第36話「8月19日」
蝉は、まだ鳴いている。私たちの夏の終わりなど知らないと主張するように。
「あっつー」
残暑というにはまだ早い時季だが、私たちの夏休みは実質的な終わりを告げた。文化祭準備期間という名の、登校日が設けられているからである。クラスの出し物の代表として、ダンスを踊ることになった私”たち”は、当然、五野高校へと向かうバスに乗る。
バスの中は、冷房が効いている。ほどよい涼しさが心地良い。さらに数分待てば、好きな人が乗ってくる。
「いずみーん、おはよー」
キョウコの声がした。いつも一緒に乗ってきていた松永エイジは今日からいないのだろう。
「あ、エイジくんは朝練だから一本早いのに乗ってるよ」
「そりゃそうだよね」
私にとっては些細なことだ。
学校に到着すると、久しぶりに顔を合わせるクラスメイトが何名か既に教室に入っていた。
「おはよー」
「おー。新津さんと和泉さんの1.2番コンビそろってんじゃん」
こういう扱いだったっけ。
「え、和泉さんちょっと聞いても良い?」
あまり話したことの無い女子がわざわざ話しかけてくる。話の内容は当然予想がつく。
「橘くんから聞いたんだけどさ……」
ほらやっぱり。
「エイジくんと別れたってほんと?」
「あ……」
そっちか。
「うん、そうだよ」
何だよ、広めてるのはそっちだけなんか?
「もったいないよー。なんであんなイケメンなのに!? もしかして性格クソ重だったとか!?」
「ん……ええとね……」
松永エイジのことは、嫌いじゃ無い。むしろ、男としてはとても好き。というかいい人。善い人なのは間違いないから、そういう形で噂が広まるのは不本意極まりない。
「どっちかと言うと、クソだったのは私の方かな、なんてね」
「えぇ~ちょっと待ってどういうこと~!?」
その女子の興味ありげな大声を聞いてか、その子の友人数名が私の周りを囲うようにやってきた。
「何々!?」
「どしたの!?」
「教えて教えて!!」
周囲の悪意無き圧に、私の顔は引きつっていた。
「もー、みんな、いずみんもこのあとダンスすぐに練習しなきゃ行けないんだから、準備させてよー」
そんな私の状況を察してかそうでないのかはわからないが、キョウコが止めに入ってくれた。
「ほら、いこ……」
「あ、うん……」
珍しく強引なキョウコの姿に、周りの女子たちも困惑したのか、顔を見合わせているばかりでこれ以上何も言ってこない。
「……ま、ごめん。色々とモヤモヤしてて傷心中でも……あるのかなあなんて、えへ……」
ごまかすように笑った。うん、『これ以上触れないで』という雰囲気を出すには完璧の演技だ。
「いずみん、別に隠さなくても良いんだからね?」
「……え、そう? でも……キョウコを守るためでもあるし、これは私のエゴだからさ」
「そうだね……。それで私にとっても良いことがあるんだからWin-Winってやつだよね」
そう言ってくれるくらい、キョウコが優しい子で、本当に良かった。そして、そんなキョウコのことを好きになって、本当に良かった。
ダンスの練習をするために借りた多目的教室に私たちは着替えた上で集まった。着替えたばかりであるにも関わらず、Tシャツはもう汗ばんでいる。
「この部屋冷房効いてないの?」
「私たちが一番乗りっぽいね」
キョウコが言うので、私は部教室に入ってすぐの壁についているエアコンのスイッチを押した。多分勝手に押すと怒られるのだが、まあアスカがその辺気を利かせてくれるだろう。
「よっ、キョコちゃん! いずみん!」
アスカがウキウキの様子で到着した。その様子だと――次に開く言葉は予想がつく。
「なんと! 昨日の帰り道、橘くんに告白したらOKもらえました!!」
「おお!!」
キョウコは素直に手を叩き、喜びをあらわにした。色々なシガラミが取っ払われ、彼女は憑きものが取れたかのように嬉しそうだ。私にとってもそれは嬉しいことだ。
「良かったね、アスカ」
もちろん、キョウコにとっても良かった。自分の恩人であるアスカの恋路を、素直に喜べるのだから。でも、この前まではそうは行かなかった。
「いずみん……いずみんのおかげだよ~」
縋るように私の両手を握り、ぐっと顔を近づけるアスカ。アスカのやつ、私が同性愛者だと知っててこんなことするのか……?
「どういたしまして……」
橘ヨウキのことは決して好きではない。どちらかと言えば好ましくない存在だ。一時とは言え、自分の好きな人の心を奪った張本人であるからというのもあるが、それ以上に彼と私は似ているのである。
――自分の本心を隠すところ。
――その上で都合良く自分を演じるところ。
――誰にでも良い顔をしようとするところ。
――そのうち無自覚に周りを巻き込んでいるところ。
いわゆる同族嫌悪というやつだ。
私は松永エイジにひどいことをした。橘くんはキョウコにひどいことをした。女子だから男子だからは関係ない。相手の恋心に気づきながら、どっちつかずの立場を取り、あわよくば自分の好きな人と近づきたいという、下心に利用していた。
だから私は、そんな私と決別した。
ハナコとミッチーもやってきたあたりで、私とキョウコは目を合わせた。
「報告があります!!」
二人のそろった声に、「何事?」と言う表情をするハナコとミッチー。アスカはある程度事情をわかった顔でにやついている。
「ハナコもミッチーも、めっちゃびっくりすると思うよ」
その言葉に、思わず鼻と鼻の下が伸びる思いだが、キョウコの可憐な横顔を一瞥し、私は再び3人の前を向いた。
「実は私、和泉サナは……こちらの新津キョウコさんと……」
そう、私が松永エイジと別れて血迷ったことにしてしまえば良い。
アスカが橘くんに振られ、キョウコにその噂が立つことも無く、角を立てることも無く、アスカと橘くんが付き合うことができる。橘くんにキョウコを諦めさせることが出来る。
キョウコは良い子だから、私に合わせてくれていたことにすれば良い。それくらい優しい子だってことは、みんな知ってる。橘くん関連の噂がほとぼりを冷めた頃に、何事もなかったかのように元の関係に戻れば……何の禍根も残さずにこの夏が終わるはずだから。
「付き合いました!!」
多目的教室に、ミッチーとハナコの驚嘆の声が響いた。
「えっ!? ガチ?」
「……そっちも行ける系って冗談やなかったんか。にしてもキョコちゃんまで!?」
「えへへ……いずみんが真剣に言うもんだからびっくりしちゃったよね」
キョウコは自分の後頭部をかきながら恥ずかしそうにしている。
「まあ、そういうわけだからよろしく」
一夏限りの、嘘で固められたこの関係。
たった一人の少女を、悪意無き噂や、悪意溢れた噂から守るためのこの関係。
でも、私にとっては――初めて自分の思いを伝えた関係。
きちんと自分の本心を、かりそめや冗談で塗り固めずに表現したこの関係。
そこだけは嘘じゃないから、胸を張って嘘をついたことにできる。
拝啓僕らの夏よ、私の思いは本懐を遂げました。
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