第10話「7月26日」

 私は……頭を抱えていた。社会の補習、確かに日本史の問題は難しい。授業全く聞いていなくてごめんなさいという気持ちにはなっている。でも、それ以上に、私は――昨日の昼間に返ってきた返信に頭を抱えているのだ。


「なんでこうなるかなあ」


『スポッチャ行きたいんだけど』

『エイジが反対してる』

『なんか、行きたいなら二人で行ってこいってよ』


 なるほど。松永エイジはそういうことも厭うようだ。


 しかしどうだろう。考えてみよう。キョウコにとって一番良いのは、4人で楽しく遊びつつ、橘くんとの仲を深めることである。

 橘くんにとって一番良いのは、4人で楽しく遊びつつ、疑いを入れている私たちの関係を探ることであろう。

 私にとって一番良いのは、この話自体がおじゃんになってキョウコと橘くんの仲が深まることも無く、私とエイジくんの関係が疑われることも無いことだ。


 つまり、4人で集まって遊ぶ、ということを望んでいない者が二名。そして、残りの二名は、4人で集まる以外のことに価値を見出していない。


 私がゴリ押せばエイジくんは乗っかる――キョウコは頼んでいる立場である以上強くは言えない。そして、橘くんやキョウコの性格上、じゃあ二人で行こうか! とはならないはず……。4人で遊ぶということに松永エイジが反対するというのは嬉しい誤算だ。私にとって今の状況はプラスでしかない。



――話を戻すと、なぜ私が頭を抱えているのか。今考えている限りでは、私が頭を抱える理由などどこにもない。


「今度の日曜に4人で遊ぶって話してたじゃん?」


 キョウコが隣で囁くのに、私は頷く。


「エイジくんと二人で遊びに行く予定でもあったの? なんかエイジくんが猛反対したって橘くんから聞いたんだけど」

「ああ……うん。ごめんね予定被っちゃって」


 急に日曜の予定が思わぬ形でできてしまったな。


「そっかー。ま、エイジくんもやきもち焼きだからなあ」


 ニヤニヤしながらこっちを見る少女。お前は自分の心配をしろ。


――自分の心配、か。



 きっと一番ショックを受けているのは、なんだかんだでキョウコなんだろうな。4人で集まって遊ぶということに、一番純粋な気持ちで、一番乗り気で、一番楽しみにしていたのは、紛れもなくこの子だからだ。


 そう、だからそれはそれでかわいそうなのである。つまり、私が頭を抱えている理由は、キョウコのためにも行ってあげるべきなのではないか、そして、そのために松永エイジを説得するべきなのではないか、と考えてしまっているからなのである。


「昨日の課題終わった?」


 キョウコの囁き声は続く。私は頸を横に振る。


「私も。7月にやったばかりの確率の問題全然わかんない」

「補習終わったら教えたげる」

「ほんとに? ありがとー。持つべきはいずみんのような友だちだよ」


 友だち――か。


 この子にとって、私は友だち以上にはなれない。だけど、それが……キョウコにとっての一番の幸せ――



「よし決めた……」

「何を?」

「何でもない!」


 私なりの決意表明。補習は午前中で終わる。9時から12時までの3時間だけの補習。それが終わると、部活がある人たちは、せっせと昼食を食べるのだが、私はその忙しい時間を頂戴して、松永エイジを呼び出した――



「どうしたん?」


 綺麗に剃られた襟足の毛を触りながら、松永エイジはやってきた。昨日髪切ったんだな――と、小奇麗にまとめられた髪を見て思った。


「……いや、まあすぐ終わる話なんだけどさ」

「ん?」


 首を傾け、疑問符を浮かべる松永エイジ。わかりやすいくらいに少し不安そうな顔をする。


「橘くんからさ、4人で遊びに行こーって話聞いた? 私もキョウコから聞いたんだけどさ」

「ああ、うん。聞いたよ。断った」


「そのことなんだけどさ……」

「……俺は、いやだ、って思った。どーせならサナと二人がいいし」

「……ああ、うん。私だってそう」


 違う、そんなことが言いたいんじゃない。


「なんといいますか……その……」

「キョウコの頼みだから? 行きたいって?」

「……」


 完全にその通りなのである。伊達に中学からの付き合いじゃないよな……。


「……ったく、キョウコのやつ、自分の好きな人くらい自分の力で落とせよな」

「……さすがイケメンは言うことが違いますな」


 私が冗談めかして笑った――顔を真っ赤にして反応に困っている松永エイジがいた。


「……わッ……別にそういうつもりで言ったんじゃねえから!」

「わかってるよ。私も変な意味じゃないから安心して」


 明らかに動揺している。


「……でもさ、橘くんとは仲良いんでしょ? キョウコとも仲良いんだし、別に良いんじゃないの?」

「……」


 私の提案に対して、なかなか納得の姿勢を見せてくれない。それどころか、眉間の皺は先ほどよりも深くなっている。


「……嫌なんだ」


 たったの5文字の言葉だが、深く低い声でずしんと来るものがあった。


「……嫌なんだ。俺、多分」

「……たぶん?」

「……わりー。俺もあいまいな言葉しか出てこなくて」


 曖昧な言葉しか出てこないのは、私も同じである。現に今、エイジくんが私の言いたいことを察してくれているからこそ会話が成り立っている部分があるからだ。


「いやまあ……私は、橘くんのことは正直どうでもいいとしか思ってなくて……その、なんというか、キョウコがさ……あいつのこと好きだから……」

「わかってる……サナにそんな気がねえってことくらい……でも、それは今だけかもしれない――だから」


 なるほど。


「私の気が変わるのが嫌?」

「そ、っていうよりかは」


 私――そんな軽い女に見られてたんだ。まあでも……今までもそうだったし――別に何か特段変わるわけでもない――ないけど、なんか悔しい。


「っていうよりかは何よ?」


 私の口調が少し強くなったのを見てか、松永エイジは声のトーンを一段下げた。


「……ち、違うんだよ」

「何が? はっきり言ってよ!」


 わかってる。はっきり言えない言葉があることぐらいわかってる。好きな人の前だもの。好きな人の前でこそ、自分自身の嫌なところなんて見せたくないもの。でも、私は――浅はかだったんだ。


「……うるせーな。そんなにキョウコのことが好きかよ! ヨウのことが好きかよ! どーせ俺以外に好きな男でもいるんだろ! わかるんだよ……」

「な、なにが!?」


 いきなり怒号を上げる松永エイジ。私に詰め寄らないのは、まだ遠慮心があるからだろうか。


「わかんだよ……」


 いや、違う――彼は、私の本当の気持ちなんて理解したくないんだ。


「クソッ……3人で行ってこいよ」


 背中を向けて去っていく松永エイジ。「ちょっと待ってよ」となんて呼び止める権利は私には無く、ただただ大きな背中が、小さく、小さくなっていく廊下を眺めているだけだった。

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