誤算と危機

 失った魔力を補充するために数本のマジックウォーターを飲み干し、多分体感で一刻ほどが経過した頃。

 ようやく体調に何も問題ない程度には回復したと判断し、元の街道を戻ろうとしたその時……来た道から、多数の足音が向かってきていることに気が付いた。


 森の奥から出てきたのは、それぞれ粗末な武装をした一目で真っ当な職とは思えない風体の男たち。

 剣呑な雰囲気に即座に踵を返して逃げようとしてもすでに遅く、向こうは最初から僕の存在を知っていたかのような動きで前方周囲を逃げ場を塞ぐように姿を現し、街道へと続く来た道は瞬く間に塞がれてしまった。



「へぇ、お嬢ちゃんか、えらい上等な治癒魔法使いっていうのは。これまたすげぇ綺麗なお嬢さんだな」


 中から進み出た禿頭のボスと思しき男の、明確に「お前を知っている」という発言に、眉を顰める。


「どうして、私のことを……」

「ああ、それはな……」


 にやぁ、と男の顔が醜く歪む。まるで獲物をいたぶるかのように。


「こいつが教えてくれたのさ、なぁ?」


 ばんと背を叩かれたたらを踏んで出てきたのは……出てきたのは。

 信じたくはなかった。この世界に来て出会ったのが一人だけの現状、他に居るはずは無かったのに。


「あ……そんな……嘘、ですよね……?」


 うらぎ、られた……?


 頭目と思しき一回り上の装備を纏った禿頭の男の陰に居た彼……スコットさんは、窺うように、申し訳なさそうにこちらを向いていた。そんなはずないですよね、と縋るように向けた目は、視線が合うととたんにふっと目を逸らす。


「あ、そ、そんな……」


 いやいやと首を振ってみるも、こちらを見ようともしない彼の様子は変わらない。

 次は勇気を出して頑張ってみる、そう苦笑いしていたおじさんは、僕のことをこいつらに教えたのか。


「すまねぇ……すまねぇ、嬢ちゃん……」


 こちらを見ずに呟く彼に、かっと頭に血が上る。


「煩い! なにも……何も聞きたくなんてない……!!」


 長い髪を振り乱して、杖を構えて詠唱を開始する。


 現れた4本の光の槍は、僕の拒絶の意志の表れだった。





「ぐぅ……ッ!」


 ギリギリと体が反動に軋み、四本の槍が再度射出される。しかし動き回る対象を同時に追うのは難しく、半数の二本は男たちに命中し、残り半数は誘導が切れ虚空へと飛び去っていく。

 けれども外したことを落ち込んでいる暇はない、踵を返して後退する。


「構うな! あの光はどうせ当たっても死にやしねぇ、一人でも追いつけばあとはどうにでもなる!!」


 ぎり、っと歯を食いしばる。

 敵の首領の言葉は正しい。予想以上に早く弱点が露出してしまった。

 四本の槍で相手を減らしては逃げているが……全力で自分に掛けた身体強化の魔法は、この弱々しい脚でも辛うじて時間を稼ぐぐらいの速度を与えてくれていたけれど、それでも体力差は著しく、じりじりと距離は詰まっている。

 引き撃ちはすでに三度。光の槍をまともに受けた奴らがあちこちに倒れているものの、その男たちの状態を見れば、こちらの攻撃の欠点は一目瞭然だ。


 ――どれだけ一撃で昏倒させる威力があっても、『ディバイン・スピア』に人を殺傷する力はない。


 最初こそ一撃で昏倒する光の槍の威力に、男たちは警戒の色を見せ、その怯んだ隙を突いて距離を離したものの……殺傷能力がないのがバレた以上、それはもう通じない。

 僕にできることは、こうして下がりながら接近してくるものを行動不能にして人数を減らすことだけだ。


 しかし、人数は向こうが圧倒的。

 それに僕の方は先程から異様に手足が重くなってきている。

 ひゅう、ひゅうと甲高い音をあげ、痛みを訴えている喉が苦しい。

 レベル1とはいえそのステータスは初期のものより遥かに高く設定されていたはずで、感覚から言って魔力はまだ数発分はあるはずなのだが、もうすでに手足の感覚がうっすら消え始めていた。


『…………マーナ・ドロウ……っ!? っリーア・リーア・リーア・ ディ・ヴィエーガ !』


 およそ三十秒のクールタイムが完了し、振り返って再度放とうとするも、予想より遥かに迫っている人影に一瞬集中が乱れた。

 辛うじて継続し、詠唱完了した『ディバイン・スピア』を放とうとし……その瞬間、先ほどのタイムラグで一瞬タイミングが狂った失敗を悟った。

 わずかに地に足がついていないまま放った『ディバイン・スピア』の反動で、軽い体はひとたまりも無く吹き飛ばされ、数回転がって……


「がっ!、あ、かはっ……っ」


 背中を木に強かに打ち、肺の空気が絞り出される、早く立ち上がって逃げなければいけないというのに、空気を望む肺がそれを許さず、喘ぐように酸素を求め、辛うじて息の戻った時には追っ手はすぐ目の前で手をのばしていた。




 ――ナイフを振り回す男の姿が、目の前に迫る追手の男に重なる。

 背中に灼熱が蘇り、腕の中で泣き叫ぶ少女の顔を見て、大丈夫となんども声にならない声で繰り返すその間も、背中は幾度も鋭い熱を生じさせて、すっと下半身から感覚の消えていく――




「――っ! やぁぁあああああッッ!?」


 その悲鳴は恐怖心を形にしたように、詠唱をすっとばし幾本もの槍を作り、でたらめに射出され、新たに二人の男を昏倒させる。


「ぐっ、うぅ……っ!」


 反動で体が木の幹にミシミシと押し付けられ骨が軋むが、しかしそれによって再度吹き飛ばされることだけは避けられた。


「……はぁっ、はぁつ、……逃げ、ないと……」


 樹を背によろよろと立ち上がり、再度駆けだそうとし……背が支えを失った瞬間、力を失った四肢は何も言うことを聞かず、為す術もなく雪の中に倒れこむ。




 ――ああ、そうか。


 先ほどからこの身を苛み、動きを阻害していたもの。これは……疲労だ。


 この世界で目覚めてからここまで来る中で、幾度も感じながらも魔法で誤魔化し続けたもの。

 もうすこし、慎重に考えなければいけなかったのに。『ディバイン・スピア』は『少々この体には抑えきれない』反動があったのは検証したはずなのに、その可能性を露とも考えていなかった。「HP」と「MP」をゲームの時同様分けて、それぞれ相互に影響を与えないものと思い込んでいた。

 僕が『少々』と思っていた魔法の反動は、知らぬ間にこの華奢な身を幾度も打ち据え、何度も危機を救うと同時に、そのたびにこの身を弱らせていたのか。


「ひゃは、つーかまえたァ! よくも手こずらせてくれたなぁ……!」


 とうとう一人の男に追いつかれ髪を掴まれて引きずり起こされるが、もはや力の入らぬ四肢はまるで言うことを聞かず、為すがままに気に後ろ手を取られて地面に押し付けられる。目の粗い縄だろうか、手首、新雪のような柔肌ををやすりのように削る何かがぐるぐると巻きつけられる感触がする。


 後ろから押さえつけられた体勢が、嫌が応にも『あの時』の記憶を呼び覚ます。


 ――やめて、あの時を思い出させないで。


 ようやく忘れられるようになったのに。ここで思い出してしまったらもう何も抵抗できなくなってしまう。その先には暗い未来しかないのに。


 しかし……一度開いた過去の傷より溢れる恐怖は、瞬く間に抵抗の意思を奪い、意識を黒く塗りつぶしていった。







「あぁぁああ……嬢ちゃん、そんな……」


 気を失いぐったりとしたその小柄な体が、下卑た男たちの手でぐるぐると拘束されていく。

 あの時笑いかけてくれた顔は今や雪のように血の気が失せ、ただ人形のようにその目を伏せているのが見えた。

 周囲ではその戦利品に沸き立ち、意識の無い嬢ちゃんの体を弄っている男たち。その光景に呆然としていると、がっと肩に置かれた手にびくっと体が跳ねる。


「お前のおかげで思わぬお宝が手に入った……感謝するぜぇ、また次もこんな感じによろしくなぁ?」


 頭の嘲笑の混じった笑い声が遠ざかっていく。

 そうだ、おらは我が身可愛さにあの嬢ちゃんを売り渡してしまったのだ。

 この身を癒し、命を救い、生きていてよかったと涙してくれた、可憐で心優しい少女を先の無い深い闇に突き落としてしまったのだ。


 あの逃げる前、こちらを見た時のショックを受けた顔。明確な拒絶。涙ながらに何も聞きたくないと突っぱねた少女の裏切られたその内心はいかほどのものだっただろうか……



 こんなことなら、頭に逆らって死んだほうがずっとマシだった。後悔はすでに遅く、ふらふらと、拠点から外れる小道に逸れ、あまりの罪悪感と生き恥と虚しさに、所持していた解体用の短刀で喉を突こうとして……


「だめだ……そんな、楽に死ぬなんて許されちゃいねぇ……」


 助けを、呼びに行かないと。死ぬのは、そのあとで、あの子の手によってでなければならねぇ。

 ただそれだけを思い、最初はずるずると足を引き摺るように、しかしやがて何かに突き動かされるように一心不乱に走り始めていた。

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