第34話「8月18日」
いよいよである。
夏――この夏という言葉は、ひどく短く、限定的なイメージを抱くのはなぜか。それは世間一般で言うところの”夏休み”が、私たち青春時代の残り香のコンプレックスとなって顕現するからだろう。
夏休み最終日。私たちの――夏の終わりが、すぐソコまで来ている。
「おまたせ……いずみん」
「うん。ありがとうね、キョウコ」
私とキョウコは学校で待ち合わせをしていた。ここに、アスカや橘くん、そして彼の友だちらがやってくる。お盆休みでしばらく一人で過ごしていたせいか、久しぶりに会うキョウコのことを一段と愛おしく感じる。
「……緊張するね」
「キョウコも?」
「うん。そりゃそうだよ。演劇とかでもないのにみんなに向けて”演技”するなんて、初めてだもん」
「……そっか」
ふふ、と思わず笑みがこぼれた。この子は、純粋で、まっすぐ生きてきたんだ。私と違って、かりそめの自分なんかに頼らず、ありのままの自分をありのままに過ごしてきた。新津キョウコの親友を、松永エイジの彼女を、”演じて”きた私とは違う。
だからこその、この笑顔の純粋さ。真夏の太陽にもひけをとらないまぶしさなんだろうな。
「いずみん、キョコちゃん、おはよー」
水沢アスカも到着した。いつになく気合いの入った服装である。白と水色を基調としたワンピース。ハイウエストにベルトを留め、ただでさえ長い脚がさらに長く見える。
私の白Tシャツにブラウンのパンツはものすごく地味に見える。キョウコは黄色い襟付きのシャツに黒色のハーフパンツ。こちらは差し色のおかげで顔回りが華やかに見えるというわけだ。
「さて、それでは、男子諸君から連絡が来るのを待ちます。ルートは私たちが決めて良いそうなので、張り切っていきましょう!!」
アスカが一番張り切っている。彼女は、私たちの計画を知る数少ない人物だ。
数分が経ち、男子が遅れて到着した。
「わりーわりー。コイツが遅刻しやがってよ~」
橘ヨウキは、”コイツ”と呼ばれた友だちのせいにしてヘラヘラと笑っている。
「いいよー、私たちも今来たとこだし」
嫌な顔ひとつせずにこういう返しができるアスカはやはりすごい。キョウコも、少々顔が硬いとは言え、ふわふわとした表情を橘くんたちに向けているのだから大したものだ。
「ごめんね~」
橘ヨウキの友だちは、どこかで見たことがある顔をしているが、当然男バスの子のことなど、クラスも違えばほとんど知らない。彼らは自己紹介をする。
「俺、亮介。リョスケって呼ばれてるから、みんなもそーよんで!」
背は低いが人当たりはかなり良い。この身長でバスケ部ってよくやれてるなあ、などと私は無粋なことを思った。
「俺は辰彦。タッピーって呼ばれてるけど、はずいからタツヒコとか、タツとかで良いよ」
「え、んじゃ……タツくんって呼ぶわ」
「あ、あたしもー」
私とキョウコはタツくんの自己紹介に苦笑いをした。アスカは朗らかに「私はもうタッピー呼びだけどね」と笑う。
チャラいけど明るい橘くん。人当たりの良いリョスケくん。真面目で堅い雰囲気のタツくん。男子バスケ部の3人と、私たちは、スポーツを体験できるアミューズメントパークに来ていた。
「よし、んじゃ……フリースロー対決な! 男女ペアのあみだくじでチーム決め! アスカと同じチームになったらハンデ3本!」
「3はきついでー」
「いやアスカいたら余裕じゃん」
橘くんが音頭を取りながら、くじを引き、チームを決めていく。アスカはリョスケくんと同じチームになる。これに不服そうなアスカだが、キョウコがタツくん、私が橘くんと同じチームになったのを見て、アスカは一転、緊張している様子だった。
チーム決め直後、私はトイレに向かう。そこに呼び止めるアスカの声。
「いずみーん、私もトイレいくー!!」
レディがこんな大声で「トイレ行くー」と叫ぶな、と私は笑いながら突っ込む。そして、アスカは私の肩を組み、小さな声でささやく。
「いつ言うの?」
「……わかんないけど、タイミングがあれば橘くんには言おうと思ってる。でも、多分アイツはエイジくんから私が別れたこと聞かされてると思うんだよね」
「アプローチかけてきたりして……」
アスカが眉を八の字に曲げている。
「……自分で言ってて悲しくならない?」
「言わなくても悲しいから一緒」
「ああ……そりゃそうだよね」
フリースロー対決が始まった。男子勢が一本ずつきっちり決めている。やっぱり、みんなすごく巧い。アスカが女子勢一発目にフリースローを打つ。弧を綺麗に描く――が、外れる。
「おいおいアスカ! 何外してるんだよ~」
橘が野次を飛ばす。恥ずかしそうに、それでいて悔しそうにしながらアスカは「だまれよー」と橘くんに向かって笑っている。キョウコの番。キョウコは初心者かつ、運動も得意じゃ無いので、フリースローラインからボールをゴールに届かせることさえ危うそう。
「やっぱキョウコちゃん、見てると心配になるなあ」
「守ったげたくなる」
「わかる」
男子勢の言葉に私も同じく、「わかる」と呟いた。庇護欲がかき立てられる佇まいだ。
「和泉はそういうタイプじゃねえよな。かわいいけど」
「はいはいどーも。私顔はまだしも性格は全然かわいくないわよー」
橘の冗談っぽくない冗談を、私は右から左に流してフリースローラインへと向かう。ちなみに男子勢は知らないだろうが、私は中学までそこそこしっかりとバスケをやっていたのである。フリースローは割と得意だった。
キョウコがリングに届かないボールを追いかける姿を見ながら、私はフリースローラインに立つ。
「決めたらジュースおごってよね」
「え、俺なん?」
橘ヨウキが反応する。
「違うわよ、最下位チームに言ってんの」
「待ってそれアタシら最高に不利じゃん」
キョウコも、アスカも同じ事を言った。私は、自信を持ってフリースローを打った。リングに当たりながら跳ねつつも、スポッと、網をくぐった。今の私は、何事も上手くいかない気がしない。
▽
「実はさ、橘くんには……言っておきたいことがありまして」
結局、タツくんとキョウコのチームが最下位となり、1位の私たちにジュースをおごることになった。2位に甘んじてしまったアスカとリョスケくんは、それぞれのプライドが許さないのか、フリースローを続けている。タツくんとキョウコはジュースを買いに行った。つまるところ、コートから少し離れたベンチに、私と橘くんが二人きりになったのである。
「ん、何?」
「……実はさ」
もったいぶってはみたが、橘くんが万が一、このことを知っていたら滑稽なので、すっと言うことにした。
「エイジくんと別れたんだ」
「えッ!? マジ」
目の奥は笑っていなかったが、冗談かよ、と言いたそうにヘラヘラした表情をしていた。そういう無神経なリアクションが嫌いなのだ。
「んで、私……どうやら”普通”じゃないみたいなのよね」
「と、言いますと?」
「……女の子が好きらしい」
「はあ……マジか」
橘くんは一呼吸置いて、ジュースを買って戻ってきたキョウコたちに視線を向ける。
「新津さんのこと、好きなん?」
やっぱりわかっちゃうか。
「うん。多分、友だちとしての好きじゃ無いと思う」
「……そうか」
予想よりも淡白なリアクションに、私も困った。
「そうかそうか……まあ、そうだよな」
タツくんがコーラを、キョウコがミルクティーを買ってきた。
「ヨーキ、ほらよ」
「おい、炭酸投げんなよ」
タツくんの動作に笑いながら突っ込みを入れる橘くんだったが、やはりこれも、目が笑っていない。
キョウコから飲み物を受け取る。その瞬間、ミルクティーを持っていたであろう冷たい手が私の手をぎゅっと握った。思わず見上げると、キョウコから視線を感じる。
――ついに言うんだね。とでも言いたげな、ちょっと不安そうな顔。
大丈夫。私は小さく頷く。
「アスカとリョスケくんはー? 飲み物いらないのー?」
私が叫ぶ。
「あっ! ほしい! えっ? 自販機どこ!?」
「あ、私案内する! タツくんもいこ!」
「え、ああ……うん」
キョウコに強引にその場を離れさせられたタツくん。アスカとリョスケを連れて、自動販売機の方へとまた向かっていった。無理矢理二人きりの状況を、再度作り直したのである。
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