第3話「7月20日」

 今日もセミがうるさく鳴いている。コンビニで買ったアイスを食べながら、私は課題をしつつ、松永エイジと連絡を取り合っていた。


『んじゃ、明後日の日曜日で良い?』


 スタンプを押して『OK』の意思を伝えた。


『何時の電車乗る?』

『一番早いやつじゃないと多分混むよ?』


 有名テーマパークだ。それぐらいは考えていてほしいとすら思ってしまう。溶けかけのチューブタイプのアイスキャンディーを口にくわえ、器用に左手にケータイを、右手にシャーペンを持っている。



「はあ……化学式は苦手だな……」


 ため息を吐きながら、冷房の効いた自分の部屋で、学習机に向かっている。まだ夏休みらしいことなんて何一つしていない。


――そして、ため息を吐いた瞬間に思い出す、昨日の出来事――


『私決めた! 橘くんに告白しようと思う!!』


――いくらなんでも気早すぎでしょ……。


 アイスと一緒に溶けてしまいそう。ぐったりしながら何も書いていないまっさらのノートに額をつけた。


 こうしている間にも、キョウコは橘くんと連絡を取り合って、遊びに行って、良い雰囲気になって、告白して、付き合いましたって言う報告をラインから受け取るのかな……。っと、要らん妄想が入った。今日の私はマイナス思考が過ぎる。きっと暑さにやられてプラス思考に考えてくれる脳の機能がダウンしてるんだ、と言い聞かせる。


 もうすっかりジュースになったアイスキャンディーを啜る。扉をノックする音――お母さんかな。


「サナ! 回覧板出して来てくれない?」

「あとで良い?」

「お母さんもうすぐ家空けるから、いる内に!」

「はーい……」


 仕方ないか、と重たい腰を上げ、部屋を出る。お母さんから回覧板を受け取り、小さな一戸建ての住まいを出る。


「セミうるさ……」


 外に出ると、より際立ったセミのうるささに気が滅入る。太陽が昇り切った直後の暑さも相まって。なんか右手側の坂の頂上なんか、陽炎みたいなのできてるし……。



 坂をぼーっと見ていると、誰かが走ってきているのが見える。ああ……あれはどっかで見たことあるぞ。



「おっ、サナじゃん! どしたの?」

「おお……どした?」


 松永エイジだった。首にタオルをかけ、普段見慣れた――よりも色の濃い、汗だくになっているサッカーのTシャツを着ている。右手にケータイを持っており、そこから伸びていたイヤホンを両耳にしっかりとつけている。


「部活の練習とりあえず終わって、自主練で走ってたんだ。来週の練習試合で使ってもらえるらしいし、期待に応えねえと悪いと思ってさ」


 偉いな……。


「サナは何してたんだよ、こんなに暑いってのに」

「……今から回覧板持ってくとこ」

「どこまで? 一緒に行くわ」


「ああ、ありがと」


 私の言葉に、嬉しそうに笑う松永エイジ……。世の女の子たちはこういう男が好きなのか、と思うと何だか可笑しい。


「器用にライン返しながら走ってたんだ」

「ん、まあな……サナから連絡くるの珍しいし」


 私そんなにライン返すの遅いかな……。


「水分摂ってる? 熱中症なるよ」

「心配サンキュー。でもまあ、20分とかだけのつもりだったし、そんなに」

「そっか」


 セミの声が鬱陶うっとうしいので、話し声でゴマかす。


「……明後日の電車、八時半にそこの駅出るのあったから、それで行こうか」

「きっちりしてんのね。別に10分に一本ぐらいで出てるから適当でいいじゃん」


 私の乾いた笑いだけが響いて、やってしまったと気づく。


「ああ、ごめん。エイジくんも色々考えてくれてるもんね」

「え? ああ、まあな。ちょうどオープン時間に到着しそうなの逆算して探したんだよね」


 偉いな……。


「……そこまでしてくれてたのね」

「俺明後日超楽しみにしてんだけど」


 ごめん、って謝ろうと思ったけど口を噤む。


「……私もだよ」


 うん、これが模範解答。



 ちらっと松永エイジの方を見ると、目が泳いでいて、多分私との話題を探してるんだろうなあって思ってなんだか申し訳なくなった。


「……そういえばさ、エイジくんって、橘くんと仲良かったよね?」


 仕方なく、この話題を振ることにした。


「ヨウのこと? まあ、サッカー部以外で話すのあいつくらいしかいねえけどな」


 やっぱり、ヨウこと橘ヨウキくんの交友関係の広さには驚かされる。


「橘くんってやっぱモテそうだよね」

「……まあな。良いやつだし、凄く」


 そうなんだ……まあ、悪い人じゃないんだろうな、っていうのは、一学期ずっと見てきて思ってたけど……友達も多いらしいし。


「浮いた話とか無いのかな?」


 キョウコの為だから、と自分に言い聞かせて淡々と続ける。


「……わかんねえよ」


 まあ、松永エイジも、この手の話は好まないらしい。


「そ、そういえばさ! 今度の練習試合っていつ? どこでやるの?」

「え? ああ……ウチのグラウンドで来週の火曜だけど……」

「あっ! じゃあキョウコと一緒に見に行こうかなあ……えへへ」


「え!? マジ? それめっちゃ嬉しいんだけど……」


 右手で口元を覆う彼を見て、私は何だか可笑しくなった。さっきまであんなに不機嫌そうだったのに……わかりやすいな。



「んじゃ、回覧板も届けたし、ばいばいだね」

「ああ。明後日楽しみにしといてよ!!」


 軽い足取りで下り坂を走っていく松永エイジ――汗が光ってる。私は彼が背中を向けるまで手を振り、ほっと溜息をつく。


「……ま、練習試合頑張ってね、は明後日言えばいっか」



 外に出たせいかわからないけど……すごく汗を掻いた。きっと夏のせい。この暑さのせいだ、と言い聞かせて、私は部屋へと戻る。




「あーすずじぃー」


 冷房がガンガンに聞いた部屋に戻る。汗をTシャツの袖でぬぐい、勉強机に再び座る。ペンを握る前にケータイをとりあえず見ちゃうところに、やっぱり私の弱さを感じる。


『今日はありがと!』『俺、すっげえやる気出た!』『頑張る!』


 3つ連なって送られてくるメッセージに、私は一つ一つ、当たり障りも無く返していく。


『うん、わたしこそついてきてもらってごめんね』『応援してる!』『頑張ってね!』


 カワイイ絵文字は添えなくてもいいか、とケータイの画面を暗くしたところで、着信音が鳴った。再び画面をつけ、慣れた手つきでロック画面を突破する。


「……キョウコだ」


『やっほーいずみん』

『あした橘くんと映画見に行くことになったんだけど』


 えっ?


『きんちょーしてしゃべれなくなるから』

『いずみんもついてきてくれない?』


 えっ……?



 何から驚いて良いのかはわからなかった。ただとりあえず、キョウコの頼みってことからなのか、一種の焦りからなのか、「うん」と二つ返事を送った。送るしかなかった――

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