして相対すると確かな知性を持ち、互いに連携し弱点を補い合い、数の利を生かして状況に合わせて対処を変えて来る、非常に厄介な存在だと思い知ります。が、それでも……。


 奇しくもここは林の中に入り込んでしまって居るため、レイジさんの武器である大剣はその性能を十分に発揮できません。小さく素早い標的を相手に、斬撃の線による攻撃は著しく制限され、刺突による点での攻撃を求められる場面が多く、四苦八苦している様子です。


 ソール兄様の方は小回りが利きますが、それでも周囲を障害物に囲まれたこの場では全周囲の全てに気を張らねばならず、どうやらメインターゲットとなっているらしい私から離れる訳にはいかないため、攻めあぐねています。不用意に接近してきた数匹は即座に対処しているのですが、それで警戒され、向こうの戦法は粗末な弓矢や投石によるものに変化しています。それでも、隙を見せた相手に鎖や雷撃を浴びせじりじりと戦力を削ってはいるのですが、中々数の差を覆すほどには至りません。


「イリス、上だ!」


 レイジさんの叫びに、咄嗟に上方に手を掲げ、あてずっぽうで『ソリッド・レイ』を展開します。直後、手にびりびりとした振動とともに、力場が頭上、おそらく木の上から降ってきたゴブリンの棍棒を受け止め、一匹が弾かれながらも素早く距離を取ろうとします、が。


「逃がすか!」


 即座に巻き付いた、ソール兄様の『チェーンバインド』に足を取られ、地面へと叩きつけられます。衝撃により動きを止めたゴブリンに、ソール兄様が即座に追撃に入ろうとしますが……


「……くっ!」


 一瞬、その剣先がブレます。


 ……またです。先程から、レイジさんもソール兄様も、その動きに精彩を欠いているのが目立ちます。躊躇いで固まったその隙に、別のゴブリンが倒れたものを回収しようと引きずっていくのが見えます。


「くっ、『ディバイン・スピア』!!」


 その背中に、私の放った二条の槍が突き立ち、その二匹は昏倒します。すぐさまレイジさんが倒れた相手に止めを刺そうとしますが、その直前で剣先が鈍り、割り込んだ別のゴブリンにより弾かれてしまいます……またです。


「兄様、レイジさん、撤退します!目を守ってください!」


 敵の数を削れない以上、長引くだけ不利。『ワイドプロテクション』はリキャストが完了しておりまだ余裕がありますが、間に合わなくなってからでは手遅れです。それだけ告げると、私は二人がきちんと対処してると信じて詠唱を始めます。二秒程度で詠唱を完成させたそれを、全力で解き放ちます。


「『ピュニティプライト』!!」


 瞬間、目を焼く閃光が周囲の空間を埋め尽くし、突然の光に立ち尽くすゴブリンたちを置き去りに、私と、私を抱えた二人は、戦線を離脱したのでした。











「ゴブリンの群れ、ですか」


 町へ戻った私たちは、真っ先に町長さんへと先ほどの出来事を報告します。


「はい……それなりの、数で、準備不足もあって、撤退してきたのですが」


 たどたどしく、私が出来事の報告をします……ソール兄様もレイジさんも、先程の失態が堪えているらしく、所在なさげに佇んでいます。消去法で、私が報告を行うことになってしまいました。


「……彼らが積極的に人を襲ったとなると、相当数の群れの存在が考えられますか」


 顎に手を当て、眉間にしわを寄せて難しい顔で悩む町長さん。そう、彼らゴブリンは基本的に大人しく臆病で、少数で人を襲うことは殆どありません。しかし、相応の数が集まると狂暴化し、住人の大きな脅威へと変化します。食料を奪い、女性を攫い、その残虐性は恐るべきものとなります。


「確かに、それは由々しき事態です……が。ああ、すみません、先に言っておきますと、無理に討伐して来いというわけではありません。貴方がたの実力を知っているからこそ、僭越ながら申し上げますが、貴方がたであればそれでも対処可能だったのではないでしょうか?」


 その言葉に、二人が気まずげに目を逸らします。

 ……そう、たとえ不意打ちであろうと、地の利が向こうにあろうと、数が遥かに多かろうと、正直なところあの程度では二人の脅威となりえるはずが無いのです。が、結果はこの通り、隙をついて逃げ帰ってまいりました。


「……まぁ、貴方がたにも事情はおありでしょうし、下心ではないことは信用しております。商団の護衛の方々にも相談してみますので、よろしければまた後日、ご協力お願いできますでしょうか?」

「それは、はい、勿論……いいですよね?」

「ああ……大丈夫、今度はちゃんとやる」

「異論は無い……です。すみませんでした」

「いえいえ……私も、戦闘力だけを見て、貴方がたがまだお若い、という事を失念しておりました。申し訳ありません」


 ……やはり、見抜かれていましたか。



 今回の苦戦の原因は……つまるところ、「殺す事への忌避感」に他なりません。

 ゲームの時は、攻撃が当たれば血の出る「エフェクト」が発生し、攻撃によっては部位損傷「エフェクト」が発生し手足がどこかへ飛んでいくこともありました。が、それはあくまで演出でしかありませんでした。

 この世界は違う、死亡したら宙に溶けるように消えることはなく、相手を斬れば本物の血が流れ、千切れた手足は周囲に散乱し、光を失った濁った眼はこちらを責め苛み、乱戦の跡は血と脂の匂いの漂う血みどろの光景が広がります。


 今までは、害獣退治がメインだったらしく、それほど抵抗は無かったのでしょうが、平和な日本で暮らしていた現代っ子である私たちは、通常そういったことに不慣れなのは当然の事で……今回、相手が人間の子供のような体格の亜人……ゴブリンが相手だったことで、問題が露呈してしまった形となりました。




 血臭がこびりついて取れないような錯覚の中、湧かない食欲で無理やり胃に食物を収め、いつもより長い入浴時間を取った私たちは、皆無言のままそれぞれの部屋に戻りました。眠気は中々訪れませんが、それでもぼんやりと宙を眺めているうちに、いつしか意識は薄れ、うとうとと――……









 ……その物音に気が付いたのは、偶然でした。細心の注意を払って音を抑えた、鍵穴に鍵を差し込み、がちゃりと開ける音に、目を覚まします。誰かが私の部屋のドアを僅かに開けて、足音を殺して侵入してきます。鍵を管理しているミランダさんが変な相手に合鍵を渡すとも思えませんし、だとすれば物取りか、あるいは渡しても問題の無い……


「……ソール兄様?」


 その問いに、侵入してきた物はびくりと体を竦ませます。……違いますね、これは。


「……綾芽、ですね?」

「……っ」


 窓から差し込む月明かりに照らされたその顔が、今にも泣きだしそうに歪みます。そういえば、昔から何か辛いことがあると、私……いえ、『僕』のベッドに潜りこんできましたっけ。綾芽が高校に入学して以降は無くなったのですが……。


「ふふ、久々に、一緒のベッドで寝ましょうか」


 掛け布団の端をめくり、私が促すと、おそるおそる、といった様子で近寄ってきました。


「……ごめん、今回だけ、だから」

「遠慮なんてしないでいいですよ……はい、どうぞ?」


 脇に寄って開けたベッドのスペースに、今やすっかり体格が逆転してしまった、温かい体温が滑り込んできました。


 ベッドに入ったものの、お互い何も話さず、今では私は失ってしまった、ふわふわとしたソール兄様の羽根の感触を懐かしく感じながら、ただ背の体温だけを感じながら時が流れていきます。


「……怖い夢でも、見ましたか?」


 背中合わせになって触れた背中越しに、びくっと震えたのが分かります。


「……そんな子供じゃないし」


 拗ねた口調に、苦笑します。何事もそつなくこなす綾芽ですが、何故か嘘はあまり上手ではないのです。体を反転させると、こちらを向くように、優しく聞こえるように、しかし断固とした意志を込めて促します。やがて、諦めたように、しぶしぶとこちらに向き直りました。


「話して? すっかり体は縮んでしまいましたけど、以前のように胸を貸すくらいはできますから、ね?」


 その言葉に、じわりと『ソール』の端正な顔に、涙が滲みます。それを、優しく、胸へ掻き抱きます。




 ……しばらく、そのまま無言の時間が流れました。服の胸の部分がじわじわと温かい物に濡れていく感触と、お腹に呼吸の熱を感じながら、そのままじっと待っていると、やがて、ぽつぽつと、あきらめたように話し始めます。


「……人を、殺したの。一杯。この世界に来てすぐに」


 話し始めたのはやはりあの時の……『僕』が捕まっていた時の話でした。その時私は意識はありませんでしたが、何があったのかは聞いています。


「お兄ちゃんが危ないと思って、カッとなって。気が付いたら止まらなかった。一杯、一杯、倒れていて抵抗できない人も、逃げ出して背を向けた人も。なのに……」


 ――気が付いてあげれませんでした。いえ、薄々は気が付いていたのかもしれません。しかし、どこかで私は、それは二人の問題で、自分で乗り越えるべきものと他人事に思っていたのでしょうか。


「そんな、人を一杯殺したのに、人間みたいだからゴブリンは駄目って、今更、おかしいよね……っ!?」


 ――私は、私達の中で一人、この手を汚しておりません。そんな中で……私に、どんな慰めを言えるのでしょうか。綺麗ごとの言葉は脳裏を滑り、口から出るより前に喉のあたりを通過できずに消えていきます。ただ一つ、消えなかったこの言葉以外は。


「それでも……それでも、二人が戦ってくれたおかげで、また会えました。ありがとう、綾芽」


 ――それだけは、否定しないでほしい。私は、二人に助けられ、守られて今、こうしてここに居るのだから。







 以降、言葉はありませんでした。ただ、月明かりに照らされる中、控えめな嗚咽が微かに漏れるばかりで、だから、ただ、私はその頭を抱いて、眠りに落ちるまでそっと撫で続けることしかできませんでした。






 ……強く、なりたいです。敵を打ち倒す力ではなくても、誰かを、支えあげてあげれるように。


 窓から差し込む月明かりをぼんやりと眺めつつ、私はそう、思っていました。

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