僕と初めての……

 安堵の中で油断しきっていた。安全と思っていた中に、よもやこれほどの強敵が潜んでいるとは。


「はぁ……はぁ……くぅ……っ!?」


 荒い呼吸音の中に、まるで嬌声のような声が、食いしばった歯の間から漏れる。

 腹の奥の鳴動は幾度となくこの身を苛み、背筋を悪寒がぞくぞくと這いまわる。

 堪えようにも、その腹の奥の小さな臓器の中はすでに限界まで押し広げられて中身を詰め込まれ、限界まで満たされたソレは外に出る時をまだかまだかと腹の内より叩いて催促する。


 もはやわずかな刺激で破水しかねないのは疑いようがないが、このような人目に触れる可能性のあるところで腹の内の「それ」が解放された場合、自らの尊厳は千々に砕け、その恥辱は人目に触れればたちまち僕は再起不能に追い込まれるかもしれない。


 あの二人には何も言っていない。

 これだけは協力を仰ぐ気にはなれず、二人の目を避けてここまで逃げるように出てきたのだから。


 解決策はある。今まさに目の前にしたその扉さえ潜れば、この腹の内の物を人知れず処理することができる。させてもらえる。


 しかし、だがしかし、その扉をくぐることはまた自らの矜持の一つを打ち砕く敗北の宣言であり、入り口に救いの手を求めては拒絶する、を四半刻ばかり続けていた。


「ふぅ……ふっ……んぅ!?」


 しかし、度重なる責め苦はすでにこの脚をがくがく揺らし、すでに立っていることもままならない。

 せめて出口を押さえようと股を閉じてもこの体の脚は致命的太さが足りず、ただ空洞となるだけでわずかに抑えることも叶わない。

 慣れぬこの身では堪え方も分からず、先程から体内からこじ開けようとその腹の内の出口を責め苛む圧力に、全身から流れる油汗がぽたり、ぽたりと床に染みを作る。もはや決壊するのは時間の問題であり、脳裏には悪魔が囁き続けている。


 ――我慢するなよ、早く楽になってしまえ


 分かっている。どのみち最初から勝てぬ勝負であり、どれだけ拒もうとこの身では決して敵わず、最終的には受け入れ、その体内の物は外に吐き出すしかないということを。


 ――それでも、認めたくなかったのだ……











 そこ女子トイレに入るということを。











「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…………」

「……なぁ、いい加減に落ち着けって。その姿じゃ出して駄目な声になってんぞ」


 部屋に戻り、ベッドに逃げ込み枕に顔をうずめ地獄の怨嗟のようなうめき声を上げ続ける僕に、レイジの気遣わしげ……否、うんざりした声がかかる。


「ふんだ、どうせレイジには僕のこの葛藤なんてわからないよ……」

「そりゃなぁ……俺は今、心の底から男のアバターで良かったって思ってるけどな」


 ちなみに誇りをゴミ箱に叩き込んだ結果、ギリギリ間に合った。「そんな実践する機会のない知識まで要る!?」と当時は思わず突っ込んだ妹の手による女の子講義の結果として蓄えた、男が貯めこむ物としてはちょっとアレな知識により致命的なミスを犯すことは辛うじて免れた。


 女の子のお花摘み色々怖い。方向指示器様は偉大でした。限界まで貯めこんだそれを排出したその爽快感は、ちょっと変な声が出ゲフンゲフン。


 その際、否が応でも「そこ」を見て、あまつさえ触ってしまったわけで。そりゃ、見たことが無いわけではないですよ。妹がまだ小さい頃きりだけど。それが、この『イリス』のまだ幼いとはいえ10代半ばくらいとびっきりの美少女のソコをですよ?……まだ生えてませんでした。つるつるでした。ばっちりむき出しのそれを目にしてしまったんですよ? あまつさえ拭き取る際に触れてしまった場所がびりっと変な感じがしたなんてきっと気のせいだ。着替えの時? きつく目を閉じてました。


「うわぁぁぁああああああああああ!?」


 思い出して羞恥心が限界を突破し、起き上がっていわゆる女の子座りの恰好で、とりあえず手に掴んだ枕をバンバンと何度も力いっぱいベッドに叩きつける。


「お、落ち着け、な? 怪我に障るぞ、な? ていうか埃が立つからやめろ!」


 怪我……怪我……!?


 その怪我を負った際の僕の有様を思い出す。

 その可能性が脳裏に浮かび、ぴたりと枕を叩きつける行為を止める。


 ぎぎぎ、とレイジのほうを見る。顔に血が集まり、熱を持ってくる。目の端にじわりと涙が浮かぶ。その可能性を考えると顔を上げられず、自然と顔が下に下がり目だけでレイジのほうを見ることになる。なにやら顔を向けたとたんレイジが挙動不審に目を彷徨わせているがそれどころではない。肯定されたらどうしたらいいのかわからないが、かといって一度湧いた疑念はもう放置もしておけない。恐る恐るその疑問を口にする。


「………………………………………………見た?」


 言葉にして二文字。長い葛藤の末に口からでたその疑問に、刹那、バッと首がねじ切れる勢いで逸らされるレイジの顔。なるほど。Ye Guilty。


「……う」

「……まぁ、なんだ……不可抗力で」

「うわあああああああん!?」


 ばんばんと枕でレイジの頭を叩く。もはや感情が制御できない。あまりに恥ずかしくて自分の意志では止められない。


「痛……くはねぇけど、やめろ、やめろって!?」

「だってだってだって、どう反応したらいいのかわからないんだもん! とりあえずその記憶吹っ飛べええええ!!」

「無理言うな!? 大体、俺、お前の裸なんて何度も見てるだろうが! 何回風呂に入れたと思ってるんだ!?」


 ぴたりと手が止まる。


「……それもそうだね」


 そういえばそうだ。向こうではお風呂に入れられるくらい何回もしていたではないか。主に介助で。何を葛藤していたんだろう。きっと一時の気の迷いに違いない。そんな男に裸を見られて恥ずかしくなるなんて女の子みたいな。


「いや、言っといてなんだけどそれでいいのか……」


 なにやら呆れた声が聞こえるが、悩み事が解決しすっきりした僕の耳には届かなかった。


「……何いちゃついてるの、あんたら」

「「いちゃついてないし(ねえよ)!!」」


 買い物からいつの間にか帰っていたソールに、二人で全力で否定するのだった。


 ……してないよね?



 



 尚、後日、レイジはこの方法で誤魔化したことを後悔することになる。












「それで……今後はどうする?」


 ソールが、買い出ししてきた抱えた荷物を各々に分配し、それぞれの物をマジックバッグにそれぞれ仕舞い込み……ソールの渡してきた紙袋に、大量の色とりどりの 小さな布切れ女性用下着が整然と詰まったのを見た時は意識が飛びかけた……人心地着いたところで真面目な話を切り出す。


「そうだね……僕の意見としては、もう少しここを拠点にしてこの世界に慣れるべきだと思う」


 これだけは今後の安全を考えて譲れない。できること、できないこと、その洗い出しを終わらせる前に旅をするというのは、やはり何があるかわからないので怖い、そう経験により思い知っている。この世界では臆病なくらいがきっと丁度いい。


「そうだな、俺も賛成だ。肉体的な強さはさておき……俺らはこの世界の人間より多分弱い」


 なんとなくわかる。例えばあの頭目は僕に目を潰された際もすぐに立ち直って襲い掛かってきた。一方で、僕のほうはと言うと少し殴られただけで竦み上がって何も抵抗できなかった。


 ――痛みに対する耐性。


 平和な元の世界で暮らしていた僕らには、この世界の人間と比べてそれがどうしようもなく劣っている。たとえ実力では優っていても、痛みで心折れてしまえば立ち上がれない。ゲームではHPが0にならなければどんな無茶もできたが、こちらではそういう無理はできない。ゲームとは違うこの世界での「戦闘」というものを、一から洗いなおさなければいけないのだ。でなければ、ついゲームの癖でうっかり死線を踏み越えかねない。


「……と言うと思って、町長に掛け合って、まずは簡単なものから色々困ってることをまとめて依頼として貰えるように頼んできたわ。向こうも自分たちではできない荒事を片付けてもらえると乗り気だし、私たちは路銀を貯めることができる。もちろん、条件なんかは問題が無いか確認済みよ」


 そういって懐から出したのは幾枚かの紙の束。渡されたそれを、レイジが受け取り僕は横からのぞき込む。


「いつのまに……まぁいい、助かる。……とりあえず、さしあたってはあの時あそこに捕まってた子らのケアだな」


 ぺらぺらと依頼のリストを眺めていたレイジが、一点を見つめて呟く。捕まっていた子らは、ひどく怪我をした子も居る。彼女たちの気持ちも今の僕は痛いほどよく分かる、できれば早く治してあげたい。


「体調は、多分もう大丈夫……外はちょっと怖いけど、頑張る」

「それじゃ、明日から少しずつ訪問して治療にあたるか」

「ん、任せて」











「さて、方針は以上として、俺からお前たち二人に言っておかなければいかんことがある」

「ん?」

「ふぇ?」


 その後も一通り今後の予定を決めた後、不意にレイジが今までに増して真面目な顔で切り出した。


「とりあえず、口調だ。本当に俺らだけの時なら大丈夫だろうが、できるだけ二人とも今の姿に合った言葉遣いを徹底してほしい。この世界の人間だけならまだしも、もし俺ら以外のプレイヤーが居て、それに知られたら厄介だ」


 つまり、元の性別……僕が男、ソールが女であったことを知られるなということか。確かに、僕は「姫様」として結構知れ渡っている。それが中身実は男でしたーなんてなったら。


「騙していたって責められるってこと?」


 ソールがなんだそんなこと、という風に返事をする、が、レイジは苦々しい表情で首を振って否定する。


「それもあるが、それだとまだ男の欲望ってのを甘く見てると言わざるを得ないんだよ。『イリス』が中身が男だった、ってバレるのがやばいんだ。『リアルも女』っていう暗黙の了解があったから、たまに言い寄ってくる奴は居ても、一定のラインを踏み越えてくる奴は滅多に居なかった。が、『実は男でした』なんてなってみろ。そのラインがぐっと下がる。特に、完全に女になっちまって、しかもシステムによる保護が無くなった今だと、な」


 ゲームの際は、異性に性的な接触を試みようとする者にはかなり重大なペナルティが科せられ、堅く保護されていた。そもそも全年齢……一応、名目上はR‐15とはなっていたが……対応のゲームであった以上、性的なものへのフィルタリングは厳しかった。人目のある場所で下着姿になることすらできないくらいには。


「例えばだ、女の子に『胸を見せてくれ』なんて言ったらそいつはただの変態だ、だから……まぁ、居ないとは断言できんが、そういう馬鹿はほとんどいない。けど、だ。こいつの見た目で「元は男だ」なんて言ってみろ。『元男なんだからいいだろ、俺の気持ちもわかるだろ』って頼み込んでくる馬鹿は確実に出る。断っても身勝手な不満は溜まる。許可すれば調子に乗って次はこっちも見せろ、次はヤらせろ、間違いなく要求はエスカレートしてくるはずだ」

「そうね……それに、『騙していた詫びを体で払え』なんて馬鹿を言い出す輩も出ないとは限らないわね」

「というか、出るな。間違いなく」


 二人の間でとんとん拍子で進む会話に、みるみる青ざめていく。性機能も怪しかった僕は男の時でも性欲の薄かったため、自分にはよく分からないが、「男」ってそういうものなのか。


「というわけで、お前は絶対に外では『イリス』の口調な。できればボロが出ないようにこれからは普段からもそう意識するべきだ。口調さえ直ればお前を仕草で男と看破できるやつはそうそう居ないはずだ。それと、ソールも今後はきちんと男で通せ。お前が女とバレた場合でも、じゃあどこから男のアカウントを手に入れたか、なんて考えれば馬鹿でもすぐに答えにたどり着く」

「……そうだな、分かった。では、これから私はこういう風に行こう」


 即座に男の……ソールが男を演じている時の口調に切り替える。あまりに切り替えが早い。


「というわけだ……大丈夫だな、『イリス』?」

「あ、うん、わかったよ……ん゛っ、ん゛っ」


 違う違う。これからは『イリス』で生きてかなければいかないんだって。脳裏でゲームの時の『白ネカマモード』をオンにする。ベッドに腰かけているためぶらぶらさせていた脚を揃えて軽く横に流し、背筋を正して両手を揃えて膝に置き、軽く首をかしげ、にこり、と軽く微笑んで


「……わかりました、では私も、これでよろしいですか、レイジさん、ソール兄様?」


 ……なぜ二人とも目を逸らすのか。


「……お前、ソール、どうすんだよこんな兵器作り上げやがって」

「……いや、こうリアルになってしまうと予想以上の破壊力だったな、正直すまん」


 こそこそ二人で会話する二人に、僕は頭の上に疑問符を浮かべるのだった。

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