第17話「7月31日」

 補習最終日。英語の補習。英語の担任は陽気なリズムで文法の復習をする。頭にたたき込ませようと必死に考えたのであろうリズムを、何度も何度も繰り返す。これがリフレインってか。


「さぁ……じゃあ残りの時間は単語の復習! 試験で出てくる重要英単語を一気にまとめるぞッ! もちろん、イントネィションが完璧じゃないとダメだぞぉ??」


 “イントネィション”の言い方が気になった。ネを強調しているから、これがネイティブの“イントネィション”なんだろう。その言い方がおかしくて、思わずペンを持っていた右手で口元を隠した。その様子を見ていたキョウコとたまたま目が合い、彼女も同じポーズをしている。


 こういう『面白い』が共有できる。そんな友だちは中学のときにはいなかった。






 チャイムが鳴る。


「それではみなさん……えぇ……良い夏休みを。あ、文化祭、1―A楽しみにしてるぜぇ」


 英語の担任は手を振りながら教室の外へと出て行った。


「よっしゃー!! 補習終わったー!!」

「フタバいこー!!」


 騒ぎ立てるクラスメイトたち。私たちの本当の夏休みが始まった。


「よし、いずみん! キョコちゃん! お昼食べたらするよ!!」


 水沢アスカが私とキョウコの机の近くにやってきた。ガッツポーズを取っている。


「そういえば、あっちゃんは部活ないの?」

「あー。男バスと交代だからねー。3時からするの今日。明日は男バスがオフだから女バスも1時からで、ダンス練習もできないんだけど大丈夫?」


 まあ、水沢が中心人物だから、彼女に合わせてダンスの練習計画が進むことに何の異論もない。きっと彼女の取り巻きたちも、キョウコも同じなのだろう。


「明日は自主練だねー」


 キョウコに話しかける。キョウコは「うあー」とうだつが上がらない表情をしている。


「いずみんはセンスあるから大丈夫! キョコちゃんは……まあかわいいから大丈夫っしょ」

「同感」


 初めて水沢と共感ができた。あ、私がセンスあるどうこうじゃなくて、キョウコがかわいいってことにおいてだけど。


「遠回しに下手くそって言われたー!! いずみんにまで!!」


 気づけば水沢にまで「いずみん」と呼ばれていた。キョウコがまた頬を膨らませている。


「だってー! ねぇ」


 水沢アスカはこちらを向く。


「うん……水沢さんの言うとおりだよ」

「うぇぇ……! ちょっといずみん!! アスカで良いよアスカで!!」


 あ、うん。


 こうして……友だちって出来ていくんだろうなあ。


「おーい、ダンス進んでる?」


 クラスの男子たちが、水沢アスカ目当てか、こぞってやってくる。その中には、男子バスケ部の橘ヨウキもいた。


「まあそこそこ! ここの動きがけっこーむずいんよねえ」


 水沢はさっと携帯電話の画面を見せ、動画を流す。アイドルグループが難しい動きをしているところだ。私も絶賛苦戦中の、本当に難しいところである。しかしまあ、こうも自然な流れで会話に溶け込んでいくあたり、彼女はすごい。普通だけど、普通と共感を突き詰めていった人間としての完成形なのだろう。


「ほう……いや、アスカこれリリースしたときに覚えたって言ってたじゃんか!」

「まあ、そうなんだけど……実際に教えるとなるとかなり違うんよねえ」


 自然な流れで橘くんと会話している水沢アスカ。二人ともバスケ部だから背が高くて、とてもお似合いだ。あ――この光景を見て、キョウコはどう思っているんだろう。ふと視線をキョウコにやると、どこか浮かない顔をしている彼女がいた。


「そうそう、そんなこと言ってる橘くんはできるの?」


 私がちょっと二人の間に入るように会話に入っていった。橘くんは少々驚いた顔をしていたが、まあ、数日前のやりとりなんて、私とコイツしか知らないわけだから、何も問題ない。素知らぬ顔を彼に向けたまま、彼の返答を待つ。


「俺は無理だよ! っていうか和泉も踊るの? おもしれーじゃん」


 何がだ。


「当たり前じゃん。キョウコも踊るから!」

「へえ……あ、新津さんも……」


 あ――気まずい顔になった。これは地雷だったかもしれない。すぐに自省した私は、咄嗟に話を切り替える。


「エイジもこの歌好きって言ってたし、まー楽しんでる。ねっアスカ」

「うん! まっちゃんにも言っといて! いずみんめっちゃ頑張ってるから! まあキョコちゃんは……最悪マスコット枠かな?」


「ははッ……マスコットいいじゃん! でもどーせセンターはお前なんだろ? まー楽しみにしとくわ!」

「あ……うん」


 ここでふと違和感を覚えた。アスカの返事に、急に歯切れが悪くなったような感じがしたからだ。私はそれをごまかすかのように、被せて言った。


「あったりまえでしょーが。アスカが結局一番上手いし、かわいいし、もうどうしょうもないわ」

「まーそうかー、そうだよなー。あっ、和泉も負けてねえぞ!!」


 どうして橘はこう……私が上手く取り繕おうとした空気を塗り替えようとするんだろう。悪気なさそうなのがまた腹立つ。


「ってエイジなら言うと思う! じゃ、部活行ってくるわ!!」


 結局、私と、アスカと、橘くらいしか話していなかった。キョウコの方を見ると、やはり浮かない顔をしているではないか。まあそりゃそうなのだ。自分が好きな男が、自分以外の女子と楽しそうに話しているところに入っていけなかったら、そりゃ浮かない顔の一つでもするよな。ここでどんな言葉を一言目に持ってくるのが正解なんだろう。橘くんの話――ディスり、いじり、言い訳、どれも地雷だ。

 そう、“自分以外の女子”が、“自分と仲のいい友だち”なら、なおさら嫌だろう。


「キョウコ! がんばろ……。キョウコはかわいいからマスコットにもなれるけど、一緒に踊るって決めたんでしょ!」

「う……うん」


 浮かない顔は治っていないが、こちらの顔を見て返事してくれた分、模範解答とは言えずとも、正解は踏めた。ここは敢えて、橘くんのことには触れず、あたかもアスカの言葉にフォローを入れているかのように接した。


「明日……アスカ練習できないんだよね?」

「うん。ミッチーとハナコも多分予定あるんだよね?」


 ミッチーもハナコも、アスカの友だちというか取り巻きというか、そんな子たちだ。ちなみに二人ともアスカからは中学からのあだ名で呼ばれている。アスカに聞かれ、二人とも頷く。


「いずみんもしかして練習する? ごめん! 明日彼氏と買い物行く約束あって!!」

「ごめんあたしもバド部一日練だから……」


 そっか……と言って、キョウコの方を見る。このまま5人全員が集まる日だけ練習してたら、間違いなく私たち二人は置いて行かれる。


「しゃーない。キョウコ、明日自主練しよっか」

「……うん!」


 ちょっとだけキョウコの顔が晴やかになった。ああ、良かった。ダンス上手くいかないのを気にしてただけだったんだね。

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