第34話「闇の女神は死の香り」

 目が覚める。

 重い瞼を上げる。

 淡いオレンジに揺れるランプの光を遮って、いくつもの影が私の上に落ちていた。彼らは私を囲んでいた。


「ルビエラ!」


 懐かしい声がする。

 アラクネの少女は目の端に涙を溜めて、私を見下ろしていた。彼女の声を聞きつけて、周囲が俄に騒がしくなる。

 上半身を持ち上げようとして、両腕に抱きつく二人の存在に気がついた。


「キィちゃん。それに、ミラも……」


 私の腕をひしと掴み、ふわふわの髪の女の子と大魔王が眠っていた。二人のあどけない寝姿に思わず笑みが零れる。


「目を覚ましたカ」

「グウェル。他の皆も」


 周囲を見渡すと、魔王達が集まっていた。

 ここは第一迷宮〈骨骸の門〉の最奥部だろう。闇龍ヒュカも尻尾を丸めて、壁際に佇んでいる。

 ホルムスも、シューレイも、コンポールも、ヤムボーンも揃って、一堂に会している。


「ルビさま……?」


 近くで名前を呼ぶ声がした。視線を下げると、キィちゃんが目を擦りながら私を見上げていた。


「おはよう、キィちゃん。――ありがとうね」


 光の女神サフィーラと共に混沌へ還りゆく定めにあったはずの私が、なぜここにいるのか。それは全て、他ならぬキィちゃんのおかげだった。

 キィちゃんは泣き女バンシーだけれど、中でも特別な存在だ。彼女は死そのものを呼び寄せる。泣き叫ぶことで、終焉を呼び覚ます。本来ならば世界の崩壊――迷宮の破壊すら行える凶悪な力だ。

 私がここにいるということは、彼女が泣いてくれたのだろう。私の死を悼み、私という存在の消失を悲しんで。

 その結果、死が呼び起こされた。つまり、私が滅び行く世界から、こちらへと。

 これが私の保険。可愛い命綱。


「ルビエラ。色々、説明してほしい」


 花のように笑うキィちゃんに癒やされていると、ウィニの顔が視界に入ってきた。彼女は眉間に皺を寄せ、怒っているような表情だ。


「あはは。そうねぇ、どこから説明したらいいのかしら……」


 他の守護者たちも興味をこちらに向けている。私はすっかり重たくなってしまった身体を支えながら、始まりの方から話し始めた。

 私が闇の女神ルビエラであること。光の女神サフィーラとは対をなす存在であること。魔界の根幹を支える存在であること。

 しかし、自分の権能のほとんどを、今もスヤスヤと眠っているミラに分離していたこと。


「ミラ様は、大丈夫なの?」

「権能のほとんどが混沌に還元されちゃったから。こうして存在意義だけ持ち帰って来れたのは幸運だったわ」


 ミラは私の力のほぼ全てだ。サフィーラと共に、その存在そのものが混沌へ帰す可能性は大いにあった。カラスがもう少し遅れていたら、彼女はここに居なかっただろう。


「魔界の方はどう? 結構ボロボロなんじゃない?」


 魔界は私と根源的に結びついている。私の権能の大半が消え去った今、魔界も大方が消失しているはずだった。


「七迷宮を、魔王城を中核として結合させることで最低限の維持をしておる」

「あら、凄いじゃない」


 低い声で言ったのは、古龍ヤムボーンだった。彼は巨体を丸め、なんとか最奥の間に収まりながら、こちらを見下ろして言う。


「我々が生き残るためだ。できる事は何でもする」


 つれない反応だけれど、私は少し笑ってしまう。彼もまた、守護者なのだと思い直した。


「とはいえ、私の迷宮も他の迷宮も、少なくない被害が出ているし、今も端の方から崩壊しているわ」


 そう言ったのは水球の中に浮かぶシューレイだ。彼女の表情には憂いがある。こうして話している今も、守り切れない同胞が死んでいる。


「ごめんなさいね。私が抱えるには、まだ大きすぎるみたい」


 魔界は崩壊している。それを止める事はできない。

 崩壊が止まるのは、今の私に残った力と釣り合いが取れる所まで進んだ時だけだ。その頃には、魔界はとても小さくなっているだろう。


「そこで、一つ提案があるんだけど」


 声を上げたのは、青年の姿をしたコンポールだった。どうしてここにいるのかと首を傾げ、彼の近くに植木鉢が置かれていることに気がついた。

 どうやら、緊急避難的に株分けして来たらしい。


「何か考えが?」

「ああ。僕たちもルビエラの権能に加えてくれないか?」

「それは……」


 コンポールの言葉に声が詰まる。

 彼らを私の眷属にするということ。そうすれば、私自身の力も増すし、魔界の崩壊も少しは軽減できる。けれどそうなれば、彼らに自由はなくなる。


「いいの?」


 眷属になる事。絶対服従を従うと言う事。その事実を正しく認識しているのか。


「大丈夫」


 そう言ったのはウィニだった。


「私も、守護者だから。迷宮を守る、責任がある。そ、それに、ルビエラと一緒になれるなら――ふへっ」

「このまま崩壊が続けば、龍の存続も危うい。そうなっては、元も子もないじゃろう」


 ウィニに続いたのは、以外にもヤムボーンだった。彼が率先して頷いた事に、他の守護者たちも少なからず驚いている。


「我、古代龍ヤムボーン。汝、闇の女神ルビエラに我が力の全てを捧げよう」


 巨龍が首を下げ、頭を垂れる。


「我、糸紡ぎのウィニ。汝、闇の女神ルビエラに我が力の全てを捧げよう」


 ウィニが続く。


「我、魔老樹コンポール」

「我、蒼鱗姫シューレイ」

「我、彷徨のホルムス」

「我、獅子王グウェル」


 他の守護者達もそれに続く。床に座る私の周囲に、猛者達が跪く。


「くはは。これは断れぬのう」

「ミラ……」


 いつの間にか目を覚ましていたミラがくつくつと笑う。そうして、彼女もまた身を翻し、私に向かって頭を垂れる。


「我、大魔王ミラ。汝、闇の女神ルビエラに我が力の全てを捧げよう」


 彼らの決意を目の当たりにして、断る事などできなかった。


「我、闇の女神ルビエラ。汝らの権能を受け取ろう。我に永久の忠誠を。暗き闇の果てまで付き従え」


 六人の守護者、そして大魔王の力が流れ込む。洪水のように荒れ狂う力の奔流に身が揺らぐが、すぐに全てが全身に馴染む。

 久しぶりの全能感に、しばし呆然とする。


「世界の崩壊も止まったわね」


 全ての力を支配下に置いた事で、魔界の隅々までを把握することができるようになる。崩壊は止まり、ひとまずの安定が保たれた。


「ルビ様、これからどうするの?」


 キィちゃんが上目遣いで訊ねてくる。私は少し考えて、彼女の柔らかな髪をそっと撫でた。


「んー、そうね。人間界でも旅しましょうか」

「に、人間界?」


 ウィニが困惑の表情で繰り返す。


「私が生きてるって事は、対になってる光の女神サフィーラも生きてるってことだから。人間界のどこかに流れ着いてるアイツも見つけ出して、色々お話しないと」


 だから、と彼女たちを見渡す。


「暗き闇の果て、それどころか眩い光の向こう側まで、死ぬ気でついてきて貰うわよ」


 体内に満ちあふれる力が、じわりと漏れ出す。それはほのかな死の香りとなって、私の忠実なしもべたちに広がった。


_/_/_/_/_/


最弱の魔王は死の香り、完結です。

ご愛読ありがとうございました。

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最弱の魔王は死の香り ベニサンゴ @Redcoral

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