第19話「8月1日②」

 私とキョウコが、文化祭のダンスの練習をいざ、しようとしている。そこにまさかの松永エイジも合流し、さらに……橘ヨウキまでやってきてしまっていた。


 ふと目を見合わせる私とエイジくん。うなずき合う私たち。


 とは言っても、私はエイジくんに何も話せてはいない。つまり、見つめ合ってうなずき合っただけで、統一すべき意思のないただの男女の一人と一人である。


「ああ、たまたま帰りにキョウコと会って、サナと学校でダンスするって言うから、見に来た!」


 エイジくんがまず口を開く。いいぞ。それでいい。


「そう! アスカから聞いてるでしょ? 自主練するんだ!」


 私はこういって教室を見渡す隙に、キョウコの顔色をうかがう。


「……」


 キョウコは、浮かない顔をしていた。私はすぐに視線をエイジくんの方に向ける。


「あ! 私たちジャージ着替えるからちょっと外出てて! おねがい!」

「えっ……でも、サナもキョウコもジャージじゃ……」


 鈍感なエイジくん相手に眉をひそめ、無理矢理空気を読ませようとした。


「……ま、女子には深い事情があるんすよエイジくん。そうだろ和泉。というわけで俺らは横で男の談笑タイムとでも行こうぜー!」


 不本意ながら、ここで空気が読めてしまうのが橘という男なのだろう。教室から姿を消した二人を見届けた瞬間、私はキョウコの肩を両手で揺らした。


「キョウコ!! 大丈夫……なんだよね?」

「う……うん」


 これは、ダメな方だ。


「あれから少しだけだけどラインはしてるんだ。相変わらず話は盛り上がらないけど。ダンスのことも話してるの」

「へ、へえ」


 ちょっと予想外で、私の返事につまりがあった。


「どんなこと話すの?」

「んーっとね。好きな漫画の話とか、バスケのこととか、NBAっていうプロバスケが好きなこととか」


 当たり障りないのね。


「……いずみんはさ、昨日私が橘くん来て浮かない顔してたの、気づいてたでしょ?」

「え……」


 気づいてたこと、気づいてたんだ。


「実はさ……」


 キョウコはポケットに右手をつっこみ、携帯電話を取り出し、画面を見せてきた。


「うそ……」


 私は思わず、目を見開く。そこに書いてあるメッセージの脈絡のなさ、突然のことに、キョウコは返事をできないでいた。



『新津さん』

『っていうかキョウコ』

『正直俺のこと好きじゃない?』

『良かったら付き合おうぜ』



 不気味さと不自然さに、言いようのない感情を覚えた。なんかこう……胃腸から何かがむせかえってくるかのような、そんな気分。多分……というか、私が普通の感覚の持ち主だったとしても、ここの部分に嫌な感情を抱いているだろう。

 しかし、キョウコが浮かない顔をしているのはどうしてだろう。彼女からすれば、願ったり叶ったりではないのか?


「い、いきなりすぎてさ」

「確かに」


 確かに。こちらとしては、計算外の橘の行動に、振り回されたくは無いところだが、キョウコが逆に困惑してくれているようだ。


「漠然と憧れみたいなのはあったんだけど、っていうか、あるんだけど、っていうかそれが好きって事なんだと思うんだけど」


 少し饒舌気味に語り出したキョウコ。私は机に腰をかけ、彼女の横に居座った。前やら天井やらに右往左往する視線を見ていると、まるでハエでも飛んでいるのでは無いかと思わされる。


「いざ告白されると、なんて言ったらいいのかわかんない。助けて」


 彼女の潤んだ目に、思わずドキッとしてしまい、首を振る。まるで顔を濡らされた飼い犬のように。しかし……橘の野郎……。


「とりあえず……」


 ここは……どういう立場で声をかけるべき? 友だちとして? 親友として? それとも……キョウコのことを、一番大切に思っている女として?

 私としては止めたい。けど、その理由は所詮、私がキョウコを好きだから。でも、その「好きだから」という理由は、キョウコの恋心を止める理由にならない。




 私は――同じ土俵にすら立ててないんだ。



「どうしたらいいかは……わかんない」


 どうしてほしいか、と聞かれたら真っ先に答えるけど、それが『どうすべきか』なら、多分違う答えになる。


「だってキョウコのことだもん」


 私には関係ない。私には、関係ないんだ。


「そ……そう、だよね」


 潤んだ目が揺れる。視線は私の脚から上履きの先へと移動し、またハエを追うように動き出した。関係ない……って、頭ではわかってるんだけど、なんとかしてやりたいという気持ちが邪魔をする。その気持ちを、私には何もできないという気持ちが邪魔してくる。こんなとき、普通の子だったらどうするの? 松永エイジだったらどうするの? 水沢アスカだったらどうするの?

 私が……キョウコのことを、正しく好きになれていたら、どうできていたの?




 私はしばらく考え込んで、出した結論は「逃げること」だった。携帯電話を取りだし、松永エイジに電話をかける。


「ごめん。バス乗る前に暑すぎて熱中症なったかも……キョウコと先帰っとくわ」

『え、ああ……送るぞ?』

「いや、いい。もう教室出てる」


「えっ?」


 私のついた小さな嘘に、驚くキョウコを連れて、教室を飛び出した。いい、大丈夫。彼には後で弁明できる。とりあえず今は――この締め切った冷房の風を、蒸し暑い外の風と混ぜてごまかすことの方が、大事だったんだ。

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