第4話 思春期のエロガキ


 大きな衝撃があって、軽く頭をぶつける。


「いったぁ……」


 呟いて頭を押さえると、急に誰かに抱きしめられた。柔らかい感触と、ふわりとした香水の匂いに包まれる。


「良かった。目が覚めたのね」


 耳元で聞こえる声は、確かに母さんのもの。でも、状況は良く分からない。


 わかるのは、ここが走行中の馬車の中だということだけだ。御者台に灯された神術の光と、ぼんやりとした月の光が車内に差し込んでいるが、乗っている人を判別できるほどではなかった。


「え? わたし、どうして寝てるの?」


「あなたは魔狼の即死攻撃で、一度心臓が止まったの。それを、イント様が神術で蘇生させたのよ」


 頭がぼんやりしていて、意味が理解できない。心臓の鼓動と呼吸が止まった時点で、あらゆる治癒系の神術は機能しなくなるはず。


「えっと。どんな神術?」


「後光が差すレベルの、相当高度な神術だったわね。ちなみに胸を触って、口移しで息を吹き込まれていたわよ」


 急に意識が覚醒する。


「え? 誰が誰に?」


 母さんがクスクスと笑う。


「あなたが、イント様によ」


 思わず、イント君に胸をまさぐられながら、キスをされている自分の姿を思い浮かべてしまい、急激に体温が上昇していく。


 なんてこと。初めてのキスなのに、まったく覚えてないなんて。


「どどど、どうしよう。イント様って何歳だっけ? 婚約者はいるのかな?」


 わたしは、イント君のことをほとんど何も知らない。せいぜい剣が得意で、心臓が止まった人を蘇生させることができるほどの神術が使えて、かなり年下だろうというぐらいだ。


「落ち着きなさい。おそらくあれはコンストラクタ家の秘術。迂闊には話せないし、こちらは助けられた側だから、あれぐらいじゃ婚約なんて持ち出せないわ」


 少し取り乱したらしい。深呼吸してドキドキをおさえる。


「そ、そんなつもりじゃ……」


 そうだ。目的を忘れてはいけない。わたしは共同研究者だった同門の兄弟子を、異端審問にかけて殺した教会のテレース派に復讐する。彼らは千年以上前から、賢人たちの偉業を阻害し続けてきた獅子身中の蟲なのだ。


「わたしは、自分より賢い人としか結婚しない。それは絶対」


 自分の中の決意を再確認して、顔をあげた。イント君は可愛くて、努力家で、妹想いで、きっと将来カッコ良くなるだろう。

 でも、それだけでは足りない。全然、足りない。


「それは良いのだけど。イント様、あなたを助けた後、霊力を使い切ったみたいで倒れていたから、ちゃんとお礼を言いなさいね。


◆◇◆◇



 手元にあるのは、膨大なメモだ。共同研究していた兄弟子が書いた論文は、わたしが見る前に教会に焚書されてしまったので、もうこの世に残っていない。

 記憶にある兄弟子との会話から、彼の理論を再構築しようと試みているが、再現できる日は遠そうだ。


 不意に廊下から話声が聞こえて、扉がノックされる。私は不毛なメモを止めて、顔を上げた。


 パタパタと足音を立てて、母さんが鍵を開けに扉へ向かう。


「どちらさま?」


 母さんがすぐに扉を開けた。この治療院は、小さい村にあるにも関わらず、ほぼ満員である。そういう場所は。盗みを働きやすくなるので必然的に治安が悪くなるので、母さんの行動は少し不用心だろう。


「私はイント・コンストラクタと申します。昨日のお礼に参りました」


 戸口に現れたのは、イント君だった。さすが本職の貴族。執事さんも一緒だ。


「あら。本来であればこちらからお礼に伺わねばならないところでしたのに、申し訳ないですわ」


 イント君は母さんに導かれて、部屋に入ってきた。病室が珍しいのか、部屋の中をキョロキョロと見回している。


「し、失礼します」


 目が合うと、イント君の顔が真っ赤に染まった。


「これはイント様。昨日はお見苦しいところをお見せしました。私を治療した後、倒れられたとお聞きしましたが、体調はもう良いんですか?」


 この病室は個室で少し広いので、談話用のソファと小さなテーブルもある。ベッドに座っているのは無作法なので、そちらに移動しようか———


「い、いや、座っててください。き、き、き昨日はちょっと霊力切れを起こしただけなので、今朝には完全に回復しました」


 立ち上がろうとしたわたしを、イント君が引き止めてきた。新興の貴族だからだろうか。かなり気安い雰囲気だ。


「それは本当に申し訳ありません。意識を失うほどの高度な神術を使わせてしまって……」


 わたしがそう言うと、イント君の視線が胸元に落ちた。あわてて目を背けているが、すぐに視線が惹きつけられるように戻ってくる。挙動不審すぎるが、盗み見に気づかれていないとでも思っているのだろうか。


 こんな子どもでも、中身は男の子なんだなぁと不思議な気分になる。


「いやいやいや、僕も初めてだったので、まさか倒れるとは思ってなくて。こちらこそありがとうございました。」


 イント君が使った神術は、相当に高度なものだったと母さんは言っていた。それが初めて? そんな神術をぶっつけ本番で急に使えるものだろうか?


「ありがとうございました?」


 思わず、あふれる疑問が口をつく。なんでお礼を言ったのだろう? イント様はゆでダコのように赤くなっていく。


「イント様、私も娘も、あの見たこともない神術を、今後も口外するつもりはございません。どうか安心してくだい」


 母さんが慌てた様子で話に割り込んでくる。そうか、イント君が今日来た目的は、つまり口止めか。


 納得しかけてイント様を見るが、首を傾げた状態で固まってしまっている。これはどういう状態だろう?


 そこで、コンコンと部屋がノックされ、今度は白衣を着たオバラ院長が入ってきた。昨日の晩、眠そうにわたしを診察した人だ。


「はじめまして、イント様。当治療院の院長のオバラと申します。急患が入っておりまして、遅くなりました」


 入ってきたオバラさんは、イント君に掴みかからんばかりの勢いで突進していく。


「ヴォイド様からの手紙を拝見しました! 神術なしに魔狼の即死攻撃から患者を回復させる方法を発見されたとか!?」


 ん? 今、何か妙な言い回しがなかった?


「神術ではない? 神術ではないのに、あんなことを?」


 母さんが、呆然と呟く。母さんは後光が差すレベルの神術と言っていた。


 だが、それが神術ではないとすると、わたしはに胸をまさぐられながら、キスをされただけということになる。そういえば、さっき、身体をジロジロ見られた。


「ありがとうございましたって、まさかそういう意味……」


 もしかしてこの子、ただのスケベだったのかも知れない。

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