第9話「7月25日」
今日は7月25日、水曜日。せっかくの夏休みなのだが、本日より、平日5日間は補習の時間となる。
「はあ……補習ってさあ、3年生の受験前にやるイメージだったんだけどなあ」
隣のキョウコがこんなことを言いつつも、どこか浮かれているのは、きっと……理由を作ってでも会いたい人に理由もなく会えるからであろう。
「おっすー、和泉、新津さん!」
手を振って教室に入ってくるのは、橘くんだ。
私の事は呼び捨てなんだな――
おそらく無意識のうちに睨んでいる私を見てか、彼はそっと身を翻し、すぐにケータイを触りだす。
「おっ?」
キョウコのケータイが鳴った。私の視線に合わせ、彼女は笑う。
「見てみて!」
囁くと同時にぐっとこちらに近づいてくる。見せられたのは、ケータイの画面だ。
「橘くんから返ってきた!」
「……ふふ、良かったね」
乾いた笑いで返す。知らないうちに連絡を取り合う頻度が上がっているのが気に食わない。
冷房の効いた教室。さっきまで暑かったのであろう外との温度差に、入ってくる他のクラスメイト達は、感嘆の声を漏らしながら席へとつく。
「サッカー部は朝練だったみたいだね」
「……ああ、うん」
そういえば、松永エイジの姿もある……部活の友だちと一緒に教室に入ったとこらしい。
「サッカー部昨日練習試合だったんだろ?」
「どーだった?」
ほかのクラスメイト達に問われ、エイジくんは顔を困らせた。
「引き分けだよ。惜しかったんだけどな」
「あ! でもエイジは1年で一人だけ80分フルで出たんだぜ!?」
「アシストつきかけたのにな!」
周りのサッカー部が松永エイジを持て囃す。まんざらでもない様子の彼と、たった今私は目が合った。
「よっ、サナ! 昨日はありがとーな」
にっこり笑ってこっちに声をかける松永エイジ。
「お、ああ……うん。おつかれさん!」
彼には周りからの冷やかしの視線なんて関係ないんだな……とまあ思う。咄嗟に橘くんの視線が気になって彼の方を向いたが、彼は別の人と別の話題について話している様子だった。
チャイムが鳴り、数学の担任がやってくる。1学期の内容の復習だーなんて言って、教室中からブーイングを浴びせられている。
そういえば……もう4ヶ月経つのか……。ここ、
訳あって少し遠くの高校に通うことになった私は、一人ぼっちだった。中学時代の友だちなんてほとんどこの高校には来ていない。みんなとは帰る方向は一緒だけど、みんなが家に着くそのさらに二つ分くらいバス停が遠い。そのバスの中で出会ったのが、松永エイジと新津キョウコの二人だったのだ。私が憂鬱そうにしながらバスの席に座っていた真横の席に座ってきたのである。
『ほら、遅れるぞ新津!』
『待ってよエイジくん!!』
二人は乗るバス停が一緒――当時は幼馴染なのかなって思ってたんだけど、まあそんなこんなのでキョウコと松永エイジは仲が良かった。同じ中学だったらしい。
『新津何組だった?』
『私ねー、1組だよ!』
『うわ、俺と一緒』
『良かったあ。知り合いいると助かるわー』
屈託なく笑う子だな、というのが第一印象だった。そして、入学案内のパンフレットにあるクラス名簿を見ながら、私も一緒だったということに気付く。
『あっ』
思わず声の漏れた私の方を見る二人。
『もしかして、その制服とそのリボンの色……
キョウコに話しかけられて、私は動揺しながらもゆっくりとうなずく。
『見たこと無いよね、ね、エイジくん』
『あ、まあ……うん、そだな。どこ中?』
松永エイジに聞かれて、私は指で3をあらわす。
『三中ってことは、ちょっと遠いね』
『四中ならまだしも、三中は珍しいな』
キョウコとエイジくんは、そんな独りぼっちの私に対して興味津々だった。
『私五中出身の新津キョウコ! 1組なの!』
『わ、私も……だよ』
私はそう言って、名簿を指さして紹介した。出席番号3番の、和泉紗菜であるということを、出席番号2番の新津杏子に伝えたのである。
『これなんて読むの? わいずみ?』
『は? いずみだろバカ』
松永エイジが突っ込む。キョウコは照れながら笑う。
『んじゃ、いずみんって呼ぶね! よろしくいずみん!』
『お、俺は松永エイジ!! 俺もこいつと和泉さんとおんなじ1組だから……よろしく!』
今思えば、彼はこの時点で私のことを気になっていたんじゃないかなーとさえ思える。私だって鈍感な方ではない。
最初のホームルームだって、キョウコとは席が近く、私が後ろ、前にキョウコが座っていて、授業中だろうと関係なく、彼女は私の方を向いて話していた。
『ねえねえ! エイジくんのことどう思ってる?』
確かこの言葉を聞いたのが入学してから一週間くらい。まあ私とて、この時点でしゃべったことがあったのはキョウコとエイジくんと……顔と名前が一致しないような人たちばかりだったので印象には残っていた。
『ああ、あのイケメンだって騒がれてる子?』
私は当たり障りなく返した記憶しかない。それでも、その時のキョウコの満面の笑みに、私は心撃ち抜かれたんだっけか。あんな無垢に、真っすぐな視線を向けながら笑う子が、まだ私の周りにいたのか――と。
ふと回想から帰ってきた私が周囲に視線を移したとき、隣でキョウコが寝ている。
もう寝てるんかい――
可笑しくなって、私はキョウコの背中をとんとんと叩く。
「……もう、起こさんでー」
「……ふふ」
寝言なのかわからないようなこもり声で、キョウコが言うものだから私は思わず笑みがこぼれた。ああ、多分私は――キョウコのことが一番好きなんだろうな。
「おいおい……新津は寝てるのか」
数学の先生は呆れている。クラス中にちょっとした笑いが起きるのを全く気にせず寝息を立てるキョウコは大物だ。
「和泉、代わりに答えて。この問題、答え解る!?」
「ああ、はい。13です」
「正解だ」
うん。間違えてない。私の心は……たぶん揺るがない。だったら……別に橘くんにどうこう言われようと、そのせいで松永エイジとどうこうなろうと、私の知ったことではないではないか。
私にとって一番大切なのはキョウコで、それを守るためにキョウコ以外の人間関係が変わっても――私はきっと
『んなわけあるか』
『そんなことより早く4人で遊びに行く計画立てろや!!』
橘くんに二件のメッセージを送ってやった。そして、思ったよりも早く、返事は来たのだった――
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