暗中と光輝


 ――事件当時の記憶は、ほとんど残っていない。


 覚えているのは、突如団欒の中へ乱入してきた強盗に、自分と妹を守ろうとした両親が刺されたことと、最後に妹だけは守りたくて庇った背中を刺されたということだけだった。


 標的となったのは、ただの偶然だったらしい。


 後に警察から聞いた話によると、加害者は酒と博打で身を崩し、たまたま目に映った家に強盗に入っただけだという。


 運が悪かった……そんな、到底納得できない理由で、理不尽に大事な物が奪われた。


 次に目が覚めた時、下半身が動かなくなっていた。刃が脊椎を傷つけたらしいということだった。

 そして、その日以来知らない人を見ると、次の瞬間襲われるのではないかという不安に駆られるようになり、ついには学校にもいけなくなった。


 それでも、ゲームの中なら大丈夫だった。




 ――だけど夢の国は、今や現実へと変わってしまった。






























「よーぅ、やっとお目覚めかい『眠り姫』さまよぉ」

「……ひっ!?」


 すぐ眼前の汚らしい顔と、酒臭い吐息の噎せ返るような臭気に、一瞬で意識が覚醒した。

 とっさに眼前の男を遠ざけようと上がりかけた脚が、じゃらりとした金属音とともに足首の金属の輪のような感触で止められる。

 何故か足以外は拘束されておらず、自由の利く腕で男の体を押し返そうとするも、この細腕ではまるで微動だにしない。


「おいおい、お前が王子様ーって柄かよ」

「じゃあ泥棒かぁ? 姫様、貴女を盗みに参りましたー、なんててなぁ」

「馬ぁ鹿それも似合わねぇよ、見ろよ姫さんすっかり怯えてんじゃねぇか」


 男たちの、いったい何が面白いのか、くだらない話にゲハゲハ馬鹿笑いする声に完全に囲まれている。

 動転する頭と、仰向けの状態のため思うように動かすことができない視界で周囲を見渡すと、どこかの粗雑な部屋のような場所に連れ込まれたのだという最悪な状況が目に入る。

 埃と黴、据えたような垢や汗、雄の臭いに鼻が曲がりそうになる。できれば触れたくもないような、よくわからないシミのこびりついた背の低いテーブルのようなものにあろうことか仰向けに寝かされ、揃って垢と汚れで不潔そうないで立ちの男たちに囲まれていた。その様子はどう見繕っても山賊のソレでしかなく、総じて好色そうな欲の滾った目でこちらを眺めている。

 思わずひっ、と息の詰まる音が喉から漏れると、「ひっ、だってよ、可愛いなぁオイ」とそれをネタにまたどっと盛り上がる。

 意識の無い間に剝ぎ取られたのか外套はすでに身に着けておらず、両足は軽く開いた状態で足首に繋がれた鎖で固定されているようだ。しかしそれでもまだ綺麗に身にまとってる服に束の間安堵しそうになるが


「それじゃ……始めるとしようか、なぁお前ら」

「待ってましたぁ!」

「辛抱たまらねぇぜ、見ろよ今まで見たことねぇ上玉だ!」


 おそらく頭目と思しき男の言葉に沸き立つ周囲。


「は、始めるって……なにを、ですか……?」


 と、思わず間抜けな言葉が口をついてしまう。

 言ってしまってから後悔した。そんなのは、決まっているではないか。今の僕は元の世界とは違う、可憐な少女の姿をしているのだから。

 だが、そうであってほしくないというまずありえない願望からついて出てしまった。


「ぎゃはは、何をだってよぉどんだけ初心いんだよ」

「決まってるじゃねぇか、なぁ?」

「まぁまぁ、大目に見てやれよ、世間知らずのお姫さんにゃ予想もつかねえんだろうよ」


 口々に騒ぎ立てる男たちの中、頭目の男が嫌らしい手つきで頬を撫でてくる。その感触に背中が泡立ち、気持ち悪さに吐き気がしてくる。


「本当は、どっかに売り飛ばすつもりだったんだけどなぁ」


 売り飛ばす、その言葉にびくりと肩が震える。

 奴隷売買という、元居た日本ではおそらく縁の無かった言葉が脳裏をよぎる。


 懇切丁寧に、震える僕の唇をねちっこくなぞりながら説明を始める頭目。もちろん親切心ではないのだろう、ただこちらの恐怖心をあおりたいだけだと目が語っている。

 お腹のあたりではもう片方の手でぷち、ぷち、と、一つずつゆっくりと上着のボタンを外されている感触がする。


「確かにお嬢ちゃんならいい金になりそうだったが……お前さん、高位の治癒術使いだろう? だったらよ……俺らで楽しむだけ楽しんで、奴隷にして、手元に置いてイロイロと『売った』ほうがずっと良い儲けになりそうだって、こいつらと話して決めたってわけよ……というわけで」


 全てのボタンを外された上着の前を開けられ、下に着たブラウスとスカートが露になる。俄に意気込みだす山賊の集団の喝采の中、ぐっと、男の両手がブラウスの襟にかかり……
























 何時間か、それとも数分しか経過していないのか。

 最初は反抗的な態度の罰として与えられていた責め苦が、本来であれば触れることも叶わぬ宝を「どうせ治せる」という事を免罪符に、思うまま傷つけ、手の内で泣き叫ぶさまを鑑賞することを目的にするところまで変化するまでそれほど時間はかからず、華奢な少女の体と傷口の開いた心を深く深く傷つけていた。






 元々体力のないにもかかわらず半狂乱になって暴れた体はもはや疲労で力尽き、ぐったりとしたまま、時折意思とは無関係にびくっと四肢が跳ねる以外ろくに動くこともできなくなって虚ろに天井を眺めていた。


 あれほど綺麗だった無垢な白い肌は、全身の所々に無残な傷が痛々しく腫れ上がり、輝くようだった髪はところどころ絡み解れ、中には面白半分に殴られ青々とアザになっている場所さえある。


 辛うじて手付かずの純潔も、最後の守りはつい先ほど剥ぎ取られ、このままでは奪われるのも時間の問題であろうが……それももはやどうでもいい。もう疲れた。疲弊した身は、全ての抵抗の意志を挫かせていた。


 こんなもの、痛くて苦しくて気持ち悪くて辛いだけではないか。いっそ意識を捨てて、何もかも放り出して人形になってしまったほうが楽ではないか。そうだ、そうしよう。こんな異世界転移なんであるわけがない、きっとここで眠りに落ちて目が覚めたら、いつもの部屋で、いつもの日常で……



 ――そういえば、綾芽と玲史はどうしているだろうか……


 ――二人とも、こちらに来てしまったのだろうか……


 ――怪我とかしていなければいいな、この世界で怪我をしても、もう近くに居られない僕はそれを治してあげることもできない……





 もう、一 緒 に 居 る こ と も で き な い ……?






 ……嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌……!


「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 ぼろぼろと目から涙が溢れ、枯れたと思っていた喉が再び絶叫をあげる。


 ずっと、思っていた。

 僕は、二人の邪魔なんじゃないかって。


 綾芽も、玲史も、とても才能ある若者で、自分という枷から解き放たれればより高くへ飛んでいけるんじゃないかって、ずっとどこかで思っていた。


 だけど、こんな最低な状況になって、ようやく自分の中でそんな諦めなんてついちゃいないなんて本心に気が付いた。


 帰りたい。まだ、一緒に居たいんだ。


 なんだっていい、とにかくこの状況を逃れたい。

 そんな意志を受け、半ば暴走に近い形で背中からまばゆい光が放たれる。ギリギリで取り戻した反抗心によるその光は瞬く間に部屋を白く染め上げ、ニヤニヤと油断しきってこちらを凝視していた周囲の者の目を焼き、部屋に舞った光の羽根は、疲弊しきったこの体に触れるとふっと体に染みわたり、本調子には遠く及ばないながらも僅かながら体に力を蘇らせてくれた。


  最後の抵抗とばかりに今まさにのしかかろうとしていた男を突き飛ばす。その手は僕の胸の上あたりにあった頭目の顔を偶然押す形となり、突然の光に目がくらみ、油断しきっていた頭目は回避することができず……ぐちゅり、と、指先が何か柔らかく湿ったものを穿ち、潰す感触がした。


「ぎゃあああああああ!!、目、目がぁ!!」


 たまたま、指が眼窩に潜り込み、頭目の片目を潰してしまったらしい。それを認識するより早く、反射的にグリっとえぐってしまう。指に気持ちの悪い感触が付いてくるが、痛みに体が離れた親玉と、突然の出来事に固まる周囲の男たちの中で、わずかな間隙が空く。


「あああああああああ!!」


 なるようになれ、照準なんて不可能だ、スキルレベルだとか最大弾数だとか知るものか。恐怖に突き動かされるまますべて枯れ果てよとばかりに魔力を『ディバイン・スピア』に注ぎ込む。

 頭はガンガンに痛むし吐き気はひどく、体から穴の開いたバケツの中の水のように力が失われていくが、今やらなければ絶望しかないと、ありったけの力を込めて衝動を解き放った。

 無照準で全方位に放射された、否、無理やり発動させられた、ゲームのときの制限をまるで無視した無数の光の槍はそのいくつかが男たちを貫いて、バタバタと周囲で男たちが泡を吹いて昏倒していく、が。


「……このアマぁ!!」


 不幸にも、最も近くに居た頭目に命中しなかった。

 力いっぱい顔を殴られる。頭を揺さぶられ、口の中が大きく切れたのか血の味がする。痛みと衝撃で意識が飛びそうになるが、ぎり、と唇を食いしばって耐える。




 ……この世界はもう、現実になってしまったのだ。


 僕は今はもうどうしようもなく女の子であり、ここで諦めてしまったらきっと取り返しのつかないことになる。


 何より……きっと、あの二人は、傍についていなかったことを後悔するに違いない。

 特に綾芽は……普段は気丈にふるまっているが、あの子は僕が怪我をしたことを深く悔やんでいる。これ以上辛い思いはさせたくない。


 それに、ここで僕が消えてしまってもきっとあの二人は必死に探し出そうとするに違いない。それだけの関係は築いてきたと、疑うことなく信じることができる。

 だからこそ、この過酷な現実の世界で、その中で二人が傷ついてしまったら。命の危機に瀕してしまったら。考えただけで背筋が凍る。そんなときに、今の僕がいれば助けてあげられるのに。




 ――思い出せ、僕はなんだ。回復職に最も大事なものはなんだった。誰よりも、最後の瞬間まで、絶対に諦めないことじゃなかったか!!




「なぁ、ずいぶん面白いモン持ってるじゃねぇか、それならてめぇは今後俺らの「商品」を死ぬまで生み続けるだけの奴隷として、滅茶苦茶に……っでぇ!?」


 今度はもう容赦しないとばかりに殴りかかってきたその男の手が、意志一つで顕現した正六角形の組み合わさった小さな壁……『ソリッド・レイ』により阻まれる。


「馬鹿な……予備動作無しだと!?」


 思いがけぬ硬い壁を殴って腕を傷つけた頭目が目を剝く。


「負けない……負けてたまるか……!」


 力尽きる寸前の体に、意志の火が灯るのを感じる。


 いつもどこかで邪魔にならないようにひっそり消えたいという想いは、心の片隅にあった気がする。だけど今は……


「一緒にまた、冒険しようって……約束、したんだ……っ!!」


 それは他愛のない口約束だ。

 しかし、その言葉を支えに強い欲求が僕の中で燃え上がる。怖い、傷の開いた心は未だ尽きぬ悲鳴を上げ続けている。しかし、それ以上に。


 帰りたい。あの場所に。大好きな二人の間に。


 背中が燃えるように熱い。何かが体の中で嚙み合って、脳内に雪崩れ込んでくる知識。


「開け……開け『聖域』!!」


 瞬間、ぶわりと舞う翼が規則性を持って僕の周囲を舞い、それぞれ光を結びドーム状の幾何学模様を生み出す。僕の周囲の穢れを分解し、清浄な空気に包まれ、近くに居た男たちをドームの外へと弾き飛ばす。


「くそ、なんだこりゃ!? お前ら、囲んでぶっ壊せ!!」

「ダメです、びくともしやせんぜ!?」


 周囲で奴らが攻撃を仕掛けようとしているも、全て外縁で弾かれ接近できずにいる。

 しかし……だがしかし、これは攻撃手段ではなく、こうして時間を稼いでいる間も刻一刻と残り少ない魔力が目減りし続けている。維持できるのはもうそれほど長くない。そうなれば、抵抗する力のないこの身は今度こそ……





 ――大丈夫だ、そのまま限界まで持たせたまえ。





 朦朧とし始める意識の中で、何かが聞こえた気がした。視界の端に何か白いものがよぎった気がするが、維持に精一杯でそれどころではない。

 一分……二分。しかし、ここが限界だった。攻撃に移る余裕はなく、ついに尽きた魔力に無理やり持たせた体は限界を迎え、溶けるように背の羽根は輝きを失い粒子となって消え去り、『聖域』が儚く消滅する。


「へ、へへ、残念だったじゃねぇか、今度こそ抵抗はおしまいか、あぁ?」


 守りを失った体が再度台に押さえつけられる。眼前の、片方が空洞になってしまい、残る片目に宿る濃度の増した憎悪に竦みながらも、最後まで諦めてなるものかと睨みつけた瞬間。




 ――僕の視線の先、頭目の背後にあった部屋の出口のドアが……いや、出口のある壁そのものが、まるで目の前で崖崩れが起ったかのような轟音を立てて吹き飛んだ。 


「……間に合った……とは、到底言い難いな」


 土煙の中から現れたのは、燃える様に赤い髪色の、長身の青年で……よく知った姿だった。


「なんだテメェ!」


 彼は、怒声を挙げて飛びかかった山賊の中の一人の攻撃を半身をずらして避け、その頭を無造作に掴み、ぐしゃ、と、湿った音を立てて地面に叩きつけて黙らせる。

 げぱ、という奇妙なうめき声の後、それっきり動く気配がなくなった。台に寝かされている姿勢では視界外で男がどうなったのかわからないが、その様子に部屋の残った男たちは怯んだように後ずさる。


「その子な、俺の親友でさ。止めてくれないか? こういう鬼畜なシチュエーションは全くダメなんだよ……返してもらうぞ、できる限りの利子をつけてな」


 そのとても聞き覚えのある、飄々としながらも、その内には今まで聞いたこともないほどの怒気を帯びた声は。そして、つい少し前に別れたばかりだというのに、色々ありすぎてひどく懐かしいように思えるその姿は。


「悪い、遅くなった……もう大丈夫だ、安心して休んでろ」

「……ああ……本当に……遅いんだよ……馬鹿…………ごめん、任せた……」


 ゲームの時に無数の冒険を共にした、誰よりも頼りにしている仲間……レイジの声を聴き、安堵から緊張が切れた僕の意識は、最後にひとつ頬を伝う一滴の感触を最後に、闇に沈み込んだ。







【後書き】

『聖域』

クールタイム数日を誇る、光翼族のいわゆる切り札スキル。

守護魔法の極致、悪意のある相手を完全にシャットアウトし、内部に居る他者の怪我と魔力をすさまじい勢いで治癒する結界を周囲3m四方に展開する。ただし、維持に必要な本人の魔力消費量は恐ろしく多い。

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