露呈

 おっかなびっくり部屋の外に出ると、まるで民宿のようないくつもの客室のある廊下に出る。ここまでは、まぁ用を足しに何度か出たことはある。二階にある部屋から階段を下り、久々に直に浴びる陽光に目を細めながら外に出ると、こじんまりとした、しかし手入れの行き届いた雰囲気の良い庭が目に入った。 部屋に居る時にレイジに聞いたところ、ほとんど人の訪れないこの町……というか村に近いらしいが、ここには宿屋が無く、外から来た人に町長の厚意で宿代わりに開放されている離れらしい。

 ……ここも、ゲームの時には無かった気がする。


「あ、おかみさん、お疲れ様です」

「おや、あんたたちかい。その子、外に出れるくらいに回復したのかい、よかったねぇ」


 そこで植木の手入れをしていた優しそうなおばさんと慣れた様子で挨拶をしている二人。ぼーっと後ろで見ていると、突然話を振られて背中がびくりとなる。


「あー、と。この人は、俺らの世話になってるここの管理もしてる、町長の奥さんのミランダ夫人。イリスは初めて会うよな?」

「事情は知っているし、気のいい方だから、安心して……どうした、イリス?」

「……顔色が真っ青だね。どこか体調が?」


 おばさんの手が伸びてくる。おばさんの? あれ、違う? ごつごつした男の人の……


「――――――っ!?」


 喉から声にならない声で絶叫が勝手に上がる。気が付いたら、ソールの懐に体を丸めて飛び込んでいた。


「……こりゃ、あんた」

「……すみません、部屋では私たちとしか居なかったので、てっきり大丈夫かと」


 頭では優しそう、良い人そうと思っているのに、体が自然と硬直している。


「イリス? 大丈夫、よく見てごらん。ほら、この方が君に乱暴するように見えるかい?」


 おそるおそる顔を向けると、痛ましそうな目でこちらを見つめるおばさん。


「……申し訳、ありません、失礼なことを……」

「いや、いいんだよ……辛かったんだねぇ……早く元気におなりよ?」

「はい……すみません。……少し、手を、お貸しいただけますでしょうか」

「ん?良いけど……って、ちょっとお嬢さん、無理するんじゃないよ!?」


 おばさんの手を取る。きゅうっと心臓が締め付けられるような感じがするが、なんとか大丈夫だ。おばさんの手は少し水仕事で荒れていて、土で少し汚れているが、ハーブだろうか、なんだかほっとする匂いがする。これは僕を傷つけない手。恐れなくてもいい。二人も大丈夫と言ってくれたではないか。何度も言い聞かせるうちに、徐々に動悸が収まってくる。


「……もう、大丈夫です。ありがとうございました」


 そっと手を放し、若干の苦笑いをしながらお辞儀をして礼を述べる。先程の震えは収まる。どうやら僕の中で「大丈夫な人」と区分けされたらしく、この人であれば、どうやら普通に対応できそうだ。


「……お嬢ちゃん、大丈夫なんだね?」

「はい。あらためて、暫くお世話になります、おばさま」


 にこりと軽く微笑んで頭を下げると、おばさんはようやく安心したように、無理するんじゃないよ、今日は何か甘い物でも用意してあげるから頑張っておいで、と送り出してくれた。






 深くフードを被って街中に出る。元のゲームであったころの辺境の町とは距離感も建物の数もまるで様変わりした町は道行く人影の数も段違いに多く、最初はおっかなびっくりだったが、こうして全身を隠して、周囲の視線をシャットアウトし、極力周囲の人を見ずに行動している分にはなんとか大丈夫そうだ。


「……やっぱりちょっと辛いか」

「無理だったら早めに言うようにね?」

「うぅ……ごめんなさい……」


 否、残念ながら、ソールの腕にしがみついてなければ今にも腰が抜けて倒れそうだ。この体になってから、やけに視線に敏感で、誰かがこちらに視線を向けるたび、ぞわりと背筋に悪寒が奔り手足が震える。特に、男性の物は時折動悸が激しくなり、呼吸が詰まる感じがする。やはり、かなり悪化はしている……が、それでも、まだこうして出歩ける程度だったことに、僕らは内心安堵していた。


 どうにか、最初の目的地に到達する。こじんまりとした一軒家は周囲にありふれたもので、おそらく普通の家族がごく普通に暮らしていたものだろう。しかし、しばらく手付かずだったのか庭には雑草が生い茂り、娘が行方不明な間の家族の心労が窺える。


「それで、まずここが一人目の被害者の家だが……大丈夫、なんだな?」

「はい……これは、私にしかできない仕事ですから。一応相手は女の子ですので、二人は外で待っていてください」


 その被害者の家族には二人が間に立って事情を話し、今は僕に気遣ってやや離れたところで心配そうに見つめている。本当はソールにも手伝ってほしいところではあるが、先日決めた通り僕らはきちんと今の体に沿って過ごすことにした以上、頼るわけにもいかない。


 案内された部屋の寝台には、一人の女の子が寝かされてた。年の頃は僕と……今の僕の体と同じくらいか。きっと元は素朴ながら可愛らしい子だったであろうに、顔の半分は包帯に覆われ、全身に包帯が巻かれ、さらに……右手が肘より先が見当たらず、痛々しい様で横たわっていた。

 行方不明になってから、およそ一か月……傷口の中にはすでに歪に塞がり、痕になってしまっている物も多い。このままであれば、きっと治療しても今後の人生に大きな影を残してしまうだろう。ゲームの時もそうだったが、プレイヤー以外の神官……治癒術の使えるものはごく希少で、大きな町にでも行かなければそうそう居ないらしい。それでも、これだけの大怪我を治療するのは並大抵ではないそうだが、そう考えると僕の治癒術の効果というのはかなり相当な物らしい。

 とはいえ、既に治り切った傷跡まで治療することはさすがにできない……今までの僕の力であったのなら。

 この時ばかりは、転生済みであることに感謝する。眠っている子を起こさないように、静かに背中の光翼を解放する。あまり人目に曝すわけにもいかず、このために、事前にご家族の方々には外で待っていてもらっていた。患者も、ごく弱い睡眠作用のある花の花粉で眠らせてもらっている。


 スコットさんを治療したあの時から、新たにいくつかの魔法が僕の中に芽吹いていた。いずれも、翼を出していなければ使用できないという欠点は検証済みなものの、その効果は折り紙付きだった。


「……汝、在りし日の姿に還れ……『レストレーション』」


 ぐっと、眩暈がするほど急激に、僕の内にある魔力が吸い上げられる。周囲に漂っていた光の粒が僕の両手の間に集まり、翼と同じ色に眩く輝く球体となる。それをそっと、横たわる少女の胸、心臓のあるあたりにそっと押し込むと……たちまち光は少女の体を覆い広がっていく。効果は劇的で、すでに塞がり傷痕になっている物ですら、溶けるように消えていく。まるで時が巻き戻るように……否、実際に巻き戻っているのだ。

 怪我をしたこと自体を無かったことにする、「治癒」ならぬ「復元」の魔法。一定以上の期間までしか巻き戻れないうえ、鍛錬の成果などの有用な物すらまで消し去ってしまうため、使用できる場所は限られるが、この場合には非常に有用だ。心の傷までは癒せないであろうが、少なくとも……僅かながらでも、この先を生きる希望の足しになってくれればいい……そう願いながら、全ての治療が終わるのを見守る。乱雑に毟られ所々禿げた髪も、抉られた顔の傷も、痛々しく欠けた腕もすっかり元通りになり、劣悪な環境で痩せた体も、完全とは言わないまでもある程度健康的な姿を取り戻す。そのすべてを見届けると、一息安堵の息を吐き、背中の羽を消し去って外で待つ皆に報告に向かった。





 その後も、治療中であれば、やるべきことがはっきりしているためか、発作のようなことは起きなかった。そんなことよりも、目の前の傷だらけの子がかわいそうで、早く治してあげないとという使命感のみが僕の心を支配していた。


 二人目、三人目も訪問し、すっかり外から見える外傷は元通りになり、喜び、涙する家族たちの様子に胸を撫でおろしていると、くらりと立ちくらみのような感じがした。かなり燃費が悪いらしく、大分消耗してしまったらしい。


「そろそろやめにしておこう、体力が戻るまでは無理はしないように」


 目ざとく察したソールが今日はもう帰るという提案をして、もう一件くらいはと言う僕の意見はあっさり二対一で封殺され、帰路に就いた。


 昼頃に宿を出たはずが時はすでに夕暮れ時に差し掛かりつつあり、各々仕事を終え、あるいは夕飯の材料の買い出しか。まばらだった道にもそれなりに人通りが増えていた。


「しかし、最初はどうなるかと思ったが……案外大丈夫そうで何よりだ」

「そうですね。まだまだ被害者の方もいらっしゃいますし、明日も頑張りませんと」


 むん、とばかりに両手を握り、気合を入れる仕草をする。上機嫌なためか、最初ほど周囲の視線は今はそこまで気にならない。


「ははは……何だか嬉しそうだね」

「あぅ……不謹慎だとは思ってるんですけど、こうして誰かの役に立てるということがとても嬉しくて…」


 思えば、僕は誰かを助けるということ自体に憧れていた気がする。多分、「Worldgate Online」でも、過酷だ、止めておけと周囲に言われながらも続けることができたのは、そのおかげなのかもしれない。何故なら。


「『向こう』では、誰かに助けてもらうことしかできませんでしたので」

「それは……」

「何度も言ってるが、俺たちはお前が大事だからやってたんだ、そういう風に思いつめるな、と何度も言ってるだろう」

「……はい。ごめんなさい、レイジさん」


 失敗した。また怒らせてしまっただろうか。こういう話をしてしまうと、レイジは何処か機嫌が悪くなる。しゅんとして視線を落として歩いて……


 これが、いけなかった。今日一日何事も無かったため、油断していた。


 たまたま、本当にたまたま、ふらふら定まらない足取りで歩いていた仕事帰りに一杯吹っ掛けた後であろう男の人にぶつかったのは。小さな僕のこの体では到底衝撃に耐えられず、簡単に吹き飛ばされ尻餅をつく。


「ってぇな、気ぃつけろ!」

「――っ!?」


 恫喝の声に、呼吸が止まった。全身の体温がすうっと下がったような感じがする。


「おい、オッサン、やめろよ、そいつは――」

「大体なんだぁその頭のもんは! 謝るときくらいこんなもの」


 抑える暇も無かった。止めようとするレイジの手はわずかに間に合わず、力任せにフードが剥ぎ取られ、その下の虹に煌めく銀の髪と、素顔が周囲に露にされる。


「――取、れ……お、おぉ……!?」


 眼前で呆けている視線が僕に突き刺さる。あれ、何で頬に風が当たるのか。ああ、フードが……あ。ああ。


「なぁ、あの子――」

「うわ、すげ――」

「どこかの貴族様か――」

「違うわよ、ほら、あの悪い奴らに捕まってたっていう――」


 視線が四方八方から刺さる。獣の欲に塗れた視線が、体中を這い回る。


 …………


 あれ? 僕は町に帰ったはずだったのではなかったか?

 何故まだあの薄汚い部屋に居るのだろう。

 町の人の

 山賊たちの

 好奇の視線が

 情欲に塗れた視線が

 きっちりと外套を纏った体に

 乱暴に曝け出された裸身に。


 見てる。どこを? 

 本来むやみに人目に曝していいわけがない場所を。

 いや、それはおかしい。

 だって隠すものはすでに無くて。

 いや、きちんと着込んでいる。

 あれ。あれ? あれあれあれ?


 手が伸びてくる。

 いや、だれも手なんてこちらに伸ばしていない。

 でも、だけど、手が。手が迫ってくる。無数の、無数の……

 何が? 

 ナニが?






 ――意識が、『僕』が、『私』から、ズレた。






「……ぅぅううあああああああああああああっっっ!?」


 誰かが叫んでいる。やけに声が近い……というか、これは、僕の声?


「ここでかよ!? おっさん、どけ!!」

「ち、違う、お、俺は何も……!」

「うるせぇ、どっか消えろおっさん!! イリス!? しっかりするんだ、ほら、フードはもう被せたから!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、反抗しません大人しく言うこと聞きます噛まないでやだやだやだああああああ!?」

「くそっ、こんな、やっぱり滅茶滅茶に悪化してやがる!? てめえらどっかいけ!! こっち見んな!!」


 僕の体が悲鳴を上げる。ガクガクと体が震え、心臓がおかしなリズムを刻み、ままならない呼吸でろくに肺に空気も取り込めないままよく分からないことを叫び続ける。


 なのに……『僕』は、ひどく冷静に『私』を見つめている……?


「畜生! 俺は周りのあいつらを追い払う! ソール! 舌噛ませるなよ!?」

「わかってる、任せた!」


 がくがくと叫び続ける僕の小さな口に、ソールの指が突っ込まれる。舌を噛ませないためだ。制御を離れた僕の口の動きでソールの指に傷がつき始める。


「大丈夫、大丈夫だ……ほら、私がいる、レイジもすぐ戻ってくる……な?」

「……ふーっ……ふーっ……」


 すっぽりと抱きすくめられ、小さな僕の体はソールのマントに完全に覆い隠される。ぽんぽんと背中を擦られているうちに徐々に呼吸が落ち着いてくる。ぎりぎりと噛み締めていた口から力が抜け、やがて、ぐったりと力が抜け、すーっと意識が消えていった。







 最後まで、なぜかこの状況を冷静に見続ける『僕』を道連れに。












「やっと、……落ち着いたか」


 ソールの腕の中にきつく抱きしめられた状態で、イリスがだらんと全身を弛緩させている。生きているのか不安になるほど、全身ふにゃふにゃと全く力が入っておらず、目尻から流れた涙の跡と、口の端の涎の跡が痛々しく、目は開いているもののその瞳には何も映してはいない。


 以前のこいつでも、ここまで激甚な反応を見せることは無かった。


 ここ数日、俺らと居る時は軽口を叩ける程度に問題は無かった。


 今日一日、多少の悪化は見られたものの、大きな問題は無かったからすっかり胸を撫でおろしていた。「多少悪化した」その程度に楽観視していた。





 ――だけど、まだ、『イリス』の負った心の傷なんて、姿を見せてもいなかったんだ。

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