世界の傷と世恢の翼

「…………おい…………嬢ちゃん、大丈夫か……おーい」


 控えめな呼びかけと、痛くない程度のチカラで頬を叩く感触に、闇の中からゆっくりと意識が浮上する。

 なんだろうと思いながら顔をあげると……すぐ目の前に、知らないおじさんの顔があった。


「~~~~~~ッ!!?」


 喉の奥から声にならない悲鳴が奔る。


「お、おお!? 嬢ちゃん、どうしただか!?」


 周囲を見渡しても……いつも傍に居てくれた頼れる二人は何処にもいない!? 


 玲史、綾芽、どこ!? 


 慌てて目の前の見知らぬ男から離れようとして……たまたま濡れた木の根を踏んだらしく、足元から地面の感触が、消える。


「きゃあ!?」


 立ち上がりかけたところで足の滑った体は後ろに倒れ、まだ柔らかな雪の中に、頭から突っ込んでしまう。


 数回、ぱち、ぱち、と目を見開き、なぜ雪に頭を突っ込んでいるのか、頭を包む冷たい感触に包まれながら思い出した。


「……大丈夫だか?」

「……はい、申し訳ありません……頭は冷えました……」


 おじさんの困惑した声に……ようやく冷静になった僕は、恥ずかしさから目をそらすのだった。






「……で、だ。お嬢ちゃんだよな、これ、治してくれたのは」


 彼……スコットさんと言らしい……は、血で染まった服の、腹の大穴を指さして聞いてくる。魔法で服は治らないけれど、その下から覗いている皮膚には傷一つない。


「……よかった、なんともないみたいですね。どうですか? 違和感とかありますか?」

「何も無ぇ。バッチリだ。正直助かるなんて思っておらんかったから、ほんとうに、嬢ちゃんは命の恩人だ」


 深々と、土下座のような姿勢で頭を下げてくるスコットさんに、慌てて頭を上げてくださいと頼む。年上の人に土下座はどうにも居心地が良くない。


「だけども……正直助かるべきでなかったんでねーかって思うんだ……罰があたったんじゃねーのかって」


 一転して暗く沈み、泣きそうな表情を見せたスコットさん。


「……罰、ですか?」

「そうだ……おら、悪いことしてるやつらが酷いことしてんの一杯見て見ねぇフリしてしまってなぁ……おっかねくて、やれることもやってこなかった罰でも当たったんじゃねぇがってな……」

「そんな……」


 目の前の人はとても悪い人のようには見えない。

 僕が気を失っておよそ十分、無防備なところを彼は傍で守っていてくれたわけだし、先ほどの醜態をさらした僕に気遣ってか一定の範囲内には入ってこないようにしてくれている。

 言動の端々にも心配げな様子が見えていて、このおじさんは本当に人が良いのだと思えた。


 ……なのに、そんな人が「自分は助かってはいけない」だなんて。それを言ったら僕らだって、厄介ごとを嫌って目の前の「悪い事」を見て見ぬふりは一杯してるのに。


 そう思ったら、思わず彼の手を両手で取ってしまっていた。


「……スコットさんは、それをいまもずっと後悔してるんですよね? だったら、きっとスコットさんは悪い人なんかではないです、自分を責めてるんですから」

「だけども……」


 ああ、手が震える。気付かれていなければいいな。だけど、思ったより取り乱さずに済んでいる。


「また次、こんどこそ勇気を出してみればいいじゃないですか……きっと、償う機会は他にもあるはずです、死ねばよかったなんて言わずに……あなたはこうして、生きているんですから……ね?」


 彼のごつごつした手を握り、精一杯元気づけようと微笑みかける。

 握った手から微かに脈を感じる。そう、生きているのだ。この世界の人はNPCじゃなく、それぞれの人生を歩んで、悩みを抱えてきた確かに血の通った人間なのだ。


「あなたが、生きていて、間に合って、良かった」


 確かに僕は、彼を助けることができたのだ。誰かに助けられることでしか生きてこられなかった、この僕が。


「……分かった、せっかく嬢ちゃんにもらった命だ、頑張ってみる。すまねぇな、年下の娘さんにこんな情けねぇとこ見せちまって」


 そうつぶやいて苦笑する彼に、僕は気にしないでくださいと笑いかけた。





「嬢ちゃんは、このあとどうすんだ?」

「その……少しやらないといけないことがあって、この先に……」

「そか……近くの町までは歩いてあと二刻ぐらいだけど、くれぐれも気を付けて早めに向かうんだぞ、こんな人の居ないところにいつまでも居ちゃなんねぇ。すぐに立ち去るんだ」


 そうして僕の身を案じた警告を残して別れを告げると、彼は森の奥に消えていった。


「……さて」


 こちらの用事を済ませなければならない。頭痛はだいぶ収まったものの、未だ僅かな鈍痛とともに、こちらへ行かなければならないという焦燥感は僕を苛んでいた。











 おら……スコットは、底辺の傭兵団の斥候だ……いや、「だった」と言うべきだか……。

 傭兵団なんて名ばかりのゴロツキの集まりで、依頼人をだまくらかして仕事は干され、食うに困ってこんな辺境で山賊なんかやってるろくでなしどもの集まりだ。

 おらは喧嘩なんてさっぱりダメだけれども、目とすばしっこさを買われて斥候役をやっていた。なのに、どうしてこうなったんだか。田舎でずっと畑仕事やってるべきだったって、今はそう思ってるけども、なかなか足抜けできねぇで悪事に関わってここまで来てしまった。


 だけども……変な化け物に襲われて、腹ぁ引き裂かれてもう死ぬかと思った時に、天使様がいらっしゃった。

 何故か目覚めたら、目の前にえれぇ綺麗な娘っ子が気を失って座り込んでるもんだから、せっかく拾った心臓また止まるんじゃねぇかって思ったくらい吃驚したわ。


 その天使様、いや嬢ちゃんはえれぇ良い子だった。最初こそ見知らぬ男に怯えてたし、話し始めた時も細かく手ぇ震えてて……まるで、団の連中に連れてこられて無体を働かれた娘っこみたいな反応だった。

 なのに、おらの悩みを聞いて、あまつさえこの手を取って、あなたは悪い人じゃない、次には頑張れとそう言ってくれた。生きていてよかったと、目の端に涙を溜めてまで言ってくれたのだ……おらに触れた手だって震えてたし、きっと怖かったろうになぁ。


 だけどきっと、あの嬢ちゃんだって本当のことを知ったら幻滅するにちげぇねぇ。それが怖くて言い出せなかったなんておらは本当に駄目な奴だ。

 だからせめて、おらはあの嬢ちゃんが安全に出ていけるようにろくでなしどもをどっか別の場所に誘導しねばなんねぇ。そのためには、服を調達しねぇと……こんな格好じゃ、「死にかけの人間も生き返らせられる神官様」なんて宝物をあのろくでなしにもって帰っちまうことになってしまう。

 それだけじゃねぇ、あの別嬪ようで、しかもどう見ても貴族様かどっかのいいところのお嬢さんにしか見えねぇ。

 自分らのことを棚上げして、そういう人らに恨みつらみを重ねたあの連中に捕まりでもしたら、どんな酷い目に遭わされるか……たしかこの先の山小屋に替えの服があったはずだ、それを……


「おい、持ち場離れて何してやがる」


 背中にかかった声に、ビクっとなる。いけねぇ、ここだとまだ足跡が……


「ほぉ……なんだその恰好はよ……ああ、嘘なんてついたら……分かってんだろうな?」


 ひたひたと頬を叩く長剣の刀身に、おらは……











「うわぁ……」


 森の中に、突如地面から水晶のような結晶が円形に生えた小さな空間が姿を現す。

 その部分だけ雪は存在せず地肌がむき出しになり、まるで別世界のような幻想的な景色が広がっていた……いや、これは。


「これ……やっぱり『世界の傷』ですよね……」


 そう、これは高レベル用のレイドボスやダンジョンんどでゲーム内でもよく見た……尤も、その際はもっとずっと広い空間をこの景色が覆っていたが……『世界の傷』と呼ばれる場所に、そっくりの景色だった。


 ――時折この世界には、こうした『傷』が開き、異界から侵食され様々な脅威が現れる……そういう設定だったはずで、つまりこの場所は実際別世界になりかけなのだ。


「でも、どうしてこんなところに、それもこんな小さい……ひゃ!?」


 一歩踏み込んだとたん、意識してないにもかかわらず、背中の翼がばさりと顕現する。

 途端に脳裏からあふれてくる知識。まるで、今まで忘れていたものを思い出すような……あるいは、今この瞬間インストールが完了したかのような。


「あれ……どうすればいいか、なんとなく解る……」


 ふらふらと、直径10mもない空間の中央に歩み寄る。

 導かれるままに両手をかざすと、その『世界の傷』本体である空間のひび割れがすうっと両手の間に現れる。


 苦しい。

 痛い。

 助けて。助けて。助けて。


 そう、世界が直接叫んでいるかのような感覚。

 その根源であるひび割れを、背の三対の光翼でそっと抱きしめるように包み込む。

 腕の中で、今まではただの痛みとしか認識できなかった、人ではない『なにか』が痛みに泣く声が聞こえる。


 ――そうか、だから呼ばれたのか。助けてほしい、その声を聴いたから。


『――ねむれねむれ 私の胸に ねむれねむれ 私の手に

 こころよき 歌声に むすばずや 楽しゆめ


 ねむれねむれ 私の胸に ねむれねむれ 私の手に

 あたたかき そのそでに つつまれて ねむれよや――』



 優しく、子供の背中を叩くように、あやすように言葉を紡ぐ。

 これ自体はなんの変哲もない、地球では有名な子守歌だが……それはこの翼を介し言霊となって癒しの力を纏い、『傷』に染みわたっていく。

 この世界に飛ばされてから今までの中で、最もすさまじい勢いで体から何かが抜けていく脱力感を覚えるが、それに合わせて腕の中のひび割れがゆっくりと少しずつ埋まっていき……やがて、ふっと消え去った。もう助けを求める声は聞こえてこない。


 その様子に安堵した僕は、がくりと下半身から力が抜け、その場に座り込んでしまう。

 しかしそこは、いつの間にかその空間だけ草が生い茂り、力の抜けた僕を柔らかく受け止めてくれているのだった。






【後書き】

良く倒れる主人公。今回は意識失ってないのでセーフです?

歌は有名なシューベルトの子守唄です。自分には作詞とか無理だったよ……

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