第6話「7月23日」

 私と、キョウコと、橘くん。私にとっては見慣れないメンツ3人で向かった映画。面白いかと言われたら微妙だけど、今思うと、高校の夏休みに初めてキョウコと出かけた大切な思い出なのである。


 そのことを、翌々日である今日、キョウコと近くの図書館で勉強をしながら余韻に浸っていたところであった。


「橘くんって凄い一杯食べるんだってさ! やっぱバスケってカロリー使うのかなあ」


 右手にペン、左手に消しゴムを持つキョウコ。ノートをペンでノックしているが、文字は一向に進んでいないようだ。


「……キョウコ、あんた自分の課題進めたら?」

「んー、だって今それどころじゃない! こういう話がしたくていずみんを呼んでるんじゃんか!」


 私は、この子にとって、恋バナもできるくらいに信頼のおける友だち――ということらしい。私のペンは、相も変わらずさらさらと……は進んでいかない。


「あー、でも好きな人といるときって何話したらいいかわかんなくなるよね。いずみんもそうでしょ? ねえ?」


 もしそうだとしたら、キョウコの中で私ってすごく無口な奴に写っているのではないでしょうか――なんて思いつつ、私は首を横に振る。


「私ってそんなにエイジくんと喋ってないように見える? 私はそんなつもりないんだけど」


 ノートとにらめっこしながら言った言葉に、横からキョウコの口が飛んでくる。


「……もう、やんわりのろけないでよ」

「えっ」


 横を向けば、真っ赤に顔を染めたキョウコがいじらしい顔でこちらを見ている。


「のろけてないし、何であんたが照れんのよ」



 はあ、なんてバカな嘘をついているのだろう、私は……。


『……ほかに好きなやつとか……いないよな?』


 そう問われて、自信満々に「いないよ」と答えられなかった時点で、多分私は嘘をつくのが苦手なんだろうな、って思う。



「橘くんにいずみんのライン聞かれたから教えたんだけどさ、いずみんは橘くんとラインしてる?」

「えっ」


 ああ、そういえば昨日ライン来てたな……。返事は何だかんだあって忘れていたわけだけど。


「いや……ラインか……してないな」


 来たけど。


「そうだよねー」


 どこか浮かない顔のキョウコ。ペンがぐるぐる回るばかりだ。


「……何かあった?」

「ん……」


 私の問いかけにも、キョウコはどこか答えづらそう。


「あ、そうだ! 明日サッカー部の練習試合見に行くんだけど、キョウコもくる?」

「……うん、いずみんが行くなら……」


 誘ってみても、いつもは朗らかな顔で二つ返事なのに、今日はどこか後ろ向き。



「……私は嫌だよ……そんなの」


 ぼそっと小さな声で……呟いたというよりは、声に出てしまった。キョウコがこんなに浮かない顔をしているなんて、私は嫌だ。あれもこれもきっと……橘くんのことで悩んでいるせいなのだ。



 ふと、未読をつけていた橘くんからのメッセージに目をやる。


「……橘くんからなんか色々掘り下げてみようかな」

「……えっ!?」


 キョウコが驚いた様子でこちらを向く。目が丸くて愛らしい表情だ。


「……キョウコをこんなに悩ませる男がどんな男か、正直知りたいし」


 私はいじらしく笑いながらキョウコの方を見るが、キョウコの予想以外の表情に、私は思わずケータイを滑らせてしまった。



――私には関係ないし、と言いたげな、どこか無関心も装った表情。どうして……? また地雷踏んだ?


「どうしたの……? キョウコ……?」


 下から覗き込むようにキョウコに顔を近づける。こんな不貞腐れた顔は見たことがない。


「……いずみんはさ……好きな人のことで悩んだこととかある?」

「あるよ!」


 思わず大きめの声が出てしまう。周囲の目が痛い。


「……あるよ」


 すぐに小さな声で言いなおす。だって事実そうだもの。


「……でも、私だって一人で悩むのはつらかった……。そんなとき、エイジくんとの話を聞いてくれたのは、いつだってキョウコだったじゃん」


 よくもまあ私は、こんないかにももっともらしい嘘をべらべらと……。



「……いずみん」


 私だって……悩みたい気持ちでいっぱいだけど……それよりも何よりも、キョウコがこんなにもの悲しげな表情をしているなんて耐えられない。


「……いずみんって優しいよね……」


 キョウコの言葉は……残酷に聞こえた。私はキョウコに目を合わせることができなくて、文字の進まないノートに咄嗟に目を移す。


「……そんなことないよ」


 優しいのは、こんな私と距離を置かずに接してくれるキョウコなのだ。こんなにいい子なのに……こんなに優しいのに……こんなに愛らしいのに……。どうして恋路に悩むのか……私には到底理解できない。



「……私ね、いずみんが羨ましいの」

「えっ」


 飛び出してきたのは、予想外の言葉。



「……背も高くてさ、すらっと細くてさ、目もぱっちりしててかわいいし、まつげも長いし、肌白いしキレイだし、髪の毛もストレートでサラサラしてるし、勉強は私よりできるし、かと言って運動神経も良いし、初対面の人とも緊張せずに話せるし、いつの間にか友だち作っちゃうし、おしゃれなところいっぱい知ってるし、色々な男の子にモテるし……私に無いものばっかり持ってるんだもん」

「……キョウコ……」


 でも、何でこの子がこんなに悩んでいるの? 私と比べて何を伝えたいの? 私にとっては……今挙げられた私の魅力よりも……多くのキョウコの良い所を知ってる。


――でも、伝える勇気は持っていない。



「……橘くんさ……私とラインしてても全然楽しくなさそうなの。いずみんの話してる時だけ……そのときだけは……返事も早かったし、文字もいっぱい打ってて……返信考えてくれてたんだな、って感じしてた」

「……あ……うん」


 キョウコの言いたいことがわかってきた気がする。まさかとは思うが……。


「映画見に行くときだって……私と話してるときよりも……いずみんと話してる時の方が楽しそうだった……」

「……そ、そんなことは……」


――無かったよ、とは言い切れなかった。


――だって、橘くん、私“にも”すごく気を遣ってくれていたりとか、私が会話に入りやすいよう話を振ったりとか……巧かったのも、今凄く納得が行っている。


「で、でも……」


 私には、松永エイジという彼氏がいる。さすがに考えすぎなんじゃないか、としか思えない。


「……だってね、本当はさ、映画行くときもさ……、いずみんも誘おうって言ったの……気まずいからじゃなくて……」


 言いづらそうに言葉を紡いでいるキョウコが、もういたたまれない。


 私は、咄嗟にキョウコの口を塞いだ。


「もういい……ごめん、軽率だった……」

「ううん……」


 数秒沈黙が流れる。先に口を動かしたのは――キョウコだった。


「……ごめん、さすがに考えすぎだよね。こんなの、いずみんに話してもいずみんが困るだけだ……。あっ、それよりさ! フタバコーヒーの新作今度飲みに行きたいんだけど、行かない?」


 私は、なんて最低なんだろう。勝手に掘り出して、気を遣わせて、それでこちらからは気の利いた言葉の一つもかけられない。


 好きな人の前だと――本当に自分の情けない所が良く出る。そう感じた一日だった。

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