第28話「8月5日~6日」

 携帯の振動の正体は、松永エイジからのメッセージだった。


『なんとかなりそうか? 橘たちはなんか静かだけど』


 私は、このメッセージに内心ほっとしていた。突然キョウコを連れて逃げ出して、彼のことはほったらかして。相手が相手だったらぶち切れ案件だけど。


「ねえ、もうすぐ花火だよ」

「そうだね」


 私は携帯電話の画面をそっと閉じた。『なんとかなりそう。ありがとう』というメッセージを添えて。


「ここ見えやすいの?」

「え? 知らない」


 あはは、とくだらないことに笑う二人。周りが静かだから、私たちの声は木々に反射して、明るくポーンと跳ねていた。


「いずみんが連れてきてくれたんじゃないの?」

「私だって無我夢中だし。場所のことなんか考えてないよ」


 けど……夜空を見上げると思う。空は真っ暗だけど、それでも綺麗だと思って、届かないとわかっていながらも、星に手を伸ばしてしまう。


「空は近いし、意外と良いスポットかもよ。いずみん冴えてんね」


 だけど、届かないモノに手を伸ばし続ければ手は疲れ、肩は疲れる。そんなときにふと下を見れば、祭の屋台が通りを赤に染め、鮮やかに灯りが並ぶ。意外と身近に、良いスポットはある。


「でしょ? 私が冴えてないこと、今までであった?」

「んー、確かに無いかも」


 ぐっと距離が近づくような出来事だとか、キョウコに好きな人ができたからとか、そんなの無くたって……私はキョウコのことが好きだったし、これからもきっと好きだ。

 等身大の、本心のまま、私は彼女に関わっていきたい。初めて、キョウコのことや、エイジくんとか、周りのこととか、自分の保身のこととか……いろいろ諸々、何も考えずに、やっとそう思えた。


「でしょ。やっとだよ。やっと……」


 言葉と思考がまざってしまった。


 そう、やっと……この4ヶ月ほど、本当に長かった。長く感じた。親友である新津キョウコのことを、好きだと気づいたあの日から。松永エイジに告白されたあの日から。私は私に嘘をつき続けてきた。


「ねえキョウコ」

「ん?」


 キョウコの、丸い瞳、小さなあご、潤んだ唇が一気に近づく。私の目を見ながら微笑むと、目が細くなって涙袋が目立った。


「私たち、これからもずっと一緒だよね」

「え~、いずみんからそんなこと言うなんて珍しいねえ」


 珍しい、か。ずっと思ってたはずなんだけどな。




 でも、それだけずっと隠してたって事なんだ。


「キョウコ……」


 花火が上がる音がした。下から湧き上がる歓声。今、あの通りにいる人たちはもう、河川敷に移動したに違いない――だから、正真正銘ここは私とキョウコの二人きりの場所だ。

 打ち上がる光に、キョウコの顔が赤、青、緑と、ほんのりと色を変える。そのたびに来るドドンという重低音。


「好きだよ」


 その音に重ねるように、小さく唇を動かした。


「ッ!!」


 動揺と緊張で固まる。口走ってしまった。果たして、この花火の音の中で、キョウコに聞こえているのか。聞こえてなどいないだろうな……。


 しばらく花火を眺めていた二人。私と、キョウコ。キョウコは私とは目を合わせず、綺麗な夜空を見ながら呟いた。


「いずみん……サナちゃんってたまに冗談っぽいことを冗談じゃないトーンでいうよね」


――聞こえていた?


「じょ、冗談っぽい? あれ、そんな変なこと言った私? あれ――」

「ほら……今の慌てて手をあたふたさせて口パクパクさせてる。それが冗談っぽいことを冗談っぽいトーンでいうときのいずみん」


 見抜かれている。見事なまでに。数ヶ月の付き合いとは思えないくらい、端的に鋭利に見抜いていた。


「私もいずみんのこと好きだよ。でも、今のサナちゃんの言った『好きだよ』のトーンはほら……なんかガチっぽすぎてびっくりしたんよ」


 『冗談だよね?』とでも言いたげな彼女の言葉、下がりきった眉。私は一線を引かれている? 違う。一線を引くとき、もっとキョウコはそれこそ冗談っぽく返すはず――

 もしかして、私が真剣だってこと、キョウコ自身も薄々気づいているのでは?




 私の思考回路は、いつも以上に巡り巡っていた。その間に放たれた数多くの花火玉は、もういくつも藍色の空の中に煙として消えていき、その煙は次の花火を霞ませつつも、その音と振動によってかき消され、また新しい煙となって夜空に残っていく。




「花火、終わっちゃったね」


 フィナーレだったと思われる連発花火の余韻が、耳鳴りとして、光の残像として残る。キョウコは、私の方を見ながら、優しくも、どこか哀れんだ顔で微笑んだ。


「ねえいずみん。二人で事実を塗り替えるって、どうやってするの?」

「……」


 迫られている。だから、もう私は私に嘘をつかない――



「私たちでさ、付き合ってることにしちゃおうよ」


 もう、この“気持ち”から逃げない。





 夜12時。二日間に渡って町を沸かせた、夏祭りが終わった。

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