第33話「8月10日~17日」
私にも、お盆休みがやってきた。高校1年生の夏休み。母方の祖母の家は、田舎の山奥で、やはり涼しい。そういえば、この『拝啓、僕らの夏よ』という小説も、悩んだ主人公は、田舎の山奥で考え直すシーンがあったっけ。
「ちょっとサナー、なんでおばあちゃんの家まで来て本読んでるのよ」
小学生の時は、本を読んでるくらいじゃ怒られなかった。いや、むしろ褒められた記憶さえある。過去の私は本嫌いだった。淡々と頭を使って読み進める感じが、好きじゃなかった。でも、住所を転々とする生活、周りからひどいことをされる生活――それを経て、他者を観察することこそ増えたが、会話は減った。感情の機微を察する力が伸びるにつれ、その言葉の真意を読む力に疎くなり、地の文でそれが書いてある本のほうが、読みやすくなった気がしていたのだ。
それからの私は本が結構好きである。読書感想文の課題図書を真剣に読みふけるくらいには。
ページをめくると、クライマックスらしきシーンに入ったことが分かった。主人公の独白が、ちょうど今の私のように地の文を埋め尽くしていた。ゆっくり、ゆっくりと主人公が自身の考えを整理している。逃避を通じて出会ったものが無駄ではないと、写真家の先生に反論をするシーンである。主人公なりに、山を乗り越えようとしているシーンだ。
「……逃避を通じて出会ったモノ……か」
私が独り言をつぶやいたとき、携帯電話が震えた。キョウコから一件。水沢アスカから3件のメッセージ。キョウコのメッセージは、簡単なものだった。
『ついに来たよ、橘くんから。返事の催促』
ついに来たか、とキョウコと同じ感想を抱いた。どうやら橘くんが遊びに誘ってきたらしい。
『へえ』
『どうするの?』
『とは言っても』
『いわんでも分かれよ、か(笑)』
すぐに返したせいか、またすぐに返事が来た。「ポスッ」という音。トーク画面が開いている途中にメッセージが来ると、この音が鳴る。
『そりゃそうだよ』
『いずみんと付き合ってるんでしょ、私』
思わず口角が上がった。
「いや、照れるわー」
背中を丸め、小説を座っている脇に置いた。栞ははさみ忘れていた。
「こりゃ……ダメだ。にやける」
顔をうずめ、体育座りの状態で足をバタバタさせる。祖母の家の縁側がバタバタ鳴るので、母がすっ飛んできた。
「どしたのサナ! そんな音鳴らさないでよ」
周りに家などなくて、近所迷惑という言葉とは縁遠い家なはずなのだが、いかんせん周りが静かすぎて、この家の中で奏でられた音は家族に筒抜けなのだろう。というか、母は幼少期、そういう生活を送っていたのだろう――いらない憶測をした。
「わー、ごめん」
感情のない謝意を見せ、画面の向こうに意識を向けなおした。次は、水沢アスカからのメッセージを見る。
『橘くんを』
『遊びに誘いました』
『!!!!』
『よし』
『よくやったアスカ!』
私はアスカから来たメッセージに2件のメッセージで返事を送った。そして、キョウコにも返事を送り、画面を閉じた。
「あ……本、何ページだっけ?」
また本を開きなおして、読み進めた。そんな間の悪いタイミングで、携帯電話が鳴った。鼻から息をふーっと吐いて、本に栞を挟む。あーもう。さっきのタイミングでまとめてきてくれればよかったのに、とおもむろに右手で携帯を持ち上げる。
『え、和泉から誘ってくるって珍しくね?』
『どういう風の吹き回し?(笑)』
この間の悪さ、相変わらずである。いや、私にとって、だけど……。これは、橘ヨウキとのやり取りである。
「……さて、どうしたものかな」
私とアスカの作戦は、こうである。
まず、私が橘くんやキョウコと遊ぶ約束を取り付ける。そこに、橘くんを誘ったからという理由でアスカを誘う。理由をつけて人をいろいろ呼び、集まったところで、私とキョウコが“付き合っている”ことを告げ、橘くんに直接的に私とキョウコを諦めさせる。ここでもう一度アスカが一押しすれば――いい方向に向くのではないか、という算段である。
しかし、アスカの予想では、橘くんの好きな人は私らしい。思い当たる節こそあるが、どう考えてもキョウコに告白したのが悪手すぎる。私がエイジくんと別れるタイミングをうかがっていたのだろうか。
「……まあ、今考えてもわからんわな」
少々諦めたところで、再び本を持ちなおし、続きを読む。ちょうどクライマックス。私たちのクライマックスは―8月18日の日曜日。お盆ラストの日。この日、私とアスカは作戦を決行する。そして――8月19日から始まる、文化祭準備期間登校日。私とキョウコが事実の塗り替えをしたことがクラスや学年のみんなにばれる日だ。
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