第35話「8月18日②」
バスケットコートのベンチで二人きりになる私と、橘ヨウキ。キョウコからの目配せの意味は、「私たちが付き合ってることを橘ヨウキに言ってしまうよね」と言うものである。
「それでさ」
それでさ、と言うのは、さっきの話の続きだけど、という枕詞を含んだ言葉である。
「おん、どしたよ」
「……まあ、キョウコのことが好きなわけだけどさ」
「あーうん」
ここで橘ヨウキの組まれた両手が目に入る。私も橘くんも、自分の足元に視線を落としているから、お互いがどんな表情をしているのか探ることは出来ない。
でも、彼の組まれた両手のさまざまな指が、忙しそうに動いているから、間違いなく動揺している。
「……付き合ったんだよね。私、キョウコと」
「……え、マジ?」
ここでようやく、指が止まった。私も思わず顔を上げ、橘ヨウキの顔を見ると、目が合った。
「……うん。大マジ」
「ってことは新津さんも……その……」
「……わかんない。でもキョウコは優しいから」
優しいから、って便利な言葉。続きを言わなくても「優しいからOKしてくれた」と、相手に察してもらえる魔法の言葉。
本当は無理矢理そういうことにした、んだけどね。
「……そっかー。失恋かー」
「はは、ドンマイ」
私は乾いた笑いを橘ヨウキに向けた。惚れた女を奪った人が発した言葉なのだとしたら、怒り心頭に発しても、怒髪天に達する勢いでも間違いない気持ちにさせるものだ。
でも、彼のリアクションは違った。
「……どっちにしろ、か」
怒りというよりは、落ち込みの方が大きかった。でも私はそんな彼を「かわいそう」とは思わなかった。ある言葉が引っかかったからである。
「……どっちにしろ、ってどういうこと?」
「……あ」
彼がわかりやすく固まったのを感じた。
「え、橘くんって、キョウコにコクったんだよね?」
「ああ……まあ……うん」
「ってことは、失恋した、っていうのがキョウコに対してのならわかる」
「……おっしゃる通りです」
私はここぞとばかりに饒舌になる。そう、私はもともと、橘ヨウキのあれやこれやを暴いてやろうと思っていたからだ。当然、このことはアスカたちには告げていない。
私だけの、私のための、私なりの……決着をつけようということだ。
そう、散々キョウコをもてあそび、私を悩ませた。アスカみたいな純粋な子を手玉に取った、橘ヨウキという男との決着をつけるのだ。
「どっちにしろってことはさ、キョウコ以外に気になる子でもいたってこと?」
「……」
自動販売機からわらわらと、4人が戻ってくる。私たちが二人きりとなる時間も、もうすぐ終わる。
「すまん」
検討はついている。だから、”私”から責められているこの状況、橘くんにとって気が悪いったらありゃしないだろう。
彼も平謝りするしかない。
「……謝るのは私じゃないでしょ」
「……え?」
そう、私に謝られる筋合いはない。
「……でも俺は」
「わかってる。でも、私は関係ない」
そう、私には関係ない。関係ないの。私よりも振り回されて、悩んで、苦しんだ――謝るべきは私じゃない。もっと、謝るべき人がいる。
「これでも、アンタのこと好きになってたんだよ。ちゃんと。それなのにさ……キョウコに申し訳ないと思わないわけ」
「……」
ぐうの音も出ないのか、視線が先ほどから合わない。「おーい」というアスカの呼び声。私たちがまさかこんな問答をしているなどつゆ知らず、ずかずかと近づいてくる。
しばらく私たちは色々なスポーツをして汗を流した。バドミントン、ローラースケート、ダーツ、卓球。
「あっついわ」
「ふぇえええ……暑いねいずみん」
私の言葉にキョウコは同調した。黄色いシャツの第一ボタンがあき、首筋が見えるので思わずどきっとしてしまう。橘ヨウキは、先ほどの私とのやりとりを気にしてか、私とも、キョウコともめっきり話さなくなった。
つくづく腹が立つ――
「アスカ、秋のウィンターカップ予選のスタメンって誰?」
「3年の水岡先輩が残るから1年は誰もー」
「マジかー」
アスカとバスケ部トークに盛り上がっている。
「……橘くん、なんて言ってたの?」
「……ああ」
私は、胸がぐっと締め付けられる思いで、告げた。
「失恋かーって言ってた」
「……そっか」
キョウコは、確かに橘くんのことが好きだった。バスケ部の練習を見に行ったあの日の横顔を、今でも覚えている。先輩に強く当たられながらも、ボールを拾い、誰よりも一生懸命声を出す橘ヨウキの姿を、キョウコは確かに、憧憬の目を向け、恋い焦がれていたのだ。
「私のわがままに付き合わせてごめん」
「……」
一呼吸置いて、キョウコは謝る私を気遣うように笑った。
「ちがうでしょ。私を助けるための”お付き合い”じゃないの?」
「ふふ、そだね」
私はずるいから、ああ言えばこう言うが、キョウコ相手だとある程度想像できる。「ごめん」と言えば、キョウコは簡単にそれを否定してくれる。私は私が救われるために、謝るのだ。
そうか――
橘くんも、救われたいから私に謝るのか。
――じゃあきっと、キョウコたちにも謝るんだろうか。
「そういえばさ、さっき橘くんに謝られた」
「え? 何で?」
「さあ」
私は思わず笑った。何でと聞くキョウコの顔が、これまでの悩みなんてものすごくちっぽけなものだったかのように奔放としたものだったからだ。
「私は謝ってもらわなくてもいいかな」
「そうなの?」
キョウコも笑った。
「だって、どっちにしろ多分、あの様子の橘くんには告白できてないし、いずみんのこと好きになるの、わかるし」
「はは、何それ」
そう言ってもらえて嬉しかったから、なんだか心が軽くなった気がした。でも、ほかにも理由がある。
確かに、橘ヨウキは”和泉サナ”が好きだったにもかかわらず、その気持ちに蓋をして、私の親友だった新津キョウコに近づいた。
私の気が変わらないと見るや否や、すぐさまキョウコに鞍替えしたかのようにアプローチをかけていた。端からみたら、乗り換えの早いクソ男なのだが、生憎私もそんな”クソ”な面を持っているおかげで、橘くんの気持ちがわかるし、立場の難しさもわかるわけだ。
「……キョウコがいいなら私も許そっと」
「えー、ほんとにいいのいずみん。あとで納得できないってなっても知らないからねー」
「私割り切り早いほうだよ!?」
「確かにー」
時間が経てば人を許せるってよく言うけれど、私は違うと思う。「許し」に必要なのは「共感」なのだ。キョウコへの思いを隠しながら、エイジくんの思いを知りながら、私は中途半端な気持ちでエイジくんと付き合った。キョウコという少女への片思いをしたままにも関わらずだ。橘くんと何が違う? 好きになった相手が同性だったから? エイジくんとキョウコが異性だから? 私が性的マイノリティに当たる性指向を持っているから?
そんなもの関係ない。だって、私は私で、和泉サナで、あくまで普通の少女なのだ。普通じゃない、と言い聞かせたって、私は確かにここに立っているし、ここで心臓を動かし、脳を働かせ、言葉を話し、人と関わる。存在していることに変わり無いものを、普通か普通じゃ無いかなどと、判断する筋合い、私たちにはないのである。
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