Worldgate Offline ……Restart
「……え、な、何……?」
選択を実行したその時、画面に激しいノイズが走った。
それは瞬く間にこの純白の世界に広がり、白いキャンパスに血で何かを描くかのように縦横無尽に深紅の幾何学模様が走る。
思わず数歩後ずさりすると、ひとりでに浮き上がった目の前の本から、足元から、何条もの黒い影の帯のようなものが僕の四肢にまとわりつき、抵抗の暇もなく瞬く間に宙吊りにされてしまった。
「な、なんなのこれ、レイジ、ソール、何これ、どうしたらいいの!?」
『どうした、何があった!?』
『お兄ちゃん、落ち着いて、何があったの!?』
「は、放し……がはっ!?」
拘束を逃れようとする胸に、腹に、全身に、ドスドスと闇色の帯が突き立っていく。
何故かゲーム内には存在しないはずの痛みと衝撃に、存在していないはずの肺から空気が絞り出され、呼吸すらままならなくなる。
『どうし……おい、返事……!!』
『お兄……何が……!?』
パーティチャットにノイズが混じり、徐々に何も聞こえなくなっていく。
そして、僕の中で何か決定的なものが消えていく喪失感。空いた場所を別の何かが埋めていく充足感、それらを全て押し流すかのような苦痛。まるで、蛹の中で成虫となるため一度全身をドロドロに溶かしてしまう虫のような、全てを決定的に変えられてしまう悪寒。
「消える……僕、消えちゃう……たすけ……」
消えていく意識の中、最後の力を振り絞りどうにか声を絞り出すも、すでに二人と繋がる線は崩れ去り、どこにも届かずむなしく消えていった。
「……なんだ、これ」
目が覚めると、知らない天井だった。
……いや、知ってる。
まじまじと見ていられる精神的余裕が無かったため少々自信はないけれど、つい先ほど通過した、先ほどまでいた転生の部屋、白の世界への入り口のある、北の国の外れにある古びた遺跡だ。
……つまり僕は無事転生後、急に寝落ちして今目覚めた、と。
そういえば、最近は睡眠時間を限界まで削って、連続プレイ時間上限の許す限り、あのギリギリなレベリングに費やしていたのだから、よほど疲れが溜まっていたのだろう。それで転生完了したことで緊張が切れてふっと……ふっと?
おかしい、そんなはずはない。
このゲームは寝落ちして一定時間経過した場合、体調に異常ありとして強制的にログアウト処理が行われるはずだ。
そして、世界初のVRMMORPGということで生活に関わるバグについてはかなり神経質に対処していたはず。
つまり、「寝落ちしてゲーム内で目覚める」ということはまず起こるはずが無く……
徐々に嫌な予感が背中をよぎっていく。半引きこもりの自分はそういう娯楽小説なんかもよく読んでいたし、一時は一大ジャンルを築いていたのも知っている。
そして、どう頑張ってもメニュー画面すら出ない。
操作ミスかと思い、もう一度試す。
右手から左手に変えてもう一度。
GMコールのボイスコマンドも試してみる……が、ウンともスンとも反応しない。
どう考えてもアウトです本当にありがとうございました。いやいや、でもまさかそんな小説みたいな……
おかしい、背筋のうすら寒さが止まらない。
そういえば、寝転がっているこの床はやけに冷たい。
きっとそのせいだ。だってここは北国で、しかも硬い大理石の床に横になっているのだから……
「……っ!?」
がばりと跳ね起きる……が、脚に力が入らずペタンと座り込んでしまう。
……冷たい、ってなんだ?
このゲームはそこまで詳細に再現していない。でなければ極寒の中ではすぐさま凍えて身動きが取れなくなってしまう。
ゲーム内ではせいぜい、冷気ダメージ下に薄着で長時間とどまった際に発生する体温低下のバッドステータスが付いた際に、若干思うように動けなくなる程度だったはずで、実際に熱い寒いを感じるわけではなかった。
幸いこの部屋は何故か少し暖かいため、至急どうなるというものでもなさそうだが、それでも現在の薄着では少々心もとない。
そして、現在いわゆる女の子座りの状態にあるのだが、脚から、お尻から伝わってくる冷たさはやはり現実のそれとまったく遜色がない。
呆然としていると、はらりと視界の端に虹色の輝きが横切った。
細い糸のような……思わず手に取ってみると、極上の絹糸のようなさらさらとした手触りが伝わってくる。
どこから垂れているのか確かめようと軽く引っ張ってみる……痛い。なるほどこれは自分の頭皮から垂れているらしい。
なんとなしに、糸を掴んでいる自分の手を見る。それは、とてもよく見慣れた手だった。具体的には、「いつもゲームの中でよく見ている」手だ。
しかし、白く透けるその肌の下には血が通っていることを示す朱色がうっすらと交じり、さらには血管が透いて見える。試しに手首のあたりに触れてみると、ふわっと柔らかく、しっとりとしたきめの細かい手触りの下に、腱などの硬い感触がする。
はて、このゲームのアバターはここまで詳細に人体を再現していただろうか。
……そんなはずはない。
このキャラクターのテクスチャは、僕が自分で作成したものだ。
確かに妹と数か月がかりでとことんクオリティを追求したのは間違いないが、まさかそこまでした覚えは微塵もないし、ゲームを開始して以来何年もこの体と付き合ってきたのだ。今まで見えてなかったなど絶対にありえない。
試しに軽くつねってみると……
「……痛っ!?」
刺すような痛みに慌てて手を放すと、先ほどつねった場所が徐々に赤くなってくる。そういえば先ほど髪の毛を引っ張った際も痛かった。
震える手で腰のポーチを探る。幸い、マジッグバッグとしての機能は失っておらず、その内容量には変化はないようだ。その中から普段から持ち歩いている手鏡(物陰を見たりなどに使うのであって、ナルシスト趣味があるわけではない)を取り出し、自分の顔を見る。
――簡潔に言うのであれば、絶世の美少女がそこに映っていた。
年の頃は、まだ多分に幼さが残る十代前半くらい。
肌は腕と同様透けるように白く、一方で頬はうっすらと桜色に染まり、その人形のように整った容姿を持つ少女が生の通ったものであると主張している。
眉の少し下で切り揃えられた前髪は、緩く斜めに傾斜を付けてあり、右目は完全に出ているが、左目側は目の半ばくらいまで僅かに隠れる長さ。
横髪は肩に触れる程度の長さで綺麗に整えられ、後ろは特に結ったりはせず、シンプルにさらりと流れ、腰下まで柔らかく覆われている。
銀糸のカーテンに縁取られた小さな顔の中間、ぱっちりとした目は長い睫毛に縁取られ、顔の力を抜くと、ややまぶたが伏せられ垂れ目気味の穏やかそうな笑顔を浮かべる。
その目の中央には薄いアメジストの瞳が潤んだように煌めいていた。
鼻は高すぎず低すぎず、慎ましやかながら綺麗な線を描いでおり、やや小さめな唇はふっくらと愛らしい形で、化粧をしているわけでもなさそうなのにもかかわらず、薄桃色に艶めいている。
総じて見て、「思わず庇護欲あるいは嗜虐心に駆られてしまいそうな儚げで可憐な美少女」といった風情だ。
視点を下にずらしていくと、転職用の、裸体を晒すのを防ぐためだけにあった薄く頼りない危うい服の下には、150cmにも満たない小柄でいまだ幼げな、しかし少女から女性へと向かい始めつつある危うげなバランスの体形をした肢体。
服に隠された胸部にはそれに非常に良く調和した、やや小ぶりながらしっかり存在している手のひらサイズの双丘があり、未だ成長途上のためかやや固めだが、表面はそれでもふにふにと心地よい手ごたえを返してくる。
下のほう、脚の間の感触が無いのは気になるが、今ここで調べる精神的余裕はちょっと無いので後回しだ。
ここまでのあらゆる感触がここは現実であると全力で主張しているというのに、ソレを正確に認識したらいよいよ死にたくなりそうだ。
しかも、この顔にはとてもよく見覚えがある。「やるからにはゲーム内で一番を目指す」と意気込む妹に押され、ああでもないこうでもないと長い時間をかけて作り上げ、実際に第一回目のアバターコンテストでは並みいる企業の作品を押しのけ最優秀賞を授与し、その後数度にわたり優勝を経て最終的にはコンテストを出禁くらった。ゲームを始めて七年、廃人の一人に数えられる程度には付き合ってきた、いつもの『イリス』の美少女の顔であった。
いや、こうして一層細部までリアリティが加わった結果、余計に現実離れが際立つ整った……あまりにも歪みなく整いすぎた顔がそこにあった。
しかし……
「髪の色が、違う?」
手に取った髪を角度を変えしげしげと見つめる。元は(質感には拘ったが)変哲もない白に近い銀髪であった、しかし今は、腰のあたりまで届く長い髪が、光の加減で何やら薄く虹色に煌めいて見える。
「これは、転生して種族が変わったせいなのかな……それに」
なにやら背中が寂しい。天族の特徴である背の大きな翼が存在していない。
「どういうことだろう……無くなっちゃったのかな。でも、光翼族って言っていたのに、それは……んー?」
試しに、ゲームの中で翼を動かしていた時を思い返し、背中……元は翼のあった肩甲骨あたりに軽く力を込めて、ああでもないこうでもないと暫く試してみたところ……
突然、視界が光に包まれた。
一瞬で、部屋の中がきらきらと幻想的な光の粒子に満たされた。
まるで、東北の山地にある祖父母の家で、多数の数えきれないほどの蛍を見た時のような、いや、それを何十倍にしたような。
また、ふわふわと光でかたどられた羽根のようなものも無数に落下してきており、うすら寂しい廃墟がまるで荘厳な宗教画となったかのような風情を醸し出している。であれば描かれるのは僕であろうか……すごく遠慮したい。
試しにひらひらと舞ってくる羽根を一枚手に取ると、触れた瞬間粒子になって散っていく。
ギギギ、と、金属のさびた音が響きそうな緩慢な動作でゆっくり振り向くと、視界には眩いばかりの光を放つ3対6枚の翼がゆらゆらとはためいていた。そういえば、イベントで壁画を見に行った際にそこに描かれていたもの、こんな感じの翼だった気がする。
「は……はは……やばい、なんだこれ……」
一層冷や汗が止まらなくなった気がする。
きっと今鏡を覗いたら、先ほどのあどけない少女の顔が、盛大に引きつっていることは間違いない。
このゲームの「光翼族」というのは、ゲーム内で時々会話に出てくる大昔に存在したといわれる種族。ある重要な役目を帯びていた、当時この世界で最も貴ばれていた種族と言われており……
――今はもう、とっくに絶滅した存在なのだ。
この世界では、時折「世界の傷」なるものが開くと言われている。
そこから発生するのが一部のダンジョンや、あるいはレイドボスなどの強大なモンスターだと言われている。
光翼族というのはそうして発生した……傷の発生した世界そのものを、癒し、消し去る……という能力を持った種族という設定であったはずだ。
もしかしたら転生ユニーク職になら何かあるのではないか?
やけに不遇な支援職系列に何か仕込んであるのではないか?
そんな疑問に駆られ、不遇だろうがなんだろうが歯を食いしばり耐えてきたし、まさかそのものが選択可能だと露にも思っていなかったため、実際に転生先の選択肢にその名前を見た時はわが目を疑いもしたし、リスク承知で選択した。
しかし、それはゲームの中でならばただの優越感に浸る要素でしかなかった。ところが、もしここがゲームでなくなり、現実なのだとしたら……
「ヤバい、どうしようこれ……目立つってレベルじゃないぞ……」
色々と不穏当な単語が脳裏をちらついては消える。目の前が真っ暗になりそうだ。ズルした罰がこれですか神様。ちょっと重すぎやしませんか。
玖珂 柳、ゲーム内ではイリス。もしもゲームの設定が生きていた場合、北の魔法王国の宝石姫、イリス・ノールグラシエ。
現在、転生直後のレベル1。
身を守る力も無い自分は今、絶滅したはずの、古代種族の少女になってしまっていた――……
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