『拝啓僕らの夏よ』ーもし、普通の少女が普通の少女に恋したら、それは普通といえるのだろうかー

さまーなのです。

第1話「7月18日」

「もうすぐ夏休みだねー」


「うーん……」


 雑多な本が並んだ部屋――図書室の中で、友達と課題図書を探している。冷房がかかって静寂に包まれたこの部屋は、快適と言うには最適だが、いかんせん居心地がよろしくない。



「いずみーん。ここにも無いよお」

「そっか……」


 高校の図書室ってもっと品ぞろえあると思っていた。というか、学生にもっと優しく探しやすくしてくれたいいのに……なんて思いながら、肝心の課題図書を探す作業を、目の前のこの子に任せているのだから、私って本当に意地汚い。


「ちょっとー。いずみんも探してよお」

「ああ……うん、ごめんごめん」


 目の前のこの子、新津杏子あらつ きょうこ。私の一番の“ともだち”である。


「あっ! これじゃない? は、い、けー……ぼくらのなつよ?」



 『拝啓、ぼくらの夏よ』という今年の読書感想文の課題図書。高校生にして天才写真家の主人公が、夏休みに写真を撮るためにわざわざネットで知り合った男子の元へ行く、という話だ。キョウコはそれを手にとり、私に見せてくる。


「良かったぁ……まだ貸し出しされてなかったんだねえ」


 無駄に静かなこの空間に、キョウコの澄んだ声は良く響く。


「早くいこ、昼休み終わっちゃう」

「うん! そうだね!!」


 無神経に急かす私の言葉にも、元気に返事をするキョウコ。本を大事そうに両手で抱え、貸し出しの手続きを行う。


「これで読書感想文は早く終わるよねー」


 天真爛漫で、時に真面目な、この子のことが――大好きである。





 放課後直前のちょっとしたホームルームに、夏休みの課題等が配られた。ああ、明後日から夏休みかあって、時々思わせてくるんだよなあ。



「なあサナ、夏休み遊びにいこーぜ」

「ん? ああ……」


 午後の授業も終わって、帰る準備をしている時に後ろから呼びかけられる低い声――私よりも10cm以上背の高い男子だ。


「どうしたよ? 俺は、和泉紗菜いずみ さなさん――あなたと付き合ってるわけじゃん? 遊びに行くのも別に悪いことじゃなくね?」

「あー! いずみんってば、またエイジくんとお出かけするの?」


 そう、私には松永栄志まつなが えいじという彼氏がいる。


「ダメなのか? 別にいーだろ。なっ、サナ!」

「らっぶらぶだねえ。いいなあいずみん」


 ――私は何も言っていないんだけど。


「いずみんは、私とも遊ぶの! そうでしょ?」


 キョウコに詰め寄られ、私は思わず曲げていた背中を伸ばす。ふと、キョウコの顔を見ると、私の方を見ながらにこにこ笑っている。夏休み……キョウコとどこに行こうかな。今から考えてみるだけでも楽しい。


「ち、近いって……キョーコ」

「ああ、ごめんごめん。でもさー、エイジくんとばっか遊んでないで、勉強もしなきゃだめだよー」


 キョウコには私がそんな風な“女の子”に見えているのかなあと、ふと不安になる。


「そういえば、エイジくん、今日は部活があるんじゃないの?」

「ああ……そういえばそうだった。んじゃ、サナ、またライン返しといて!」


 はーい、とそっけない返事を返して、私は松永エイジの背中を見送った。その横で、ニヤニヤするキョウコの顔が視界の一端に入ってくる。


「ほいほい……ようよう、いずみんやあー。良い彼氏を持ったもんですなあ」

「……あはは、そうかな」


 乾いた笑いが二人きりの教室に響く。


「うん、あれは相当いずみんに惚れこんでるね。うん。私が言うんだから間違いない」

「そうなのかな」


 そうなのかな、と思う節はそりゃあある。


「だってさあ……四月からアプローチかかってたじゃん。まだ私たちも友だちだったわけじゃないけどさ、エイジくんがめちゃくちゃ好き好んでる人! でいずみんのこと覚えちゃったからなあ」


 一番の“ともだち”にそんな覚えられ方してたなんて……4か月間一緒に過ごしてきて初めて知って、ちょっとショックだったりする。


「気づけばエイジくんといずみんの関係性が気になっていずみんに話しかけてさあ……って思ったら、エイジくんのおかげだね! 私たちが友だちになれたのって」


 そう思ったら松永エイジに感謝しなきゃいけないのかも……。



「ねえ、今日暇?」


 キョウコに話しかけると、キョウコの短めの緩い髪がふわっと揺れる。


「うん、暇だけど……」

「ちょっとジョンソン寄ってかない?」

「ああ、良いね! 新作バーガー食べてみたかったんよね」



 よし、決まり! と私が机から立ち上がり、流行に若干乗っかったリュックを背負う。キョウコは私の半歩後ろをついていき、教室を後にした。




「いらっしゃいませ、ご注文は下のメニュー表からお選びください」


 ジョンソン=ハンバーガー――高校の帰り道にあるファストフード店で、安価でジャンキーな味であるがゆえに中高生から若者を中心に人気の店だ。


「ああ、チーズバーガーのAセットと……キョーコ何にする?」


 あ、キョウコぼーっとしてるわ。私の方も見ず、メニュー表をうつろな目で凝視してる。


「キョーコは何にする?」


「……え?」

「な、に、に、す、る、の?」


「あっ、新作、夏野菜バーガーのAセットで……ドリンクはオレンジジュースで!」

「あっ、チーズバーガーの方のドリンクもオレンジジュースでお願いします!」


「かしこまりました!」


 店員さんに番号札を渡される。気がかりの多めなキョウコをカウンターに残し、場所取りと称してリュックを席に置きに行く。



「あれ? 和泉紗菜?」

「あっ、橘くん」


 クラスメイトの橘陽貴たちばな ようき。朗らかな印象で友達も多い。確かこいつ……バスケ部じゃなかったっけ?


「今日練習は?」

「オフだよ。っていうか、和泉さんは誰と来てんの? 新津さん?」


「……ああ、うんそうだけど」


 リュックを置いてぶっきらぼうに踵を返す。そういえば思い出したけど、あんたと話してる暇はない。


「そうなんだ! あ、俺もうすぐ帰るから、ここ一緒に座んなよ」

「いや、良いよ」


「ほかのお客さんにも悪いしさ」


 確かに……そうだけど……



「ほら、あっ! 新津さんがトレー持ってきたよッ!」



 えっ、と私が振り返ると、キョウコが二枚のトレーを器用に持ちながら千鳥足で歩いてきていた。


「ああっ、もう! 声出して呼んでくれたらいいのに!!」

「うーごめん! いずみん誰かと話してたからさ!!」


 あ、といった表情でキョウコの視線が止まる。視線の先にいるのは橘くんだ。


「あっ! 橘くん! バスケ部の練習今日は無いんだね」

「うん。ついつい来ちゃうよねジョンソン」


「新作バーガー出たじゃん? 今日はそれ食べに来たの」

「ああ! それ俺も食ったよ! めちゃくちゃおいしかった!」


 なぁんか……蚊帳の外にされてる気がする。でも、キョウコの表情を見ると、横槍を入れるのはためらっちゃう。


「あっ、ほら座んなよ! 和泉さんも新津さんも!」


 橘くんは自分の置いてた荷物を避けながら私とキョウコが座る場所を作ってくれた。


「いよいよ明日の終業式が終わったら夏休みやんねー」

「そうそう! もう高校生の夏休みーって感じで楽しみー!!」


「和泉さんはやっぱエイジと遊びに行ったりとかするん?」


 橘くんはこうやって私に気をつかって話しかけてくれるんだろうけど……正直私からしたらその話題はもう何度も話しててめんどくさいんだよなあ。


「その話はしーっ! いずみんだってしたくない話ぐらいあるんだよ!」



 キョウコはマジで良い子だな。オレンジジュースを一人啜る音が三人の間に響く。


「あっ、新津さんも食べないと冷めちゃうよ?」

「あっ、ほんとだ! おいしそーだよねー!!」


 キョウコはマジで素直だなあ……。


「んじゃ、俺はこのへんで。バイトもあるし。じゃあね和泉さん、新津さん!」

「ばいばーい!」


 橘くんは、元気に手を振るキョウコの横でストローを咥えたまま静かに手を振る私の方もちらちら見ながら手を振り返す。こいつも多分悪いやつじゃないんだろうな……って思いながら隣に座るキョウコに視線を移す。


「4人席で隣同士って、なんか照れるね」


 視線があった瞬間にキョウコに言われ、私の顔が赤くなるのが簡単に分かった。


「……んじゃ、私橘くんいたとこ座るわ」


 私がトレーを持って立ち上がると、急にそわそわし始めたキョウコ。


「ねえいずみん……」

「ん?」


 キョウコが少し目線を上げて私の顔を見る。自然と上目遣いができていて、私はいつもより暑さがちょっと気になる。


「どうしたの?」


 私が尋ねると、キョウコは顔をぐっと私に近づける。


「私たちのクラスってさ……付き合ってるのいずみんとエイジくんぐらいしかいないじゃん?」

「ああ……うん」


 非常に心外な話題である。それでも、目の前のかわいい顔した女の子が興味ありそうにその話をしているのだから、聞くほかないではないか。



「……橘くんって……好きな人とかいないのかなあ」



 喉を通るオレンジジュースに、途端に生温さを感じて咳込む。


「……ん、ごめん……なんか変な話だった?」

「……げほ、いや、全然……ちょっとびっくりしただけ」



 いや、ちょっとどころじゃないよ。



「……なんで、何か橘くんのことが気になるわけ?」


 私はとりあえずポテトに手を伸ばしながらキョウコの方を見る。顔が紅潮あかいのは、冷房が効いてないから? それとも――


「……最近、良いなぁって思ってるの」

「……ふぅん」


 思わず素っ気ない態度を取ってしまう私だが、頭の中はそれどころではない騒ぎだ。


「……んで、何でその話を私にしてくれたの?」

「……だって、こんなこと相談できるのいずみんしかいないじゃん……恋愛経験豊富だし、頼りになりそうだし……」


 ちょっとショックだったのは、恋愛経験豊富な女って見られたからなのかな……。



「……だってウチのクラスで付き合ってるのはいずみんとエイジだけなんだよ。こういう高校生の恋愛とかわかってるのっていずみんたちしかいないわけじゃん……」

「……でも……私もあんまりわかんないよ?」



 だって……私からなにかしたわけじゃないし……



「まあ、最悪話聞いてくれるだけでも良いの! ね、お願い!」


――友だちでしょ? っていう言葉を語尾に感じてポテトの渇きをより感じた。すかさずオレンジジュースを啜ろうとするが、氷が解けて水っぽい。


「……私にだって……わかんないよ、どうしたらいいのか」

「えっ、なんて?」


 こうやって、一番言いたいことほど小さな声で言ってしまう所とか、私って本当に意地汚い。


「まあ、橘くんとエイジくんが仲良いから、エイジくんからも何か聞けそうだったら聞いてみるよ」

「ほんとに? ありがとー!!」


 キョウコの目的は最初からこれだったんじゃないかなって思っちゃう――って勘繰るあたり、私は本当に……性格が悪いんだろうなって思う。



「……え、聞きたいんだけど……橘くんのことはまだ気になる段階? それとも……もう結構好きかなーって感じ?」



 私の質問に、キョウコはわかりやすいくらいに固まった。


「……わかんない……けど、多分これが好きってやつなのかなあ」



 ストローで半分空気を吸う音が響いた。隣のお客さんが卑しい目で見てくる。


「……そっか……そうなんだ。あっ、チーズバーガー食べないと! 冷めちゃうよね!」

「……ごめんね、なんか……私ばっかこんな話して……」


 ううん……キョウコのしょうもない話も他愛もない話も大好きなの。だから、こんなことでちょっと動揺してる自分が嫌いになりそうだった。



 私の目の前でちょっと申し訳なさそうにしてる新津杏子と言う心の優しい女の子――私はこの子のことが――大好きである。

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