第22話「8月4日」

 週末だ。しかし、私たちが送っている一日は、特に変わらない。昼前に起き、課題をし、親の作った昼食を摂り、学校へとバスに揺られながら出向く。そこでアスカたちとダンスの練習をする。これを17時まで。


「キョウコ、フタバコーヒーいこ」

「ありすぎる-。私マンゴーラッシー飲みたい~」

「ああ、新作のやつ! いいよねえ」


 私たちはタオルで汗を拭きながら廊下を歩く。その後ろを水沢アスカたちが追いかけてきた。


「ねえねえ! やっぱいずみんって今日と明日の夏祭り、まっちゃんと行く予定立ててるの?」

「あ……そういえば」


 完全に忘れていた。そういえば昨日、エイジくんからそれを示唆するようなラインが来ていたような……と思って、画面を開く。昨日の『週末の予定空いてる?』のメッセージを表示し、既読をつけた。


『ごめーん。忘れてた~。夏祭りでしょ!?』

『もちろん行く!』

『けど浴衣着るの明日でも良い?』


 すぐに返事が来た。


『おけ!』

『それじゃ今日は俺、サッカー部のやつらと回るわ!』

『キョウコと回って来いよ』


 松永エイジの返信にほっとする。夏祭りが二日開催されるような都会に生まれて良かったと心から思う。と、目前のアスカに返事をするのを忘れていた。


「エイジくんと回るのは明日にしようと思う!」

「おお、それじゃキョコちゃんもいずみんも、今日一緒に回ろーぜ! おあいにくこちらのハナコちゃんが日曜彼氏と回るそうなので」


 照れるハナコに、アスカが「ひゅーひゅー」とからかいの声を飛ばす。


 こうしてふざけてはいる彼女だが、きっとおそらく橘ヨウキを夏祭りに誘っているに違いない。こんだけ調子が良いのなら、都合の良い返事でももらえたのだろうか? 私は“何も知らないふり”をして、アスカに耳打ちしに行った。


「……夏祭り、ヤツ誘ったの?」

「っ!」


 しーっと、人差し指を唇に当ててきたアスカ。私は思わずのけぞる。


「……実はミッチーにもハナコにもそのことは話してないの。もちろんキョコちゃんにも!!」


 眉を八の字にして、アスカは続けた。


「……だから橘くんも誘ってない」

「……そっか」


 そうか……。意外と奥手なのか。


「いずみーん、何話してるのー!?」


 少し先を歩くキョウコが振り返る。私を呼ぶ声に反応し、すぐに追いつくことにした。


「アスカ、とりあえずフタバいって、明日橘くん誘えないか考えてみよ」


 振り向きざまに言ったこの言葉に、アスカはまぶしい笑顔を向けた。


「ありがとう!!」



 私は、このままの流れでキョウコと話ができないだろうか、と画策した。アスカが、ミッチーとハナコと話すタイミングを見計らう。


「キョウコー」

「ん?」


 天真爛漫を絵に描いたような笑みで私の方を振り返る。その少女の顔を見るだけで、その笑みを見るだけで、私の口元は緩む。


「例の件、どうなった?」

「例の件?」


 彼女に隠語は通用しなかった。というか、そこまで頭の回る子ではなかった。そうだった。


「ほら……」


 私はぐっとキョウコの耳元に近づく。耳を隠していた栗色の髪から、ふわりと制汗剤の良い香りがした。


「橘くんのこと」

「!!」


 私のささやき声にびくっと反応したのか、肩を縦に揺らす。ああ、この感じだと、まだ返事をしていない。


「いずみん、どうしたら良いと思う?」

「ん?」

「この夏祭り……橘くんを誘ってもいいものかどうか」


 んー。



 なるほど。


 まずいじゃん。


「さ、さあ……でもコクった日から考えて、付き合ってすぐ夏祭り行こう! とは考えてないんじゃ無いかな?」

「そ、そうかなぁ」


 さすがに橘ヨウキもバカじゃ無い。勝算なく告白などしないだろうから、付き合えること前提で、夏祭りにキョウコと一緒に行きたいから告白したのだろうか?

 私はキョウコと会話する裏で、それ以上に頭を回している。


「誘って……一緒に祭回って、そのときに返事するとか……どう思う?」


 キョウコからの言葉は、意外なものだった。え、これって前向きに考えてるヤツじゃん。建前じゃなく、本音で。


「……」


 私は、正直……どう答えたらいいのかわからなかった。ただ、振り返る彼女の背中から思いっきり飛びついてやった。


「ちょっ……いずみんどしたの?」


 汗臭いだとか、この際どうでもいい。ごまかすための手札がほしかった。いや、違う――私が本当にほしいのは、本音を言うための勇気だ。


――橘くんに返事なんてしなくていい。祭なんて、一緒に行かなくていい。私と――私と一緒にいてくれたらいい。


 けど、こんな独り善がりの本音、のうのうと言えるわけなど無い。自分は周りからの評判の高いイケメン彼氏を作っておきながら、親友の幸せは応援しない。そんなクズへと成り果てたくはない。


「キョウコ、今日はとりあえず私たちと回ってくれるでしょ?」

「え? うん……そのつもりだよ?」


 戸惑いがまだ残るキョウコに、私は言葉を続けた。


「明日も一緒に回らない?」

「え、エイジくんは?」


 松永エイジと回る話は、確かにしていた。けど――私にとって本当に大切なのは松永エイジとの仮の恋よりも、この目の前の愛おしい少女なのだ。

 つなぎ止めておきたい。明日、彼女から離れて松永エイジと一緒にいる間に、この子は橘ヨウキのものになってしまうかもしれない。そんなの嫌だ。嫌だ。


 この子には――キョウコには、私の一番であり続けてほしい。否、私だけの一番であり続けてほしい。


「で、でもエイジくんに悪いよ……嫉妬されちゃったりして」


 むしろどうして――嫉妬しているのは私の方だというのに。私は首を横に振り続けた。キョウコの首に両腕を巻き付け、完全に後ろから抱きついているかのような姿勢になる。


「ちょいちょい、お二人サン暑くないのー?」


 水沢アスカが後ろを振り返った。そこで我に返る私は、キョウコの首から腕をぱっと話した。


「んー、キョウコのシーフロ良い匂いだなって」

「あー、キョコちゃん今年の限定フレーバー使ってるんじゃ無かったっけ?」


「あー、うん……」


 歯切れの悪いキョウコ。これでいい。彼女の中に私の違和感を住まわせて、橘ヨウキから気を逸らせてやればいい。それでいい。

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