浸食
森の中で見つけた異様な破壊の痕跡。村の方へ続く、木々が黒く腐り落ち、周囲に僅かに何かの結晶のようなものが付着していたソレを追っているうちに、ソレと遭遇した。
すでに場所は町の一角で、いくつかの家が無残に崩れ落ちている所で俺たちが駆け付けた。避難中と思しき町民の一団との間に割り込んだ俺たちが相対したのは、異様な化け物だった。
ファントム系列……と思しき影のような黒い体を、水晶のようなものが覆っている。上半身と下半身は腹のあたりで分かれ、その中心にある結晶のようなものを軸に好き放題可動してくるため非常に動きを読みずらい。左腕を丸ごと覆った、結晶の寄り集まった剣は、傷ついた場所からじわじわと何かが漏れ出るような苦痛を伴った負傷を作ってくる。全身至る所から、そして付近の地面から、次々と湧いてくる帯状の影のような触手のようなものも相手にしなければならず、手数が全く足りていない。
剣が重い。身に着けた鎧は決して重装備ではないが、今にも膝を着きそうな負担を与えて来る。そして、攻撃がほとんど効かない。結晶は硬くほぼ傷つかず、それ以外の部分はと言うとまるで斬っている手ごたえがない。ソールは光属性を持っている技のいくつかは効果があるようだが、到底決定打にはなりえず、時折空からちょっかいをかけて来る空飛ぶ口のような小さいのも相まって、ジリジリと追いつめられていた。
「レイジ! ソール!?」
町はずれに到着した僕の目に飛び込んできたのは、信じられない、いや、信じたくない光景だった。あの二人が、傷に塗れて膝を着いている。
「い、今、回復を……」
「馬鹿野郎! なんで来た!?」
「イリス、逃げろ、早く!!」
「……嫌です! 私も……一緒に戦う! そう決めました!!」
逃げない。説得というには土壇場過ぎる状況だけれど、自分のやりたいことを伝えるんだ。杖の先に光が灯る。二人の状態は普通ではない、まずはコンディションを万全に。
「範囲設定、完了、『レストフィールド』!!」
二人の周囲に展開された光の陣が、二人に絡みついていた悪い物を溶かしていく。続いて、基礎のヒール。みるみる、二人の傷が綺麗に消えていく。
「二人の位置に合わせて陣はリキャストごとに張りなおします、進んで! 『ワイドプロテクション』! それと『ヴァイスエッジ』!!」
僕を含め三人の体が薄い光の障壁に覆われ、二人の武器がアンデッドや精神生命体特効の浄化の力を纏って白く輝く。
「……わかった。それがイリスの意志なら、私はもう何も言わない」
拍子抜けするほどあっさりと、ソールが許可を出す。
「全く、素直じゃねぇなあ。本当は、今日を最後にちゃんとお前も連れてく、そういう話になってたんだよ」
その言葉に、目をぱちくりさせる。
……なんだ、二人とも、ちゃんと聞いていて、考えていてくれたんじゃないか。
「……二人とも、昨日は、ごめんなさい」
「私も……イリスの気持ちを考えていなかった。許してくれ」
「こちらこそ……悪かった。それに、正直言うと助かる。イリス、手伝ってくれ!」
「……はい!」
杖を握りなおし、構える。震えはない。大丈夫、やれる!
「二人とも、上空の『口』を減らします! カバーを!」
「ソール、頼んだ! こっちは10秒持たせる!」
「ああ、任せた。 さぁ、いつでも!」
周囲に迫った影の触手。先ほどまでは攻撃の通じなかったそれも、今の白い光を纏ったレイジの剣は容易く切り飛ばす。そこから抜けてきた数本はソールが発動した魔法、『チェインバインド』により絡めとられ動きを止める。そっと背中を支えられたのを確認し、きっちり詠唱し最大出力を宿した魔法を解放する。
「『ディバイン・スピア』、
光の翼をはためかせ、追加のワードを加えさらに本数の増した7本の光の槍が、上空を旋回している『口』を狙いたがわず撃ち落とす。以前の山賊の時に気が付いたが、この翼を出していると一部の魔法の性能が強化され、ゲームだった時の限界を超えることが可能であったのは検証済みだ。相応に反動は大きくなるが、それは後ろで補助に回っているソールが使用した防御魔法と本人に柔らかく受け止められ、体への負担は最小に抑えられる。
「……10秒後、レイジさんの周囲に再度『レストフィールド』展開します」
「両サイドの『触手』は制圧は完了した……レイジに協力して戦線を押し上げる、イリスも気を付けて」
「はい、ソール兄様」
目線を交わし、ふっと二人で微笑み、即座に持ち場へ移動する。こうして肩を並べるのは本当に久々だ。じりじりと戦線は奴に向かって上がっていく。あと……目算およそ50メートル。
奴の攻撃には呪詛効果があるらしく、傷を受けると能力がガタ落ちする。しかし、それは僕が居る限り、地面に設置した『レストフィールド』を軸に行動すれば問題ない。落ち着いて対処していけば、優勢を維持できる。深呼吸し、周囲の状況を改めて眺め……そんなとき、周囲をうろうろしていた『口』が、一斉にこちらに向けてかぱりと口を開くのに気が付いた。
「気を付けて、二人とも! 何か……!?」
何か来る、そう警告しようとしたとき、気がついてしまった。
『ぎゃはははははああああああ!』
『すべすべ、すべすべだああああははははは!』
『もっともっともっとおおおおびえおびおびえてててみせせええええ!』
『あはははないてるないてるひめさまないてあはははは!』
一斉に、不快な声で不協和音が放たれる。
「がっ!? なん、だ、これ……力が……!」
「く、そ……この音自体、呪いか……っ!?」
目の先で、音をモロに受けた二人が膝を着く。
心臓が、止まりそうだった。
なんで、なんでここで、こんな時に、こいつらなんだ。
奥の本体の『奴』の、一つしかない顔の赤い光と目が合う。そうだ、目だ。あいつの目には、見覚えがある。 あいつの周囲の小さい物も、その穢れた歯並びには見覚えがある。
「なん、で……そんな……」
膝が一瞬で力を失い、ぺたんと座り込む。動悸が激しい。ぐねぐねと視界が歪む。
「馬鹿! 逃げろ!?」
「イリス、後ろ!」
「……っ!?」
周囲に、好機とばかりに『口』が三体囲むように浮遊していた。
『ねぇねぇひめめめさままままあおぼうあそぼあそぼうぜぜぜ!!!!』
『いいこといいこといいこととおれらららららああ!!』
『ひひひひめさんんおいしおいしししかみたいかみたいかみたたた』
「いっ、ぁぁあああぁぁああああ!?」
耳朶に直撃した声が、耳から脳を揺さぶり犯していく。思わず耳をふさいで目を瞑ってしまったところに、脚に、その表面を守る障壁に、いつのまにか忍び寄っていた影がしゅるりと絡みつく。景色が、突如流れた。
「きゃあああああ!?……あぐっ!?」
何かに引っ張られ、束の間の浮遊感の後、全身を強かに打ち地面を何度も何度も転がる。大半の衝撃はプロテクションに防がれたが、急な動きに三半規管が悲鳴をあげ、ままならない体をよろよろと持ち上げる
「おおおおお゛お゛お゛っ、ぃい゛い゛い゛ぃりぃいいいすぅ、ちゃあああん?」
「ひっ!?」
間近に、奴の顔があった。のっぺらぼうだった黒一色の顔に三日月型の赤い線が割れ、にちゃあ、と音がしそうな、やけに嬉しそうな粘ついた声が、僕の体を竦ませる。
「イリス! くそ、お前ら邪魔だ!!」
叫ぶレイジの声が遠い。完全に、敵の真正面で孤立していた。
「あ、あああああぁぁ……」
「いい゛い゛いぃことぉして、ああ゛あ゛そぼうぜぇええええおおおひぃぃいいめぇぇえさまぁあああ!!」
ずりずりと、座り込みへたり込んだまま少しでも離れようとあとずさる僕に、奴の体から無数の影のようなものが伸びてきて、みるみる手足が拘束されていく。辛うじて、薄紙のようなプロテクションの光が直接の接触は拒んでいるが、それを越してなお凄まじい悪寒が、恐怖が、危険を訴えている。これに直に触れたら駄目だと。
そして、ぱき、ぱき、と障壁が軋み、耐久の限界の近いプロテクションが罅割れる音がやけに耳に響く。
「ひっ、あっ……ぷ、『プロテクション』!!」
新たな障壁が体を包む直後、もともとあったほうの障壁が淡い光の欠片を残して宙に消える。
だめだ、これ、持たない。張りなおしたはずの障壁が再び軋みをあげ、びしびしと亀裂が入る。
「や、ぁ……『ワイドプロテクション』!!」
更に一枚。先程のプロテクションが、20秒も持たず砕け、さらに追加した障壁に影が襲い掛かる。
「そん、な、はや、早すぎ……ぁぁああ!?」
……『プロテクション』のクールタイムは、およそ1分、あと、40秒近く使用できない。『ワイドプロテクション』は1分半。全身を影が這いまわるこの状況では、『ソリッド・レイ』は僅かな足止めにもならない。
「ああああああ!? プロテクション! プロテクション!? なんで、なんで!?」
間に合わない。間に合わない! 間に合わない!?
もはや最後の障壁は皹だらけで、レイジたちは遥か遠い!
ぴしり、ぴしり、と最後の抵抗の音がむなしくカウントダウンのように耳を叩く。無限のように引き伸ばされた時の中、もはや、絶望してそれを眺めることしかできなくて
「あ……あ……」
ぱきん、と、最後の障壁が宙に消えた
「うぁ!? やぁ、やだぁああああ!?」
ぞろりと、ついに直に影が腕に、足に巻き付く
「いっ!? ぎぃ!? やぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あっ!? ぁぁぁああああ゛あ゛あ゛あ゛っ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
瞬間、脳が許容量を超えた衝撃にスパークした。凄まじい悪寒が全身を貫く。冷たく重い何かおぞましい思念が触れた場所から流れ込み、体の中で必死に抵抗するこの体の浄化の力とぶつかり合い、衝撃に体が内部から痛めつけられ無秩序に激しく跳ねる。
――意識が真っ白に飛ぶ
――しかし次の瞬間には、衝撃で目覚めた。何度も、何度も。
手足に絡みついていた触手が小さな体をいともたやすく宙吊りに持ち上げ、ためらいなく僕の中心へとぞわぞわと侵攻してくる。抵抗する暇もなく蹂躙するそれは、瞬く間に腕を拘束している物が服の裾へ潜り込み、胴体を服の下で嘗め回す。足の方も、膝を、太ももを、その上も。白い肌を余さず這いまわり、そのたびに肌を浸透してくるおぞましい何かがまるで僕の体全てを塗りつぶそうとしてくる。全身の皮膚から浸食してくる何かはあっという間に全身を飲み込んで、瞬く間に抵抗力を奪っていく。
体は必死の抵抗をしているのに、絶え間なく全身を這いまわる影から送られてくるソレは総量が違いすぎる。儚い抵抗は容易く飲み込まれ、激しくビクビクと跳ねていた体は徐々に動きを鈍くしていた。力の抜けた体はぎりぎりと締め付けられ、みしみしと悲鳴をあげている。ぱき、ぴし、と、何かが罅割れる危険な音が体のあちこちから響いてくる。なのに、すでに痛みを全く感じない。
体が、侵略者に屈服していく。まるで全身の血管という血管を血液から氷水に入れ替えられたような、冷たくおぞましい何かに占有され、もはや時折痙攣してわずかに跳ねる以外指の一本も動かせないほど暗く凍り付いている。
「……あっ……あっ……ひぅ!?」
つ……と何かが触れてはならない場所に触れた背筋の凍る感触。ただ僅かに接触しただけで、今までと比べ物にならない勢いでおぞましい物が体に流入し、さらに深く深く体を穢していく。
とうとう、儚く明滅していた光翼が数枚の羽根を散らせて消え、だらりと力なく垂れた腕から最後まで持っていた杖がからんと音を立てて地面に落ちた。抵抗する力が完全に消えたのを察したのか、ついに『そこ』に狙いが定められたのを、何故か感じた。
――まず、い、貫かれ……
「させるかあああああああああぁぁぁああ!!!」
いつのまにか、禍々しい力場に覆われた剣に持ち替えたレイジが、僕を拘束していた触手を地面ごと切り裂く。僕を覆っていた影は瞬く間に消え去り、支えを失った体が地面に落ちる……前に、ソールに抱き留められた。
「ソール! イリスを連れて逃げろ!!」
「……すぐ戻る! ちゃんと……持ちこたえろよ!!」
待って、レイジが……玲史が死んじゃうよ!?
一人敵の中に残ったレイジの背中が離れていく。そんな、これじゃ二人を窮地に追い込んだだけじゃないか。やだよ、やめてよ、こんな、せっかく認めてもらえたのに。
「……レイ……ジィ……っ!」
伸ばそうとした手は、僅かにも支えきれず重力に負けて落ちた。
「……行ったか」
手にした剣を構えなおす。
普段は装飾気のない真っ黒な長剣だが、竜眼解放という機能を使用することで変形し、力場を纏った大剣へと変貌する――竜玉シリーズ『崩剣アルスレイ』。
ゲームの時は、希少な竜系レイドボスから極々低確率でドロップする竜玉をもとに、やはりレイドボスの希少素材をふんだんに使用して作成する、ゲーム全体でも全武器種合わせて両手で数えるくらいしか所有する者の居なかった正真正銘廃人用の武器で、あのソールすら羨んだ俺の切り札だ。
流石に、竜眼解放状態のこれであれば傷つけることが可能なのは確認できた。
しかし、それで状況が好転するかというと否だった。
この武器の欠点……威力を高める代わりに、所有者の体力を貪るのだ。現にいま、右腕に刺さった管が赤く明滅し、俺の体から何かが剣に流れている。
ゲームであればHPだったものが、実際こちらでこうして使ってみると生命力そのものが削られていく危険な感じがする。今までで散々弱った体で、万全の状態でも苦戦した相手にどこまで食い下がれるか……
「……やるしか、ねぇよな」
先程ソールに連れられて遠ざかっていく、僅かばかり名前を呼んだ弱々しく悲痛な声は未だ耳に残っている。あいつをこんな世界に一人残して消えるわけにはいかない。
たとえ、どれだけ絶望的でも……最後まで、足搔いてやる。
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