夜を斬り裂いて

「……く、っそ……おい、生きてるか」

「なん、とか……ね。そっちこそ、もう打ち止めかい」

「ああ、残念ながら……な」


 既に周囲は影に埋め尽くされ、背中合わせになって剣を支えに辛うじて立つ俺たちを完全に包囲していた。


 陽はとうに落ち、周囲は暗闇に包まれ、影である連中は視認が難しくなっている。


 剣に喰わせるような力など残っておらず、もはや有効な攻撃手段はない。


 ソールの方も、既に幾度かこちらを庇った結果盾が砕けて使い物にならず、着ていた鎧も大部分が破損し脱落している。お互い満身創痍で、この状態では逃げることすら難しい。


「ああ、そうそう……生きて帰ったら、イリスが看護師の格好で看病してくれるそうだよ」

「……おい、そういうことはもっと早く言えよ」


 あいつ、そういうコスプレとか苦手だからな。きっと凄く恥ずかしそうにしてるんだろうな。顔を真っ赤にして、涙目で。一瞬そんなイリスに色々お世話されている図が脳裏に浮かぶ。くそ、可愛いに決まってんだろこんちくしょう。


「はは……どうかな、ちょっとはやる気出たんじゃない?」

「ああ、まったくだ。死ぬわけにはいかないな……後悔で化けて出そうだ」


 とはいえ、恐怖を紛らわせるために軽口をたたいても、状況は好転しない。あいつは、ちゃんと逃げて、生き残ってくれるだろうか。きっと滅茶滅茶泣くよな……ああ、くそ、泣き顔しか思い浮かばねぇ。もっと、笑った顔も見たかったな……はは、何考えてんだ、親友相手に。俺はノーマルだっつうの。


 ああ、でも、そうか。


 こんな状況になって思い返してみると、きっと、初めてあいつのアバターを見せられた時に。


 もう、俺は……『イリス』という、架空の少女に……




 くそ、死にたくねぇな――……






「……?」


 いくら待てども、攻撃が、来ない。奴らは、こちらではなく別の方向を向いて……まさか。背中に嫌な汗が伝う。奴らが最優先で執着を向けていたものに思い当たるのは一人しかいない。ざっざっと、町のほうからたどたどしい雪を踏む足音。


 ――馬鹿野郎! さっさと逃げろ!!


 そんな叫びもすでに喉から発せられず、動かない体では奴らが殺到するそちらを見ることしかできない。


 やめろ、やめてくれ。先程の、瞬く間に目の前で蹂躙されていく小さな体と、それを許してしまった事の焦燥感は未だこの身に焼き付いている。このまま、ここで、あいつが……イリスが、嬲られ、辱められ、引き裂かれるのを見続けるなんて嫌だ、世界で何よりも嫌だ!!


 よろよろと、奴らを追う足が、しかしぴたりと止まった。それは隣のソールも同様らしく、呆然とその先を見つめている。


 予想していた最悪の光景は、起こっていなかった。影の触手も、周囲の小さいのも、どれ一体としてあいつを、イリスを侵す事ができていなかった。接近した影はたちまち崩れ去り、他の奴らも接近を躊躇って……いや、恐れてか? 遠巻きに様子をうかがっている。


 ゆっくりと、悠然と歩を進めながら、ぱん、とイリスが手を合わせる。その手をゆっくり離すと、どこから出て来たのか、白く清浄な光だけを集めて形にしたような荘厳な杖が手に握られている。一体何があった、存在感が今迄と段違いだ。なのに、浮かべる微笑みは、間違いなくあいつの物で……。


 イリスが、地面にその手にした杖を突き立てた。瞬間、周囲のすべてが眩くも柔らかい、不思議な光に包まれた。






 ああ……凄ぇ……綺麗だ――……










「町の連中は、あらかた退散したっす、若旦……っと、町長」

「よし……すまないな、お前たちまで貧乏クジを引かせてしまって」


 辺境も辺境のこの町に兵士は存在しない。ここに残っているのは、町の若者の有志で結成された自警団の中でも、今まで戦闘に巻き込まれた怪我人のうち、あの化け物の攻撃による謎の症状によってまともに移動もできなくなっている者たちで、全員が避難している者たちの足枷となることを嫌い、志願して町民の逃げる時間を稼ぐ、あるいは奴の進路を逸らす捨て石になることを決意した者たちだ。


「何言ってんすか。それを言ったら町長こそ逃げりゃよかったじゃねえすか。あんたまだ親から立場引き継いで間もなくて若いんだし、奥さんだって待ってるだろうに」

「はは……家内には、本当にすまないと思っている……だが、私は若輩とはいえ町の皆の長を継いだものだからな……旅の若者に全部任せて、ハイさよならってのはなんか、こう……格好悪いじゃねぇか」


 視線の先で、まだ戦ってるであろう彼らの姿を思い浮かべる。何件も町中の懸案事項を片付けてくれた腕利きの彼らが、襲撃された町民の前に割り込んでくれなければ、損害はもっとずっと深刻だったのだ。とはいえ、旅の彼らにとっては何の縁もない知らない街の話だ。よほどのお人よしでもなければ危険を感じたら逃げるだろうし、それを責めるつもりはない。気がかりなのは、家内が見失ったという、彼らの連れの少女がまだ見つかっていないという事だが……。


「……嬢ちゃん達も見つからねぇんでしょう? 無事でいるといいんすけど」

「ああ、まったく……!?」


 突如、何かが爆発したような勢いで、町の方がまるで夜明けが来たように明るくなる。


「なんだ、あの光は!?」

「わ、わかんねぇ、何かの魔法っすか……ね……って、あ、あれ?」

「どうした、何があった!?」

「怪我が……なんか、全部なんとも無くなってるっす……」

「なん……だと?」


 見れば、周囲の諦めの表情に沈んでいた者たちも、戸惑ったように自分の体を見ている。この光を浴びた者全てが……では、この光は全て治癒術によるものだというのだろうか。しかし、あれだけ遠くからここまで効力を及ぼすような大規模なものなど聞いたことがない。それは、まるで……


 誰からともなく、膝を着いて光の方に向かって頭を垂れだした。中には、涙すら流して祈りを捧げる者まで居る。


 まるで、これは、今ではもう伝承の中にのみ語られる、かの……











「諦めなければ、きっと……!」


 背中が破裂しそうに熱い。ばきばきと、光翼がその出力を上げて、色が金から白へ、一層眩く白熱していきます。


「きっと……どんな闇だって、開ける……!」


 足りない。まだまだ、全てを出し尽くさないと。ぎりぎりと全身が軋み、何かが背中に引き集められていくのを感じます。まるで羽化するように、新たな光が背に生まれていきます。


 ああ、そうだ……これが、私の護りたいものを護るための、私の翼。


「――ここに、全ての傷、全ての呪縛、全ての悪意から救済を……開け……開け『聖域』……っ!!」


 夜明けのごとく夜の闇が切り裂かれ、眩い白光が世界を埋め尽くしていきます。左右対称の6枚の巨大な光翼の間に、さらに新たな小さめの4枚、合計5対10枚の翼がばさりと広がり、ふわりと、私の体が地から離れ、わずかに離れたところで滞空しました。周囲を取り囲んだ影たちがおびえたように後退し、二人に纏わりつき苛み続けていたはずの黒い靄が、あっさりと霧散して跡形もなく消滅していきます。


「何だ……この光、浄化なのか?」

「凄……あっというまに傷が。体力も魔力も……」


 呆然と、全ての傷と戒めから解き放たれ立ち上がる二人。万全の状態に復帰した二人に、胸を撫でおろします。


 以前の『聖域』より遥かに範囲は拡大し、直径およそ200mくらい。この範囲でならば。


「……私の前に、呪いの類の存在は許しません。さぁ」


 呆然と見上げる二人に、ふわりと微笑みかける。


「長くは、持ちません。そうですね……一分、程でしょうか――頑張って、二人とも!」

「……十分だ!!」

「任せろ!!」

 二人がばっと立ち上がり、各々の武器を構えます。その姿にすでに先ほどまでの弱気はなく、背中合わせに立ち、『奴』に向かってそれぞれの武器を突きつけ叫ぶ。


「「『リリース!!』」」


 たちまち、レイジの腕と足から線のような光が複雑な模様を描き、手足に妖精の羽根のような光を纏います。ソールの頭上に1m近い円環が浮かび上がり、眩い光を放ち回転を始めました。人族の上位種エインフェリアと、天族の上位種セレスティア。転生した上位種族にのみ許された、種族特徴解放。数日に一度のみの使用しかできませんが、全ての能力を大幅に上げる切り札です。


 手にした白光の杖を一振りする、それだけで二人の武器が私の翼と同じ色の光に輝き出します。周囲を舞う羽根が、二人に寄り添いまるで守るように舞い踊っていきます。


「『ルミネイトエッジ』『マルチプロテクション』。今度こそ……二人は私が守ります……!」


 どちらも、先の戦闘で使用していたものと同系統の魔法ですが、私の変化を受けたそれは、劇的に効力を向上させています。


「俺はちょっと用意に時間がかかる、先手は任せたぞ、ソール!」


 レイジの剣に再び生命力が流れ出し、刀身に封じられた機構が解放され、がしゃがしゃと無数のスリットが開き始め。


「了解、任された……!!」


 限界まで腕を引き絞り刺突に構えるソールの剣先に、エネルギーが渦を巻き始めます。


 敵の触手が一斉に二人に襲い掛かります。空を埋め尽くすほどの影の触手の雨。が、しかし。その全ては二人の周囲を舞う羽根が眩い光とともに弾き飛ばし、触れることも叶わず逸れて周囲の地面だけをむなしく抉り、いたずらに堆積した雪を巻き上げるだけに終わります。この羽根はその一枚一枚が『プロテクション』であり、無数に重ねられたそれはたとえ数枚吹き飛ばされたとしてもそうそう抜くことはできません……いいえ、抜かせはしません。


 それならばと、周囲の無数の口たちが一斉に、こちらを向きました。先程までの私であれば、きっと戦意を失っていたに違いありません……しかし、今は周囲がとても良く分かります。一つの気配が、私の背中を押している事を。その気配は、今まさにこの瞬間……相手が、一点に、一直線に集まるその時を待っていたのですから。


 私の背後に、闇から這い出てくるように忽然と、一人の人影が現れます。


「にゃははは!! 出っ番かな、待ってましたぁ!!」


 迷彩魔法で潜んでいた、機をじっと伺っていたミリィさんが、いつの間に解放していたのか、魔族の上位種族、ノスフェラトゥの特徴である、背の大きな蝙蝠のような翼をはためかせ、すでに詠唱を終わらせていたのであろう、複雑かつ巨大な魔法陣をバックに高笑いを上げて。


「『ライトニング・デトネイター』!! たぁっまやぁー!!」


 ――轟音。迸る電撃が、白の世界を紫電に染め、私を避け、私の周囲に全て殺到していた『口』たちをみるみる消し炭に変え、のみならず、二人の横を駆け抜けて直線状全ての影を飲み込み、奴のところまで一直線に道を拓いていきます。


「……あんた!? なんでここに!!」

「にゃは、姿を晒してもお二人の邪魔になっちゃうから、ずっと準備してスタンバってたにゃ、一網打尽にできる美味しいところを頂くために! 頂くために!!」


 ソールの驚愕したような問いかけに、盛大にドヤ顔をしたミリィさんがおどけて答えます。しかし……よく見ると、彼女の杖を握る手は血まみれでした。自分で指を噛んで堪えていた物らしく、はたして、ただ機を待って目の前で傷つく二人を見続けるのはどれほどの辛酸だったのでしょう。それでも、この時を信じて潜んでいてくれていました。


「ドヤ顔すんな腹立つ!! はぁ……助かった!!」

「貸し一つにゃ。いつか返してもらうのよ、具体的には街の一番高いスイーツで!」

「お前、こんな時に……まぁいいか、それくらい。おかげで奴が良く見える……まずは、その生意気な剣から貰い受ける!!」


 ソールの剣が、前方に複雑な模様を刻んでいきます。それは、瞬く間にソールの身の丈を超える巨大な光の陣を形作っていきます。


「道を圧し拓く! 『チェインバインド・ランページ!!』」


 ソールの足元が轟音を上げて爆ぜました。陣を潜り、闘気の奔流を纏った剣を手に、猛然と突撃するソールの背後から、無数の光る鎖が現れます。剣先より放たれる螺旋の奔流が、先程削られた空間を埋めなおそうと殺到する影たちを消し飛ばしながら、『奴』の剣になった腕と交錯し――


 剣に宿った白光が炸裂し、歪な剣は僅かな抵抗も許されずに、甲高い結晶の砕ける音を残して瞬く間に宙に溶け、破片一つ残さず消滅していきました。武器を失い無防備になったことろで、後を追っていた鎖が『奴』を締め上げ拘束し、その動きを雁字搦めに封じていきます。その鎖によって一直線に結ばれた道にはもはや何の障害も存在せず、『奴』はただ不格好にその身を曝け出しているだけとなりました。


「お膳立ては済んだ、締めは譲ってやる……行け!!」

「それじゃ、道は開いたからあとはまかせるにゃ、センパイ!」

「……ああ、任された。いくぜぇ、『竜眼解放』……っ!!」


 レイジの剣の柄中央のスリットが開き内部の目のような結晶が露になり、力場が再展開されてレイジの持つ『アルスレイ』が本来の姿を現していきます。同時に、再び赤い触手が腕に伸び、レイジの体力を奪っていく。しかし、次の瞬間には光が舞い踊り、失われた体力をみるみる蘇らせていく。どれだけ消費しても、いくらでも補充して見せる……今は私がいます!


「……やっちゃてください、レイジ!!」


 私が力強く握り拳を突き出すと、ありったけの白光がレイジの剣に収束されていきます。『アルスレイ』の展開する力場が赤から白へ。臨界に達した剣は、りん、りんと鈴のような音をあげ、その身に宿した破壊力を早く解放させろと声を上げているようで。


「もう一回、吹っ飛びやがれぇ!!」


 神速の踏み込みから、貫き胴に振りぬかれたレイジの剣は、奴の中心である結晶を深く深く切り裂き……その剣の纏った白光が、まるで太陽のように敵を内側から焼き尽くし、炸裂していきました。






 何も見えない程の、眩い純白の世界。




 全ての光が収まり、白光の残滓がはらはらと雪のように降り注ぐ中、周囲がようやく思い出したかのように夜の闇を纏い始めた時、『奴』の姿はもはや、塵一つなく、完膚なきまでに消滅していました――……






【後書き】

 補足。レイジは『イリス』という架空の女の子に一目惚れし、自覚する前に中身が主人公と知って速攻失恋したのであって、BLではありませんでした。

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