闇晴れて
「勝った……のか?」
残心を解いたレイジさんが、呆然と、降りしきる光の粒子の見上げて呟きました。人の避難した町は争いの終わった今、完全な静寂に包まれ、雪で白化粧された町が降り注ぐ光で神秘的な情景を描き出しています。……もう、悪意は周囲には感じ取れません。
「ああ……私たちの、勝ちだ」
「……だはぁ、全く、きっついぜ本当に……もう駄目だ、一歩も動けねぇぞ」
ソール兄様の勝利宣言を受けて、疲労困憊、という風情で地面の上に座り込むレイジさん。魔力のほぼ空になった私も、背中から翼が消え、再び足が地に着きます。魔力欠乏の具合悪さが途端に襲い掛かり、足元がふらつくけれど、今はそれどころではありません。
「レイジさん! 兄様!」
「うわ!?」
「っとと!?」
半ば転ぶように二人の間に飛びついて、大きなその体を抱きしめます。今ここに居ると、その存在を、確かな体温を確認するように。
「生きてますよね!? どこもおかしなところはないですか!? 痛い場所は!?」
「お、お、落ち着け、落ち着けって!?」
「はは、大丈夫、僕らはちゃんと生きて、ここにいるよ。イリスのおかげだ」
しばらく、二人の体をペタペタ触って怪我の有無を確認しましたが……どこにも、何も見受けられません。
「……あ……ぅあ――」
全身くまなく確認してようやく安心できて、すとんと膝から力が抜けて、たちまち涙腺が緩む。安心から栓の抜けてしまったそこは、もう堪えが利きません。
「……わぁぁあああああ! よかっ、よかった、二人っ……ともっ……無事、でっ!」
「……ああ、悪かった。お前のおかげで俺らはまぁ、疲れてる以外は何ともないから、な?」
「ごめん、怖い思いをさせて、本当に悪かったから、ね?」
「……ぐすっ、絶対、もう、許さないです……! 本当に、死んで、しまう所だったじゃないですか……! 一人残されるのは、嫌ですよぉ……!!」
大粒の涙がぽろぽろと零れるのはもう止めることはできず、しばらく二人にあやされながら子供のように泣き続けてしまいました。
「もう、大丈夫かい?」
「ぐすっ……はい、大丈夫……です」
ぐしぐしと、手で残った涙を拭い去ります。
……分かっています、聞かれるであろうこと、逃げるわけにはいかないことも。
「……それで、落ち着いたところではっきりさせておきたいんだが……今は、『どちら』なんだ?」
その言葉に、びくり、と体が震える。確かに私の中では決着はつきました、が、それが二人にも受け入れられるかというと自信はまるではありません。二人は、元の『僕』が消えないようにと頑張っていたのですから。それでも、言わなければいけません。それが一つになった私の責任ですから。
「……どちらでも、ないですし、どちらでもあるとも、言えます。私……『玖珂柳』の記憶も、経験も、感情も、全て私の中にある……私は私という意識は確かにあるのですが……同時に、私は『イリス』っていう自覚もありまして」
一度、言葉を切る。この先は、告げるのが怖いです。しかし、黙っていることも、できません。
「つまり、以前の私の記憶全てを継いだ「イリス」っていう女の子……っていう、そういう存在なんだと……おもい、ます」
じわり、と再び目に涙が浮かびそうになります、が、今それを零すわけにはいきません。泣けば、彼らはとりあえず認めてくれるでしょう。ですがそれはきっと、良心を盾に取った卑怯な行いですから。ぐっと唇を噛んで、悩んでいる二人の次の言葉を待ちます
……怖い。二人に拒絶されたらと思うと震えが止まらなくなりそうです。たとえ意識は自分だと言っても、今は口調も思考も特に意識せずともイリスの物になってしまっています。同一の存在だと言っても、やはり私はこれだけ『彼』のときから変わってしまっているのです。
「あー……」
びくり、とレイジさんの声に体が震えます。続きを聞きたい。認めてほしい、拒絶しないでほしい。けど、聞きたくない。拒絶されたらと思うとこのまま何も言わないでほしい。二つの矛盾した感情が、頭の中でぐるぐると思考をかき回していきます。
……ふと、ぽん、ぽん、と、かるく頭に手を載せられる感触がしました。二つ。
「思い詰め過ぎ。そんな怖がるなって。ちょっと、今後どう呼べばいいか考えてただけだからさ」
「そうそう。特に私なんて、今後「お兄ちゃん」として今まで通り扱えばいいのか、それとも私が今後「お兄様」なのか、すごく複雑なんだぞ?」
ぐりぐりと頭を撫でる感触に、ぽかんとした顔になってしまいます。
「安心しろって、お前を拒絶したりなんてしないさ。お前はお前、なんだろ?」
「そうそう、お兄ちゃんでも妹でも、大事な家族には変わりないし。それに……くく、レイジなんて、むしろ……」
「あ、おい馬鹿やめろ!! ぜってぇ言うなよそれ!?」
――認められ、た、のでしょうか……?
「だから、まぁ、なんだ」
ぶっきらぼうに、何故か顔を赤らめているレイジさんと。
「今後も、よろしく、イリス」
微笑んで、未だ頭をぽんぽん撫で続けているソール兄様。
今度こそ、堪えきれませんでした。果たして今日はどれだけ水分を流したのでしょうか。せっかく乾いた目に再び滴が溜まっていき、みるみる風景がぼやけていきました。
「……はいっ、レイジさん、ソール兄様!!」
涙は零れ落ち続けますが、顔は、安心と、受け入れてもらえたことによる喜びを抑えきれず、自然に笑みの形に変わっていきました。
「……あー。こほん。感動の家族シーンは終わったかにゃ……」
「「「……あ」」」
後ろからかかる気まずそうな声。いけない、すっかり忘れていました。二人の方も、完全に今思い出したというように気まずげに視線を逸らしています。
「やっぱり忘れられてた……せっかく駆け付けたのに……あんな大見得切って派手に登場したのに……切ないにゃ……」
「あ、えーっと……ごめんなさい」
ああ、すっかりしゃがみこんで地面に落書き中です。本当ごめんなさい。
「うぅ、この寂しさは何か一つお願いを聞いてもらえないと癒されないにゃ」
「あ、ちょ、待っ」
兄様が何か言いかけてましたが。
「はい、いいですよ。私にできる事でしたら」
思えば、自棄を起こして一人町を彷徨っていたところを捕まって以来、今日はずっとお世話になってました。もしあの時出会っていなければ、二人を探しに行く勇気も出せず、今頃は……そう思うと、背筋が凍る思いがします。お礼に一つくらいは叶えてあげたいです。
「……本当に!? あとでやっぱりダメって言っても聞かないわよ!?」
「ひぅ!?……え、ええと、はい、今日はお世話になりましたので、構いません……よ?」
がっと肩を掴まれ、素に戻って凄い勢いで食いつくミリィさんに、若干引きつつも答える。大丈夫ですよね……? まぁ、悪いようにはされないでしょう……多分。
「ああ、天使が居るわ……何が良いかな、あれもいい、でもこれも……いやいや、これだけの器量ならそうだ、新しく作ったあれでも……」
何やら明後日の方向を向いて楽しげに考え事をしているミリィさん。どうやら機嫌は回復したようで、一安心です。
「ああぁぁ……知らない、私は知らないぞ……まぁ、本当に嫌がることはしないだろうしな……」
……ところで、さっきからちらほら口を挟んできている兄様は何をしているのでしょう?
「さて、そうしていても体も冷えるし、そろそろ……どうした、イリス? それにさっきから黙ってるレイジも」
「……あ、えっと、その……安心したら、腰が抜けてしまったようで……立てません」
恥ずかしながら、腰から下がまるでぴくりとも動きません。だいぶ前から。この周囲の雪が先の戦闘で吹き飛んだり蒸発したりで無くなっていたことは幸運でした。でなければ、きっと今頃お尻が水浸しでしたでしょうし。
……ただ、綺麗に敷かれていた石畳も吹き飛んでしまって、修繕が大変そうです。
「わりぃ、俺も限界だわ……指一本動かせねぇ、疲れた……」
四肢を投げ出し、今にも眠ってしまいそうな声のレイジさん。あの剣の使用に際して消費された生命力は癒せても、疲労だけはどうにもならなかったようで、こちらも辛そうです。
「しかたないな、誰か呼んで……」
そう、ソール兄様が行動を起こそうとしたとき。
「――ああ、お二方!! それとあなたは家内と町の者の護衛をしてくださった……えぇと、ミリィさん、でしたか。それにお嬢さんも……良かった、皆さんご無事でしたか!」
「ひぅ!?」
背後から突然かかった知らない男性の大きな声に、思わず変な声が漏れ、反射的に丁度声を掛けられた方向に居たソール兄様の影に隠れてしまいます。兄様の体の影から恐る恐るのぞき込むと、30代後半くらいの、力仕事に従事している方らしい、日に焼けた肌で、逞しく筋肉のついた、しかしながらどこか品のある男性が居ました。
「ああ、町長さん、ご無事でしたか。ほら、イリス。こちら、僕らが住居のお世話になっているこの町の町長の、ルドルフさん。ミランダさんの旦那さんだよ」
「あ……お世話になってます。……ごめんなさい、一度も顔も出さず……」
もう何日もお世話になっているのに、一度も顔を合わせていませんでした……どうしましょう、凄く失礼なことをしていたのではないでしょうか。
「いえいえ……事情はお聞きしておりますし、レイジさんやソールさんにはこちらもお世話になってますから。貴女も、何やら優秀な治癒術使いという事で、町の者が何人か助けられたようなので、お気になさらないでください……それにしても」
彼の視線が顔の方に向き、一瞬体がびくっと強張りました。
「これは、また……そのお嬢さんは、初めてお顔を拝見しましたが、ソールさんも大層端正な顔立ちの方と思いましたが、妹御とあって、なるほど家内の言う通り……」
視線がこちらに集中したことで、思わず兄様の影にすすっと隠れてしまいました。悪い感情は感じられず、ただ褒めていただいているのは分かるのですが……やはり、まだ知らない男性の視線は少し苦手なままなみたいです。
「すみません、妹は、その、男性が苦手で……」
「おっと、これは失礼しました。確かに、年頃のお嬢さんをじろじろと見るものではないですね」
ソール兄様のフォローに、申し訳なさそうに頬を搔きながら視線をそらす町長さん。どうやら誠実な方のようで、おそるおそる陰に隠れていた顔を出します。
「さて、先程こちらから見えた光といい、聞きたいことは多々ありますが……皆さんお疲れの様子なのでそれはまた後程にして……あの魔物は一体どこへ。どうも姿が見えないようですが」
4人で顔を合わせる。そうです、私たちは勝ったのです。
避難した人たちを呼び戻さないといけませんし、被害状況の確認や、町の修繕など、きっと町長さんである彼の仕事はここからが山積みなのだと思うと気の毒ですが、それでも、脅威は無くなったのです。
……おそらくあのアジト周辺にあるであろう『傷』の出現場所は気掛かりですが、今からというのは皆の状況を見ると難しいですし、私の中の感覚はすでに脅威は全く感じられず、おそらく数日であれば、また後日で問題は無いでしょう。皆にひとつ頷きます。
「ああ、本当参ったぜ。ただ、まぁ、もう心配は要らねぇよ」
「その件については、また交渉の機会を設けて頂きたく」
「家財を失わずに済んだのにゃ、ちょっとは色を付けてくれるとありがたいのにゃ」
「もう、皆さんてば。意地悪ですよ。すみません、皆も本気ではないと思うので、無理はしなくていいですからね?」
それぞれ急におどけた口調で気楽に言う皆さんに、町長さんが目を白黒させています。
「あの、それは一体……もしや」
誰からともなく自然と笑いがこぼれ、四人で口をそろえて言いました。
「「「「討伐完了です(だぜ)(だ)(にゃ)!!」」」」
やはりクエストは報告までしっかりと、です!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます