Worldgate Offline 2
初夏だというのに、いまだに雪の降り積もる長い針葉樹林の中。
辛うじて見分けられる朽ち果てた街道の石畳を抜けたその先に佇んでいたのは、一軒の朽ちた建物だった。
すっかり廃墟になったその神殿と思しき建物内では、そのボロボロの外観とは裏腹に、これまでの道中でこの身を苛んできた寒冷地の冷気ダメージは存在せず、敵の存在しない建物内を何事もなく進んでいた。
そうして到達した最後の部屋に、ゲームでは何度も見かけるワープゲートが存在する。事前に聞いていたそのゲートを潜り抜けると、そこは何処までも真っ白な……床か壁かすら不明瞭なただひたすら真っ白な視界が続く不思議な空間だった。
そしてすぐ目の前、台座の上には白紙のページが開かれた一冊の豪奢な本。それに触れてみると、血のように赤い文字がページの上に浮かび上がってきた。
現在の体を捨て、新たなる力の解放を望むか
望まない
カーディナル
聖者/聖女(Unique job)
光翼族(Unique race)
「なんだこれ……ユニーク……種族?」
そんな情報はあっただろうか。
ひとまずパーティチャットを開き、徒歩三十分ほど離れた村で、この後約束している狩りの支度をしている二人に連絡を取る。
『どうした、何か問題でもあったか?』
「それが……ちょっと聞きたいんだけど、二人の転職の時って、選択肢って三つもあった? あ、もちろん転職キャンセルを除いてだけど」
『……』
しばしの沈黙。やがて
『いいえ、確かに二つしか無かったわよ。通常ルートと、ユニークジョブっていうの』
『俺もだ。というか三つ目ってなんだ?』
「ええと、ユニーク種族、光翼族、って」
実のところ、この存在には聞き覚えがある。
『……それってあれよね、時々イベントに名前出てくるやつ。ほかに何か情報は?』
続きを促すソールの声に、一番下の項目にカーソルを合わせると、追加の情報がポップアップで表示された。
「……この種族を選んだ場合、種族・職業が専用のものに変化し、種族特徴が専用のものと置き換わり、以下のアビリティを追加で習得します……『世恢の翼』。世界の傷を癒し、あるべき姿に還す……って、これ」
『世界の傷って、あれだろ、一部のレイドボスのリポップの場所』
『それと一部ダンジョンの入り口ね……それを消す、ってどういうことかしら』
『まぁ、まさかダンジョン壊したりとかそういうのじゃないと思うけど……というか一プレイヤーが習得するようなモンにそんな悪質なもの仕込んでるわけないだろ、多分』
そんなものがあったら、一人のプレイヤーに与える権限としては大きすぎる。
『そうね……でも、もしなんかすごい地雷だったとしても、私たちは絶対一緒にいてあげるから気にせず選んでも構わないわ』
『そうだな。それに、他にもしかしたらこういう隠し要素が色々仕込んであるかもしれないし、な』
不安は、ある。
しかし、どうなっても一緒に居てくれる。その言葉だけで、未知のものへの好奇心を優先する一歩を踏み出すには十分すぎた。
「そうだね……分かった、もしすごくアレだったら皆で面白おかしくネタにしようか」
今まで報告の存在しなかった選択肢。その先に待っているものへの期待を胸に、僕は一番下、光翼族をタップした。
――これが、全ての始まりだった。
「なんだよ、これ……」
俺、緋上恭也は、目の前で起きていることに呆然としていた。
最初は小さなバグだと思った。
フィールドの小さなほつれ。ちゃちゃっと修正してそれで終わり、メンテが必要なほどのことではないと。
しかし、とある起点……転生イベントの場所、通称『白の世界』から始まった綻びはあっというまに仮想世界全体に拡散し、現在すべての社内の機器がけたたましいアラームを上げている。
スタッフが総出でどうにか食い止めようにもまるで追いつかず、ならば強制シャットダウンと思っても何故かあらゆる手段での試みがすべて弾かれる。
「クソ、聞こえるかサーバールーム! 電源だ、電源抜いちまえ!!」
『とっくに抜きましたよそんな物!?』
『何故だ! ブレーカーだって落としたっていうのに……!?』
混乱と、阿鼻叫喚の坩堝に陥っているサーバールームに、舌打ちして受話器を叩きつける。
『コード:ワールドゲートを開始します。全ての非資格者より、生命力・魔力を徴収開始、終了次第順次強制ログアウト実行……完了しました。続いて対象・キャラクター名【イリス】改変開始……』
全く知らない内容を告げる音声が部屋に響く。
「なんだ、これは……」
モニターの一つを見ると、真っ赤に染まった世界でそこに存在するプレイヤーのHPとMPが凄まじい勢いのスリップダメージにより減少し、バタバタと倒れ伏す。彼らは倒れた端からログアウトの光に包まれ、ゲームから姿を消していく。
「っ、今すぐ今ログアウトしてる連中の機器のバイタルサインを……安否をチェックしろ、急げ!!」
「は、はい!」
この異常事態だ、何が起こってもおかしくない。せめてプレイヤーの無事は……その一心で、祈るような気持ちで指示を飛ばす。
そんな時、この非常時にやけにのんびりとした、普段通りの様子のまま入室してきた者がいる。
社長、アウレオ・ユーバー。奴はなぜこんな状況を満足そうに眺めているのか。あまりに呑気な様子にかっと頭に血が上る。上司だとか知ったことか。
「おい、お前、何呑気に眺めて……!」
「……ああ、強制ログアウト中の者は心配はいらぬよ、多少はじき出されたことで軽い酩酊感はあるかもしれないが、人体に害は無いはずだ」
こともなげに、なんでもなさそうに言い放つ。まるでこの事態が何か知っているように。
「……何を知っている」
「すべてを。この事態を作り上げたのはすべて私なのだから」
そこからアウレオから聞いたのは、俺の知る常識からは遠く離れたファンタジーな出来事だった。
曰く、自分はこの世界とは別の世界の住人であり、その世界から事故で飛ばされてきていたということ。
曰く、その世界で起きている危機を解決するために必要な「者」を作り出し、連れ帰ることが目的だったこと。
曰く、「三次転生職」というのはこちらの世界より厳しいその世界で適応できるよう、体を作り変える文字通り「転生」であること。
曰く、そうして転生の準備段階としてこちらの世界でも若干能力の向上などの影響が出ているものが存在していたこと。
曰く……
「……つまり、この『Worldgate Online』そのものが、私の作り上げたかの世界とこの世界を繋ぐゲートであり、そして私の悲願である、世界を修正する者……過去に滅びた光翼族と、それを守る戦力となる、向こうにしがらみの無い兵を生み出すための装置だということだ。理解したかね?」
アウレオの前に一冊の本が現れる。あれは転生の間にあった白の本か。その無数のページが本から離れ、奴の周囲に漂い始める。なんなんだこれは。いつのまにこの世界はこんなファンタジーな世界になった。
『プレイヤー【イリス】改変完了。転送開始します。『Worldgate Online』内の有資格者、転送完了。続いてゲームの外の有資格者のサーチおよび転送開始……』
様々な場所を映すモニターの中で、突然の異常事態に戸惑う、まだゲーム内で立っている者たち……三次転生職となっていた者たちの足元に魔法陣のようなものが出現し、次々と飲み込まれては消えていく。
「最後に、改めて紹介しよう。私の名は『アウレオリウス・ノールグラシエ』。君も聞いたことがあるだろう。『Worldgate Online』の中で、突如行方不明になったという……ノールグラシエ前国王。それがこの私だ」
嗤うしかねぇ、俺たちは自分たちの作ったゲームの中の住人の指揮で、そいつの居た世界を作っていたとか。
「あいつ……『イリス』を……玖珂君をその目的のものに作り変えて向こうに連れていこうと思ったのはいつだ」
「……最初の、コンテストの時で見かけた時からだよ。こちらの世界に両親が存命しておらず、家族親類は妹が一人だけ。引きこもりでしがらみが少なく、こちらに未練も少なく、善良で、何より人の庇護欲を誘うあの容姿だ。あの時からすでに有力候補としてリストアップしてあった」
「……てめぇ!」
思わず胸倉をつかもうとするが、奴の周囲に漂うぺージから帯のような影が伸びてきて、四肢を拘束される。だが、この言い草はいくらなんでも玖珂君が報われなさすぎる。言ってやらねぇと気が済まねぇ。
「あいつは……自分を拾い上げてくれて感謝してるって……ありがとうって、そう言ってたんだぞ……!!」
それを、こいつは、危険な場所に送り込むために最初から仕組んでいたとそう言うのか……!
「ほう、それは好都合。ではここで恩を返してもらおうではないか」
「……この、野郎っ!」
そんな激高する俺の足元にも、あの魔法陣が出現する。徐々に上ってくるその陣の下にあるはずの俺の足は、しかしどこにも見当たらなかった。俺の体が消えていく。
「そういえば、君も有資格者だったね。君は彼……いや、もう彼女か……に、相当入れ込んでいただろう? ぜひとも、君も彼女を守ってやってくれたまえ。では。私も失礼するよ」
踵を返し立ち去っていくその背に手を伸ばすことしかできず、すぐに意識は闇に飲まれて消えていった。
「畠山さん……これは、いったい」
「分からない……こんなの、分かるわけないじゃない……!」
全てが終わった部屋では、全ての端末が無情にエラー画面を吐き出し続けるだけだった。
この日、世界最初のVRMMORPG『Worldgate Online』は大規模な障害により長期間のサービス休止となった。
そしてその同日、数百人規模の集団神隠しが発生し大騒ぎとなるが……その二つをつなげて考える者は、「現実」という常識の前にゴシップ扱いされ、憶測飛び交うネットの海を除き、やがて薄れ忘れられていくのであった。
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