第25話「8月5日」
夏は、無慈悲に――過ぎていく。8月5日、日曜日。夏祭りの二日目。なれない下駄の鼻緒が、足の親指と人差し指の間に刺さる。
ケタケタと笑う子どものような足音を奏でながら、不格好に歩く私。時間は午後6時。まだ太陽は西の空に見えている。祭の雰囲気と共に、徐々に徐々に暗くなっていくのだろう。
「よっ……」
松永エイジが集合場所であるバス停にやってきた。
「よっ」
同じ返事を短く返す。松永エイジは、黒色の甚平がよく似合っている。この程度の感想で片付けられてしまうような男ではないのだろう。そう思ってしまう度になんとも申し訳ない気持ちになる。
「いくか」
「うん」
夕方の夏空は、オレンジと水色のコントラストに彩られている。そのさらに東の方には、夜の訪れを知らせる、藍彩の空。
「うわー、部活で腹減ったな。何くおっかな」
今日も部活だったんだ、とスッと口に出せない。多分、私は余計なことを考えすぎている。矛盾に矛盾を重ねた私の心は、矛盾を嫌いすぎてまた矛盾をしている。松永エイジのことは好きじゃ無いけど、嫌われていない今の関係は私にとってただ心地が良いだけ。彼よりも正直キョウコのことの方が大事だし好きだけど、それを大々的に言うのはなんか違うし。
「っていうか……浴衣!」
「えっ!?」
急にエイジくんの声が大きくなるから、私は肩をふるわせた。
「かわいいよ。やっぱり」
ふと、私は想像してしまった。キョウコと橘くんが2人で歩いていて、同じようなやりとりをする姿を。背の高い橘くんに見下ろされながら、キョウコは上目遣いで照れて目を反らして、「ありがとう」って小さな声で呟くんだ。
あんまりだ。ずるい。自分で勝手に想像して自分で勝手に傷ついておいてなんだが、ずるい。
「なーにー、そんな義理堅い仲じゃないでしょ私たちー。いいって別に気ぃ遣わなくても」
道化に走ってごまかす。
まあでも……彼にこんな洒落っ気のある格好を見せるのも、初めてか。
――私って、失礼なヤツだったんだな。
松永エイジに気を遣うことも大切だが、今の私は、キョウコと橘くんがどうなっているかの方が気になっているし、今日のアスカの動向にも目が離せない。私の携帯電話が震えた。
「ラインだ」
「キョウコからか?」
「そーかな? あ、そういえば……キョウコどうしたんだろうね、橘くんのこと」
思い切って聞いてみることにした。もやもやは早めに消化しておかないと、真っ暗な夜空になる前に。まだ西の空にオレンジが見えるうちに。
「あー、橘は……なんか迷ってる風だったぞ」
「へえ」
平静を装って返事をしてみたが、「え? 何それ!?」って叫んでやりたいくらいの衝撃ではある。
「なんか、キョウコを思いっきり誘うつもりだったんだけど、水沢いるだろ、水沢アスカ。あいつに誘われたらしくて、男女バスのメンツで」
――集団で誘ったのか。アスカ。
「1年メンバーほとんど参加してるみたいだからそっちにすっかなーって言ってたぜ。ラインで」
「となるとキョウコは暇なの?」
「まあ、そんなところじゃね?」
本当なら、胸のつかえがすっと取れるはずなのだが、キョウコからしたら橘くんと回れなくてきっと残念なのだろう。それを想像してしまうと、やはり出てくる感情は、かわいそうというものだった。
なんで対等な立場でいるはずの無二の友人に、そんな哀れみのような感情を抱いているのか、自惚れも大概にしてほしい。私は私に辟易している。
「ま、橘も勝算あるんだろうな。だから夏祭りに焦って返事聞くこともねえんだろ。多分」
「え? むしろ逆じゃない? 夏祭り誘ってもらえなかったら『ダメだったかー』って落ち込むところじゃん? むしろ返事悔い気味に聞いておかないと不安になるもんじゃないの?」
だけど、この橘くんの思考回路は、私と重ね合わせれば一発で腑に落ちるのだ。
――私も、別に焦ってエイジくんに夏祭りの約束を立てなかった。それは、彼が乗り気で誘ってくるってわかっていた自分がいたからだ。別に夏祭り誘ってもらえなかったと言っても、『キョウコとまわるしいっか』くらいにしか考えなかっただろうし、そう思うと、橘くんと重なる部分は多いのだ。
「女子はそう思うもんかー。まあわかるけどな」
俺も女々しいし、とエイジくんは笑った。うん、ごめん私がドライすぎるせいでだきっと。
まあでも、これで一つわかったことがある。私が橘くんのことをなんか気に入らないのは、私の愛しの人物であるキョウコが片思いをしている存在――つまり嫉妬の対象だから。それに加えてもう一つ、私は彼と似ている。だから気に入らない。つまり同族嫌悪のようなものなのだ。
私は私の醜さを言語化しているようで、馬鹿馬鹿しくなった。だけど、少し落ち着いた。やはりモヤモヤを消化するのは、精神衛生上良い。
そう、精神衛生が良くなると、気分も晴やかになるし、目の前にも集中できる。それは、エイジくんにとっても都合がいいから、いわゆるWin-Winというやつなのだ。
空は藍に染まり、通りには明かりと人が大勢出てき始めた。上にも向いていた視線は、いつの間にか前にしかつかなくなった。
「なあ、下駄、痛くねえの?」
「え?」
エイジくんから声をかけられ、私は斜め右横を向いた。彼と目が合う。
「い、痛くないよ」
別に……だって、エイジくん、いつもより歩くペース遅いから……。っていうか、私が遅いから合わせてくれてるんでしょうけど、きっと。こんな優しい彼に、私は無言で甘えている。優しさを、ただで享受している。
「ははッ、良かった」
右側に立っている彼は、左手を伸ばしてきた。私の右手を、少々強引に掴む。
「……珍しいじゃん」
「たまには、ね」
エイジくんが、私に強引な態度を取るなんて、珍しい。
「一応彼氏だし」
一応、って言わせてしまう彼女でごめん。
「食べたいもんとかねえの? あ、かき氷? いや……空きっ腹にはまず唐揚げとかだよな」
「そうだね……」
私はふと思い出した。そうだ、キョウコからラインが来てたんだった。
「あ、ごめんエイジくん……ライン見て良い? キョウコから来てたの、忘れてた」
「あ……そういえばそうだったな……」
うん、ごめん。いつまで経っても私は彼女らしい彼女にはなれない。心のどこかで、キョウコのことが大事なんだ。
キョウコからのラインには、こう書いてあった。
『なんか橘くん、バスケ部の人と回るらしいから、1人でふらっと回ろっかな。もし会えて、邪魔じゃなかったら一緒にまわろ!』
キョウコは今、1人なんだ。
「エイジくん。キョウコ、1人で回ってるんだって」
「マジ? 合流する?」
「いいの?」
「ん、別に良いよ。キョウコさみしがんだろフツーに」
私がキョウコと親友だから。キョウコが私と同じ女の子だから。きっとエイジくんはこう言ってくれる。彼の嫉妬心も、幼なじみのキョウコ相手には働かない。キョウコのおかげで私と付き合えたという恩があるから。私は、それにつけ込んだ。不安そうな表情をして、エイジくんにそう言わせたんだ。
そんなことを考えていると、目前が何やら盛り上がりを見せていた。騒がしい。高校生くらいの数人の男女の集団がいる。背が高い人もちらほらといる――五野高のバスケ部の人たちが、そこにはいた。
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