広がった世界と、初戦闘

 白い雪の結晶がちらほらと空を舞い、木々はすべて降り積もった雪で白く化粧を施された、人の踏み荒らした跡の見えぬ一面の銀世界。

 そんな、まるでおとぎ話のような純白の幻想的な自然風景の中、僕は……



「疲れた……」


 この世の終わりのような顔で、手ごろな高さの倒木に腰かけて途方に暮れていた。






 二人と合流する手筈だった最寄りの街に向かっていた僕は、歩き始めておよそ一時間ほどで、すでに音を上げていた。


 というのも、この体、見た目通りに異様に体力が無いのである……と言いたいところなのだが、それ以上に僕がうまく歩けない、というほうがむしろこの状況を招いていた。

 元々、十歳にもならない幼少時に怪我によって車椅子生活を余儀なくされた僕は、ゲーム時代でもアバターであれば動かせることは動かせたが、脚の動かし方が人並みに上手く動かせなかった。背に羽根を持つ天族であったからこそ浮遊することである程度カバーできていたが、地面に降りるとその弱点が顕著に露呈する。


 最初は、現在妹の使用しているキャラを使用して前衛をやろうとしていたが、すぐに挫折した理由がそこにある。

 接近戦ともなれば地に足を付け立ち回らなければいけないが、どうしてもそれができなかったのだ。

 とはいえ、僕たち二人のアバターは長い時間を費やし二人で完成させた最高傑作であり、それ故に「適性が無い」と作り直す気力は存在しなかった。


 幸い……というのも変ではあるが、妹のほうは妹のほうで最初は「かわいいキャラで可愛くふるまって支援職でちやほやされたい」とかのたまっていたのはいいが、いざやってみるとあまりの不遇ぶりにイライラし始めていた。

 そもそも、もともと性格的に前に出て暴れるほうが好きだったため、支援特化ステにもかかわらず高頻度で我慢できずに飛び出して殴りに行く始末と、二人揃って散々な結果となっていた。


 キャラデリするくらいならとお互いのアバターを交換した結果、お互いの性格がそれぞれうまい具合にかみ合ってしまい、以降妹に「女の子から学ぶネカマ特訓」とかいう謎授業を受けて七年間も過ごしてきたのだ。

 おかげで女の子らしい……それも、この外見に見合った可憐な女の子らしい……言動は一通り妹からお墨付きをもらっている。今では意識せずとも自然に動けると言ってもいいはずだ。ちょっと男として複雑ではあるが。


 足が不自由な分少々ぎこちないところはあり、歩いているとよく躓いたりもするが、妹曰く「それも萌えポイントになるから問題ないわ!」とよく分からないことを言っていた。




 話が逸れてしまったが、ではなぜ苦手にもかかわらず自分の足で歩いているかというと、現在、転生し種族が「光翼族」となってしまったが、この種族は普段は人族と変わらぬ姿をしており、必要な時だけ翼を出すことができる。

 しかし逆に「翼を出しているときしか飛べない」という制約もついていた。あのやたら目立つ翼を。

 誰かに見られてそれが悪人だったりしたら奴隷コース待ったなしに違いなく、 それは御免こうむりたい。


 それに、試しに飛ぶ練習をしてみたものの、システムのアシストで飛びたいと思うだけで勝手に羽が動いたゲーム時代と違い、どうやらこちらでは自分で意識して羽を動かさないと飛べないらしかった。

 一応、少しだけ浮くことはしばらく練習してできるようになったものの、空を自在に飛ぶ、というのは相当練習しなければ無理そうと判断し歩いてきたのだが……






 そして一時間後。

 足りない筋力を強化魔法で補い、足の痛みを回復魔法でだましだまし歩いてきたものの、疲労の蓄積だけはどうにもならず、すでに足腰がガクガクになるまで疲弊していた僕は、今こうして途方にくれて座り込んでいた。


「……というか、隣町まで遠くないですか……ゲームの時は私の足でも徒歩で三〇分くらいでしたよね……」


 ぶつぶつ文句を言いながら、マジックバッグの中に眠っていたサンドイッチと、ドリンク代わりのマジックウォーターを口にしながら……やはり見た目相応に胃の容積が減っているらしく、食パン半分くらいの大きさのサンドイッチ一つで結構苦しくなっている……ここまでの道程を振り返る。


 現在、ゲームの時の距離の倍は歩いてきたはずなのだが、見渡す限り雪の積もった針葉樹林が広がっているだけだった。ひたすら木々と雪とかろうじて街道と分かる寂れた道しか見えず、黙々と歩くのは非常に骨が折れた。

 足元も、現実になった結果、不安定な場所も多数あり、何度か雪やその下に這いまわる木の根に足を取られ頭から雪中にダイブする羽目になった。汗と服の中に入り込んだ雪の解けた水でやや湿った衣服は肌に張り付き気持ち悪く、疲労の蓄積に一役買っている。


 広くなった世界相応にモンスターの存在する密度も低く、時折のんびりと草を食んでいるノンアクティブなものを数度見かけた程度しか遭遇していないのは幸運であるが。






 ――僕たちの遊んでいた『Worldgate Online』のウリの一つに「探索しきれない、冒険にあふれた広大なフィールドを」という謳い文句があり、事実実装されているフィールドを一周してみよう、という挑戦を敢行した者たちが言うには、徒歩で行動できるフィールド「だけ」の広さがだいたい北海道の面積と同じくらいありそう、とのことだった。

 そのためゲームでは一日一回のテレポートゲートをはじめとした様々な移動手段が充実していたが、こちらに来てからはその恩恵は失われていた。

 現実のものとなった今、実在する世界が一つの島程度の広さとは考えにくく、もしかしたら数十、下手をしたら数百倍……あるいはそれ以上……の広さに変わってしまっている可能性は高いのだ。




 ……というのを気が付いたのは歩き始めて一時間後、つまり今であり、その考えに思い至らなかった一時間前の自分を殴りたくなってくる。






 とはいえ、いつまでもこうして座り込んでいるわけにもいかず、町かせめて野営できそうな場所を探そうと立ち上がった時、何か遠くから……


「……悲鳴?」


 そう、誰かが叫ぶ、切羽詰まったような声が聞こえてきた。一瞬避けて逃げようかを考えるも、放っておくわけにもいかない、もしかしたら助けたら道を聞けるかもしれない、という打算からそちらに脚を向けようとした瞬間。


「……いっ、ぁあああぁ!?」


 全身を頭から足まで貫くような、激しい痛みが走り崩れ落ちる。


(痛い痛い痛い痛い! なんで!? 周囲には何も……!)


 何、なんだこれ、攻撃された!? しかし、どこか怪我をしたような感じは全くない。そうしている間にも全身を苛む苦痛はすぐに鎮静を始め、徐々に意識が鮮明に戻り、頭の奥にズキズキと引き裂かれるような痛みが残る程度まで収まった。


「はぁっ……はっ……はっ……行か、ないと……」


 自分でもよく分からないが、そちら、悲鳴の聞こえてきたほうに行かなければならないと、なぜか心の奥から衝動が湧き上がる。まるで何かに誘導されるように、自然と足が動き出した。






 ――すぐに、こちらに来たのを後悔した。思わず口元を押さえる。


 悲鳴の主は、居た。

 中年ぐらいと思しき男性が地面に力無く横たわっている。

 周囲の雪は深紅に染まり、その腹のあたりでは、大型犬くらいのサイズの、影でできたような不定形の犬のようなものが男の腹に鼻先を埋めている。

 時折びくびくと痙攣する男の腹からその黒い影が鼻先を放した際に、腹の中からズルズルと引き出される細長いものを、何であるか考えるのを思考が放棄した。認識してしまえば恐怖で立ってられなくなる気がする。


 ……しかし、男性の体は時折まだ動いており、もしかしたらまだ息があるかもしれない。


 生きたまま腹を割かれ貪られるという恐怖心はいかほどのものか、あまりの悍ましさに体が震える。こちらに興味を持たれたりしたら次に同じ目にあうのは自分であり、この体のやや薄いながらも健康的な脂肪に包まれた腹は白く柔らかく、いかにも美味そうに見えるに違いない。

 その光景を脳裏に描いてしまい手足から力が抜けそうになるが、へたり込んでしまえばその予想は現実のものになると叱咤し、切れて腔内に血が伝うのも構わず唇を噛んで堪える。


 あの魔物はおそらくゲームでは「ファントム」系と呼称されていたあれは精神生命体であり、ある特殊な状況で発生する、周囲の動物に取り付いて変質させ、それらの本能に忠実に行動する魔物だったはずだ。あれは……おそらく食欲か。


 幸い精神生命体であれば【ディバイン・スピア】は有効だと思い出し、杖を握りしめる。


 反動を抑えるため、一本の樹に背をもたれ、こちらに気が付かれていないうちに静かに詠唱を唱え終わらせる。体の中から決して少なくない量の何かが抜かれる感触とともに、万全を期すため注ぎ込んだ最大威力、4本の光の槍が出現する。慎重に狙いを定め、4本の光の槍を解き放つ。


 食事に夢中になっていた敵はその段階でこちらに気が付き振り返る。明確な敵意……あるいは食欲……をもつ目に体が竦むが、すでに放たれた槍を今気が付いたばかりの敵に避ける術はなく、外れたら次は自分、という恐怖心から高められた集中力に導かれた槍は狙いたがわず突き刺さり、ぎゃうん、といった悲鳴を上げて影が吹き飛んでいった。

 精神生命体系列の欠点……ゲーム内ではHPではなくMPが全損すると消滅する……により一声苦悶の声を上げた後、すぅっと消えていった。


 震える体をなだめすかし、周囲にほかの敵が居ないことを確認すると、倒れている男のほうに歩み寄り、怪我の様子を確認しようとして……すぐに目を勢いよく逸らした。

 喉の奥から熱いものがせり上がってきて、たまらず傍らの地面に吐き出してしまう。今度こそ膝から力が抜け、へたり込む。


 腹の中身が異様に少なかった。

 深紅の中にまず目に入る黄色い層。その奥にいくつか色の違う塊、時折ひくつく肉、目にしたのが一瞬だが、脳裏に焼き付いて離れない。もしかしたらしばらく悪夢で見てしまうかもしれない。

 だが、こうして蹲ったままでは救えるものも救えなくなってしまう。震える手で杖を握りしめ、震える喉と、早くしなければという焦りとで幾度かの失敗の後、たどたどしく詠唱を紡ぎあげる。


 【アレス・ヒール】。戦神の名前を冠したこの治癒魔法は、HPを大回復するとともに、体調を整え状態異常も同時に癒す魔法であったが、もしかしたらこの世界では失血にも効果があるかもしれない。

 その読みは当たったらしく、男の腹が時間を巻き戻すかのようにみるみる傷が塞がっていくと、徐々に青白くなっていた体に血色が戻り始める。


 無事に効果を発揮したのを確認すると、杖にもたれかかり倒れないようにして呼吸を整える。

 今だ激しい吐き気が胃の中をぐるぐるしているが、もう吐き出すものもないためこれ以上こみあげてくるものは無かった。


「……ん、俺は……あれ、どこも痛くねぇ!?」


 眼前の男が目を覚まし、身を起こしたようだ。

 それだけを確認した僕は、初めての戦闘の緊張と、間に合ったことによる安堵感から、ここまでどうにか張りつめていた緊張の糸が切れ、ずるずると体を支える杖から滑り落ちるように崩れ落ち、意識を失った――……







【後書き】

異世界での初戦闘。平和な国の引きこもりなもんでこれでもきっとマシなほう。

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