第14話「7月29日」

「うあああああっついいいいいやだやだやだやだ!!」


 やたらうるさい目覚め。これが私の独り言なんだから、きっとここが私の部屋じゃなければ周りの人は驚いているだろう。


 目が覚めた。なぜかというと、この部屋の暑さのせい。ばっと携帯電話に手を伸ばす姿に、「最近の若者はスマホ依存が甚だしい」とバカにされるのもおかしくないな、なんて思う。


「うげえ。もう11時」


 徹夜で読書感想文を終わらせようと思ったのがバカだった。課題図書の本を読みふけっていたら寝落ちしていたのである。冷房のタイマー設定が切れたのであろう時間からもう6時間が経っていたのだ。そりゃ暑くもなる。


「アイスとりにいこ」


 都合良くアイスがおいてくれていたら良いが……母のマメさに少し期待しながら階段を降り、1階のリビングから冷蔵庫のある台所へと向かう。リビングは冷房が効いていてすごく涼しい。


「サナ、起きてたのね」


 お母さんに話しかけられる。


「うん、アイスもらってくね」

「うん。宿題?」

「まあそんなとこ」


 そう、と嬉しそうにしたのち、鼻歌交じりに掃除機をかけ始めた。お母さんは基本的に私に甘い。多分、一人娘っていうのもあるだろうし、引っ越ししたせいで私の人間関係が上手くいかなくなったことに負い目を感じている部分もきっとある。


「おはようサナ、昨日、夜更かししてたろ」


 お父さんがテレビを見ながらこちらに話しかけてくる。


「うん、まあね」


 もう反抗期を終えていた私は、素っ気なくではあるが返事をする。


「勉強頑張ってるのはいいが、夜更かしはお肌の大敵だぞぉ~。気をつけろぉ」


 私が中学3年生の頃ぐらいから、こういう冗談を言うようになった父。多分ネットかなんかで「友だち目線の親はウケる」みたいな情報でも見たのだろう。ため息を一つ。そんな無粋な父親、娘が好むわけ無いだろ、と言ってやりたいが、口をつぐむ。


「わかってるよ」

「美肌には気をつけた方がいいぞ! 彼氏も遠のいちまう」


 これ。こういう無粋さ。乾いた笑いでしか返せない。当然、エイジくんのことは、両親とも知らない。まあ、バレるのは別に問題ないんだけど、わざわざ言うことでもない。


「お父さーん、そういうのは、余計なお世話っていうのよー。あと、セクシャルハラスメントにもなるから気をつけなさいよー」


 お母さんが遠くから良い助太刀をしてくれた。


 余計なお世話……か。


 一応私には松永エイジという彼氏がいるが……そのいわゆる余計なお世話を、今後かけてしまうかも知れないのだから、悩ましい。冷蔵庫の冷凍の棚からアイスキャンディーを取り出し、口にくわえた。


「お昼、何がいい?」

「そうめんか肉」

「またえらい極端ね」

「だって暑いんだもん」


 母と会話しながらまた2階へと戻っていく。

 そういえば、お母さんはどうしてお父さんと結婚したんだろう。ぱっと見、仲は良いと思うし、馴れ初めは聞いてないけど、テレビの俳優をかっこいいとか言ってる姿から想像すると、お母さんは普通にお父さんのことを好きになって、結婚したんだと思う。


 なんでそんなことを想像したかって? 私の「好き」が普通じゃないからだと思う。私にとって、松永エイジは彼氏だが、彼のことをどう思う? と聞かれれば、出てくる答えは「嫌いじゃない」だと思う。じゃあ、お母さんがお父さんを好きになったように、私が誰かを好きになるのだとしたら……それはきっとエイジくんではなくて、今のところキョウコだけ。キョウコただ一人なのだ。


――これって俗に言う、病気なんかなあ。


 片手にあった携帯電話で調べる。そういえば、保健の授業で性自認についての授業があったけど……私はいわゆるマイノリティに当たるのか?

 胸に手を当てて考えてみた。別に今まで、女子であることを嫌だと思ったことは無い。松永エイジをかっこいいというのも、わかる。


 私って、もしかして……ただのレズ? でも、キョウコのことは好きだけど、性欲が芽生えるとかそんなんじゃないしなあ。


 そんなとき、ちょうどエイジからラインの返事が来ていた。


『話あんだけど』

『どっか行かない?』


 私はそのままメッセージを開く。


『いいよ』

『どこがいい?』


『二人になれるところ』


 何かわかると良いなと思って、私は指を動かす。


『ジョンソン後のカラオケでも行くか!』


 楽しそうに音符のリズムに乗っているパンダのスタンプを添えて、メッセージを送った。私は階段を上っていたが、すぐに踵を返し、下る。


「おかーさーん! お昼もう作っちゃった?」

「まだだけど?」


 掃除機をかけ終わった母の声は、一段と大きく聞こえる。


「ちょっと出かけてくるー!!」

「帰りは?」

「わからん! でも晩ご飯は食べる!!」


 詮索されないのも、なんかおもしれえな……なんて思いながら部屋を出る。もうちょいおしゃれした方がいいのでは? なんてのは戯言だ。





 高校からの帰り道にあるジョンソンに着いたのは、12時過ぎ。私はバスでしばらく走らないと着かない分、エイジくんよりどうしても少し遅くなる。


「ごめーん! 待った?」


 バス停からジョンソンまでの距離を歩くだけで汗びっしょりである。制汗スプレーでも持ってきとくんだった。……と、目前の男子を見てやや思うところはある。


「いや、俺も今ついたとこ……」


 襟付きの紺色のシャツに、ベージュのハーフパンツ。背が高いから何でも似合うエイジ。かたや私は、半袖のTシャツに、体操服のズボン。嘘やん。


「ごめん、シーフロ貸してくんない?」

「あ、これ? いいよ」


 エイジから制汗スプレーを借りる姿は、なんともまあみっともない。


「ごめんこんなイモい格好で」

「……いや、急いできてくれたんだろ? 嬉しいよ」


 私への好意が、全てを肯定的に捉えてくれる。これはエイジくんが優しいからではない、と私は自分に言い聞かせる。


「入るか」

「うん」


 エイジに連れられ、ジョンソンの店内へと入る。先ほどの暑さが嘘のように、効き過ぎともとれる冷房は、私の汗と、制汗スプレーがかかって締まった毛穴を冷やしていく。さっと注文を済ませ、フードをうけとり、それぞれトレーを一つずつ持つ。席を探す私に、松永エイジは話しかける。


「なんか、キョウコと遊ぶ予定だったんだろ? 悪かったな、俺がわがまま言って」


 あ……素直。っていうか……私が先に謝ろうと思ってたのに。


「……ううん、私も大人げなかったし」

「んなことないっしょ」


 席を見つけて椅子を引いてくれた。私はそれに甘え、トレーをテーブルに置き、椅子に先に腰掛ける。松永エイジは対面に座り、トレーを置いた。ジュースにストローを挿す。


「だって考えても見ろよ。いきなり彼氏に『ほかに好きな人いるだろ』って決めつけられんの、絶対に腹立つ」

「……」


 そうだけど、あんたが言ったんじゃん。まあ、事実だから言い返せない私も悪いんだろうけど。エイジは続ける。


「あとで考えて気づいたんだ。俺がめちゃくちゃサナのこと好きだから……気持ちがどうしても一方通行になっちまう感じがして辛いだけだって。それをサナに当たってた。マジでごめん」

「ちょっ……何それ。全然気にしてないってば」


 ずるいよ。こんなにまっすぐ素直に好きって言えて、自分の悪かったところもこんなに素直に認められたら、まるで私が強い立場にでもなったみたいじゃん。


「……でも、多分、エイジが私のこと好きっていうのは、わかる気がする。私、これでもバカじゃないし」

「うん……見透かされてんだろなってのは、いつも思う」


 笑う顔は、くしゃっとしていて、流行の俳優みたいで、かっこいいのは間違いない。でも……


「多分、私……エイジくんへの『好き』がなんなのか、自分でもよくわかってないの」


 私は思い出した。いや、今、目前の彼の顔から見ると、エイジも思い出したのだろう。付き合い始めてからおよそ2ヶ月、私が今まで――エイジに向かって、『好き』と言ったことがないことを。

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