第2話「7月19日」
『……わかんない……けど、多分これが好きってやつなのかなあ』
終業式――私は虚ろな目をして校長先生の話を聞いていた。
「――さん! 和泉さん!!」
「あ、はい!」
後ろから声をかけられる。周りを見る限り、どうやら体育館から退場するところだったようだ。
「いずみん元気ないじゃん、せっかく夏休み始まるってのに、どうしたの?」
後ろからキョウコが私に声をかけた。あなたのせいよ、なんてとてもじゃないが言えない。
「あ、もしかしてエイジくんとなんかあったの?」
「え、なんもないよ?」
咄嗟に出た松永エイジの話題を、否定する――そう、何もない。
視界の一端に写る松永エイジの顔がちらりと見えたが、私は見えないふりをしてキョウコの方を向いた。
「今日さ、放課後ちょっと学校残って課題やらない? 暇でしょ?」
「あーうん。そうだね! いずみんが残るなら私も残ろっかな」
この言い方は計算しているのかしら、と思わせてくる。それくらいの愛おしさを感じる言い回しに、私の器の小ささを覚えた。
終業式が終わり、ホームルームも終わり、午前中で学校が終わる。部活がある人たちは、そこから昼食を食べて、練習という一日の流れがあるらしいので、教室に残る人、部室に向かう人さまざまだった。
「おい、サナ! 昨日なんでライン返してくれなかったんだよ」
こうやって私に話しかける男――松永エイジは、部室に行かず教室で昼食を食べる組の男だった。
「ああ、ごめん。ちょっと昨日は忙しくて……」
私の頭の中が――だけど。
「そっか……まあ、行きたいところあったら言ってくれよ。俺はフジキューとか良いと思うんだけど」
「ああ……良いと思うよ。私もちょうど行きたかったし……」
「え、マジかよ! んじゃあ決まりな!」
ぱっと顔が明るくなった松永エイジは踵を返し、部活の友達の所へ行く。私の目線から少し外れたところで、隣の男に肘を小突かれているのが見えた。
「いいなぁ……エイジくんといずみん楽しそう」
キョウコには、私たちがどんな風に映っているんだろう。
「……キョウコも、橘くんとああいうことしてみたいわけ?」
「ち、違うよお!」
私の周りに聞こえないくらいの小声でからかった言葉に、キョウコはわかりやすいくらいに顔を朱くしている。もちろん橘くんは部室でご飯を食べる組の男。こりゃ本人の前では隠しきれないんだろうな。
「……ほかのクラスメイトがいる前ではやめて!」
ちょっと睨み気味にこちらを見る顔ですら、愛しさの対象でしかない私だから、彼女の怒りが私を反省させることなどそうそう無いのだろうな、と思う。
――にしても……こんなキョウコが好きになる、橘くんって一体どんな奴なんだろう。
クラスメイトで友達の多い明るいやつ。陽キャと言ってしまえばそこまでなのだが、キョウコが好きになるって言われると、何か他に魅力があるのかなーなんて思ったりしてしまう。不本意だが、橘くんがどういうやつなのか、松永エイジに聞くか……。
なんてことを考えている内に、周りのクラスメイトはとっくに部活に行ってしまっていて、残されたのは部活の無いいわゆる暇人たちだけだった。
「あっ……勉強するのも良いけど、バスケ部見に行きたい……かも」
「ああ、うん……良いんじゃない」
突如として出てきたキョウコの提案を無下にできない自分が悔しかった。
「私ねえ、エイジくんと同じ中学校だったって話したっけ?」
体育館に向かう途中。キョウコが口に出したこの話題は、もう何回も聞いている話だが、私は首を横に振る。
「エイジくんはサッカー部でね……何か凄く難しい名前のポジションやってたんだよぉ……えーっと……」
「……
「あー、そうそう! それでね、なんかもうサッカー部には無くてはならない存在って感じでさあ」
嬉々として松永エイジのことを話すキョウコ。その理由は彼女にとっての松永エイジが“私の好きな人”――そう、“一番の友だちの好きな人”という認識だからであろう。
「中学時代から凄くモテたんだよ! 学祭とか普通に松永旋風!! って感じで凄かったなあ」
「あはは、何それ……意味わかんない」
松永旋風……か。
「……キョウコは……良いなあとか思ったこと無いの? エイジくんのこと」
「え?」
「ああ……ううん、ごめん質問間違えた」
そりゃそうだ。現彼女の前でその質問に“うん”と答えるバカなんてこの世にはいない。
「ああ……でも、いずみんに好かれてるなんて、エイジくんは幸せもんだなぁ」
何だか浮かれているキョウコを見つめている。そんなこんなで体育館の前にやってきた私たち二人。
「橘くん練習頑張ってるかな?」
「さあ……どうだろうねえ」
私から言わせれば、橘ヨウキとかいう奴の方がよっぽど幸せもんだと思う。
ゴム革で覆ったボールが弾む音、シューズが体育館の床と擦れる音。私たちの目の前で大声の掛け合いをしながら、バスケットボール部は練習をしていた。
「いいぞーナイシュー!」
「もっとディフェンス詰めてー!」
3on3かな、私も中学時代はバスケをやっていたから彼らが何をしているのかくらいはわかる。ボールを持っている赤いシャツを着た大男が、ドリブルを一回、二回とついて大きく身を
「おっ……巧い」
そこからふわりと飛び上がり、ボールを上へ――しかし、ボールは滑り落ちて、床に無粋に弾む。あっ、と言葉も出せないような雰囲気が、途端に体育館を包んだ。
「おい、一年! しっかりとボール磨いとけって言っただろ!」
「はい! すみません!!」
赤いシャツを着た大男の、怒号にも聞こえる大声に真っ先に反応した男――彼こそが橘くんだった。
乱雑に投げられたボールを、身体を入れて受け止める橘くん――その周りによってくるどこか頼りない印象すら覚える集団。
――1年生はボール触る練習させてもらえないのか。
こんな、どことなく情けない練習を私たちに見られて橘くんはかわいそうだな――とふとキョウコの方を向くと、キョウコの目はまっすぐ橘くんを見ていた。
「橘くん、一番声出してて……頑張ってるね」
頑張ってる……か。そうだ。キョウコはそういう子だった。私はもうここに居られないような、そんな恥ずかしささえ覚えるキョウコのまっすぐ揺るぎない瞳。
「ごめんね……」
「どしたの?」
「えっ?」
気づけば何故か……ごめんねという言葉が飛び出していた。誰への言葉かもわからないし、キョウコにもはっきりと聞こえていないような小さな声だったし、何せ無意識から発せられた言葉なんだろうと感じた。
ボールを持った派手なシャツを着た人たちに比べて、橘くんはいくらか小さく見える。だけれども、キョウコにとっては一番良く目立つ人らしい。多分、私には見えてなくてキョウコには見えているモノが……きっと橘くんにはあるんだろうな……って気づいた。
そんな二人の関係がちょっとだけ羨ましくなった。帰り道にサッカー場が見えたが、私にはキョウコが見えたようなモノを松永エイジからは感じられなかった。
「私決めた! 橘くんに告白しようと思う!」
突然ふいに出たキョウコの発言に、私は目を丸くした。
「ちょ、いくら何でも気が早いんじゃ……」
首を横に振る隣の少女。私に目線を合わせてちょっと上目遣いになる顔をこちらに向けて、キョウコは笑った。
こんなとき、本来、友だちだったら何て声をかけるべきなんだろう。私は、それがわからなくて、ただキョウコの笑顔を見つめていることしかできなかった。
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