救出1

「……なんだ、こりゃ」


 中世風の、町というにはやや村のような雰囲気を醸す町中に立っていた。つい先程まで立っていた辺境の町の広場だと思うが……その規模が数倍に広がり、すっかり広くなった広場や建物や道。スケールが違いすぎて今一つ確信が持てない。



「……玲史さん、これは」

「ああ、綾芽、お前も居たのか」


 俺の横に、頭一つ低い銀髪の青年が並ぶ。青みかかったシャープな印象の金属鎧に左側だけ覆う外套、背中に背負った盾と腰に吊るした細身の剣。ゲームじゃ見慣れたソールだが、なんだか妙に質感にリアリティが増している。


「ええ、何か変な魔法陣に飲み込まれて……ところで」

「ん? どうした?」

「なんか、股間に変な感触があるんだけど……」


 脚の付け根あたりをモジモジさせて恥ずかしそうにする綾芽……いや、この恰好ならソールか。


「あー。そりゃその男の体なら……はぁ!?」


 うっかりスルーしそうになった、ゲームの中にそんなもん実装されてねぇだろ!? ていうか俺にもある、現実で慣れた感触だから気にするのが遅れたが、なんだこれ!?


「あるんだからしょうがないじゃない。どうにも動きにくいわね……それに、これ……」


 花壇の土をひと掬い掬ってぱらぱら落とす。


「……やけにリアルだな。こんな仕様無かったよな」


 風にわずかに流されて斜めに落ちていく細かな花壇の土と、土が付着したままのソールの手に、首を傾げる。試しに俺もひとつまみ摘んで鼻を寄せてみるが、しっかりと土の匂いがする。どのような演算をすればここまで現実そっくりに再現できるかさっぱりだ。ゲームが現実に。ゲームから異世界に。柳の趣味には娯楽小説もあり、そういう展開のものもよく見たが、まるでその時の状況そっくりだ。腰の横に括り付けた鞘に刺さったナイフを抜き……これもゲームではただの飾りで抜けなかったはず……手袋を脱いで軽く指先に傷をつけてみる。


「……いってぇ。それにこれは……血だな」


 鋭い痛みと指先のぬるぬるした感触に、ますます今の状況が異常であると告げている。

そんなことをしていると、ふと周囲に視線を感じ、周りを見渡すと、遠巻きに人がこちらを見て、時折何かヒソヒソ話している……まぁ、大の男二人が突然土いじりしたり指を自分で切ったりしていたら怪しまれもするだろうが、かといってゲームにこんな反応をするAIも無かったはずだ。


「おい、ソール。とりあえず移動するぞ……おい?」


 ふと横に居るソールを見ると、青い顔で心ここにあらずといった感じで何かぶつぶつ呟いている。


「……あー、とりあえず人気のないところに移動すんぞ、いいな?」


 こくりと頷いたのを見て、町の門の外にソールの手を引いて移動した。






「……クッソ広いな……なんだこれ。やたら感覚もリアルだし……なぁ、どう思う、これ」


 道は広く長く、そこを歩いている人も多種多様で、武装している俺らを訝し気にじろじろ見る者も居る。足元の雪は現実のように所々滑る場所もあり、ゲームではすぐだった出口を10分程度かけて町の外に出て、壁際、人通りの無いところまで移動して足を止める。先ほどから一言も発さないソールに不審に思いながらそちらを見ると。


「……おい、どうした?」


 青い顔で、泣きそうな様子のソールがいた。ゲームの中でこんな表情を見せたことはなく、ただならない様子に眉を顰める。いや、ソール……綾芽ちゃんが、リアルでこういう顔をすることは結構ある。こういう時は大体……


「……お兄ちゃんは?」

「……!?」


 その一言に、思わず自分をブン殴りたくなるほど動揺した。真っ先に考えるべきはそれだったはずだ。なのに、戸惑うばかりでそこに気が付けなかった。


「お兄ちゃん、もし転生完了していたら、レベル1に巻き戻っちゃってるよね……!? 私が『ソール』のままってことは、あの『イリス』のままの見た目で、純支援のステータスで!!」


 その言葉を聞き、頭に氷をぶち込まれたように冷えてくる。あいつは俺たちと行動する前提で常にステータスを組んできた。STRは初期値、VITもソールという優秀な盾役と常に行動していたため必要最低限。転生三次職といってもそのステータスは高い成長率に裏打ちされたものであり、レベル1の性能は初期値に多少の色を盛られた程度だ。このあたりの敵はさほど強くなかったと言っても十分脅威になる。そもそもこの世界に元のステータスが有効かも不明で、もし最悪、見た目通りの身体能力しかないとすれば『イリス』は肉体的にはこれ以上ないほど華奢で儚げな少女でしかない。第一、何よりあいつは有用な攻撃スキルなんてほとんど持っていないのだ。何を悠長に戸惑っていた、俺ら以上にあいつの状況は遥かに過酷なはずなのに。


 それに、こうなる直前の会話、あの時の柳……イリスの様子は尋常ではなかった。もし……もしこうだったら……考えは、悪いほうへ悪いほうへと向かっていく。


「……悪い、どうかしてた。まずあいつと合流しよう、方角は分かるか?」

「うん……こっち、急ごう」


 磁石で方角を確認し、俺たちは急いでその場を後にした。






 この体の脚力と持久力は凄まじく、みるみる景色が後方に流れていく。もうすでに2時間以上は移動し、その半分くらいは走っているのだが、疲労はそれほど感じない。先ほどの懸念、もしこの世界の身体能力にゲームの性能が反映されていなければ、という所は否定された形になるが、それは俺たちにとって安心できることではなかった。何故なら、ゲーム時のあいつのステータスが反映されるという事は、レベルの巻き戻り後であった場合、身体能力はそのあたりの一般人並みどころかそれを下回る可能性が大だからだ。

 しかし、それだけのペースで強行軍をしていても、目的の廃神殿は見えてこない。ゲームの時であればすでに5分位もあれば着くようなペースで走っているのに、だ。いったいどれだけ世界が広がっているのか、焦りばかりが募る。こんなことならついていけば良かった。そんな言葉が脳裏をよぎるが、それは隣を駆けるソールを余計に追い詰めるだけだ、間違っても口に出すわけにはいかない。


 そんなとき、流れていく視界に、ふと、左手の木々の間に人影が見えた気がした。体格の良い、壮年の男性のような。知っている顔だったような気がするが、思い出せない。


「……玲史さん?」

「悪い、今何か……」


 それどころではない、俺たちは一刻も早くあいつの身を確保しないといけないのに。しかし、何かが強く引っ掛かる。どうしても気になり、足を止めて、怪訝な顔をしながらもついてくるソールと先ほどの場所へ歩を進めると、そこにはやはり見間違いだったのか人の姿は存在しなかった。しかし、代わりに森の中には似つかわしくない……


「なんだこりゃ……本のページ……か?」

「真新しい紙ね……なんでこんなものが」


 真っ白な、何も書かれていない紙だ。根元から破り取られた跡がある。俺らが顔を見合わせていると。キン、と、遠くから硬質なものがぶつかる音がした。


「……聞こえたか、今の」

「ええ……金属音、誰かが戦ってる音ね」

「……すこし寄り道する。いいか?」


 どうしても、気になってしょうがない。まるで何かに誘導されているような、何か予感めいたものが俺の中に渦巻いていた。それはソールも同様だったらしく、一つ頷くと後ろについてきて、俺らは音のほうに急いで駆けだした。











「なぁ、『臆病な』スコットよぉ。どこ行こうってんだ、あぁ!?」

「お前が逃げたせいで俺らも祭りに参加できねぇんだけど、どう落とし前付けてくれんだ、なぁ?」


 おらが逃げて助けを呼ぼうとしていることなんて、当然ながら筒抜けだった。四人の追手に気が付いたのは、もう少しで道に出れるというところで、肩に鋭い痛みと熱い何かが流れる感触がした時だった。矢が刺さったことに気が付いた時にはおらは足がもつれて転んでいた。立ち上がった時にはすでに囲まれていて、逃がす気は毛頭ないようだ。早く面倒なことを終わらせて、向こうへ戻って下種な楽しみに興じたい。自分のことなどその邪魔をする取るに足らないものだと突きつけられ悔しさに奥歯が割れるほど噛み締める。


「……臆病だども、やんねきゃなんねぇこともある……死ねねぇ、こんなところで死ぬわけにはいかねぇ……!」


 まだ掴んでいたらしい短剣を構える。手も足も震えるが、ここを切り抜けなければあの子は……それだけはいけねぇ、今度こそ……今度こそ……っ!


「あー、何根性出してくれちゃってんの、お前が我が身可愛さに『売った』のが原因じゃねぇか」

「だけども! だからこそだ!……おらじゃ無理だから、だから……!」


 死ぬわけにはいかねぇんだ。矢の刺さった左腕は痺れて動かねぇし、四人相手にこんな短い短剣一つじゃどうにもなんねぇ、それでも……誰か……呼んで……っ!











 少し森の中に踏み込んだところで、誰かが争っていた。何やら物騒な様子で、一人に対して武器を向ける四人の男と、肩に矢を受けて、それでも必死に食い下がろうとしている、何か思いつめた様子の傷だらけのおっさん。俺は……事情は分からないが、直観に任せ、後者を助太刀することを瞬時に決断する。


「そこのおっさん! 下がれ!!」


 普段使っていた一つのスキルを脳裏に浮かべる。とたん、風景がこれまで以上の……いや、まるで別次元の加速で一瞬で100mはあろうかという間隙を0に詰め、目の前で呆けてこちらを眺めている男を手にした大振りの剣で……片刃の大剣なので、刃を返して……全力で振り切った。

 俺の職……ユニーク職『剣聖』のスキル『神速剣』。システムは働いていなくてもその加速は健在で、速度と重量の乗った一閃は、俺の手に何かがバキバキと砕ける嫌な感触を残し、大の男を野球ボールか何かのように軽々と吹き飛ばす。男はしばらく転がった後、木に激突して倒れ伏した。当然ながら俺は元の世界で人に本気で武器を振った経験など殆ど無く、倒れてピクピクと痙攣している男に自分の行った事に膝が震えそうになる。が、今はそんなことを言っている場合ではないとソレは心の奥底にしまい込み蓋をする。


 もう片方、離れた場所で弓を構えた男のほうを見ると、そちらはソールの腕をまるで矢を番えるように限界まで引き絞って構え、虚空を突いた剣から放たれた雷撃、ソールのユニーク職『ナイトロード』のスキル『スタンピアサー』により、くぐもった悲鳴を上げ全身を硬直させ木の上から落下したのが見て取れた。本来であれば遠くにタゲが跳ねた際に電撃により行動を封じ、後衛を守りつつターゲットを奪い返すための技だが、どうやらこちらではそれ以上の威力を有しているようだ。


「加勢するぜ、おっさん」


 呆けているおっさんと男たちの間に立ちふさがる。内心冷や汗がだらだら流れているが、どうにか表に出さずに済んでいるようだ。瞬く間に二人が倒されたことで、周囲の残り二人が警戒し武器を構える。


「あ、あんたらは……」

「下がっていてください、これ、傷薬です」

「あ、あぁ……」


 ソールがおっさんを助け起こし、傷薬を手渡しているのを横目に確認しながら、俺は残る連中に向けて踏み出した。



 ――戦闘は、さほど掛からず終了した。一応ゲームでのステータスは確かに有効らしく、スキルの仕様も色々検証しなければいけなさそうな部分は多いものの、特に問題なく使用できるようだ。ある程度レベルの上がった三次職である俺らには、さほど大した敵ではなかった……心情的な部分を除いてだが。


「まぁ、こんなもんか。おっさん、無事……」

「剣士様、それと騎士様ぁ!!」

「おぉ!? な、なんだ、落ち着け、な?」


 戦闘が終了したとたん、後ろに下がっていたおっさんが必死の形相で俺らに掴みかかってくる。その尋常ではない様子に、思わず腰が引ける。


「そ、そんなごどより……あ、あんだら、そんなに強ぇなら、あの子を! おねげぇだ、あの子を助げてくれ……!!」


涙と鼻水に塗れた形相で俺らに詰めよってくるおっさん。切羽詰まったその様子と……『あの子』。その言葉に、俺は背筋が凍りつくような嫌な予感が止まらなかった。




結論を言うと、捕まったというのはまず間違いなくイリスだ。

全てを聞いて、まず感じたのは強い怒りだった。


「……てめぇ!?」


 カッとなった俺は、おっさんの襟首をつかんでギリギリと締め上げた。このまま縊り殺してやりたいと衝動に駆られるが、そこにそっと止める手が現れしぶしぶ力を緩める。


「待ちなさいレイジ。今はそれどころではない、彼に怒りをぶつけるのは私たちの仕事ではない。その怒りはもうちょっと後に取っておきなさい」

「だけどこいつは……!」


 正論だが、こいつが柳を……イリスを裏切って我が身可愛さに売ったんだぞ!


 そう続けようとした声は、隣のソールの表情を見て一瞬に冷えた。

 そんなソールは、つかつかと先ほど吹き飛ばした、木の下に仰向けに倒れている男の傍まで歩いていくと、無造作にその剣を躊躇いなく振る。たちまち、間欠泉のように激しく噴出した血が周囲を染めるより早く、残りの息のある連中にも三度、同じように剣を振りぬく。


「申し訳ありません、あとで目が覚めて背後を突かれでもしたら厄介でしたので。スコットさんでしたね。彼女は私たちが必ず助けます。案内を」

「……あ、あぁ……おねげぇします、こっちです……!」


 返り血すら浴びず迅速に「処理」を済ませ、真っ赤に染まった雪景色を背景にしたそのソールの怜悧な顔からは表情が完全に抜け落ち、目だけがギラギラと殺意を帯びていた。

 しかし、旧友の突然の凶行にも、今の俺は非難しようとは思えなかった。むしろ、それを中身は女の子であるソールにやらせてしまった自分が不甲斐なく感じる。いや、違う。正直なところ、俺がやりたかった。ここまで殺してやりたいという、元の世界では思いもしなかったであろうほどの激しい怒りを感じたのは初めてだ。そうだ。俺のこの怒りをぶつけるのはこのおっさんじゃねぇ、そのあいつを攫った連中だ。


おっさんの歩調に合わせる時間も惜しい。米の袋を担ぐように肩に担ぐと、おっさんの指示と足跡を頼りにできるだけの速度で走り出す。


待ってろ、すぐに助けてやる……だからどうか、無事でいてくれ。

いつの間にか、自らの意志で人を傷つけるという恐れから来る震えは止まっていた。







【後書き】

平和な暮らしをしていたはずの二人が躊躇いが無くなっているのは怒りのため。一時的な状態です。

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