第2話 転生
「レイスです! 総員戦闘用意!」
ウトウトしていると、御者の叫びで目が覚めた。
馬車は前進を続けているが、馬の興奮した息遣いが耳につく。
ィぃィィぃィィジィィィィぃぃぃ!
この世の苦しみを押し固めたような声が、暗い車内にまで響いてきた。
夜の移動は危険。なぜなら、夜はアンデッドが活発になるから。
話には聞いていたけど、まさか初めての夜間移動でいきなりアンデッドの襲撃に出くわすとは思っていなかった。
「気をつけろ! 馬に近づけさせるな! 松明を使え!」
馬車は前後に1台ずつ走っている。
「ダメだ。数が多すぎる!」
御者の悲鳴が聞こえた時点で、乗客たちは馬車の扉を開け放った。次々に荷物を抱えて飛び降りていく。
「マイナ、行くわよ!」
隣に座っていた母が、立ち上がって素早く飛び降りていった。わたしも手探りで立てかけていた杖を拾い、着替えや本が入った袋を抱えて馬車から飛び降りる。
速度はそれほどではなかったけど、走っている馬車から飛び降りるなんて初めての経験で、ちょっと足が絡まってこけそうになった。勉強のしすぎで、身体がなまっているかもしれない。
「俺が最後だ!」
わたしの後ろから飛び降りた男が、御者にそう声をかけていた。
次の瞬間、前方を走っていた馬車が倒れた馬に乗り上げ、派手に横転した。部品や積み荷をまき散らしながら転がり、そこにさっきまで乗っていた馬車が乗り上げる。
後続の馬車は宙を飛び、そのまま地面に衝突してバラバラになった。
これはまずいかもしれない。月明かりに照らさた森に、事故の音は響き渡った。ということは、森中から音に敏感な魔物を引き寄せてしまう。
「松明を持っている者、神術を使える者はレイスの対処に当たれ! パッケは死傷者の確認だ! 無事なものはここに集まれ! 動けないものは声を出せ!」
すぐさま、指示を始める声が聞こえる。
これはヴォイド様だろうか。元軍人だけあって、対応が早い。
「ターナです。こっちは娘のマイナ」
母さんと一緒に、前方の馬車に乗っていた人たちと合流し、その場を仕切っていた執事姿の男性に無事を報告する。
「お二人とも無事で良かった。荷物はこちらにまとめておいてください。ちなみにあなた方は戦えますか?」
男性に問われて、杖を見せる。
「二人とも一応摂理聖言神術が使えます。接近戦はできません」
少し離れたところで、松明がゆらゆらと振られている。火が苦手なレイスを追い払っているのだろう。
周辺では、早速集まってきたゾンビやスケルトンとの戦闘も始まっている。
「ではここで後衛をお願いします。おそらく、次は魔狼やゾンビが来ます」
魔狼というのは狼型で、額に角が縦に2本並んで魔物だ。脅威になる攻撃は爪と牙と角で、特に角の攻撃を胸あたりに受けると即死することがあるらしい。
ゾンビやスケルトンは知能というものはないが、魔狼は狡猾で恐ろしい魔物だ。
「あなた! イントとリナがいないわ。馬車から連れて降りた?」
少しパニックを起こした様子のジェクティ様が、ヴォイド様に詰め寄っている。
「いや、あいつらなら自力で降りられるだろ」
イント君といえば、昨日の朝にシーゲン子爵邸で訓練していたカワイイ男の子のことだ。リナちゃんはその妹。確かに二人とも身のこなしは常人離れしていたので、飛び降りるくらいなら余裕だろう。
「こういう時ちゃんと飛び降りるよう教えたの?」
「いや、教えてない。でも、二人とも気配はあるから無事だよ」
ヴォイド様は、口ごもりながら、剣を抜いた。
「ギャン!」
抜き打ちと同時に、何かがクルクルと宙を飛び、馬車の破片が飛び散る路上に落ちる。
どうやら忍び寄ってきた魔狼の首をはねたらしい。身体だけが血を吹きながら倒れていく。
「うわっ! なんだこれ!」
ちょうど首が落ちた辺りから、少年の悲鳴が聞こえてくる。
「良かった! 無事だったかイント」
飛び起きた少年の姿が、月明かりの下ではっきりと見えた。動きはピンピンしていて、大した怪我もなさそうだ。
だが、少し様子がおかしい。キョロキョロしていて、こちらに合流しようとしない。
「おい! イント、聞いているのか!?」
ヴォイド様は次々に姿を現していく魔狼たちに剣を向けたまま、再度厳しい声をかけている。
「え? 僕?」
「何を呆けているんだ。お前に決まってるだろ。こっちは手が離せないから、意識が戻ったんなら、リナを頼む。気配はあるんだが、意識を失っているみたいで、あの馬車からまだ出てきてないんだ」
「え?え?え?」
わたしは杖を構えたまま、聖言の詠唱を始める。詠唱を補助する聖紋が、杖の表面に浮かび上がった。
この杖は、炎の摂理神術に限れば、聖言の詠唱量を半分ほどに減らせる高級品だ。すぐに詠唱は完成するが、魔狼には軽々とかわされる。
筋骨隆々な男が、私の神術をかわした魔狼を矢で射殺していた。狙いは正確だ。
だが、狼は倒す数より増える方が多い。
「隊長、やべぇです。魔狼の群れ、200や300ではききませんぜ。レイス班が遭遇して、現在こちらに撤退中です」
イント君のほうを見ると、まだ固まっていた。イント君はユニィ様と同い年と聞いているので、まだ8歳。こんな時に恐怖で固まっても仕方がないだろう。
「ターナ先生。魔物の数がちょっと多いようなので、我々で押し返してきます。ここをお任せできますか?村からはじきに援軍が来ると思いますので、馬車の救助が終われば村に向かってください」
ヴォイド様が不思議なことを言い出した。三百頭を超えるような魔狼の群れの話など、滅多に聞かない。死ぬつもりだろうか?
「ちょっと、で済む数ではないように思いますわ。これはシーゲン子爵にも援軍の要請が必要だと思いますけれど」
母さんの意見はもっとも。おそらくコンストラクタ村は全滅するから、一番いいのはこのままシーゲンの街まで撤退することだ。
「ああ、ご心配なく。今回は新顔のレイスどもにやられて意表を突かれましたが、この程度ならこの村では日常茶飯事です。母さん、頼んだ」
ヴォイド様はこともなげにそういうと、ジェクティ様に指示をした。
「もう! 私が夜目きかないの知ってるじゃない。当てられるのは近くだけだからね! 『インスタンス(火針,32)』!」
ジェクティ様が聖言を唱えると、おかしなことが起こった。
通常、聖紋というのは何かに聖紋を刻印することで効力を発揮するものだ。例えばわたしの杖の場合は、杖の表面に聖紋がびっしりと彫り込まれている。
しかし、ジェクティ様の聖紋は空中に描かれていた。しかも、発動のキーワードは圧倒的に短く、しかも数多くの聖紋が空中に浮かんでいる。
「な!」
母さんも言葉にならないようだ。常識の壁が、崩れ去る音が聞こえるようだ。
ジェクティ様は杖を一振りすると、炎の針が放射状に飛んで行って、魔狼やアンデッドに次々命中していく。狙いも正確だ。
「初めて見ましたわ。これがコンストラクタ家の聖紋神術の同時発動なんですわね。わかりました。村までなら何とかいたしますわ」
噂には聞いたことがあったけど、これはすごすぎる。これなら、ジェクティ様一人で、神術士30人分ぐらいの働きができるだろう。
ヴォイド様もかなりの使い手と聞いているので、大言壮語ではないのかもしれない。
「お願いします! よしイント! お父さんたちはちょっと行ってくるから、リナの事は任せたぞ!」
ヴォイド様は固まっていたイント君に声をかけると、執事姿の男とジェクティ様と一緒に、森に向かっていく。
「あーもう。どうなってんだよ畜生!」
イント君も気を持ち直したのか、馬車の破片が散らばるほうへ向かって歩き出した。
「マイナ、『気配検知』をやりますわ! 詠唱は覚えていますわね?」
イント君が行動を起こしたのを見届けて、神術の詠唱に入る。先ほどの弓の腕から考えて、魔物の位置を検知するほうが、多分早い。
わたしは、返事のかわりに『気配検知』の詠唱を開始した。
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