着替えと検証と
あまりの事態にしばらく呆然としてしまったけれど、いつまでも呆けているわけにはいかず、身だしなみを整え始める。
何せ今のこの身は薄手の貫頭衣のようなワンピース一枚のみで、下着すら着用していない。このままではすぐに体温を奪われて身動きすら取れなくなってしまう。
ゲームのようにメニューが出ない以上、自分で順に着込んでいかないといけないが、そのあたりは問題ない。
転職後に着るために持ってきたプリースト系列初期服、「ルーキー・プリエステスドレス」をデザインしたのは僕らであり、何度か描いた『Worldgate Online』のイメージイラストで、イリスが着ていた回数が最も多かったのもこの衣装だ。詳細な設定資料も記載した関係でその構造も熟知している。
……と、そう思っていた時期が僕にもありました。女の子の服の複雑さと面倒さを甘く見ておりました。
出るわ出るわ、ゲームでは全身の部位すべてセットでアイコン三つ四つだった衣装のセットは、すべての部位を取り出した時には小さい山のようになっていた。
ちなみに、ゲームだった時は元の体よりは多少足腰がしっかり動くものの、現実の体の損傷と無関係ではいられなかったようで、かなり動作の制限があった。
この体も同様で、なんとか立つ、歩く、という動作は可能かもしれないけれど、それ以外の行動を取れるかというと少々心もとない。
どうしてもバランスが取れない以上座って着替えなくてはならないが、下着も纏わぬ裸体で廃墟の床に直に座るのは躊躇われたため、床にバッグから取り出した敷布を敷く。これも妹に「女の子のたしなみ」として持たされた一つだが、こうなってはありがたい。
敷布の上に座り、片足ずつ下着に足を通す。最初はこんな小さい布切れがと思ったが、履いてみるとぴったりとフィットする肌触りのいい生地の感触に、何かから守られているような安心感とともに元男としてのなにかがガリガリと削れていく。
続いてブラジャー。手に取ったそれを、着用するか悩み……視線を落とすとすぐ目に入るささやかなそこを見て、ぶっちゃけ必要なくね? と思ってしまったが……結局、この後歩くことも考えて着用する。擦れると痛いっていうし。
……付け方? 話題を振られた時のためにと実物を使用してばっちり仕込まれてますが何か?
続いて取り出したのは黒いタイツ。ゲーム内では冷気ダメージを緩和する効果があり、さすがにこちらではそのような効果は無いだろうが、多少の気休めにはなるはずとやはり座り込んだまま履く。これは非常に難儀した。
続いて指に引っかかったスリップ……これも必要かやや悩んだが、ゲームでは「魅せ」ることを重視した下着の上下は見るからに繊細で破損しやすそうなので、念のためこちらも身に着ける。替えの下着がいつ手に入るかわからない以上、余計な損耗は避けたい。
ここまで着込んでようやく初期服に手を付ける。この段階でものすごくどっと疲れた。本当に女の子の身だしなみというのは手間の多いことだとその苦労を忍ばざるを得ない。
ノースリーブのブラウスを着込み、フリルパニエと組み合わさったスカートを履く。膝上丈はかなり高いが、幾重にも重なったフリルにより下着はそうそう見えない構造となっている。
その上から羽織る形でローブを着込む。その際に服に巻き込んでしまった長い髪を直すのに苦労するかとおもいきや、ほとんど手ごたえを感じずスルリと服の間から滑り抜けて手からさらさら零れる感触に思わず「おぉ……」と感動してしまった。
やや薄手で、薄いクリーム色の、ところどころ金糸で刺繍の入った膝くらいの丈のそのローブは、下に履いたスカートよりは丈が長いが、腰のくびれのあたりから4つのスリットが入り、下のパニエによってふわりと広がり、そのスリットからパニエのフリルが覗く仕様となっている。
袖はラッパのように広がっており、こちらも肘のやや下まであるスリットからふわふわしたフリルが覗く。まっすぐ腕を下に垂らすとちょうど指先だけフリルの山から頭を覗かせる寸法だ。前面の二列のボタンをきっちり留めて、仕上げに腰の後ろのリボンで腰回りを調節すれば完成だ。
手鏡で、きちんと着られているかを確かめる。
しっかりボタンを留めたブラウスと、その上に着たローブだけを見ると清楚な神官風の印象でありながら、スカートや袖などから所々見えるふわふわなフリルは硬そうな雰囲気をやわらげ、華やかな可愛らしさを醸し出していた。
最後に、フィールドワークも考慮した、踝よりやや上くらいの長さの、厚手の底のショートブーツをこれまた苦労して履けば、準備は完了だ。
どこか変なところはないかと立ち上がってその場でくるりと回ると、その動きを追いかけてスカートのすそがふわりと舞い上がる。
……駄目だ、ゲームならともかく実際に着ると可愛らしすぎてそれを着ているショックに目が眩む。
急に恥ずかしくなり、寒冷地用の防寒具……フード付きのポンチョとかいうこれまた可愛らしい代物であったが……をそそくさと着込むと、部屋を後にした。
外に出ると、やはり途端に冷気が肌を刺す。が、幸い今の時期であれば精々雪が積もり始める時期くらいの寒さであり、我慢できないほどではない。
いくつか宝石が散りばめられ、金の輪のしゃらしゃらと鳴る、程々に華美な装飾の施されたこの体の身の丈よりはやや長い長杖を取り出す。
見た目は立派だが、実はゲーム時代の装備品融合……見た目だけを別の装備に移すシステムで、外見だけ挿げ替えたもので、性能はせいぜい中堅レベルよりやや下、程度の性能しか持っていない。とはいえレベル1であろう自分には十分すぎる代物だが。
試しに振ってみるが、特に違和感は覚えない。どうやら問題なく使用できそうだ。
軽く、『ディバイン・スピア』を最低出力で放ってみる。おそらく身を守る数少ない手段であろうから、性能の把握はしておきたかった。
結果……システムアシストがなくなったため、ホーミング機能は失われ、着弾のその時までしっかりターゲットを自分で捕捉しておかなければ、標的を見失ったミサイルのごとく不安定な軌道でどこかに飛んでいってしまうことが判明した。
クールタイムは存在するが、ディレイは存在しない。代わりに、射出時に少々この体には抑えきれない反動があることも確認できた。
MPダメージという特性は健在だが、この世界でのそれは思ったより有用だということも判明した。
たまたま見かけたネズミに試し打ちしたところ、どうやらこの世界ではMPが著しく減少すると、体調に変調をきたし、ある程度以下まで消耗してしまうと昏倒してしまうようだ。
昏倒したネズミに治癒魔法は効果が無く、『マナ・トランスファー』というMPを譲渡する魔法を試しに施してみたところ、すぐに目が覚めていずこかに逃げていったのでおそらく間違いないだろう。
もし何かに襲われても、有効な攻撃手段となることが判明したのは、多少なれども精神的な余裕を持つことができるという意味で大きかった。
一方で、これは自分にも言えることでもあり、MPダメージや魔法の使い過ぎは行動不能という結果を招くということで、魔法行使は慎重に行わなければならないようだ。
特に、現在は大きく能力を減じているのだから、ゲーム時代のようにMP任せに支援をバカスカ飛ばすことは不可能になったと思ったほうが良さそうだ。
また、ポーション類をはじめとする薬品類も、その性能を大きく減じていた。
試しにMP回復アイテムであったマジックウォーターを一本飲んでみると、じわじわ魔力が戻ってくる感覚はあるものの……即効性の低下は顕著で、飲んだ直後にどうこうという変化はなさそうだ。
また……これが意外と厄介なのが……液体である以上飲んだ直後は腹に溜まるということだ。この体の胃の容量は少なそうなので、そう何本もガバガバ飲むことは不可能と考えるべきか。
とりあえず主要な魔法を一通り試し、一通り発動可能であることを確認した僕は、近くの町で待っているはずの二人に連絡を取ろうとする……が。
「チャットも……できないよね、当然」
チャット窓などウンともスンとも言わないので早々に諦めた。であれば戦力のある二人がここに来るのを待つのが上策、なのだろうが……
「……もし、飛ばされてきたのが僕だけだったら……?」
ぞわりと、嫌な考えが鎌首をもたげる。ただでさえ装備品にバッグ容量が圧迫されており、一度町で合流予定だった僕のカバンに食料や水はほとんど存在しない。
数本のマジックウォーターと二切れのサンドイッチ、これだけだ。いつ来るかもわからない、居るかもわからない二人が迎えに来るのを待つのは……。
「……やっぱり二人任せにするのは駄目だ、行かないと」
心細さを振り払うように、目の端からあふれそうになった滴を拭い取ると、覚悟を決めてゲームの時に元来た雪原へ踏み出した。
……慎重に検証したつもりだった。
しかし、なまじゲームと同じ外観、多少変わったとはいえほぼゲームと同じ魔法。ゆえに、やはりどこか「なんとかなる」と、甘く見ていたのだろう。この世界が現実であるという意味を、この時はそれほど深刻に考えていなかった気がする。
【後書き】
小さい子供ってよく座ったり寝転がったりした状態のまま着替えますよね。
ちなみにイリスちゃんは「MP」っていう言葉を使っている時点でまだだいぶゲーム感覚です。
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