お話をしましょう
突然目の前に現れた変な女の人が、僕と
「……っ!」
思わず立ち上がって逃げようとして……足に力が入らなかった。両足が踏ん張り切れずに、体が、後ろにどんどん傾く。やば、これ、頭……
「っと、危な!?」
思っていた衝撃は来なく、代わりにぽよんと柔らかい何かに受け止められる。
「ふー、いきなり心臓にわるいことはやめてほしいにゃ」
その人に抱きすくめられて、目をぱちぱちさせていた。
「とりあえず自己紹介にゃ。私は綾芽ちゃんの高校の頃からの友達で、玲史先輩の後輩にゃ。ゲームではミリィって名乗ってたにゃ」
「あの……その口調は」
「あー、これにゃ? こういう口調してると直結厨が勝手にネカマって勘違いして寄ってこないからこうしてたら、そのうち癖になってたにゃ」
「は、はぁ……」
予想以上にどうでもいい理由だった。
というか、綾芽に友達が居るって知らなかった。そういえば、僕って玲史と綾芽の交友関係って殆ど知らない……?
「あ、ちなみにキミのことは全部綾芽ちゃんに聞いてるから大丈夫よ。それと誰にも話さないってちゃんと約束もするにゃ」
……まぁ、あの綾芽がその辺の信用ならない相手に変なこと言うとも思えないし、それなら大丈夫……かな?
「さて、自己紹介が済んだところで本題……と言いたいのだけれど、その前にやらないといけないことがあるわ」
急に真面目な口調と顔になるミリィさん。
「今から、ちょっと触るわね、本当に駄目だったらすぐに言うように」
「……え?」
腕が軽く引かれ抱き寄せられる。気が付いたら、その豊満な胸に顔を埋める形で抱擁されていた……どこがちょっと!? 邪な考えよりも、拘束されたことに手が、体がびくんと跳ねそうになる。怖い、怖い怖い怖……あれ?
何かが優しく、背中を一定のゆったりとしたリズムで叩いている。あれ、それほど、怖くない……?
「そう、怖くない、怖くない。そんな怯えた目をして、きっと怖い目に逢ったんでしょう? 大丈夫、私はイリスちゃんを絶対傷つけないから。落ち着いてきたら、周囲の雑音から意識を逸らして、私の胸の音だけ聞きなさい……ね?」
背中を叩かれてるうちに、徐々に気分が落ち着いてくる。言われた通りに、その音にだけ集中する。
……ああ、聞こえる。とくん、とくんと、一定のリズムで動く音。それに集中すると、周囲の音も、人の流れも、だんだん気にならなくなってくる。こうして優しく抱かれて、暖かな体温に包まれて、この音だけ聞いていると、なんだかまるで……。
ふと、もう一つの音が聞こえてくる……これは、僕の心音か。あんなにおかしく脈打っているとばかり思っていた僕のそれは、いつも通り、そこで動いていた。
あ、やばい、これ、心地い……――
「う゛う゛う゛う゛ぅぅぅ……」
気が付いたら結構時間が経ってた。途中の記憶がすっ飛んでる。事態を理解した瞬間顔に血液が集まって、目の端に涙も溜まってきている。
「にゅふふ……やっぱり小さくて可愛い子にこうするのは本当にいいわぁ……腕の中でもぞもぞ動く感触、無防備に母親を求めるようなそのいじらしさ、本当にたまんないわぁ……」
なんだか満足げにうっとりしているミリィさん。どうしよう、恥ずかし過ぎて顔を上げれない。女の人の胸に抱かれてその心音で安らいで……最後はちょっと寝てたなんて、これって、まるで赤ん坊じゃないか。
「あ、あの……何だかいろいろ、すみませんでした」
「いいのいいの。役得って奴よ。それに、せっかくだからこの機会にもっと色々吐き出しちゃいなさい。人目のない処の方がいいわ、どこか借りてる部屋とかある?」
「えっと、一応、使わせてもらってる部屋があってそこなら……」
「よし、それじゃそこでラウンド2ね……拒否は却下、キミ、酷い顔してるもの」
思わず答えてしまうと、有無を言わさずにずるずると、気が付くと自分の部屋まで引きずって連れていかれていた。
「あの……どうして私は膝に抱かれてるのでしょう?」
部屋に着いたとたん、ひょいっと抱き上げられた。女の人にお姫様抱っこされるなんて、恥ずかしさがヤバいけど……というか、そんなに軽いんだ、この体。今後はちょっと頑張ってご飯食べようかな。って、そうじゃなくて。動転して何か言おうにも頭が真っ白になっているうちに、ぽすんと座らされた。……ベッドの上に座ったミリィさんの膝の上に。
「気にしなーい気にしない。座り心地は悪くない? 自分では結構柔らかくていいんじゃないかなーって思ってるんだけど」
「それは、その……はい、すごく」
どちらかといえばグラマラスなミリィさんの体が柔らかく全身を包んでいるため、それはもう……って、いやいやこれはどうなの?
「それに、これなら怖くなってもすぐにこう、ぎゅってしてあげられるじゃない?」
びくり、とその言葉に背中が震える。忘れていた恐怖がじわじわと戻ってくる。
「怖い、事、するんですか……?」
「そうね、確かに怖いと思う。キミがいま酷く怯えてる理由を話してもらうつもりだから。最初に見た時からずっと気になってたのよね、キミは今にも壊れそうだなって」
「……っ!?」
とっさに振りほどいて逃げようとするが、すでにがっちり捕まっていて非力な体ではそれも叶わない。
「ごめんなさい、だけど逃げちゃ駄目。ちゃんと、その胸の内の悪い物は吐き出さないとダメよ」
「そんな、無理です、嫌! あんな事、思い出したくない……!」
優しい人だと思ったのに、なんでそんな急に酷いことを言うの!? じたばたと逃れようとするのに、押しとどめるその腕はまるで外せない。
「それでも、やらせるわ。キミも、玲史先輩も、男だから解決法にばかり目が言って軽視しがち。綾芽ちゃんも、なまじなんでもできる子だから分からない。だから、多分、二人ともただ過保護にして腫物のように触れてこなかったんじゃないかな?」
息が詰まる。図星だった。まるで、見て来たかのように、ミリィさんの言うとおりだった。
「やっぱり……推測だったけど、大きく間違えては無かったみたいね。だから、キミはここまで辛い物を貯めこんでしまった。けど……誰かに話すっていうのは、キミたちが思っているよりも大切な事なのよ?」
真面目な口調に変わって、まるで諭すかのように優しく囁く声。
「特に、特別怖いことがあった後は、それを自分の過去から切り離して断片化して考えちゃうから、時々ふとした拍子に思い出しては無性に怖くなるの。それはまだ終わってない過去だから。今のキミがそんな状態。だけど、それは本当はもう終わった事。キミは、もう助けられたからここに居るんでしょう? だから、たとえそれが怖い事でも、起きた出来事を「終わった物語」として整理して、きちんと自分の中に受け入れる必要があるの」
「で、ですけど……きっとすごく、取り乱すと思いますし、ご迷惑を……」
「いいの。その過程で怖がってもいい。泣いてもいい。ちゃんと誰かに聞いてもらって、「そういう事があった」っていう自分の過去にしてしまうの。だから……」
とんとん、とお腹を優しく擦る手の感触がする。なんだか、力が抜けていく。ジワリと涙が溜まっていく。良いのだろうか、弱い部分をむやみに見せるのは恥ずかしい事と思っていたけれど、隠さなくても。
「どれだけ時間が掛かっても聞いてあげる、一回で駄目だったら、また会いに来て聞いてあげる。だから……全部話しなさい?」
促されるまま、全部話した。最初は恐る恐るだけど、一度話してしまうと堰が決壊したように止まらなかった。そうだ、ずっとこうして吐き出したかったのだ。元の世界の事件の事。妹の事。レイジとの出会い。ずっと一緒に居た話を諸々。それから、こちらに来た後の事。
捕まっていた時のことは屈辱で、怖くて、辛くて、何度も意味が分からないほど言葉がおかしくなったし、沢山、沢山泣いた。
今自分に起きている事。元の世界と性別すら変わってしまった身体。自分が自分でなくなるかもしれない恐怖に、これ以上ないほどみっともなく取り乱した。
そして……このままでは、自分はあの二人の脚を引っ張ることしかできない、不要な存在になってしまうんじゃないか、そんな不安。にもかかわらず、話も聞いてくれない二人への不満や怒り。
本当に、沢山みっともないところを曝け出したと思う。ずっと、二人が離れていくのが怖くて言い出せなかった自分勝手なことも沢山言った。だけど、そのたびに何も言わずただ抱きしめられ、優しく撫でられている度に、不思議と感情の波が落ち着いてくるのを感じていた。
全て話し終わった時、すでに日は落ち掛け、西の空が赤く染まっていた。すっかり泣きはらして目の周りは真っ赤になってしまったけれど、話す前に比べると不思議とスッキリしていた。女性は解決方法じゃなく、誰かに聞いてもらう事自体を望むと何かで言っていたし、不合理だなぁと男だった時は思っていた。けれど、こうしてみるとなるほど、それは生きていく上での大切な知恵なんだなとそう感じた。
「……さて、イリスちゃん。キミは、二つ、悪いことをしたのは指摘させてもらうわよ」
「う……はい……」
びくりと背を正す。特に昨日今日の事は、落ち着いた今になっては反省することだらけで、まるで悪戯がバレた後みたいにそわそわと落ち着かない。
「まず一個。無断で、外に出たこと。これは、方法はどうあれキミを心配していた人との約束を反故にした、言い方を変えればキミを心配している人を蔑ろにしたという事なの。これは良いわね?」
「はい……」
いきなり姿が消えていたらそりゃ驚く。きっとすごく心配を掛けてしまう。僕は二人が心配であんなに押しつぶされそうだったのに、それを今度は僕が二人に与えてしまう所だった。そんなことも分からなくなっていたのかと罪悪感が半端ない。
「もう一個。感情に任せて、会話を打ち切ったこと。たしかにわからずやだったかもしれないけれど、あなたが本気を示すなら、それを何度でも話し合って、説得して、納得させなければいけなかったの。怒って切り上げたんじゃ、それは逃げたってことよ?」
「はい……おっしゃる通りです、今思うと本当に恥ずかしいです……」
穴があったら入りたい。思い通りにならないからと癇癪を起こして自分を認めろって言っても、そりゃ無理じゃないか。ぐうの音も出ない。どうしよう、まるで頭が上がらない。
……あれ?
ふと思ったけど、この子、綾芽の友達ってことは実年齢だと僕より年下だよね? なにこれすごくお母さんっぽい。
「それじゃ、それを踏まえて、イリスちゃんはどうしたい?」
「……謝り、たい、です。そして、そのうえできちんと、今後の話を聞いて欲しい……です」
「うん、よし。それじゃ、戻ってきたらちゃんとできるわ……ちゃんとできるにゃ?」
今更取り繕うように語尾を作り出したミリィさんに、思わずぷっと噴き出す。
「あはは……はい、戻ってきたら、ちゃんと謝って、ちゃんとどうしたいか話して、今度こそ、認めさせてみせます!」
ひとしきり笑い、目の端に浮かんだ涙を指で払い、晴れ晴れとした気持ちで笑顔で快諾する……あれ、なんで横を向いてるんだろう。
「……こいつはやばいにゃ……綾芽ってば、何てもの作ってくれちゃってるのよ、もう」
口元を抑え、明後日の方向を向いてぶつぶつ呟く彼女に、僕はだた頭上に疑問符を浮かべて首を傾げていた。
「……それにしても、綾芽ちゃんたち遅いにゃ。いつもこんな遅いの?」
「いえ、いつもは夕方になる前には……何かあったのかな」
じわりと不安が忍び寄ってくる。そういえば、外がやけに静かだ、今は仕事帰りの人で喧騒に溢れていておかしくない時間なのに。そんな不安に駆られた頃。
「……くぅ、ぁぁああ!?」
「イリスちゃん、どうしたの!?」
突然、全身を鋭い痛みが貫いた。何か怖い物が近づいている悪寒がする。この傷みは覚えがある。あの、こっちに来て間もなく、森の中で……っ!?
そんな時、俄に階下が騒がしくなる。誰かが階段を駆け上がってくる音がする。ドアが乱暴に開かれ、飛び込んできた慌てたミランダさんが息を切らせて叫んだ。
「お嬢ちゃん、ああ、よかった帰ってたのかい。早く逃げな……町に、町におかしな魔物が入り込んだって!!」
「……っ!」
心臓がぎゅうっと絞られるような感じがした。
「あの、私は多少戦う術があります、避難する人の手伝いを……って、ちょっとキミ!?」
「ごめんなさい、私は、レイジさんとソール兄様を探してきます!」
壁に立てかけてあった杖を取り、二人の手をすり抜け、自身に身体強化魔法をかけて街に飛び出した。あの二人がそうそう負けるはずがない。そう信じているのに、胸騒ぎは止まらず、どんどん酷くなっていった。
【後書き】
作中の行為はフィクションです故、真似なさらぬよう。
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