第12話「7月27日②」

 気づいていた。キョウコの部屋に、二人きりだと言うことに。別にキョウコのことをやましい目で見たことなど一度もない。同性だったからか、そういう感情は、不思議と無かった。いや、本当は意識する以前に、彼女を想う気持ちが重石のようにほかの感情を潰していただけだったのかもしれない。


 意識しちゃダメだ。私の中にいる、意地の汚い私が、キョウコを意識しないよう視線を彼女からずらしていた。視界の端で、制服のスカートがふわりと揺れた。


「いずみんどしたの?」


 ううん、なんでもない――と答えるまもなく、にっこり笑顔を作って、私が返事をするタイミングを遮ったキョウコ。


「ごめん、麦茶冷えてるかわっかんないなあ。あ、私の部屋二階なのぉ。階段さき登っててくれる?」

「えぇっと……」

「あ、入って左側! ドアに私の名前書いてるからわかると思う」


 キョウコも私を初めて呼ぶせいか、少しぎこちないところがあるのだろう。お互いに何かちぐはぐな私たちだったけど、それを口に出すことも無く、私は階段に足をかけた。


 そう、いよいよ、私はキョウコの部屋に足を踏み入れるのである。大好きな、キョウコの部屋にだ。


「おじゃましま――」

「ああ、ごめんごめん、そこ、ベッド座っていいよ!」


 掃除はそこそこ。多分私の部屋の方がきれい。寝間着が転がっているのをみると、キョウコはまた寝坊したんだな、ってわかる。


「ごめーん、汚いの忘れてた!」


 少し恥ずかしそうに笑いながら、寝間着を拾い上げるキョウコ。私は首を振りながら笑う。


「ぜんぜーん、むしろ予想通りで安心したわ」

「何それーもう」


 大丈夫。思ったよりいつも通りが振る舞えている。動き回るキョウコから感じるキョウコの匂いに、もっと動揺すると思っていたけど、案外大丈夫だ。エアコンのリモコンを手に取り、電源を入れたキョウコ。「強風」の表示があり、強い風の音がする。


「さぁて! ゲームでもしますか?」

「今日の補習の課題とかした方が良いんじゃ無いの?」

「ええー。いずみんまじめぇ」

「ゲームより、勉強してる方が私たち話しやすいじゃん。あんたも宿題わかって一石二鳥でしょ?」

「……確かに。今日の四字熟語プリントは難しそうだった」


 渋々頷いたキョウコを見て私は口角をきゅっと上げ、プリントを机の上に置いた。


「さ、取りかかるよ」

「それはそうとさ」


 キョウコが本題に入ろうとしている。


「エイジくんと喧嘩してるって……」

「うん……」

「私たちも関係してるんでしょ?」


 眉毛を八の字にしながら聞いてくる。


「……うん」


 話すしかないよね。


「多分、エイジはさ……。私が橘くんと一緒に遊びに行くのが嫌なんだと思う」

「ええ、それぐらい……っていうか、いずみんが橘くんと変な気起こすわけない……」


 途中まで出ていた言葉が引っ込んだキョウコ。そう、キョウコも気づいたらしい。心当たりがあるからだ。


「いずみんにその気がないだけで……ってことだよね。きっと」

「うん」


 ごめんキョウコ。と謝るのは、彼女をよりみじめにする気がして嫌だった。


「私にできることある? ほら……エイジくんの気持ちもわかるし、なんとなく」


 心が痛いよ。そこでエイジの気持ちがわかるってことは、橘くんの気持ちが私に向くのが嫌だってことじゃん。


「とりあえずさ、橘くんがキョウコに惚れたら良いんだよ。全部解決! ほらね!?」


 冗談をかますようにおどけてみせたが、ダメだった。


「……とりあえずさ、スポッチャの件だけど……」

「無理かな」


 キョウコが人差し指で頬をかく。柔らかそうな頬が、どこか悲しそうにへこむ。


「私にいずみんみたいな魅力があれば良いんだけど」

「そ、そんなことないよ! キョウコがかわいくて良い子ってのは、私が一番わかってる!」


 机に両手をおいて身を乗り出した。咄嗟の行動だった。


「……ありがとう。でも……私、自分に自信が持てないよ」


 目が潤んでいるのは、冷房の風が直接当たるからではないらしい。


「きょ、キョウコ……」

「やっぱりさ……好きな人からわかってもらえないと意味ないよって思っちゃうよ」


 涙ぐみながら放たれた一言は、私には刺さる一言だった。でも、きっと私だけじゃない。こうやって恋に悩む人たちはみんな、キョウコのこの一言に共感するのだろう。


「……ねえキョウコ」


 部屋の温度が下がって、風の音が落ち着いた中で、私は言った。


「私じゃ……ダメ?」


「え?」



 あれ。


「キョウコの良いところ、理解してるのが、私だけじゃ不満?」


「……ええと」


 違う。こんなことが言いたかったんじゃないの。明らかに動揺しているキョウコ。明らかに困っているキョウコ。もともと頭の回転の速くないこの子に処理させるには、少々難しい言葉だ。


「い、いずみんがわかってくれてるのは、私もわかってるし、何よりうれしいし、頼りになるし……ううん……でも……違うの」


 わかってた。違うよ。そりゃそうだよ。私にとってのキョウコが大好きな友だちでも、この子にとっての大好きな友だちでは、意味が違う。それでも、なんとか彼女なりの言葉で応えようとしてくれていることに関して、私はどこか満足していた。「何よりうれしい」という言葉が聞けただけで、満足すべきなんだよ。


「……あはは。ごめんごめん」


 また私はそうやって、道化に走る。


「そのー。あれだ。自信を持てって意味だ! 私を安全基地かなんかだと思いなさいよ。橘くんがたとえキョウコの良いところわかんないとしても、私はわかってる。私がキョウコの魅力をアイツにわからせてやる。だから……」


 だから……。


「……だから?」


 首をかしげたキョウコ。私は言葉の続きが……出てこない。本音とちぐはぐになるからだ。


 ほら、言えよ。「諦めるな」って。「自信もって遊びに誘え」って。友だちなんだろ。言ってやれよ。


「だからさ……」


 言えよ。キョウコのことを大事に思うなら、ここで背中を押すべきだ。


「橘くんのこと……」


 言え。言え。言え。


「一回忘れて、私と一緒にいようよ」



――言えなかった。



 逃げた。とは、ちょっと違う。だって、これが本音だった。むしろ、我ながら勇気を振り絞って言った言葉だ。


「え?」

「……ほら、案外さ。押してダメなら引いてみろって言葉があるでしょ? それよそれ。一回気があるように見せて、すっと引くのよ」


 ずるい私に感謝だ。本音を隠す言い訳が上手い。


「ありがとういずみん」

「お、お礼言われる筋合いは無いって」

「だって、私が相談聞く立場だったのに、結局私の方が落ち込んじゃってさ。馬鹿だよねえ、私」


 それで良いの。アンタはそれくらい純粋で良いのよ。


「あはは。それがわかってるなら大丈夫。さ、馬鹿なキョウコのために、勉強頑張りますかあ」

「あ! ひどい今の!!」


 気持ちを隠すことばかり上手くなる私は、やっぱりキョウコのようにすぐに気持ちが表に出る子と一緒にいる方が良い。そうだろ。橘ヨウキ。

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