小さな看護師さん

 「それ」から必死に逃げ惑うも、狭い室内ではたかが知れており、すぐに背中が壁にぶつかります。唯一の退路はじりじりと迫ってくる追手の後ろにしかなく、絶望的な思いが私の心を覆っていきます。もはや下がることもできずにイヤイヤと首を振る私に、追手……兄様が、『それ』を片手ににじり寄ってきます。


「ほら、別に良いだろう、そんな露出の多い服でもないんだし」

「それでも、そういうのはやっぱり恥ずかしいです……っ!」


 涙目で、兄様の手の内に掲げる『それ』を恐ろしい物のように見ます。


「そうか……『これ』が嫌なら、こっちにしようか……」

「何ですかその不自然にスカートの短いの……っ!」


 続いて兄様がマジックバッグから取り出したのは、異様にスカート丈の短い……なんですかそれ、そんなんで仕事できるんですか?ちょっと屈んだらパンツが見えちゃいますよねぇ!? というか……


「なんでそんなにインベントリに服が入ってるんですか……!」


 涙目で、疑問を口にする。そう。この二着だけではありませんでした。先程から、何着も鞄の中から出てきた服はすでに私のベッドの上にうずたかく積もっています……中には、絶対に勘弁してほしい非常に露出の高いものまであったように見受けられましたがっ!?


「はは、そんなことか」


 何でもないようなことのように、ソール兄様が爽やかに見える笑顔で言います。


「私は、イリス用にもう一つ専用のマジックバッグを用意したからな!」


 馬鹿だ。馬鹿がいます。お兄様は大馬鹿でした。


 そもそも、このマジックバッグというのは、希少なインベントリ容量を手軽に増やせる反面、レイドボスのドロップ品であるため需要に対し供給は著しく小さく、市場に流れて来るのも少ない上に、とても高額で取引されているのです。それなりに廃人と自覚していた私やレイジさんですら一つしか用意できなかったくらいに!


「だから、諦めて着るんだ、さぁ。ほら、あの時なんでもって言ったよねぇ?」


 若干理性がトんでるとしか思えない様子で迫ってくる兄様。仕方ありません、私も切り札を切らざるを得ないようですね。


「私、そういう言い方をしてくる人、嫌いです!!」

「……ぐはっ!?」


 効果は劇的でした。『嫌い』。そう言った瞬間、この世の終わりのような顔で膝から崩れ落ちる兄様。ふんだ、いい気味です。


「……ごめん、私が悪かった……だけど」


 つっと上げたその顔には、まだ希望は消えておらず、びくっと逃げようとします、が。


「……レイジ、これでお世話なんてされたら喜ぶだろうなぁ」


 その言葉に、ひくりと、私の顔が引きつりました――……







 疲労から部屋に戻る途中で意識を失い、目が覚めたら体が起こせなかった。

 全身を激しい虚脱感が襲い、全ての筋肉という筋肉が熱と痛みを以て責め苛んでくる。過労と、筋肉痛。正直人生でここまでの物は初めてだ。


 最初はイリスに治療を頼もうかとも考えたが、こうしたものは自然治癒に任せるべきと思い、心配そうに申し出るイリスにやんわりと断ってこうして大人しく寝ていると、何をしているのか先程からドタバタと激しい音がしていたイリスの部屋から聞こえて来る騒音が、パタリと途絶えた。


 静かになって、ようやく落ち着いて目を閉じ数刻。


「レイジ、入るぞ」


 控えめな呼びかけとノックの音に目が覚め、ドアの方を見ると、今まさにそっとドアを開き二人が入ってくるところだった。ソールのドヤ顔に、その傍らで俯いているイリス……が。


「……なんでリ〇ルナースなんだ……!?」


 思わずツッコミを入れてしまった。そう、問題はイリスの着ている服だ。ソールからナース服で看病してくれる、と聞いて真っ先に思い浮かんだ現代日本のそれとは全く違う、裾から僅かにフリルの覗く、膝丈くらいの紺色のワンピースに、清潔な白いエプロン、純白のヘッドピースは、薬局でよく見るメンソ〇ータムのマスコットキャラクターの衣装そっくりだ。


「ははは、似合うだろう?」


 いかにもやり遂げました、という感じの目線を送ってくるソール。

 改めてイリスの方をまじまじと見る。看護師服、となると、やはり仕事着という印象のあるため、小学生……よく言っても中学生並みな体躯のイリスには(可愛いだろうとは思うが)少々浮いている気がしたが、なるほど、これであれば幼くも清楚可憐なイリスであればよく似合っている。


 当のイリスは俯き、手を両足の付け根くらいで組んでもじもじと、しかし時折俺の反応を伺い、何か言葉を待つかのように、ちらちら若干涙を浮かべた上目遣いで見上げて来る……くっ、耐えろ俺の理性!


「くっ……悔しいが、グッジョブだソール。良く似合ってる。可愛いぞ?」


 言ったとたん、ぱあぁ……と顔を上げ、花の咲くような笑顔を浮かべるイリス。一瞬可愛すぎて意識が飛びそうになったが、思いとどまる。


 ……やはり、反応が元に比べてかなり女の子らしくなっている。元の柳であれば、「な、何言ってるんですか、馬鹿」みたいなことを言ってきただろうが、今のこの反応は素直に可愛いと褒められ喜ぶ少女そのままだ。こうした細かい部分で、元の演技を通した女の子らしさではなく、あぁ、今は本当に女の子なんだな、と実感させられる。


 ……そう、今のイリスの反応は、本当に女の子そのものだ。以前の柳の演技もそうそう元の性別を感じさせるようなものではない非常に完成された物であったが、やはりそこには演技であるがゆえに若干のフィルターが存在していたと、今のイリスを見ていると思う。表情の取り方、細かな仕草、感情の流れ、そういったものが本当に自然なのだ。


「それじゃ、私はミリィと今後の相談があるから席を外す。イリス、レイジの看病は任せたよ?」

「あ、はい、まかせてください!」

「ちょ、待っ……」


 小さく気合を入れるイリスに、ソールが手をひらひらさせて出ていく。……二人きりとかマジか。


「あ、いくら可愛いからって、泣かせるような真似をしたら……ネジ切るぞ?」

「しねぇよ馬鹿野郎!!」


 再度ドアを開けて、不穏な事を宣うソールに、怒鳴り返す。イリスは一人、話が解らず首を傾げていた。






 耳元の髪を掬って耳にかけ、匙でひと掬い湯気を上げる器の中のどろっとした白い物をすくい、真剣な表情で口を窄めふーふーと冷ますイリス。普段は髪に殆ど隠れている白いうなじが眼前間近で晒され、ふわりと香る甘い匂いと予想外の色香におもわずドキリとする……落ち着け、落ち着け俺。


「ふー……ふー……はい、あーん、です」

「お、おう……んぐ」


 やべぇ、超恥ずかしい。確か作成時の設定年齢で13歳くらいのまだ幼げな、しかし超のつく美少女に、枕もとで粥をふーふーしてもらって、手ずから食べさせてもらう。世の男子諸兄には呪い殺されそうな非常に羨ましい境遇であろうが、どうしてもこそばゆすぎてぶっきらぼうになってしまう。

 十分に冷ました粥が口内に流れて来、ゆっくりと舌の上で味わう……優しいミルクの甘さが舌の上に広がっていく。


「……美味い」

「本当ですか!?」


 匙を握りしめ、ぱぁっと輝くような笑顔を見せるイリス。その喜びように、疑問が混じる。


「……もしかして、お前が作ったのか?」

「はい、ミランダさんに横で教えてもらいながらですけど……はい、どうぞ」


 そういえば、料理を教わってるって言ってたな。再度眼前によく吹いて冷まされた粥が付きつけられ、ぱくりと匙を口に含む。手作りだと思うと、先程よりも何倍も旨く感じるから不思議なものだ。


「ん、やっぱ旨いな。よくできてるぜ」

「……ふふ、ありがとうございます」


 照れながらも嬉しそうにはにかむ様子に、胸が温かくなる。


 ……


 …………


 ………………


 うおぉおおおお!? なんだこれ、この状況! めちゃめちゃ恥ずかしいぞ!? 内心一人悶えながらも、差し出されるままに粥を口にする。


「……不謹慎かもしれませんけど」


 ぽつりと、そんな中イリスが「あーん」以外で口を開く。


「こうして、お世話するのが、なんだか嬉しいです。いつもはされる側でしたので」

「そ、そうか……」


 本当に、本当に嬉しそうに言うその様子を、直視できずに目を逸らす。


 二人きりになった後のイリスは、実に甲斐甲斐しかった。その一生懸命な様子は微笑ましく、ついつい目で追って眺めているとたまに視線に気が付いたイリスがふわっと微笑んでまた作業に移っていく。……さすがに、体を拭く際に背中だけでなく前まで拭こうとしたときは慌てて止めたが。こういう羞恥心はまだ足りないな……と戦慄しつつも、穏やかな時間が流れ、気が付いたら昼になっていた。







「……レイジさん」


 そんな時、ふとイリスの表情が陰り、不安そうな声が俺を呼ぶ。


「その、『崩剣アルスレイ』の事なんですけど……」

「……ああ、分かってる」


 正直、ここまで負担がかかるとは思っていなかった。なぜならば、装備レベル……この世界ではレベルの概念がないので、俺の実力か。それがまったく足りていないのは明白だった。なんせ、あれは元のゲーム内でもほぼ最上級の装備、転生でレベルの下がった状態でこちらに来た俺が十全に使えるとは思っていない。


「……しかし、無理をすればどうにか使えることが分かったのは僥倖だったな、いざというときの切り札には」

「止めてください!!」


 突然の怒声に、思わず驚いて言葉を止める。イリスは、目に涙を貯めてこちらを睨みつけていた。


「たったあれだけ使って、この状態なんですよ……もし、他に何か副作用でもあったら……」

「……悪かった、そうだな、あれは封印しよう……ごめんな?」


 心の底から心配そうに揺れるその目に、俺は、それだけ言うことしかできなかった。


 ――だけど、お前がまた窮地に陥ったら、俺は間違いなく、迷いなく抜くだろう。


 そう、確信をもって、口には出さずに考えていた。

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